恩師の葬式に参加する元悪役令嬢
先生の埋葬はしめやかに行われた。
これまで一、二回しか会っていない息子および娘夫婦や見たこともない親戚一同はどうでもいいとして、かつての教え子や近所の人達も先生の訃報を悼んでくれた。
遺産相続については遺言が残っていて、私は先生の本や私物の何点かの遺品を頂いた。それ以外は好きにしろと書かれていたので親族会議でもめているらしい。もう関係の無い話だったので私は遺品を受け取ってすぐにその場を離れた。
「お悔やみ申し上げる」
先生のお屋敷から出た私を待っていたのはジョアン様だった。喪服に身を包んでもなおその高貴ないで立ちが隠しきれていない。
私は愛想笑いを浮かべて感謝を述べつつ頭を下げられた。これまで散々悲しんで涙も枯れ果てていた。これぐらいの無礼は許してくださると信じたい。
「ジョアン様こそ恩師を失って悲しいんじゃないですか?」
「非情かもしれないが悲しくはない。死ぬには早すぎた、と残念には思うがな」
「そう、ですか」
(そう言えばジョアン様はわりと現実を素直に受け止める方だったわね)
ジョアン様は私が両手に抱える先生の遺品を代わり持つと言ってくれたけれど断った。王太子ともあろう方の手を煩わせるわけにはいかないと思ったからだけれど、私が貰ったんだから自分の手で持ち帰りたいんだ、と建前の理由を伝える。
「これからどうするんだ? 他の奉公先を紹介してもらったのか?」
「はい。先生に紹介状を書いてもらいました。慌ただしかったからまだしっかり見れてませんけれど……」
「なら俺のところに来い」
「えっ?」
ジョアン様のところって、つまり王宮に?
貴族どころか貧民街で今を生きるのが精一杯な私を雇うと?
「折角のご厚意ですがお断りします」
冗談ではない。何が悲しくていずれレオノールを破滅させる王太子の世話をしなければいけないんだ。そしていずれ王太子の伴侶になるイサベルにかしずかなければならないなんてまっぴらごめんだ。
カレンが気心知れた姉妹だったのはもう昔の話。男爵令嬢イサベルになった元姉はもう私とは赤の他人だ。むしろイサベルはレオノールだった私を破滅に追い込んだ恨むべき女。代役にカレンが名乗り出ていてもそれは変わりない。
「俺がどこの家の者かも知らないのにか? それとも知っていて拒絶しているのか?」
「どちらにしてもジョアン様には深入りしない方がいいって思うんです」
「根拠は?」
「ただの直感です」
ジョアン様は低く唸った。それから私が抱えた荷物のうち、本の上の小物入れ箱を取り上げて腕に抱え込む。抗議の声をあげようとしたけれど、どうせこの人は聞く耳を持たないだろう。そう分かってしまった自分が憎い。
「ジョアン様は貴族様なんでしょう? もう婚約者がいらっしゃるんじゃないですか?」
「否定はしないがそれがどうした?」
「わたしみたいな貴族でもない小娘にちょっかいをかけていていいんですか?」
「要らん心配だな。どうせ彼女は俺が他の女の傍にいようが何も言ってこない」
……レオノールがジョアン様を咎めない?
あり得ない。そんなのレオノールではない。
他でもない、かつてレオノールだったこの私が断言する。
「えっと、それってどういうことなんですか?」
動揺で声が震えてしまった。イサベル関連を除いて勘が鋭かったジョアン様に何か悟られないかと不安だったものの、特に気にしない様子だった。それとも判断材料が増えたと心の中で考えているんだろうか?
「婚約者、レオノールっていうんだが、アイツは正式な挨拶の場で俺にどうせ政略結婚なんだから親交を深めなくたっていいだろうと言ってきたからな」
「嘘です。そんなのあり得ません。だってレオノールは……」
「ほう? やはりカレンは何かを知っているようだな」
しまった、と後悔した時は遅かった。
口を滑らせた私をジョアン様はじっと見つめてくる。その深い色をした瞳に吸い込まれそうだと思ってしまうぐらい、視線が私を離さない。口角をわずかに吊り上げたのは、きっと「面白い」と思ったからだ。
「レオノールはどうも俺と距離を置きたいようだ。社交界で初めて顔を合わせた時、俺が名乗った途端に彼女は泡を吹いて気を失った」
「にわかには信じられませんよそんなの。わたし達庶民は貴族様のご令嬢はとても見目麗しくて華やかで気品があるって感じに想像してます。いきなり泡吹いて倒れるなんて、話を盛ってませんか?」
「婚約が決まっても彼女は俺から遠ざかりたいようだな。何かと理由を付けて会おうとしない。たまに茶会を共をしても愛想笑いや適当なあいづちをするばかりだ」
まさか私がイサベルになったようにレオノールにも何かしらの未来を知ってしまったがために破滅に追いやった王太子と親密になろうとしていないとしたら。例えばそう、嫉妬でイサベルをいじめた、と噂されないために初めから離れようと。
「そんな。てっきり神にも祝福された婚約だとばっかり……」
「俺が単に彼女の好みに合わないのかと思いきやそうでもないようだ。別段嫌われるような真似をした覚えはないし、レオノールの両親にも聞いてみたが彼らも不思議がっていた。だから未だに理由が分からん」
確かめたい気持ちに駆られたものの今のジョアン様とレオノールには極力関わりたくないのが本音だ。ぜっかく全く別の存在に生まれ変われたんだ。破滅の運命から逃れようとしているんだとしても今のレオノールの勝手だろう。
「レオノール様の心境なんてわたしには分かりませんよ」
「だが察してはいるんだろう? レオノールとカレンが俺から離れたがるわけはどうも同じに思えるんだが」
「もしそうだったとしてもレオノール様は打ち明けてないんですよね? だったらわたしから話せることも何もありません」
「む……せめて手がかりだけでも教えてくれないか?」
手がかり? 貴方はいずれ男爵令嬢イサベルと恋に落ちます。婚約者として咎める公爵令嬢レオノールを目の敵にします。あげく真実の愛とやらを貫いて婚約破棄したあげくに罪を誇張して獄中死させました。そう馬鹿正直に教えろと?
けれど私、つまりイサベルが魅了の邪視持ちだったとはもう分かっている。ジョアン様が邪視の影響で正気を失った結果ああなったんだとしたら……私を捨てたくせに、とただ一方的に憎むばかりなのは違うのではないだろうか?
「あくまでわたしの想像ですけど、ジョアン様は何も悪くないと思います」
「では俺は気まぐれにレオノールから嫌われているのか」
「けれど『今は』に過ぎません。この先もそうだって限らないって不安なんじゃないですか?」
「俺の何が心配なんだ? 道を踏み外してなんかいないぞ」
「その自信が、じゃないですか? わたしから言えるのはこれぐらいです」
「……そうか。自分でも分からん所にレオノールを怯えさせる何かがあるわけか」
察しが良くて助かる。
魅了されていようがいまいがジョアン様は結局自分こそが正しいと思い込んで苦言を呈するレオノールを忌々しいと言い放っていた。一歩下がってもしかしたら自分が間違っているのでは、と気付くことが出来れば少しは変わるかもしれない。
まあ、決してイサベルに心奪われたりしない、とジョアン様が誓ったところでレオノールの不安は消えやしないだろう。運命は神によって定められているのか、それとも自分の選択で変えられるのか、なんて未知数なんだから。
「カレンも俺がいずれレオノールを脅かすとでも思っているのか?」
「もしそうだとしたら庶民に過ぎないわたしは巻き込まれたくありませんね」
「はっ、それが本音か。大した奴だ」
「恐縮ですって返せばいいですか?」
意外にも私はジョアン様と真っ当に話せている。レオノールだった頃の仕打ちだとか今の身分さはさておき、この方個人とこうして他愛ない会話をするなんていつぶりだろうか? と言うより、レオノールだった頃の私は気兼ねなくお喋り出来ていただろうか?
……ジョアン様が望む伴侶が公式の場で王を支える妃ではなく、人としての自分を包み込む女性なんだとしたら? レオノールがどれほど教養を身に着けて美しくなろうと、優しい言葉をかけて満面の笑みを浮かべる少女には勝てなかったではないか?
(馬鹿馬鹿しい。今更色々と想像したって意味無いじゃないの)
結局ジョアン様は婚約者となったレオノールと結ばれるかイサベルに成り代わったカレンに横取りされるんだ。先生が亡くなった今、私はジョアン様とは接点が無くなったし、彼と話すのももうこれっきりだ。
「おい。カレンの家はどっちの方向なんだ?」
「え? ここからだと確かあっちだった筈ですね」
「煙が上がっているな」
「……え?」
深く考え込んでいた私はジョアン様から声をかけられてやっと気付いた。私の家の方角で黒い煙が激しく天に立ち上っていると。
付近の住人達が何事かと空を見上げている中、私は心配になって駆け出した。
まさか、きっと杞憂に決まってる、と自分に言い聞かせても不安が全然拭えない。こんな悪い予感は当たっていないでください、と神様に祈っても焦りは消えてくれなかった。
そして、現実が最悪の形で突き付けられた。
火事が襲っていたのは私の家だった――。