表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/35

邪視殺しを買う元悪役令嬢

 私がカレンになってから随分と経った。

 既にジョアン様もレオノールも王立学園に通い始めている。以前と同じならイサベルは男爵家での詰め込み教育を経てから通うことになる。順当にいけばジョアン様とイサベルが邂逅を果たすまであと二年弱だろう。


「ねえカレン。王立学園に行く気は無い?」

「ないです」


 この頃になるとカルロッタ先生は体調が悪化して寝込むようになってしまった。幸いにもかかりつけのお医者様は定期的に屋敷に来てもらえているから、先生の身の回りのお世話が増えたぐらいで左程仕事の負担が増えたわけではない。


 既にお孫さんもいらっしゃるカルロッタ先生もいい年だ。いつ天からお迎えが来てもおかしくない。これまでは病気とも無縁で元気だったけれど、体力の衰えは隠しきれていない。今回も初めは軽い風邪だったのに。


「勉強は好きなんでしょう?」

「はい、好きです。自分の世界が広がるみたいで楽しいです」

「じゃあ王国最高峰の教育機関には絶対に通うべきよ。私が教えられる範囲にも限度があるし。専門の教師から学ぶべきだわ」

「知りたい知識は自分で調べられます。誰かに教えてもらう必要はないです」

「独学は独りよがりになったり知識が偏って危険よ」


 そんな先生はここ最近王立学園を執拗に勧めてくるようになった。私がいつまでもここに留まっているのは勿体ないと思っているのだろうか。それとも……自分は先が長くないから私に次に進んでもらいたい、と考えているのだろうか。


「それにわたしは学園には通えませんから。学費どころか受験料も払えません」

「そんなの心配しなくていいわ。受験料ぐらいなら私が融通してあげるし、学費は特待生になれば免除されるじゃないの」


 貴族御用達の王立学園は貴族階級以外の者にも学ぶ機会が与えられている。ただし試験は難しく、毎年の合格者もごくわずか。その代わり国勤めの文官や大商会の会計士など将来が約束されたも同然。毎年多くの者が挑戦し、夢破れている。


 とは言ったものの学園で常に優秀な成績を収めていたレオノールの知識を持つ私にとっては合格なんて難しくはない。試験問題の傾向も把握しているし面接対策も問題ない。何なら今すぐにだって受けたってかまわない。


 まあ、そのレオノールが卒業間近まで通っていた経験があるから、既に学園で学べることがもう残っていないのだけれど。


「そもそもそんな暇無いですって。働けなくなったらお母さんのお薬も買えませんし」

「お母さんの介護の費用は私が出してあげるって言ってるじゃないの」

「そんな労働に見合わない対価は欲しくありません」

「強情ねえ」


 第一、学園に通い始めたら今度は第三者視点でレオノールの破滅を体験しなくちゃいけないじゃないか。何が悲しくてイサベルの恋愛を祝福しなければいけないのだ。苛立つぐらいなら初めから関わらないに越したことは無い。


 そうした様々な理由があって私は学園に行きたくなかった。先生が勧める度に私は自分の意思をはっきりと伝えるのだけれど、先生もなかなか諦めてくれない。今日交わされる会話ももう何度目なのか数えていない。


「ところで……最近遠くのものが見えづらい、なんてこと無いかしら?」

「えっ? どうして分かるんですか?」

「時々目つきが悪くなっているんだもの。視力が弱っているんでしょうね」


 不意の質問に私の心臓が跳ね上がった。確かに前より視界がぼやけるようになった。特に文字が見えづらくてつい目を細めたり本を近づけたりしてしまう。レオノールだった頃は最後までお屋敷の窓から庭の隅々まで見通せたのに。


「……どうしよう。眼鏡を買うお金なんて無いです」

「それぐらい私が出してあげるから」

「そんな! わたしが頑張ってお金を貯めればいいだけですから!」

「部下の仕事に支障が出ないよう福利厚生をしっかりするのは雇い主の義務よ。不満なら出世払いでもいいから」


 そこまで言われたら私は厚意に甘えるしかなかった。必ずこの恩は返すと固く心に誓って先生からお金を受け取る。……革袋に入った金貨の枚数を見て腰を抜かしそうになった。絶対に一番安いものを選んでおつりを返そう。


 店が閉まる前に今すぐ行ってこい、と屋敷を追い出された私は地図を頼りに先生お墨付きの店に向かった。人で賑わう大通りを抜けて貴族御用達の職人の工房や店が並ぶ繁華街を進む。使用人服の今でも浮いているんだ。普段着では絶対に来られないだろう。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 店員らしき人が来店した私を出迎える。私の恰好を確認しても嫌悪感を露わにしないだけ接待の教育が行き届いていると感じる。店内には数名ほど他の客がいたけれど、皆裕福そうな服を着こなしている。


「ご主人様に眼鏡を作ってこい、と命じられました。お願いできますか?」

「畏まりました。作るにあたって何かご要望はありますか?」

「えっと……あ、そう言えばご主人様にコレを店の人に見せろと言われました」


 店内を見渡しても何が良いのかサッパリなので、とにかく専門の人に任せることにした。私が差し出した紙を読んだ店員は……何故か血相を変えた。そして慌てながら店の奥へと駆け出していく。店員が「師匠!」と呼ぶ声を境に扉が閉まり、静けさが戻った。


 しばらくすると無精ひげを生やして頭に布を撒いた中年の男性がのっそりと奥から現れた。職人らしき彼は私と店員に渡した紙とを何度も見比べる。その眼差しはとても真剣なもので、私の奥まで確認するかのように観察していた。


「夫人が嬢ちゃんにコレをあてがってこいって言ったのか?」

「ご主人様をご存じなんですか?」

「知らねえ職人なんざモグリだろ。嬢ちゃんも知ってるだろ? 夫人は昔王宮勤めだったって」

「あ、はい」

「あの人は贅沢を凝らす他の貴族連中と違って機能美に拘ってて……って今はそんな話は関係ねえか。少し検査するけど時間はあるか?」

「大丈夫です」


 それから私は目に光を当てられたり小さな絵が何なのかを聞かれたりした。最後の方は硝子だったり水晶だったり色々な物を見比べたり。一通りの検査が終わると職人は工房の奥へと姿を消した。


 店員だと思っていた男性は職人の弟子らしく、あんなにも真剣だった師匠は初めてだと語った。彼が言うには王国有数の貴族が相手だろうと興味をそそらない仕事への態度はそれなりらしい。そんな職人を本気にさせる程の案件だとはとても思えないのだけれど。


「ほれ、出来たぞ」


 しばらくすると職人が眼鏡を手に戻ってきた。彼は眼鏡を弟子に押し付けて掛け眼鏡にする調整はお前がやれと述べ、再び工房へと戻っていく。弟子は私の顔を確かめながら耳にかける紐を調整する。


 出来上がった眼鏡をかけた途端、世界がはっきりとした。試しに店内に立てかけられている表を見るときちんと文字が読み取れる。こんなにも鮮明だったなんて、と思わず感動で打ち震えた。


「それで、お代金なんですが……」

「これで足りますか?」

「……! はい、充分です」


 恐る恐る支払いを切り出した店員に私は先生に渡された布袋を差し出す。中身を確認した弟子は金貨の枚数を数え、数枚ほどのおつりを私に返した。あんなにたくさんあったのにこれだけになるなんて。眼鏡って贅沢品だったのか。


「ソレ、特殊なレンズを使っているのでとても高価なんです。くれぐれもなくしたりしないでくださいね」

「分かりました。注意します」

「それから、寝る時とお風呂に入る時以外は普段から付けていただく方がいいかと」

「でも文字を読む以外だとあまり困ってません」

「それがお客様のためです」


 弟子はあまりに真剣に語るものだから、きっとそれが眼鏡の正しい使い方なのだろう。かけていないと視力とやらがこれ以上悪くなるのだろうか? 眼鏡をすぐ買い換えなきゃいけなくなる、なんて事態は絶対に避けたいし。


「ありがとうございました。またお越しください」


 行きと帰りで全く違った世界を堪能しながら私は先生の屋敷に戻る。先生に買っていただいた眼鏡を撫でながら顔がにやけてしまった私を行き交った人達は変質者を見る目で眺めていたに違いない。


 先生におつりを返した私は感謝の言葉を述べてから報告に移った。眼鏡をかけた私の瞳を見つめた先生はどういうわけか安堵の吐息を漏らす。こんな高価なものでなければ矯正出来ない私の目に何か異常があったのか、と聞くと……、


「カレンの眼には邪視が宿っているかもしれなかったから」


 と、衝撃の事実を口にした。


「邪視、ですか?」

「意識的に使っていないから効果は薄いようだけれど、相手に好印象を抱かせるようね」


 眩暈がした。身体がよろけた。

 何とか椅子に掴まって倒れるのだけは防ぐ。


 私が、人を誑かしている?


 いや、考えればその可能性もあるんだった。レオノールだった頃にイサベルだった娘は本当にイサベルだったのかカレンだったのか不明だ。だからイサベルである私が人を惹きつける何らかの手段を持っていてもおかしくはない。


「その眼鏡は邪視を遮断する効果があるわ。邪視殺し、とでも言っておきましょう。あそこの職人がソレをカレンに作ったのなら、カレンは邪視持ちなんでしょうね」

「あ……え、わ、たしが……」


 理解が追い付かない。理解したくない。


 これまでお母さんを介護する私達に近所が優しかったのも、ジョアン様もご存じだった先生の屋敷で働けているのも、運命の巡り合わせとか私が上手く機会を掴んだとかじゃなくて、もしかしたらこの眼のおかげだったんじゃあ……。


 歯を震わせて泣きそうになった私の頭を先生は優しくなでてくれた。そして先生はかけていた自分の眼鏡を指で軽く叩く。


「コレ。老眼用の眼鏡なんだけれど、同じく邪視殺しよ」

「……え?」

「王家の方々に近かった頃の護身用よ。種類の違う邪視の効果を完全には防げないそうなんだけれど、少なくともカレンの邪視の影響は受けていないわ。安心なさい」

「先生……!」


 私は思わず先生に抱きついた。安堵からなのか喜びからなのか冷静には分析出来ない。ただただ私は泣いてしまった。先生はそんな私を抱き締めてくれた。先生はとても温かかった。


 ……先生が息を引き取ったのはそれから数日後のことだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ