悪役令嬢の目的を知る元悪役令嬢
「う……ん……」
ぼやけた意識が段々と覚醒していく。うっすらと瞼を開くと見慣れない天蓋が視界に飛び込んできた。
目を擦りながらまず最初に眼鏡をかけようと枕元や袖机に手を伸ばして……眼鏡が無いことに気付いた。
(嘘でしょう……!?)
焦って完全に目覚めた私は部屋中を探し回るが見つからない。眼鏡どころかラーラ女史が用意してくれた服飾や装飾すら見当たらないではないか。
(落ち着け。こんな時は焦っては駄目よ。冷静になって寝る前を思い出して……)
確か昨日は学園卒業生の門出を祝う懇談会が催された。そしてフェリペ様方が断罪劇を起こして返り討ちに遭い、取り返しのつかなくなるジョアン様の発言を防ぎ、私が一世一代の告白をして。
その後……レオノールの邪視にかかったんだった。
なら一刻も早くレオノールの真意を確かめなくてはならない。しかし自分の服が見当たらない以上はおいそれと出歩くわけにもいかない。今着ている寝間着はやや大人びた官能的なもので、とてもこんな姿を人には見せられない。
「失礼します。お目覚めになられましたか」
戸を叩いて入室してきたのはレオノールの侍女イレーネだった。
彼女は恭しく一礼しつつ当惑する私へと歩み寄り……互いに手を伸ばせば指先が触れ合う距離まで近づいた時だった。彼女が豹変したのは。
「いや……違う。お前は誰だ!?」
レオノールだった頃を通じてもこれほど彼女が怒りをあらわにしたのは見たことない。彼女は明らかに私を敵とみなし、殺意を向けてきたのだ。
更に、それに留まらず私の肩と髪を掴むとその場に組み伏せてくる。
痛みより恐怖の方が先行した。殺される、とまで覚悟した。
それほどイレーネは本気だった。
「イレーネさん、どうして……!?」
「っ! 良く似せているが私を騙せると思うなよ……! いいか、無駄口を叩くな、私の質問だけ答えろ。お前は一体誰だ? 答えたくないならその細い首をへし折ってもいいんだぞ」
「だからわたしは……!」
「はい、イレーネは合格のようね」
室内に場違いなほどの拍手が鳴り響いた。イレーネが拍手した主に顔を向けたので私も視線だけを向けて……見たままの現実を全く理解できなかった。
隣室から入ってきたのは私だった。
イサベルではなく間違いなくカレンだったのだ。
しかしその仕草、微笑み、口調。それらの情報が彼女をカレンだと認識させない。
そう、姿こそカレンだが彼女は正しく……。
「レオノール?」
「お嬢様……?」
レオノールだったのだから。
意味が分からない。どうして私とは別のカレンがいてレオノールの真似をしているんだ?
いや、目の前の存在がかけている眼鏡は私が先ほどまで探していた邪視殺しに違いない。であればカレンは私の前方にいて、カレンの筈の私は一体何だというんだ?
「けれどイレーネ。それはいただけないわ。彼女がまごうことなき未来の王太子妃であらせられる公爵令嬢、レオノール様なのだから」
「……!?」
いえ、疑問に思う余地もない。レオノールがカレンとして存在するのだからカレンだった私がどうなったかは自ずと分かるというものだ。
私は驚愕するあまりに私とカレンの姿をしたレオノールを見比べているイレーネをどけて起き上がり、部屋の片隅に置いていた化粧鏡で自分の姿を確認する。
僅かに硬さが残る熟れた身体つき、やや高めの背丈、川のように流れる髪、宝石が霞むほど鮮やかな瞳、瑞々しく潤った唇、染み一つ無い頬。そして誰もが羨む美貌。軽く手を振れば鏡の向こうの素敵な女性が私に手を振ってくる。
「……レオノール様。コレどういうことですか?」
「見たままが現実よ。受け入れて頂戴」
「信じられません……。まさか白昼夢ですか?」
「それを人は現実逃避って言うんじゃないかしら?」
やはり突き付けられた事実を認めるしかない。
私はレオノールになってしまっている、と。
(元の自分に戻った……ううん、そんなんじゃないわね)
以前はレオノールとして過ごしたにも拘らず身体の違和感が酷い。レオノールに戻ったのに懐かしいとすら感じられない。それだけカレンとして生きた期間が長かったという証なのだろう。
それとも、かつての私とレオノールが別の生き方をしたからか?
「……あの時買った邪視の効果ですか?」
「その通り。一度だけ対象と入れ替わる効果があるわ。入れ替わるのが魂なのか記憶なのかは定かでないけれど、私がカレンになれたんだから役目は果たせたようね」
「何のために?」
「私の野望のために、よ」
元レオノールは落ち着いた様子でソファーに腰掛け、まだ状況を掴めていないイレーネを指差した。
少し前に私ではないレオノールから感じたのと同じく、私でなくなったカレンからはやはり違和感を感じてしまう。
「まず一つはイレーネを試したかったのよ。私とカレンが入れ替わってもなお私に気付いてくれるか、をね」
「そのせいでわたしは偽物って疑われて首を折られかけたんだけれど?」
「ええ。目論見は見事に成功。思った以上に早く看破してくれて私も嬉しいわ」
なんてはた迷惑な、と思っても仕方が無いだろう。そこまでイレーネの忠義を確かめたかった理由は窺い知れないが、少なくとも私はそこまで彼女と信頼関係を結んでいなかった。これも私とレオノールの違いだろう。
イレーネは私をしばらく見つめ、次に元レオノールを見つめ、最後にため息を漏らす。
「……混乱するしかありませんが、やはり貴女様がお嬢様なのですね」
「もうお嬢様って呼ばないでもらえる? レオノールの名は彼女に譲っちゃったんだから。今の私はカレンなんだから」
「しかし……」
「あら。折角イレーネのためにレオノールをやめたんだけれど、無駄だったかしら?」
「私のために、ですか……?」
「だってこれで私は公爵家の娘ではなくなったんだもの。それともただの小娘になった私なんてどうでも良くなった?」
「……!」
イレーネは目元と唇を震わせ、涙をあふれさせながら元レオノールへと駆け寄った。そして愛おしそうに彼女を抱き締める。
イレーネの腕に包まれた元レオノールもまたイレーネの背中に腕を回し、幸せそうに抱き返した。
意味が分からなかった。これでは主従はおろか姉妹よりも大事なお互いと想いを確かめ合っているようではないか。
それこそまるで愛し合う男女のように。女同士で? レオノールとイレーネが?
駄目だ。理解が追い付かない。
「カレン、なんて馬鹿な……私のために……!」
「イレーネのためだからよ。こうでもしなきゃ報われなかったでしょう? もうこれで誰にも文句は言わせないわ」
「すみませんお嬢様……。どうか一生傍にいさせてください」
「ええ、これからもずっと私を支えて頂戴」
相手を想う言葉を送り合ってようやく置いてきぼりにされた私を思い出したようで、元レオノールがまだわずかに顔を赤く染めながらも微笑を向けてきた。
「その、何て言えばいいのかな? 祝福したいんだけれどまず説明してよ」
「そうね。『悪役令嬢』レオノールは決してイレーネの真実にはたどり着けなかったんだから知らなくて当然よ」
「イレーネの真実?」
「公爵家の闇とも言い換えてもいいわ。カレンは昔、イレーネに裏切られたでしょう?」
「……そこまで知られているんじゃあ秘密も何もあったものじゃないよ」
「どうして終盤まで『悪役令嬢』に忠義を尽くした侍女が裏切ったか。答えは簡単。イレーネもまた『攻略対象者』だから」
それは以前レオノールがしてくれた『乙女ゲーム』の説明とかみ合わない。これまで運命に翻弄されてきたただの少女が素敵な殿方と恋に落ちるのがソレだろう。女同士の恋はまた別の『ジャンル』だそうだから、おかしな話だ。
この矛盾を解決するには、前提条件を覆さないといけない。即ち……、
「まさか、イレーネは……」
「そう、男性よ」
今明かされる衝撃の真実とはこのことだ。
それでは今まで私が信じてきたレオノールとしての人生は一体何だったのか、とすら疑問を抱いてしまうほどの。
レオノールの更なる追い打ちをまとめると、イレーネは現公爵と愛人との間の庶子らしい。しかし公爵は庶子は必要無いから生むなと愛人に命令。妥協点として庶子に子供を産ませなくすることを条件に誕生を許可したんだとか。
「普通に最低じゃないの!」
「あ、その反応とってもレオノールっぽいわ」
「……っ。茶化さないで……!」
使用人の子として預けられたイレーネだったが、幼少期に偶然レオノールと出会って彼女に(というより私の時もだったが)気に入られたことで公爵令嬢専属の従者となった。しかし、腹違いの兄妹とはいえ二人は男女。間違いが無いとも限らない。
だからイレーネは『二次性徴』とやらを薬で止められた。
彼女……もとい、彼が中性的な女性と間違えられるのはそのためだ。
「『乙女ゲーム』では『ヒロイン』がその呪縛から解き放つのだけれど、イレーネは私の一推し『キャラ』だったから先に攻略しちゃったってわけ」
「その表現は不快です。やめてください」
「……ええ、初めは『推しキャラ』だったからイレーネを好きになったけれど、今では自分の半身のようにかけがえのない存在だと思えるわ」
レオノールがイレーネを見つめる表情は恋する乙女のものだった。カレンはこんな顔も出来るんだ、と漠然とした感想を抱く。
互いを愛おしく見つめ、徐々に唇が近づいていく。もはや私や元の身体なんて眼中にないらしい。
「お嬢様……」
「お願いだから名前で呼んで。カレンになっちゃったけれど、今だけは……」
「……レオノール。心から愛している」
そうして二人は幸せそうに口づけを交わした。