始めて殺意を抱いた元悪役令嬢
「魅了の邪視、だと……?」
会場内は騒然となった。
ただでさえドゥルセが邪視を用いてイサベルを害したと明らかになった後での発覚だ。事態が更に混迷を深めたことで大人達ももはや静観の域を通り越して彼女達に注視している。
「馬鹿も休み休み言え。この大人しく純粋なイサベルが邪視を用いただの、あらぬ嘘を吹き込むのは止めてもらおうか」
「嘘か真実かは調べれば分かることよ」
レオノールが手を上げると王宮近衛兵に混ざっていた深く外套を羽織り、眼鏡や仮面を被った者達が前に出てきた。
彼らを目の当たりにした瞬間、両腕を掴まれ膝を床に突かされたイサベルが青ざめる。
「ここまで大事になってしまったから公にするが、この者達は我が王国が誇る王室直属の調査部隊だ。そう、邪視に関する、な。イサベル嬢が邪視持ちかは彼らにかかればすぐに調べられることだ」
「いや、離して! 何も悪くなんかないのに……!」
「俺が王太子の名において許す。やれ」
「御意に」
身をよじっても華奢な彼女では屈強な近衛兵の拘束はびくともしない。顔を振って抵抗してもすぐに顎と頭を掴まれ、最後の抵抗とばかりに瞼を閉じても強引にこじ開けられた。
そして、見覚えのある水晶玉で彼女の瞳を確認する。
「お、おおお……っ!」
その直後、調査部隊の者はイサベルから飛び退いた。危うく持っていた水晶玉を取り落とす程に狼狽えている。仲間が彼に落ち着くように声をかけて事なきを得た。
その反応ぶりで会場内がどよめく。
「? どうした、何か分かったか?」
「で、では申し上げます。この者はレオノール様の仰る通り魅了の邪視持ちです。それも、今まで記録されたどの魔女よりも強力な効果を宿しているかと」
これで完全に流れが変わった。上手く運べば真実の愛を貫いて想い人と結ばれて幸せに過ごしましたという美談で終わったかもしれなかったが、その愛がまやかしだったかもしれないと暴かれたのだから、後は崩壊するしかないだろう。
もはや会場内の秩序は失われた。
各々が口々に何やら喋っている。謂れのない憶測だったり誹謗中傷だったりと様々だが、私から言わせればそのどれもが建設的な発言ではなかった。
ジョアン様もそう思ったのか、「静まれ!」と一喝して黙らせた。
「それで、誰がどれほど邪視の影響を受けているか調べることは?」
「いえ、残念ながら……。しかし邪視の効果は長続きいたしません。時間を置けば影響下から抜け出せるかと」
「だが人との付き合いは印象が大事だ。例えば初対面の時に邪視で好感を抱かせたらその後良好な交流を続けることも出来るだろう?」
「……要所で用いればやがて潜在意識に刷り込まれることは否定致しません。現に歴史上、長い間邪視に晒されて取り返しがつかなくなった者もおりました」
「う、嘘だ!」
ジョアン様による調査部隊の者との確認に割り込む形で声を張り上げたのはフェリペ様だった。もはや勤勉、秀才を絵に描いたような優秀さは面影も無く、取り乱した彼はとてつもなくみっともなかった。
「わ、私がイサベルに抱いた愛が、偽りだったというのか……?」
「さあ? 今となってはもう区別がつきませんね。私の見立てでは貴方様方の攻略に際しては魅了の邪視を使うまでもなかったと思いますがね」
レオノールがフェリペ様やアントニオ様方、所謂『攻略対象者』を見つめる眼差しはとても冷たいものだった。侮蔑、軽蔑など様々に表現出来るだろう。お前達は邪視なんか無くても女に騙されるどうしようもない輩だ、とばかりに。
「皆様の好み、志、過去。情報をかき集めて好まれる女の子として現れる。大変素晴らしい名女優だったと私はむしろイサベルさんを絶賛したいほどでした」
「女、優……?」
「ですが肝心要の私が何も反応を示さなかったことで計画に狂いが生じたんでしょうね。私に同調して好きにさせておけばいいと考えるご令嬢も少なからずいたようですし。それでは身分の差を超えて結ばれる大義名分が失われる、と考えたイサベルさんは悪役を仕立てあげることにしました。それが……ドゥルセ様方です」
突然注目が集まったドゥルセは汗を流しながら慌てふためくばかりだった。
「魅了の邪視とは何も好感度を高めるばかりではありません。自分を魅力的に映して嫉妬心を煽ることも出来ます。本当なら婚約者を蔑ろにして他の女と仲良くしている、などと親を通じて相手の家に抗議することも出来たでしょう。しかし礼儀正しい大人の対応をする冷静さを邪視が奪ってしまったとしたら?」
この訴えかけは会場の皆に向けて言いつつも、私に語り掛けているような気もした。
それは、かつてレオノールとして私が抱いた醜い嫉妬心や憎悪はイサベルによって焚きつけられたものかもしれないのだ、と。
これで先程までの婚約破棄騒動の前提すら崩れてしまった。フェリペ様方はイサベルへの悪意を理由に婚約者を突き放したが、それすらもイサベルが仕組んだことだとすれば、自分達の勝手で汚名を着せたことになる。
「そんなの嘘です! わたし……そんなことしてません! 本当なんです、信じてください!」
「邪視持ちだと判明した以上は本当の想いが何だったかなんてもはや証明不可能でしょうよ。それなら白黒つけるためにもやっぱり司法の場に移した方がいいんじゃない?」
「い……嫌よ! そんなの不公平じゃないの!」
「不公平? まさかこの貴族社会において人は神の下で平等、とか思っているんじゃあないでしょうね?」
「~~ッ!」
イサベルの涙ながらの訴えもレオノールには通じない。それどころかジョアン様の指示でこれ以上魅了の邪視が悪用されないよう目隠しをされた。布との間に粘土を挟む念の入りようだ。
そして手の枷をはめられた彼女は……罪人にしか見えなかった。
不公平だと非難したが、その通りだ。
レオノールはあくまで可能性を提示しただけでイサベルが本当に魅了したかは分からない。しかし、裁判まで持ち込まれたらイサベルは確実に負ける。例えフェリペ様やアントニオ様方が全力で彼女を助けようとしても、だ。
(だってそうした方が都合がいいんだもの)
例えばドゥルセ様のご実家の侯爵家。今のままでは個人的な想いから暴走して邪視にまで手を伸ばした娘を輩出した、と没落ないしはお取り潰しになる可能性が高い。しかし娘が邪視の影響で狂った被害者であったなら名誉はそれほど傷つかないだろう。
一方のフェリペ様のご実家は、責任を全てフェリペ様個人に被せてしまえばいい。廃嫡、勘当。いくらでも手はある。無論、家そのものへの悪影響も計り知れないだろうが、これもイサベルのせいにしてしまえばある程度緩和されるだろう。
さて、ではイサベル当人はどうだ? 彼女はしがない男爵令嬢、それも庶子に過ぎない。彼女一人いなくなったからと王国が揺らぐか? 否。幾人は困ったり悲しむだろうが、大勢の前では些事だろう。
悪いのは邪視で悪だくみしたイサベルである。それが真実であるべきだ。
そんな落としどころがある限り、もはやイサベルに助かる術はない。
「近衛兵、彼女を引っ立てろ」
「嫌よ、離して! どうしてわたしがこんな目に遭わなきゃ……」
ジョアン様の命令で引っ張られたイサベルは声を張り上げたが、不意に言葉を止めて顔を動かす。その先にいるのは……他でもない、この私だった。
「ジョアン様、わたしもきっと操られていたんです! いえ、絶対そうです!」
「ほう、誰にだ? 言ってみろ」
「勿論、そこで他人事のようにしているカレン……いえ、本当のイサベルにです!」
(はああぁぁ~~!?)
思わず怒鳴りたくなる衝動を堪えられたのは奇蹟に等しい。
落ち着け、と自分を言い聞かせてかろうじて怒りを抑えた私は、ふと一つの可能性に思い当たった。
それは……可能な限り向き合いたくなかった最悪の可能性だった。
至ってしまった私は、憎悪も嫉妬も通り越した想いをイサベルに抱いた。
「そこにいるイサベルはわたしの実の姉妹、ならわたしと同じように魅了の邪視を先天的に持っているに違いありません! わたしをイサベルに仕立て上げてこの混乱を起こしたのはイサベルのせいなんじゃないでしょうか!」
「イサベル。一つ聞きたいんだけれど、いいかな?」
もはや彼女の必死の言い逃れなど聞く価値も無い。そんなことよりはるかに明らかにしなければいけない真実があるだろう。
「違うわ、わたしはカレン――」
「もうどっちがイサベルでどっちがカレンかなんてどうでもいいから。それより――」
――貧民街の火事は貴女の仕業?
「ッ!?」
その問いかけを突き付けられたイサベルが示した反応は、私の仮説が正しいことを示していた。
お母さんを殺したのは、コイツだ。