愛を捨てきれなかった元悪役令嬢
ジョアン様の厳命もあって最高級レストランでの事件は闇に葬られた。彼個人で運用できる金で迷惑料が払われたそうだ。
ちなみに後日ジョアン様から誘われてまたあのお店で今度こそ夕食を摂った。その際は色恋沙汰の話題は禁止。他愛ない、しかし有意義な語り合いが出来た。
ジョアン様は全て自分に任せろと言ったけれど私が不安で仕方がなかった。レオノールと顔を合わせる度に罪悪感に駆られる日々が続いた。
とうとう我慢出来なくなって、ある日その一件を全て白状した。泥棒猫と罵られるかと覚悟していたのだが、むしろレオノールは満面の笑みをこぼしながら歓喜してきた。
「そう、素晴らしいわ! 身分の差を超える禁断の愛、素敵じゃないの。イレーネもそうは思わない?」
「そこで同意を求めないでいただけますか? 第一、王太子殿下にはお嬢様という婚約者がいらっしゃるのに」
「私が婚約者の座に収まり続けるのはその方が都合がいいからよ。用が無くなれば二つ返事で席から離れる。その程度に過ぎないわ」
「……。お嬢様がそう仰るのであれば」
イレーネが咎める視線を送ってもレオノールは意にも介さなかった。落ち着いて紅茶に口を付ける姿はとても優雅で様になっている。ここまで来ると余裕に構えているのではなく、避けられない破滅を前に開き直っているとも思えてくる。
「ですけど、ジョアン様はわたしと一緒になりたいからって王太子の身分を辞するって言ってるんですよ。止めた方がいいんじゃあ……」
「それが難しいのはカレンの方が良く分かっているでしょうよ。あの人、自分が正しいと思ったら中々曲げないから。無理に止めても何らかの手段で逃げ切るでしょうね」
「そんな駆け落ちみたいなことをしてもいいんですか?」
「彼以外にも王位継承権を持つ男子はいるもの。最初のうちは混乱するでしょうけれど、そのうち落ち着くわよ」
あくまでレオノールはこのまま好きにさせておくつもりらしい。私はますます困惑したのだが、彼女の意図が読めないのは今に始まったことではない。もはや自分だった筈なのに全く異なるレオノールを理解するのは諦めた。
「ところでレオノール様。一応お聞きしたいのですが……」
「ああ、卒業を祝うために催される懇親会で誰に手を引かれて来場するかの話?」
そう、既にジョアン様やレオノールが卒業するまであと僅かまで迫っている。かつてはジョアン様はイサベルを伴って現れたようだが、あの勢いでは今度はわたしの手を引かれて向かいかねない。
「別に私にはイレーネがいるからジョアン様がカレンを選んだっていいんだけれどね」
「お戯れを……」
レオノールは己の従者に微笑みかけ、侍女は真顔で答える。
中性的な顔立ちで華奢な彼女は幼少の頃からレオノールに仕えている。この様子ではレオノールはイレーネを信頼しているし、イレーネはレオノールに忠誠を誓っているようだ。固い絆で結ばれた理想的な主従関係と言えよう。
(……本当、私の時とは大違い)
そんなイレーネは、かつてレオノールだった私を見捨てた。
彼女がどうしてジョアン様やイサベルに味方したかは不明だ。ただ分かっているのは私がジョアン様を誑かすイサベルを陥れるために暗躍した証拠と証言を彼らにもたらし、私を獄中死まで追い込んだ決め手となったぐらいだ。
ただ、思い返せば兆候はあった。段々と嫉妬に狂っていく私を見かねたイレーネは何度も咎めてきた。止めてきた。訴えてきた。私はそんな侍女の進言を全く聞かなかった。黙って従えと手駒のように扱った。私から離れたのは当然だろう。
「ジョアン様のお心次第、と言いたいのだけれど、一応彼の婚約者は私だものね。他のご令嬢方から妬まれたくはないでしょう?」
「余計な敵を作りたくないのは同意します」
「そう。ならジョアン様には私から言っておくわ。何を企んでいるにしろ公の場でぐらい取り繕いなさい、ってね」
「今のジョアン様だったら好きにやらせてもらうって言いそうですけど……」
レオノールだった頃はイサベルに現を抜かしたジョアン様にいつか捨てられるのではと危惧はしていたが、まさか懇親会の場で婚約破棄と断罪を仕掛けてくるとは思わなかった。国の未来を担う若者の旅立ちには国の重鎮や近隣諸国の来賓もいらっしゃる。一歩間違えば国の威信に傷をつける大恥になりかねない大胆な真似をするなどとは正義感に駆られた当人達以外に誰が思うだろうか。
まさか今回も懇親会の場で私を選んだ末に王太子を辞めると公言しないだろうか? ジョアン様や私の想いはどうあれ、貴族ですらない小娘が王太子を略奪したと受け止められるだろう。お母さんや先生、ラーラ女史に申し訳が立たない。
「ねえカレン」
「……え? は、はいっ、何でしょうか?」
考えに耽っている最中に呼びかけられた私は裏返った声で返事をしてしまった。失敗したと後悔する私が面白かったのか、レオノールは鈴の音を転がすように笑う。
しかし、その眼差しは私の奥深くまで見通すようだった。
「レオノールはジョアン様と結ばれるべきだと思う?」
「勿論です。建国以来公爵家は国を支えてきました。王家との絆を更に深めようとするのは当然――」
「それは公爵令嬢が王太子殿下と結ばれる理由でしょうよ。『悪役令嬢』レオノールは事あるごとに『ヒロイン』イサベルに対して身分の違いや生まれ育ちを振りかざしていたけれど、それがジョアン様に見限られた大きな要因の一つなんじゃないの?」
「そ、れは……」
確かに、断罪されたあの日、ジョアン様は人として自分を愛した女性と恋に落ちたと語っていた。レオノールとしては最後まで理解に苦しんだが今は分かる。血統、家柄、知識、教養、気品。それらは王太子ジョアン様の妃に相応しい要素ばかりだ。
だが、果たしてレオノールはジョアン様に愛していると言うべきだったのか? 私はイサベルなんかよりはるかに彼を想っていた筈だ。嘘偽りなく心をさらけ出せたのか? ……公爵令嬢レオノールに、それが許されたのか?
「純粋に自分を包み込む愛に満たされたジョアン様は奥ゆかしく慈しむ愛に退屈した。悪役令嬢レオノールの破滅は、彼女がジョアン様を尊く見過ぎたために起こったのよ」
「じゃあ何ですか? レオノール様はイサベルみたいな男受けしやすい娘が好みなんだって言いたいんですか?」
「もっと素直になれば良かったのに、って言いたいのよ」
素直、に……?
「いくら完璧超人な王太子だろうとジョアン様だって人なんだから、好きな子には頼られたいし癒されたいでしょう。だから婚約破棄された時に言われたんでしょう?」
――お前には俺の心は分からない、と。
愕然とする。それはかつてレオノールだった私がいかに独りよがりだったかを突き付けられるようで打ちのめされた。
ああ、だからジョアン様は私ではなくイサベルを選んだのか。
「カレンはジョアン様が好きなんでしょう?」
「……はい」
「身分の差とかを超えて、どうしようもなく?」
「……はい。この想いはどうしても捨てられませんでした」
「ジョアン様を高貴な立場から引きずり降ろしてでも自分のものにしたいの?」
「……はいっ」
ああ、私は本当にどうしようもない。
それでも私はあの人が好きなのだ。
「ごめんなさい。でも、私は……ジョアン様と一緒にいたい……!」
それが例えその先に破滅しかなくても、だ。
涙をとめどなく流す私をあやすように、レオノールは私の肩に手を置いて微笑む。
「大丈夫。私はカレンの味方だから」
「レオノール様……?」
「だって私は『悪役令嬢』の『ハッピーエンド』が見たいからね」
レオノールの言葉は半分も理解出来なかったけれど、それでも私は単純なもので、とても励まされた気持ちになった。
――そして、いよいよ私は運命の時を迎える。