表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/35

やけ食いをしたくなった元悪役令嬢

 やけ食いをしよう。

 突然そんな考えが頭の中でひらめいた。


 そうと決めたら私は早速ラーラ女史に相談して数日後に休みをもらった。理由を聞かれたので正直に日頃のうっ憤を晴らすために暴食すると明かした。さすがに主な原因がジョアン様とレオノールだとは喋らなかったが、ラーラ女史にはバレていそうだ。


 学園の授業が終わったら直帰して私服に着替え、街に出かける。外食なんて贅沢をしようなんて今まで一度も思ったことなかったから、実は結構わくわくしている。同僚からある程度の情報、つまりおすすめのお店を教えてもらったし、準備は万全だ。


 夕暮れ時の街は賑やかだった。仕事帰りの男性が酒場に入ったり、総菜を買い込む主婦や使用人の姿も見える。さすがに子供は夕食の準備等家の手伝いをしなければいけない時間帯なので数が少ない。せいぜい帰ろうとする子ばかりか。


(……で、何よアレは?)


 私は静かに心が冷めていくのを感じた。

 イサベルが幸せそうな笑顔をさせながらフェリペ様と共に街を散策する光景を目の当たりにしたからだ。


 それとなく窺うとフェリペ様はイサベルの気を引こうとあれこれ話しかけているようだ。仕草や視線等、既にイサベルに夢中になっているのは明らかだ。アレでは私がレオノールだった頃と同様に秀才とまで呼ばれた能力も鈍り、色々と支障が出ているに違いない。


 一方のイサベルはフェリペ様が望む女性像そのままを演じているようだ。つまり馬鹿ではなく、媚を売らず、さりとてフェリペ様の嫉妬を煽るほど優秀ではない、未来の宰相を支えるに相応しいご令嬢とやらだ。


(本当、ここまで男性を虜にするなんて感心しちゃうわよね)


 当事者だった頃は醜い嫉妬で自分自身を焼き尽くしたが、第三者になった今では見方が違ってくる。かつては売女と罵ったこともあるがとんでもない。ここまでやんごとなき身分の方を誑かす有様は魔女、傾国の類だと称するべきだろう。


 既に本来の婚約者だったドゥルセはその関係を破棄された上で療養のため一時的に家の領地に戻った。衝撃を受けたフェリペ様を巧みに慰めたのはやはりイサベルで、その日を境に信頼おける友人だった筈なのに恋の対象へと本格的に変わっていったのだ。


(アントニオ様方の好感度も稼いでいるようだし順調みたいね。あの時と違うのはジョアン様が篭絡されていないせいで本命がフェリペ様に切り替わっているって辺りかしら)


 まあいい。イサベルがこのまま幸せになろうが私にはもう何も関係ない。勝手に裕福な家のお嫁になればいいし、人生を成功させればいい。私はただ彼女やレオノールの思惑に巻き込まれないようせいぜい存在感を薄くしていれば――。


「はっ。フェリペの奴、生徒会の執務を後輩に押し付けて何をするかと思ったら逢引きか。偉い身分になったものだ」

「――!?」


 突然背後から良く知っている澄んでいて凛々しい声が聞こえてきた。慌てて振り返るといつの間にか私のすぐ後ろにはジョアン様がいるではないか。周囲に悟られないよう軽く変装していても私にはすぐに分かった。


「……そう言うジョアン様は二人の追跡ですか? 趣味悪いですね」

「いや、奴等を見つけたのは偶然だ。お前がやけ食いとやらをしに街に出ると聞いたんでな。追いかけてきた」

「休暇の申請を出したのは数日前ですよ。ジョアン様は予定が夜遅くまで敷き詰められてた筈ですけど、どうしたんですか?」

「あまり俺をなめるなよ。報告が上がってから数日あれば今日の分まで処理するのは容易い」


 私はラーラ女史の部下だがラーラ女史はジョアン様に仕えている。彼女が王太子殿下に連絡するのは想定済みだったが、まさかそこまで強引な手を使って追いかけてくるのはさすがに予想を超えていた。


「で、どの店に行くんだ? あいにく俺はお忍びで何回か足を運んだだけだからそこまで詳しくないんだ」

「え? 付いてくるつもりですか? 今日は一人で黙々と食べたいんですけど」

「釣れないことを言うな。何なら俺が会計を出してもいい」

「そういう問題じゃなくて……」


 貴方のせいでやけ食いしようと思い立ったのに元凶が一緒では話にならないだろう、と大声を出したい気分を何とか抑え留めた。どうせ今のジョアン様は私がいくら言ったって自分の意思を曲げやしないだろうから。


「でしたら条件があります。それを叶えてもらえないなら回れ右して帰ってください」

「何だ? 可能な範囲だったら聞こうじゃないか」

「冬頃黙って従えと言って聞かせてもらえなかった理由、教えてください」

「……成程」


 ここは無理難題を突き付けて妥協してもらうとしよう。どうせジョアン様は私を放置して自分の思う通りに進んでいこうとするのだから。レオノールだった頃なら付いていこうと追い縋っただろうが、今は手を振って見送る覚悟を示そうではないか。


「分かった。もうこの時期になったら教えてもいいだろう」

「きゃっ……!」


 ジョアン様は突然私の手を引っ張り足早に歩み始めた。私は早歩きで追いかけるので一生懸命で彼に不満を言う暇すら無い。段々と人通りが少なくなり、周囲の建物からやがて高級商店が並ぶ区画へと入ったと分かった。


 ジョアン様はその中の一つ、最高級レストランへと足を踏み入れた。市民の格好に変装している私達二人に持て成そうと寄ってきた給仕は顔をしかめたが、小声で何かしら話した後血相を変えて奥に引っ込み、代わりに現れた初老の男性が私達を案内する。


「カレンも来たことあるだろう?」

「あるわけないじゃないですか。ここでの食事代で一般庶民が一体何週間食いつなげると思ってるんですか?」

「ああ。ただの使用人だったらまず選択肢に入らんだろうな」

「それ、どういう意味ですか?」


 案内された個室は来た覚えがあった。他でもない、レオノールだった私が婚約者だったジョアン様と共に夕食を共にした空間だ。大貴族や王族もたまに訪れるため貴賓室が幾つかあったとは記憶しているが、何の偶然だろうか。


 ジョアン様が座るように促したので大人しく従う。カレンとなった今では縁が無いだろうここに、しかもジョアン様と共に来ることになるなんて夢にも思わなかった。早く帰りたいと思う反面、莫迦なことに喜んでいる自分もいると自覚してしまう。


 私を見つめる彼の目はとても優しかった。それは、レオノールがいくら望んでも二度と向けられなかったものだ。


「随分と落ち着いているな。普段口にするような食事処とは全く別だろうに」

「もう割り切っているだけです。それよりさっきの意味深な発言は一体――」

「それは俺が授かったこの目が真実を教えてくれたからだ」


 目……? 目ですって?


「相手を惑わす邪視と違うのは自分にしか効果が無い点だな。歴史上の聖者は他の者が見えない世界を見ていたから人を導けたのかもしれない」

「だから、何を言って……」

「俺には魂の色が見える。カレンの輝きは……以前俺の婚約者だった女性と同じものだ」


 その言葉を聞いた私は卒倒しそうになった。


 頭が揺れる。眩暈と吐き気がする。喉が渇く。

 ジョアン様の以前の婚約者? レオノール以前はいないのに?

 理解したくない。冗談だと言って欲しい。


「以前はまんまとやられてしまった。イサベルと見つめ合った瞬間から俺は俺でなくなったと言っていい。守るべき民、尊敬する両親、信じるべき神、そして愛すべき婚約者すら二の次で、彼女が自分の全てになってしまったんだ」


 そんな告白してくれたって今更だ。

 レオノールだった私はこの世の全てを呪って死んだのだから。


「レオノールが死んだと聞かされても全く悲しくなかった。むしろ醜い女がやっと死んだかと喜んだものだ。それからは世継ぎにも恵まれたし幸せな家庭も築けた。彼女が亡くなって魅了が解けても彼女を愛したままだった。もう取り返しがつかなかったんだ」


 やめて、聞きたくない。

 憎み続けてくれていたら諦められたのに。 


「だが幸か不幸かやり直す機会をもらったからには今度は最後まで俺を愛してくれた女性を幸せにしてやりたい、と強く思った。ところが今回のレオノールはレオノールではなかった。肉体こそ同じだったがアイツは俺のレオノールじゃない」


 カレンとして生まれ変わった私はジョアン様とはもう関わらない。

 そう誓った私の心にこれ以上入り込まないで。


「そしてカレンと出会った。最初は見間違えかと思ったがレオノールの反応を見て確信した。神とやらには感謝しなきゃいかんな」


 ジョアン様はテーブルの向こうから震える私の手を握った。とても暖かい。そして彼が私に向ける眼差しもまた熱いものだった。


「カレン……いや、レオノール。俺はもう二度とお前を手放さない。絶対に不幸にしないから」

「ジョアン、様……」

「生涯の伴侶になってほしい。頼む」


 そして、彼は私が最も望む言葉をくれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ