裏取引に困惑する元悪役令嬢
マダレナは金さえ積めば天国や地獄まで用意できるとされる闇の商人だ。ここでの天国や地獄には様々な意味があり、現世で天国と地獄を味わう麻薬だったり天国や地獄に旅立たせる死に方だったりする。
かつて、レオノールだった私は彼女から地獄を買った。イサベルの尊厳を踏みにじり、心身ともに汚し、絶望の中で惨めに殺すように刺客をマダレナから雇ったのだ。結果的には失敗したけれど、刺客と私を結びつける証拠は最後まで出なかった。
だからマダレナの仕事は信頼出来る。出来るのだが……。
(今のレオノールが彼女に何か用でもあるかしら?)
マダレナが提供する商品はどれも非合法な物ばかり。何を頼むにしろこの商談が発覚すればレオノールは身分剥奪で済めばまだ良い方で、禁固刑等の重い罪を科せられてもおかしくはないだろう。……私の末路のように。
「で、良い所の嬢ちゃんがあたしに何の用なの?」
「邪視が欲しいのだけれど、お願い出来る?」
私は咄嗟に自分の尻の肉をつねった。そうでもしないと驚きを露わにしてしまっただろうから。
さすがのイレーネも目を大きく見開いてレオノールを見つめている。依頼されたマダレナも想像していなかったらしく、椅子から飛びあがった。静まり返る室内でひっくり返った椅子の倒れる音だけが響く。
「……邪視って、神話とか寓話に出てくる、あの?」
「とぼけなくてもいいわ。後天的な邪視を与えられる魔女と貴女との間に繋がりがあることは把握しているもの」
「っ!? 一体、どこまで知って……!」
「さあ? 私は私に必要な情報しか興味が無いから」
マダレナはよろけながらも椅子に座り直す。先ほどより明らかに身体が重そうな挙動だった。
彼女は一回天井を仰ぐように顔を上げつつ手のひらを額に乗せる。最後に深くため息を吐いて改めてレオノールと向き合った。
「参ったね。まさかそこまで知られてるなんて思いもしなかったよ。もしかしてドゥルセ嬢がしくじって洗いざらいゲロっちゃったの?」
「あら。魔女は正体を暴かれないよう契約時に誓約を結ぶものよ。喋ろうものなら邪視の呪いは自分に降りかかる。ドゥルセ様も愚かではないから口を滑らせたりはしないわ」
暗に情報は別口から得た、と説明してレオノールは笑みをこぼした。普段と同じにも拘わらず伝わってくる雰囲気は全く異なる。得体の知れなさ、不気味さが勝っており、後方で控える私すら背筋が凍るような想いになった。
「……。で、邪視が欲しいのはどうして? 見たところ悪魔に魂を売り渡すぐらい恨んでいる相手もいなさそうだけれど」
「残念だけれど私の悲願は金や身分ではどうにもならないの。神が頼れないなら悪魔に縋る他無いんじゃないかしら?」
マダレナは腕を組みつつ唸りながら考え込んだが、しばらくすると座ったまま脇の棚に手を伸ばし、取り出した書類の束を指に唾を付けた後に捲っていく。目的の頁を見つけた彼女は書類束を机の上で半回転してとある文面を指差す。
「言っておくけれど、報酬はそれなりに貰うからね」
「勿論よ。仕事への対価は払うつもりだから」
書かれていたのは邪視を依頼するための金額だった。一度きり効果を発揮する仕様、経年で効果を失う仕様、そして一生邪視を定着させる仕様など色々とあったが、どれもが目玉が飛び出るぐらい高額だった。今の私が何年……いえ、何十年働けば払えるだろうか?
「それと魔女への報酬とは別にあたしが貰う仲介料は全額前払いだから。準備が出来たらまた来て」
「それなら二度手間にならないようあらかじめ持参してきたわよ。イレーネ」
「はい、お嬢様」
「……は?」
マダレナが目を丸くしている間にイレーネが持参していた鞄から次々と大金貨を並べていく。レオノールは幾つもの山となった大金貨の束を押し出してマダレナへと提示した。目が眩むほどの黄金の輝きからは公爵令嬢だった頃よりはるかに魔性の魅力を感じた。
「これで充分よね。贋金だって疑うなら鑑定に回してもらってもいいのよ」
「……随分と用意周到ね。仲介料の相場はあまり世間に広めていない筈だけれど?」
「大体の目安を立ててありったけのお小遣いを詰めてきただけよ。足りて良かったわ」
嘘だ。いくら公爵家の娘だからと使える金には限りがある。少なくとも小遣いを貯めた程度ではコレには到底及ばず、レオノールの言葉を真に受けられない。恐らくだが幾らか宝飾品や服飾品を売ってまで用意してきたのだろう。
マダレナは大きく息を吐いて呆れつつも両手を上げる仕草をした。
「降参ね。ここまでされたんじゃあもうお手上げさ」
「それで、何時頃邪視をもたらしてくれる魔女と仲介してもらえるの?」
「いえ。即金を準備してくれるぐらいの上客だもの。今夜で問題無いか聞いてくる」
少し待つよう続けてからマダレナは部屋を後にした。少しばかり興奮気味だったのはレオノールに乗せられっぱなしだったためか。
交渉相手がいなくなったことで部屋は再び静まり返る。
「お嬢様。邪視を欲しておられるだなんて聞いておりません」
「言ってなかったものね。ごめんなさい」
「邪視を行使したら最後、待ち受けるのは破滅です。どうかお考え直しを」
「嫌よ。どうしても邪視を使って成し遂げたいことがあるんだから」
イレーネの進言を拒絶したレオノールは前を向いたままだった。後ろで控える私からはその表情は窺い知れない。
しかし今は見えなくて正解だったかもしれない。何故なら、私は今レオノールと面と向かい合うなんて怖いと思ったからだ。
ジョアン様から距離を置き、イサベルに好き勝手させ、なのに未だ王太子妃候補であり続ける。富と権力では叶えられない何かのために邪視が必要だと語るが、最終的に彼女がどのようにしたいのかまるで見当がつかないでいる。
(土壇場になってイサベルを返り討ちにするため? だったら今みたいに好き放題させておくのはやりすぎな気もするわね……)
この交渉に私を同行させた点からも私とも無関係ではないようだが、結局いくら予想したところでレオノールが多くを語らない以上は憶測の域を出ない。レオノールといいイサベルといいジョアン様といい、警戒する相手が多いのは困りものだ。
「問題無いって。じゃあ行こうか。悪いけれど連れの同行は拒否されたから、ここで待ってもらうことでいい?」
「ええ、構わないわ」
「お嬢様! それはあまりに危険――!」
「じゃあね。行ってきます」
しばらくするとマダレナが戻ってきてレオノールを招き寄せる。一人で行こうとする彼女をイレーネが咎めるが聞く耳持たず、そのまま仲介者と共に店の裏から出ていった。
「何故、ですかお嬢様……。邪視を使ってまで一体何を成されるおつもりですか?」
侍女は主と隔てられた扉を見つめながら嘆く他なかった。
結局二人が戻ってきたのはあまりに退屈で壁を背に夢の世界へと旅立ちつつある頃だった。目元を押さえるレオノールにすぐさま駆け寄ったイレーネは主を案じるものの、問題無いとの返事が返ってくるばかりだった。
イレーネは納得していなかったものの大人しくマダレナに約束分の報酬を支払う。机にうず高く積まれた金貨は先ほどよりも多い。マダレナは満面の笑みをこぼしながらそれらを手繰り寄せ、深くお辞儀をした。
「毎度あり。またのご贔屓をよろしくお願いするわ」
「ええ。また機会があったら、ね」
「はは、違いない」
店から出る間際、レオノールとマダレナはそんな会話をしたのだが、二人共承知の上だったのだろう。もうレオノールは二度と来店するつもりは無い、と。裏の仕事を依頼するのはこれが最初で最後、とレオノールは暗に語り、マダレナは当然のように受け入れる。
きっとここではそんなやりとりが日常なのだろう。と思いながら私は帰路についた。