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いじめを目撃する元悪役令嬢

「ちょっと貴女、調子に乗ってるんじゃないわよ」


 冬が明けたある日、イサベルは学園校舎の裏に呼び出されていた。


 この頃になるといよいよ見過ごせないほどにフェリペ様やアントニオ様方といった殿方がイサベルに惹かれていった。数か月前は余裕に構えていた彼らの婚約者は次第に自分から心が離れていっていると気付き、焦燥と嫉妬を抱き始めたのだ。


 それでも初めのうちは窘める程度だった。しかしイサベルはフェリペ様方の前で健気にも耐えているそぶりを見せたものだから、自分の婚約者はこんなにも心醜いのかと嫌悪感を覚え、それが更に令嬢達を追い詰めていった。


「調子にって……一体何のことですか……?」

「とぼけるんじゃないわよ。男爵令嬢風情が馴れ馴れしくもやんごとなき方であるフェリペ様方に擦り寄っているじゃないの!」

「そんな! わたしは別に、仲良くなった友達と一緒にお話ししたりしてるだけで……」

「それが馴れ馴れしいって言っているのよ!」


 で、ご令嬢方が結託して虐げる前の最後通告をイサベルに突き付けているのだ。


(なーんだ。結局私がいなくても変わってないじゃないの)


 かつてレオノールだった私はジョアン様に擦り寄るイサベルに腹を立てて不満を抱く令嬢達の先頭に立って非難したものだ。しかしイサベルは身分を超えて仲良くなることがそんなにいけないのか、と反論して交渉は決裂したのだ。


 それから私は友人達と結託して彼女を夜会やお茶会に招待しなかったり、私物を壊したり耳元で蔑んだり、わざと足を引っかけて転ばせたり。とにかく大事にならない範囲でして精神的に追い詰めるようになっていく。


「いいこと? フェリペ様方はお優しいからあえて注意していないだけ。本来であれば貴女ごときが声をかけていい相手ではないのよ」

「それは学園の教育理念に反してます。身分を隔てた人とも交流を深めて見識を広げなさいって先生も――」

「いちいち文面にするまでもない常識を今更教えるわけがないでしょう!」

「でも、わたし本当に皆さまが誤解しているような仲になってるわけじゃあ……!」


 弱さを受け止め、悩みを聞き、苦しみを分かち合う。そして神や母の代わりとなりかけがえのない存在となっていく。その在り方は聖女にも見えたし、魔女にも思えた。既に『攻略対象者』とやらがイサベルの毒牙にかかったと考えるべきだ。


「今更騒いだって遅いのにね」

「……!?」


 イサベル達に注視していたせいで声を掛けられるまで全く気付かなかった。慌てて振り向くと、私の傍らでレオノールがいるではないか。あまり人の通りが無い校舎の一角、普段は気付かないが意識すると裏庭を見下ろせる絶好の観察場所に、だ。


「レオノール様、どうしてここに……?」

「それはこちらの台詞よ。カレンの方こそこんな辺鄙な場所に用は無いでしょう」

「……わたしはたまたまイサベルの様子がおかしかったから尾行してただけです」

「そう。なら私はドゥルセ様方が愚痴をこぼしていたから心配だった、とでもしておきましょう」


 茶番だこんなやり取りは、と思ったものの口に出すのは止めておいた。この期に及んではもう野暮だろう。目の前の女が何を企んでいるのか分かりかねるが、もはや最終的に私に非が及ばなければ好きにしてもらいたい。


「ところでレオノール様。今更遅いって言ったのはどうしてですか?」

「あら、カレンだって分かっているでしょう? イサベルはこの半年間フェリペ様方とは健全に信頼関係を築いていた、って」

「はい。既に婚約者のいる男性と親しくするのは如何なものか、って意見もありましたけど、概ね許容できる範囲に留まっていましたっけ」

「で、いざイサベルがフェリペ様方の内面に深く踏み込んだ時にはもう手遅れ。イサベルの虜になるのにそう時間は要らなかったでしょうね」


 愕然としただろう。イサベルを咎めていたら己の婚約者がイサベルをかばい、逆に糾弾してくるなんて。恋で盲目になった婚約者にいくら訴えかけても逆効果。狭い見識を振りかざしてイサベルを虐げる醜い女だとまで言われてしまう始末なのだから。


「貴族社会だとそれが常識、って言ってもイサベルには効かないですよね」

「平民も学ぶことが許されてる学園と社交界はちょっと違いますね。家柄だけじゃなくて、本人の実力や人間性も評価されるんでしたっけ」

「あそこで吼えるドゥルセ様達はあくまで誇り高き血統とやらを突き付けているだけ。学業の成績も活動の業績も大したことないくせにね。本人の品性が知れるわ」

「侯爵令嬢のドゥルセ様をそう言えるのはレオノール様ぐらいですよ」


 ちなみにドゥルセとは宰相嫡男であらせられるフェリペ様の婚約者にあたる。私がレオノールだった頃は彼女と親交を深めて傍らに付き従えていた記憶がある。今回はレオノールが派閥を作らずにいるせいで代わりに彼女が派閥を構成したようだ。


 それにしても、と裏庭を見下ろしながらドゥルセ達とイサベルの口喧嘩を眺める。価値観の異なる彼女達の話がまとまる筈もなく平行線のままだ。途中で見切りをつけたレオノールと異なりドゥルセは段々と興奮して口調も荒くなっていった。


「こ、の……! 生意気なのよ貴女!」


 いよいよ癇癪を起こしてイサベルを突き出そうとするドゥルセだったが、その手が相手に触れることは無かった。イサベルが少しだけ足を動かして身体をひねったせいで見事に躱されたためだ。


 逆に体勢を崩したドゥルセが前のめりになってそのまま倒れそうになる。それをイサベルが咄嗟に手を伸ばして彼女の腕を掴んだ。何とか足を踏ん張って耐えようとするも、逆上したドゥルセは「無礼者!」と叫んでその手を跳ね除けてしまった。


 結果、ドゥルセは裏庭の石畳に倒れ込んだ。


「きゃあっ! ドゥルセ様!」

「貴女、ドゥルセ様になんてことを……!」


 ドゥルセの取り巻きは悲鳴を上げたり慌ててドゥルセに駆け寄ったり目を血走らせながら憎しみを込めて睨んだりと様々な反応を示した。今の一件についてだけは完全にドゥルセの自業自得なのだが、全部イサベルが悪いと思い込んでいるようだ。


 一方のイサベルは身体を打ったドゥルセを本気で心配しているようだった。僅かながら哀れみを視線に込めているのも注目する点だ。これが演技だとしたら名女優を通り越して恐ろしい女だと評せざるをえない。


「止めてくださいドゥルセ様……。私の素振りが誤解を招いたなら改めますから」

「白々しい……! 貴族の端くれどころか下賤な血が混ざってるくせに生意気よ!」


 擦り傷を負って血がにじむ腕にハンカチを持っていこうとしたイサベルの手が叩かれた。ドゥルセを始めそれなりの爵位と歴史を持つ家に生まれたご令嬢達が感情むき出しにして、今にもイサベルに飛び掛かりそうなぐらい怒っているのが遠くからでも分かった。


 余談だがレオノールだった時はこの一触即発の空気が漂っていたところでジョアン様が登場し、私が叱られて一旦幕引きになった。そこから私はイサベルを許せなくなって過激化していくのは別の話だ。


「……そんなに血が好きなんでしたら、このことはフェリペ様に報告します。どちらが正しいかあの方に白黒つけてもらいましょうよ」

「っ!?」


 イサベルは冷たい視線を投げつつ言い放った。あまりにも堂々としていたものだから取り巻き一同がわずかながら怯む。既にイサベルに心が傾きつつあるフェリペなら彼女びいきの裁定を下すだろうから、そんな展開になって不利なのは令嬢達だ。


「あらあら。あの程度で臆するなんて可愛いわね。私だったらそれがどうしたの、って鼻で笑ったでしょうね」

「そりゃあレオノール様は王国で最も格式高い公爵家のご令嬢ですものね。宰相閣下のご嫡男だろうと怯む相手じゃあないでしょうし」

「あら、言っておくけれど私ならジョアン様に訴えられたって自分が正しいって反論はするわよ」

「それはレオノール様がジョアン様に嫌われても構わないって思ってるからですよね。好きだったら……不満を飲み込んで我慢していたかもしれませんよ」

「それは憶測? それとも経験談かしら?」

「……想像に任せます」


 私達の雑談を余所にドゥルセの取り巻き達はイサベルの思わぬ反撃に狼狽えるばかり。毅然とした態度に怯んでいるのもあるだろう。イサベルは話は終わったとその場を後にしようとするが、不気味な笑い声があがって立ち止まった。


 笑ったのはドゥルセだった。口元は三日月を描いているけれど目が据わっている。その豹変ぶりには取り巻き勢も驚くばかりだった。対峙するイサベルもさすがに気圧されているようで一歩後ずさった。


「ふ、ふふふっ。少し穏便にすませてあげようと思っていたのに、ねえ」

「ドゥルセ様、一体何を仰って……」

「その減らず口、二度と叩けなくしてあげるわ!」


 ドゥルセは一度瞼を閉じ、一気に目を見開く。普段皆から美しいと讃えられた相貌からは想像も出来ない二つの鋭い眼光がイサベルを捉え……なかった。袖口に忍ばせていたのか、イサベルは顔の前に手鏡をかざしたのだ。


 ドゥルセは鏡に映された自分を見る形となり、時間が止まったかのように全く動かなくなった。いや、正確には動こうとしているのに動けなくなった、か。身体を震わせ、喉から何かを絞り出そうとする様子は窺える。


「すみませんが次の授業がありますからこれで失礼します」


 イサベルは異変が起こったドゥルセを尻目に深々とお辞儀をしてからその場を去っていった。取り巻き勢は麻痺したドゥルセに必死に声をかけたり身体を揺すったりするばかり。イサベルを阻むような余裕は無かったようだ。


「今のは……!?」

「麻痺の邪視ね。イサベルを懲らしめようとして跳ね返された、辺りかしら」

「嘘……。ドゥルセ様が邪視持ちだなんて話は聞いた覚えが……!」

「カレンも早く教室に戻らないと次の授業に遅れるわよ」


 何が何だか頭の整理が付かない私を余所に、レオノールは既にその場から離れる間際だった。もうここには用が無いと言わんばかりだったが、去り行く後姿すらも洗練されていて優雅だった。


 取り残された私はただ混乱するばかりだった。

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