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雪の中登校する元悪役令嬢

 冬がやってきた。


 貧民街でお母さんと一緒に過ごしていた頃は良質の薪なんて買えやしなかったから暖を取るのが大変だった。廃屋と化した家の壁や床を剥いで火にくべたりもしたか。ただ寒いからと家を締めきって火を燃やし続けると空気が悪くなるばかり。加減が大事だった。


 使用人寮に住むようになってからそんな心配もあまり無くなった。居間の大暖炉に火が付いていると寮全体が暖かくなるのだ。それでも寒い時は多く着込んで耐え凌ぐ。安物だろうと衣服や毛布に困らないのはとてもありがたいと感じる。


 けれど、今日はそんな工夫をあざ笑うように肌を刺すような寒さが襲った。


 朝目が覚めたら凍えるぐらい空気が冷たかった。寝具から抜け出たくない気持ちに駆られたけれど何とか自分に鞭打って抜け出す。それからカーテンを開けて外の様子を確認し……その異世界のような光景に圧倒された。


「雪……」


 山間部ならまだしも王都一帯はあまり雪が降らない。だから冬と言えばただ寒くて葉を失った寂しい木々が印象的しかない。個人的に冬の空はとても澄んでいて好きなのだけれど、他に褒める点が見当たらないと断言する。


 しかしそんな印象は雪が降ると覆る。一面の銀世界は見慣れた風景も様変わりさせてとても印象的だ。白化粧を施された貧民街は所々の汚さや寂れ、壊れを覆い隠れるため、暗い気持ちが飛んでいくような気がしたものだ。


(まあ、だからって毎日やることに変わりはないのだけれどね)


 圧倒されるのもそこそこに私は学園の制服に袖を通し、身支度を整えて寮を出発する。

 既に早朝番の使用人達が王宮に出勤しているのもあって道路上の雪はどかされていた。それでも雪に足を取られず、かつ滑らないよう慎重に確実に進んでいく。こんな時は藁で編んだ長靴が役に立つ。


 道を行き交う人達は慣れない雪に悪戦苦闘しているようだった。人通りの激しい街道は雪かきされているけれどすぐ入る脇道は通った人が道を作っていた。何人かが雪に埋もれた足を引っ張り出せずに転び、身体ごと顔が雪に埋もれていた。


「ごきげんよう、カレン」


 そんな新鮮な光景を眺めながら登校する私に並走するように馬車が速度を落とした。窓が開いて中から私を呼びかける凛とした、しかし甘くなでるような声が聞こえる。私は足元から脇へと視線を向け、声の主を捉えた。


「おはようございます、レオノール様」


 私は彼女、レオノールに恭しく一礼した。彼女は微笑を湛えてこちらを見下ろす。公爵家の馬車はその威厳を象徴するように豪華で精巧な作りをしていて、レオノールの美貌も合わさって実に周囲の視線を惹きつける。


「ここで会ったのも何かの縁。乗っていきなさい」

「いえ、折角のご提案ですが遠慮させて……」

「提案? 私は命じているの。お分かり?」

「……畏まりました」


 ここでレオノールに逆らうのは得策ではないし意固地になる事柄でもない。私はレオノールの誘いを受けて馬車に乗り込んだ。進行方向に背を向ける下座が空いていたので腰を落ち着ける。かつて従者だったイレーネの隣なのはかなり違和感を覚えた。


 扉を開けて冷たい空気が急に流れ込んだからか、レオノールは鼻をむずむずさせ、「は……は……くちゅん」と可愛らしいくしゃみをした。扇で口元を隠した辺りさすがだ。イレーネもすぐさまハンカチを取り出して主の鼻元をぬぐう。


「寒いわ。よくそんな恰好で登校しようと思ったわね」

「あいにくですがこれでも境遇は良くなりましたよ。昔は温かくなるならぼろきれを縫い合わせて服にしてでも着込んでいましたから」

「そう。私も何かを羽織れればいいのだけれど、周りの目を気にしなくてはいけなくて」

「あー。確かに防寒着完全装備だとみっともないですものね」


 毛糸のズボン、手袋、帽子、耳当て、マフラーを完全装備した公爵令嬢レオノールの姿を想像しただけで笑いがこみ上げてきた。今の私は見栄を張らずに済むから遠慮なくそう言った類を使っている。そこは貧民に生まれたことを感謝してもいい。


「レオノール様。差し出がましいですけど、王太子殿下とのご交流は上手くいっていますか? 芳しくないと殿下から聞いていますが」

「そんなの貴女には関係無い――」

「いいのよイレーネ。あの方との関係は良好よ。特に問題も無い……との回答は不満のようね」


 当たり前だ。その評価はジョアン様とはあくまで仕事仲間としたらの話だろう。

 レオノールは私が発した憤りを察したらしく、わずかに肩をすくめた。


「前も言ったけれどカレンが考えるレオノール像を私に押し付けないでもらえないかしら? 別に私はあの方に愛されなくても充分なの」

「愛無き婚姻をする、と? 本来の流れのまま婚約を破棄されるとは限らないのに」

「どうかしらね。今のところ殿下はあの令嬢になびいてはいらっしゃらないようだけれど、この先は分からないわ。それとも殿下に泣きついて私を捨てないでとお願いしろと?」

「さ、すがにそこまでは……」


 レオノールがそんな弱みを見せるなんてありえない。レオノールは王国を、全国民を、そしてやがて王となるジョアン様を支える国母となるのだ。なのに皆の足を引っ張るようにすがりついてどうする?


「私がいくら殿下と愛を育んでも無駄なのは既に悪役令嬢レオノールが証明しているでしょう。なら私は意味の無い試みにたった一度しかない人生を賭けたくないのよ」

「じゃあ、レオノール様はこのまま無難に殿下とご結婚なさる、と?」

「あら、そうとも言い切ってないわよ。国を良くするなら別に王太子妃にならなくたって構わないもの」

「……!?」


 それはつまり、レオノールがジョアン様を見限る未来もあり得る、と?

 愕然とする私が可笑しかったのか、レオノールは僅かに笑い声をあげた。


「暴露してしまうとね、私は婚約破棄まではされるつもりなの。やり方は簡単よ。私自らが手を下さなくても思わせぶりな言葉と態度を示すだけでお友達が勝手に動いてくれるもの。平民同然の男爵風情が生意気な、ってね」

「レオノール様、それでいいのですか……?」

「初めから馬鹿みたいに運命を受け入れるよりはよほどマシよ。カレンは……その様子だとそう思わないのでしょうね」

「そんなことは……いえ、そうですね。確かに納得は出来ません」


 これは嫉妬を通り過ぎて妄執だろう。今の私の気持ちは決して報われない。


 複雑な感情を渦巻かせていると、制服のスカートの裾を握り締めていた私の手にレオノールの手が覆いかぶさった。力仕事を一切していない白く綺麗な手。肌荒れも無く爪も丁寧に切られてタコも見当たらない。まるで人形のようだと感じた。


「ねえカレン。正直に話して貰える? 貴女は殿下のことが好きなの?」


 そんな優しさとは裏腹に突き付けられた言葉、そして私の目をのぞき込む彼女の眼差しはまるで私の胸を刺すように鋭かった。

 跳ね上がる心臓、思わず口から漏れる悲鳴。一瞬頭の中が真っ白になる。


「えっ!? い、いえ! わたしなんかがそんな、敬愛はしてますけど……!」

「そんな身分の差なんてこの際どうだっていいの。ちゃんと言って頂戴」


 レオノールに迫られた私は混乱しっぱなしだ。それでも何とか呼吸を整え、努めて冷静になり、自分の想いを整理する。……やはり私がジョアン様に抱く感情は一つだけだ。


「……はい。好きです」


 私は、今でもジョアン様に好意を抱いている。

 それだけはどんなにごまかしても否定出来ない事実だった。


 私を理不尽に捨てたあんな人は憎悪すべきだ。なのにいざ実際に再会するとそんな気持ちは霧散してしまい、かつてレオノールとしてジョアン様と親しくした時間を思い出してしまうのだ。私に笑いかけ、優しくしてくれ、抱き締めてくださった幸せだった頃を。


 私は馬鹿だ。私は愚かだ。きっとレオノールとしてやり直していても私は変わらなかった。踏みとどまっていられるのはカレンとして新たな人生を歩み出しているからだ。自分の気持ちにさえ蓋をしてしまえばきっとそれなりに充実した人生を歩めるだろうから。


「分かっているんです。レオノール様はジョアン様と距離を置いた方が助かる見込みがある、って。でも、だったらレオノール様が悪役令嬢と呼ぶ人は何だったんですか……?」

「ヒロインが幸せになるために立ちはだかる敵、ね」


 ――だから悪役令嬢なんでしょうよ。

 そうレオノールは無慈悲に続けた。


 雪は降り続ける。世界を白く染めていく。

 けれど私の浅ましい心までは覆いつくしてはくれない。

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