ヒロインと密談をする元悪役令嬢
「久しぶりね、『カレン』」
「……うん、久しぶり。『イサベル』って呼んだ方がいいかな?」
「あら、許してくれるのね。勝手にイサベルの名を騙っているのに」
「別にこだわりはあんまり無いから……」
入学日は式典と簡単な顔合わせ、それから簡単な連絡事項を告げられて終わった。本格的に学園生活が始まるのは明日からになる。新入生は上級生が学んでいる様子を見学したり帰路に就いたりこれから共に学んでいく同級生と語り合ったりしている。
で、私はイサベルに呼び出されて今裏庭の片隅にいる。ここは植え込みや木々があって通り抜ける者からは見えにくい場所で、内緒で集うにはもってこいだ。レオノールだった頃は生意気だったイサベルを呼び出して脅し……もとい、注意したんだったか。
イサベルは辺りを窺ってからイサベルの役から抜け、私の良く知る様子に戻った。それでも私をカレンと呼んだあたり、イサベルの名を奪ったことを謝罪するつもりは全くなさそうだ。こちらとしても願い下げだったので好都合なのだが、言わなくていいだろう。
「どう? そっちの方は」
「大変よ。頭に入れなきゃいけないことが沢山あって。でもはした金を稼ぐために男に媚を売らなきゃいけなかったあの時に比べたらとっても充実してるわよ」
「イサベルが元気そうで何よりかな。上手くやれてるみたいだね」
「別にわたしのことはどうだっていいじゃないの。それよりカレンのことよ」
どうでもいい、か。まあ私としてもイサベルの現状なんて全く興味が無くて手紙すら送っていなかったし別に文句は無いが、再会した妹に対して少し冷たくないか? やはり教室で咄嗟に出た反応が彼女の本音を表しているんだとしたら……。
「男爵が言ってたわ。住んでいた家の辺りが全焼して大勢の命が失われた、って」
「うん」
「その時お母さんもカレンも死んだって聞かされたわ」
「……うん」
私、と言うよりあの地区に住んでいたカレンという少女は犠牲者の一人として数えられている。男爵家が口封じのために凶行に及んだ、との可能性を考慮してジョアン様が手回ししてくれたおかげだ。
「よかったわ。カレンだけでも生きていてくれて」
「え?」
唐突だった。気付いた時には私はイサベルに抱きしめられていた。そして後ろに回した手で私の頭を撫でる。
「不幸中の幸いって言うんだけれど、家族を失うなんて嫌だもの」
「でも、イサベルはあんなことがあっても気にしなかったんじゃあ……」
「男爵が気にするなって言い聞かせてきたのよ。男爵家の中でわたしの立場は良くないし、大人しく従うしかなかったの。本当だったら葬式にも参列したかった」
抱き締められているせいでイサベルの表情は見えない。ただ、私に密着している腕と体は僅かに震えているようだった。
「二人だけになっちゃったね」
「でも、イサベルには本当のお父さんがいるじゃん」
「あんな奴父親なんかじゃない。本当に血がつながっていても、絆が結ばれるわけないわ。アイツがわたしを利用するように、わたしもアイツを利用してのし上がってやるだけ」
イサベルは吐き捨てるように言い放った。嫌悪感が隠されていない。唾棄すべき存在とばかりに憎しみがこもっている。もしこの発言すら演技だとしたら私はもう何も信じられなくなってしまうだろう。
イサベルはゆっくりと私から離れた。その目にはわずかに涙がにじみ出ていた。健気にも笑ってみせる様子は……否応なしにジョアン様方の同情を誘ったイサベルを思い起こさせる。
「何となく察してると思うけれど、男爵の奴は身ごもったお母さんを放逐したの。ただ娘が生まれた時はイサベルと名付ける、との条件で最低限の金は与えたって言ってたわ」
「でも生まれたのは双子の娘だった。男爵様はカレンが生まれたことを知らなかった?」
「だからわたしがイサベルって名乗ったのよ。娘が二人いたらアイツは政略結婚の駒が増えたとしか考えないでしょうからね」
「それがわたしだけじゃなくお母さんを見捨てた理由? 酷いよ」
様子を探ろうと穏便に話し合うつもりだったのに、思わず恨みがもれてしまった。自分でも驚く程低い声が口から出てしまう。イサベルは慌てながら顔を横に振った。
「違うの! わたしは男爵家に行く条件としてお母さんに援助してって言ったわ!」
「庶民と貴族との間に口約束が成立するって本気で思ってるの?」
「ちゃんと文書にもしてもらったんだから! それで、わたしが元々稼いでたぐらいのお金は送られてきたわよね?」
「全然」
「……っ。男爵の奴、わたしを騙したの?」
「問い詰めても自分はきちんと援助したって主張されるだけじゃないかな? お母さんが受け取ったか受け取ってないかなんてもう分からないんだし」
「……。ああ、そう言うことなのね。やられたわ……」
イサベルは最初から横領の可能性を考えていたのか、忌々しそうに顔をしかめるだけだった。……かつてのイサベルもあまり男爵家での待遇は良くなかったそうだし、目の前のイサベルが男爵を忌み嫌っているのは信じていいだろう。
「それよりカレンはどうやって生き延びたの? 凄い火事だったって聞いたけれど」
「勤め先のご婦人が亡くなって埋葬を見届けてたから、たまたま免れただけだよ。今はご婦人の教え子って人のお世話になってる」
「学園の学費って結構高かったと思うんだけれど、その人に援助してもらったの?」
「特待生になったから入学費と授業料は免除してもらってる。維持するためにも勉強頑張らないと」
「カレンが特待生、ね……」
イサベルは意味深に呟いた後目を伏せた。何やら考え込んでいる様子だったのでこちらからも何も語りかけない。大方私の生存と学園通いは想定外だった、辺りだろう。その上でカレンという異物が混入した結果どのように運命が狂うかを考えている、とかか。
「カレンはさっき「初めまして」って言ってたけれど、偶然似ているだけの赤の他人として接すればいいのよね?」
「追加で要望すると男爵に疑われないようあまりお互い関わり合わない方がいいかも」
「そう、ね。こっちもあまり早いうちから男爵に目を付けられたくはないわ」
この辺りは互いの利害が一致した形だ。
互いに相手が邪魔にならない限り干渉はしない。それが何をやるにせよことが荒立たない賢明な選択だろう。
「ところでイサベルったら初日から結構飛ばしてみんなに自分を売り込んでたけれど」
「貴族って言ってもわたしは一番爵位が低い男爵の娘だもの。ある程度身分の違いを超えて人脈を築くまたとない機会なんだから、最大限に活用してるだけよ」
「ふぅん。いいお友達が出来ると良いね」
「ええ。素晴らしいご令嬢が大勢いらっしゃるから、何とか誘われたいところね」
あえて含みを持たせた言い方をしたのだが、はぐらかされたか。
かつてのイサベルは同性の友人はそこそこに殿方との交流の方を重点を置いていたから。良い縁を築くためだから、積極的であっても男爵令嬢としては別に可笑しくないのだが……。明らかに異性を含まなかったところをみるとあえて避けたようだ。
(やっぱりイサベルは自然に振る舞って殿方の心を掴んだんじゃなく、殿方に好きに思わせるよう攻略していたのね)
他愛ない姉妹の会話の筈なのに、私達は互いの腹を探り合っている。そこに家族の絆はどこにもない。油断すれば背後から刺されるせめぎ合いに他ならないだろう。
「カレンはどうするの? 勉強ずくめ?」
「わたしは別に成人後に加わる社交界に向けての足がかりなんて意味無いから。ひたすら勉強するだけかな」
「へえ。あわよくば素敵な王子様と恋愛したい、とか思わないの?」
「……!?」
イサベルは口を三日月のような形をさせた笑みを浮かべた。
この発言は一種のカマかけだろう。もし私がイサベルがこの先しでかすことを知っていたんだとしたら何かしら反応を示す、と考えて。
私は思わずその思惑に乗りかけたが、すんでのところで面に出さずに済んだ。
「そうだね。出来れば優しくしてくれる男の人がいいなぁ」
「あら、カレンはわたしに似てとっても可愛いんだからきっとモテるわよ。何よ、地味に装っちゃってさ」
「駄目だよ。普段の生活費稼ぐために学園から帰った後働かなきゃいけないし」
「あー。その辺りも考えなきゃ駄目なのか」
じゃあ、と言ってからイサベルはこちらに手を差し出した。何を意味するのか分からないでいたら彼女はもう片方の手で私の手首を掴み、引き寄せる。戸惑う私を余所に彼女は私の手を握った。握手だと気付いたのはそれからほんの少し経ってからだった。
「とにかく、これからわたし達は姉妹として語り合えなくなるし、友人として親密にもなれないけれど、唯一の家族には変わりないわ」
「イサベル……」
「これからもよろしくね」
「うん、こちらこそ」
お互いに笑みをこぼした。しかし、道が分かれた姉妹が将来に幸あれと願い合う、なんて綺麗な思いからではない。
これは意思表示だ。
邪魔をするなら姉妹であっても容赦しない、との。