ヒロインと悪役令嬢の邂逅に遭遇する元悪役令嬢
いよいよ学園に通い始める日がやってきた。
私は王宮勤めとはいえジョアン様やレオノール付きではない。したがって登下校の際にあの方々に同行することもない。外部の者の立ち入りを禁じている学園内であっても彼らの周りに集うのは側近やご友人であり、私の出る幕は無い。
それでも初日の今日だけは一つ確認したいことがあり、私はジョアン様が丁度学園に到着する時刻に着くよう王宮使用人寮を出発する。空は白い雲がわずかに漂うだけで天気は快晴。なのに私の心の中は暗雲が立ち込めていた。
(確か、校舎に向かう途中でイサベルとジョアン様がぶつかるのよね)
かつてレオノールだった頃、ジョアン様がぶつかった拍子に倒れかけたイサベルを抱きかかえて助けた。少し遅れて歩いていた私はその現場を目撃して、その時はまだ余裕があったから些事だと受け流したのだったか。
(それがきっかけだったと気付いた時にはもう手遅れだったのだけれど、ね)
既にジョアン様もレオノールも私が知る二人ではなくなっている。便宜上前回と呼称するが、それでも前回と同じことが起こるのかは絶対に確認しなくてはいけない。その結果次第で今後の立ち回りを大きく変えなくてはならないから。
結論から言うと、見事にかつての展開をなぞるようにソレは起こった。
物珍しそうに辺りを見渡しながら歩くカレン……いや、もうこれからは彼女が名乗るとおりイサベルと呼んでしまおう。とにかくイサベルは足元が見えておらず、敷き詰められた石畳のほんのわずかな段差につま先をひっかけてしまった。
倒れつつあったイサベルの胴体に鍛えられた腕が回った。たまたま近くにいたジョアン様が咄嗟に反応したのだ。イサベルの体重がかかってもジョアン様はびくともせず、力強く、そして頼もしく彼女を抱き起こす。
「大丈夫だったか?」
「あ……は、はいっ。ありがとうございます!」
手を離したジョアン様にイサベルは元気いっぱいに感謝を述べて頭を下げた。
レオノールだった頃はそんなイサベルに王太子に対する礼儀がなってないと憤りを覚えたものだが、カレン目線で見るとまた別の感想を抱いた。
(イサベルったら、まだ最低限の礼儀作法すら身に着けてないの!?)
レオノールとしてのイサベルの評価は平民同然の男爵令嬢風情、みたいな感じだったか。正直に言おう、それすらも生温かったと声を出したい。
(イサベルったら男爵家に引き取られてから何年経ったと思ってるの?)
貴族の仲間入りが思わぬ幸運だったにせよ、転がり込んだ絶好の機会を最大限生かそうとするものではないのか? 必死になって貴族令嬢としての行儀を身体に叩き込み、教養を習得し、少しでも良い縁談に結びつけるべきだろう。
元は平民だったから、なんて言い訳に過ぎない。己を磨かずして何が貴族令嬢か。明らかな怠慢だろう。かつてのイサベルはどうだったか知らないが、今のカレンは男爵令嬢という身分を明らかに嘗めている。
もしくは……。
(そんなイサベルでいることが重要なのかもね)
男爵令嬢イサベルは垢抜けずに貴族らしくない。そんな小娘だったからこそジョアン様方そうそうたる殿方が惹かれたのかもしれない。例えが悪いが、普段の贅沢な料理に飽きた貴族が庶民の雑な食べ物に食指が伸びるみたいな感覚か。
少なくとも私からイサベルの名と立場を奪うほどしたたかだったカレンだ。天然でそんな振る舞いをするとは思えない。計算ずくでイサベルを演じているんだとしたら我が実の姉ながら相当な曲者と言わざるを得ない。
打算の上だとしたら相当なしたたかさだ。評価を改めなくてはいけないだろう。
「あ、あの。わたし、イサベルって言います。お名前を聞いてもいいですか?」
私の思考を余所にイサベルは大胆にもジョアン様のお名前を尋ねた。
本来なら身分の差を無視した有様は注意すべきだろう。なのにこの場の誰も発言しようとしなかった。関わりたくなかった私はともかく、視界に入る学園生徒は誰もが貴族の家の子息息女なのだから、一人ぐらい指摘してもいいだろうに。
あまりに予想外な事態だから咄嗟に判断出来ないのかもしれない。それともジョアン様が特に窘める様子がないから静観しているのだろうか。しかしこうした一つ一つの見逃しがイサベルの増長を招いたと考えると……と思わざるを得なかった。
(だから私が皆を代表してイサベルを注意したのよね。王太子に対する礼儀ではない、みたいな感じに)
そんな戸惑いが支配する中でレオノールが二人に歩み寄り、やんわりとたしなめたのだ。その時に何を言ったかまでは覚えていないけれど、まだイサベルが恥をかかないよう言葉を選んでいだ覚えがある。
私は記憶を頼りに視線を移すと、やはり現場を目撃するレオノールの姿があった。しかし彼女は表情を何一つ変えていない。まるで単に景色を視界に映しただけみたいに、だ。何人かが彼女に気付いて心配そうに見つめていたけれど、気に留める様子はない。
人だかりが出来始めていた中でレオノールが歩みだす。彼女の接近に気付いた他の生徒は通行の妨げにならないよう道を空けた。レオノールは微笑をたたえて彼らに感謝を述べていく。その様子はさながら王者の行進のようだった。
そしてジョアン様達に近づいたレオノールは……そのまま彼らを素通りした。
「え!?」
周囲がざわついた。
事情を知る私ですらにわかには信じ難い。
イサベルには目もくれなかった。ジョアン様に声もかけなかった。黒く渦巻く感情を押し殺してそう振る舞っているのではなく、素でどうでもいいとばかりに、だ。
騒然となったのは普段のレオノールとあまりに異なっていたから。おそらく大半の人が婚約者と仲睦まじくする彼女だったら不用意に近寄る小娘に常識を指摘すると思っただろう。あまりの事態にまさか無視する程激怒したのでは、とまで囁かれる始末だ。
「お、お待ちくださいレオノール様!」
「あの娘は恐れ多くも王太子殿下のお手を煩わせたばかりかなれなれしく声をかけたではありませんか! 放っておかれるのですか……!?」
我に返った何名かの女子生徒が慌ててレオノールの後を追う。皆好き勝手言うけれど要約すると「それでいいのですか?」に尽きた。だがレオノールはそんな令嬢の進言にも歩みを止めようとしなかった。
「放っておきなさい。ジョアン様にはジョアン様のお考えがあるのでしょう。私はそれに従うだけです」
「ですが……!」
「貴女達も彼女が何をしようがくれぐれも手を出さないように。後々面倒な目に遭いたくないのならなおさらです。いいですね?」
「……っ。レオノール様がそう仰られるのでしたら……」
私が聞けたレオノールとその取り巻き達の会話はそこまでだった。その内容から察するにレオノールは私の失敗、即ちイサベルへの過度な干渉を避ける気でいるようだ。それを友人達にも促し間接的にもイサベルの立場を悪くしないようにする徹底ぶりだ。
さすがのジョアン様もこれには驚いたらしく目を見開いている。だがその面持ちからは不安は見られない。むしろ好奇心を抱いたのかわずかに口角が吊り上がっている。邪推するなら、レオノールからイサベルへの警戒がにじみ出ていたのを見逃さなかったからか。
むしろ一番焦っているのは仕掛けた当の本人であるイサベルだろう。去り行くレオノールの背中を見つめながら何やら独り言をぶつぶつ呟いている。あいにく周囲の雑音に吸い込まれて私の耳までは届かなかった。
(本来ある筈だった展開と違っていたから疑念を抱いたのかしらね?)
まだ確信はないもののイサベルは十中八九レオノールと同じくこの先を知っている。
更に私からヒロイン役とやらを奪うぐらいイサベルに執着していることから、狙いは玉の輿か、またはイサベルに好意を寄せるだろう殿方か。
いずれにせよイサベルが私の知るイサベル通りに振る舞うことは容易に想像出来る。ただレオノールが破滅を回避すべく以前と別の行動を取るならそのまま台本通り演じても道化だろう。イサベルであることを活用して思いもよらぬ手に打って出るかもしれない。
(はあ……。勝手にやって頂戴よ)
私は思わず深いため息を漏らしながら足を再び動かし始める。これ以上道草を食っていたら始業の鐘が鳴るまでに教室に着けないかもしれない。彼女達の行く末も気になるが私は今の我が身が一番可愛いのだ。
その他大勢の一人に過ぎない私がその場から去っても誰も気が付きやしなかった。




