悪役令嬢は自分と違うと確信する元悪役令嬢
王宮に勤めてジョアン様とレオノールの関係が何となく分かってきた。どうやらジョアン様が語るほどレオノールは淡白には接していないようだ。
「はっ、大した女優っぷりだ。心と身体でも切り離してるんじゃないか?」
と仰るのはジョアン様。
レオノールは学園内でも社交界でも王太子の婚約者に相応しく堂々とし、優雅で、しかし高慢に受け取られないよう慎ましいんだそうだ。何より、まるで本当に恋する乙女のようにジョアン様に寄り添う素振りを時折見せるらしい。
「きっと素晴らしい君主だと歴史家は記すでしょうね。彼、本性を出さないんだもの」
とはレオノール談。
表向きジョアン様は私がよく知る態度のようだ。さわやかな笑顔を絶やさず常に紳士的。万能と言わんばかりに成績優秀で、身分の差を気にせず分け隔てなく皆に接する。そして婚約者を愛おしそうに甘い言葉を送ることもある。正に理想の王子様だとか。
少なくとも二人は仲が悪いと噂されないよう仮面を被っていた。それが王宮、身近な者が見ている範囲に限っては一変する。
「レオノールは優秀だから俺もあまり文句は言っていないがな。ただ素っ気ないにも限度があるだろう。もう少しだけ猫を被っていれば可愛げがあるものを」
レオノールはジョアン様をお慕いしていない。そしてジョアン様はレオノールを愛していない。彼らはあくまで婚約という契約上の関係に過ぎなかった。王太子、そして未来の王太子妃という仕事を遂行しているだけだ。
「そんなに嫌なら別の相手を探した方がいいんじゃないですか?」
「俺を愛そうが愛すまいが王太子妃になるならレオノールが最良であることは覆せない。母上も愛娘のように大切に育てているからな。もはや俺がいようがいまいが彼女は王女のようなものだ」
確かに市民を見下す高慢さという欠点があった私と異なり、今のレオノールには非の打ちどころが無かった。誰からも、下は貧民から上は国王陛下まで、次の国母に相応しいと語る始末だ。婚約関係を白紙にする理由がありやしない。
「もっと甘えたり頼ったりしてほしいんですか?」
「レオノールにか? そうなったら最後、次の日は大雨だな」
ジョアン様は一向に歩み寄ろうとしないレオノールを諦めたようだ。愛し合う夫婦としてはともかく国王と王妃という仕事を共にする相方としては評価する、といった具合に妥協しているのだろう。
「破局すると初めから分かっている殿方に尽くすほど愚かではないわ」
一方のレオノールはこの先に待ち受ける破滅を知っているからこそジョアン様から遠ざかりたい。しかし公爵家の息女としての義務感からか心こそ開かないものの王太子の婚約者として相応しくあれと表向き演じ続けている。
「レオノール様はジョアン様を愛していないんですか?」
「知っているくせに問うなんてカレンも人が悪いわね。あんな仕打ちを受けるんじゃあ百年の恋も冷めると思うのだけれど」
「……っ」
そんなの嘘だ。現に私は理性ではジョアン様と関わってはいずれ破滅してしまうと訴えても、心が悲鳴を上げている。
優しく抱き締めてくれた。愛していると囁いてくれた。ずっと一緒に歩んでいこうと誓ってくれた。そんなかつての日々を思い起こすのだ。
「……そんなのレオノールじゃないです。レオノールは義務や使命感にも勝るジョアン様への激しい愛を持っていました。だからイサベルに嫉妬するんですよ」
「ええ、私達の良く知る悪役令嬢レオノールはそうだったわね。けれど彼女は彼女、私は私。今レオノールなのは私なんだから、これからどう歩もうと私の勝手でしょう?」
私に渦巻く思いを余所にレオノールはレオノールであることを否定する。
それは賢い選択とは私も思う。身を焦がすと分かっている恋に溺れるなんて愚かでしかない。公爵家に生まれた娘として男爵令嬢風情に愛する婚約者を奪われたなどとは末代までの恥。であれば傷が浅くなるよう距離を置くのは当然だろう。
だからこの憤りは、単に私がジョアン様を蔑ろにするレオノールが許せないだけだ。
私は馬鹿な女だ。あんなに酷く裏切られても、レオノールでなくなってしまっても。なおも私の心はジョアン様に奪われたままだ。再会してからますますあの方に抱く想いは熱くなるばかり。
早く醒めてほしい、この悪夢から。
私はもう恋に振り回されずに生きたいのに。
■■■
「もうそろそろだったわよね。あのイサベルが入学してくる時期って」
「はい。男爵家での詰め込みが終わっていざ学園へ、ってなるのは丁度この頃です」
時間が経つのは早いもので、王宮に勤め始めてから季節が移り替わった。
暑かった夏が終わりを告げれば次の年度となる。ジョアン様とレオノールが学園の最上級生となり、イサベルが新入生として学園の門をくぐるのだ。
レオノールは秘密を共有する私と二人きりで語り合えるようたまに時間を設けた。時には私室で、時には庭園のお茶の席でお茶を交わした。流石に王宮内での交流に留まったものの親しい間柄になった、と自己評価する。
彼女は行儀がなっていない私に特に怒る様子は無く、むしろ気さくに親しくしてほしいと語った。礼儀作法は身体に覚え込ませるもの。レオノールだった経験があってもイサベルになった私では彼女のように優雅な振る舞いは到底出来やしない。彼女の配慮はありがたかった。
「じゃあカレンはイサベルの同級生として入学するのね。再会する覚悟は出来た?」
「……イサベルとは極力関わらないようにしようって腹をくくりはしました」
「そう。ああ、そう言えば合格おめでとうと賛辞を送るのを忘れていたわ」
「ありがとうございます。全てレオノール様とラーラ女史の受験勉強のおかげです」
学園の夏季休暇中に行われた入学試験は特に問題なく受かった。元々レオノールとしての知識もあれば先生から教わった教養も身についている。後は少しばかり試験対策をすれば落ちる道理が無い。
ただし、授業料が免除される特待生になるとなれば話は別だ。ただでさえ平民に開かれた門は狭いのに特待生になれるのは上位数名だけ。人生を成功させようと死に物狂いで試験に臨む者が多く、油断は禁物だ。
「取りこぼし、間違いが無いか答案用紙を端から端まで何度も確認しちゃいましたよ」
「そのかいもあって特待生になれたのでしょう? おかげで日中学園に通って働けなくても日々生活出来るお金は稼げるのね」
「はい。早朝働いて朝登校、夕方下校したら夜働いて、深夜に予習復習をする。こんな感じに毎日を送ろうかなって思います」
「両立させるのは大変でしょうけれど、頑張りなさい」
レオノールは微笑を浮かべて労ってくれた。
むしろ私は学業と王太子妃教育とを両立させているレオノールに頑張っていますねと称えたい。レオノールの父である公爵閣下も王妃様も優秀な彼女なら出来て当たり前との認識だ。たまには凄いですねと褒めるべきだと思うのは私の我儘か。
「ところで、そろそろ打ち明けてくれたっていいんじゃないですか?」
「打ち明ける? 何を?」
「レオノール様がどうイサベルに対処するか、をです」
レオノールは僅かに顔を曇らせた。今まで順風満帆だった学園生活が曇り始めるのはイサベルが現れてから。それを思い出させるな、といった感じだ。それでも否応なしにその時期が迫っている以上、方針はすり合わせなくては。
「どうと言われても、私はあまり彼女に干渉するつもりは無いわ」
「つまり、放置するんですか?」
「悪役令嬢レオノールは貴族令嬢の代表として彼女に幾度となく注意したけれど、さほど効果は出なかったでしょう? ジョアン様は苦言を呈する私をむしろ悪者扱いして咎めてくるし。関わったら嫌な思いをするだけじゃないの」
「でも放っておいたらイサベルはきっとジョアン様と仲良くなっちゃいますよ」
「あら、私は別に構わないわよ。ジョアン様があのヒロインとくっついてもね」
(……ジョアン様がイサベルと結ばれても良い、ですって?)
私は自分の耳を疑った。しかし同時に納得した。
彼女は最初からジョアン様に見切りをつけているのだ。だからこそジョアン様に関心が無い。私と違って彼を知るにつれて心惹かれることもなかったし、王太子の身分を抜きに彼個人に好意を抱くこともない。
今なら断言出来る。
彼女は私とは完全に別人だ。
「婚約破棄だけされて破滅は回避する。それが無難だと思うのよ。どう?」
「……まあ、ジョアン様がイサベルに惚れてしまうんじゃあそうするしかないですね」
「ただね、大人しくしてても強引にあの騒動まで持っていかれるかもしれない。だからカレンには本来悪役令嬢レオノールがしでかす筈だった虐げをイサベルがでっちあげてこないよう、私に協力してほしいの」
「ソレ、イサベルを見張れって命令ですか?」
「違うわよ。私の弁護をしてほしいだけ。例えばいじめが行われた日は別の場所で私と一緒にいましたからイサベルの主張は虚言です、みたいな」
成程。ジョアン様をお慕いしていなければあの方と仲良くするイサベルに嫉妬することはない。悪意を振りまかないのだから断罪して舞台から蹴落とすことも出来ない。強引に本来あるべき運命にこぎつけようとするなら罪を捏造するしかない。
それを私と二人で協力して防ごう、か。賢いと評するより無難との評価が相応しい。
「じゃあカレン。引き続きよろしくね」
「はい、レオノール様」
私は笑みを浮かべてレオノールと握手を交わした。
しかしその裏で私は身勝手にも納得していなかった。
レオノールが破滅を回避するのはいい。けれど……ジョアン様をイサベルに扮したカレンの好きにさせていいのだろうか? 果たしてジョアン様個人は真実の愛とやらを貫いて幸せになるのか?
残念ながら今の私ではその懸念に対する答えは浮かばなかった。