悪役令嬢と手を組む元悪役令嬢
「ぁ……」
「気が付きましたか?」
レオノールの意識が戻ったのは医者が大事無いと診断してから少し経ってからだった。なお、一応王太子であるジョアン様や国王王妃両陛下には報告が行っている筈だが、大事ではなかったので急報には至っていないようだ。
私は部屋の片隅で待機している。これはラーラ女史の判断によるもので、また私を見て気絶されては事情を聞けないかららしい。なら私がいない方がいいのではと進言したけれど、それでは問題の本質が分からないと却下された。
「私、は……?」
「彼女を視界に入れた途端に気を失ったのですよ」
「……!?」
レオノールは私を見るや目を大きく見開いて叫び声をあげる……直前にラーラ女史に口を押えられた。なおも暴れようとするも寝たままのレオノールでは上から抑え込むラーラ女史を振りほどけない。
「落ち着きなさい。彼女はイサベルではありません」
「~~! ~~ッ!!」
「事情は説明しますから。暴れるのを止めなさい」
「……! ――っ」
ようやくおとなしくなったレオノールからラーラ女史は離れる。ようやく冷静になったレオノールは上体を起こして私を見やった。明らかな警戒と恐怖が確認出来る。天下の公爵令嬢がただの一般小娘に、だ。傍からはさぞ異常な光景に映るだろう。
「改めて紹介します。彼女は私の恩師に師事したカレンさんです」
「初めまして、カレンといいます」
私は深々と頭を下げた。しばらくしてから元の姿勢の戻ったものの、レオノールはいぶかしげに眉をひそめたままだった。
「カレン、ですって?」
「レオノール様はカレンさんを見てイサベルだと言っていたけれど、この間男爵家に引き取られたばかりの令嬢に会ったことがあるのですか?」
「……先生、こちらの方はそのイサベルさんではないのですか?」
「親戚だそうですよ」
上手いと思った。実の妹だから親戚には違いなく、嘘は言っていない。
しかしレオノールはなおも浮かない表情を崩さない。先生の説明を受けても深く考え込むに留まり、疑惑は解消されていないようだ。
「ラーラ女史。レオノール様にはイサベルに思うところがあるようです。昔から似ているとよく言われたわたしがいたんじゃあ勉学の邪魔になるだけかと」
「……事情は分かりませんが、確かにそのようですね」
「先生? それはどういうことですか?」
「ああ、すみません。説明がまだでしたね。実は――」
ラーラ女史はカルロッタ先生の最後の教え子である私が火事で母親と住居を失ったこと、偶然ジョアン様と知り合って王宮に連れて来られ、結果的にラーラ女史が保護者になったこと、そして学園の入学試験に備えて共に学ばせようとしていることを語った。
一通り事情を聴いたレオノールはまだ愛想笑いすら浮かべようとしない。これにはさすがのラーラ女史も困ったらしく、私に視線を向けてくる。意見を乞われても私には何も助言出来やしない。レオノールだった筈の私にすらこうなった理由が分からないもの。
「先生、少しカレンさんと二人きりにしてもらえますか?」
「え? ええ、構いません。カレンさんもいいですね」
「はい。問題ありません」
「では部屋の外で待機していますから、用事が済んだら呼んでください」
ラーラ女史は美しいカーテシーをして部屋を後にした。残ったレオノールと私は互いに顔を見合わせる形となる。昔は鏡越しにしか確認出来なかったレオノールの顔立ちは……イサベルになった今ならはっきりと分かる。美人との言葉すら陳腐なぐらい整っていた。
そんな端正な顔が勿体ないほど不機嫌さを露わにした彼女は私に真正面に座るよう促した。会釈してから腰を落ち着けるとレオノールは腕と足を組んだ。背筋を伸ばしているのは背中を丸めて委縮する私を少しでも見下ろすためか。
「貴女、本当にカレンなの?」
「本当にって言われても何が何だか分かりませんが、わたしはカレンです」
「ふぅん、そうなんだ。たまたま火事に巻き込まれずに王太子殿下のお世話に、ねえ。信じられると思う?」
「事実ですから信じてもらうしかありません」
……? 妙だ。今の言い回しだと私がやがてレオノールを脅かすイサベルではない疑いは晴れたけれど、カレンである点が気になるらしい。けれど私の記憶ではイサベルの肉親は登場した覚えが無いのだが。
「成程ね。じゃあ――」
それから続けたレオノールの言葉は私には理解出来なかった。王太子妃教育を受けたかつての私は周辺諸国はおろか海を隔てた向こう側の国の言語も学んだのに、そのどれとも違った。聞き取れたのは時々出てくる名詞ぐらいだった。
……同じレオノールなのに私の分からない知識を披露されるのは結構腹立たしい。
「それ、どこの言葉ですか? 何言っているのか全然分かりません」
「本当に? 嘘は言ってないでしょうね?」
「嘘言ったってしょうがないですよ」
「そう、なら私の勘違いだったようね。疑ってしまったことは謝るわ」
不敬にも少し刺々しい言い方で答えたら、なんとレオノールが謝罪のために軽く頭を下げてきた。公爵令嬢の彼女が平民の私に、だ。尊大と傲慢を絵に描いたようだったかつてのレオノールだったらまず考えられなかった行為だ。
この女は……誰だ?
私の知るレオノールじゃあないのか?
「幾つかの偶然……いえ、幸運が重なって火事で命を落とさずに済んだのね」
「……わたしだけが助かったことを幸運だなんて言わないでください。わたしが家に早く戻っていたらお母さんを連れて逃げられたかもしれないのに」
「そんなことは……ああ、これは貴女には関係ない話だったわ。ごめんなさいね」
「あのことについて何か知っているような口ぶりに聞こえますけど?」
私が質問を投げかけてもレオノールは微笑をこぼして受け流すだけだった。先程まではレオノールが私を疑っていたけれど、今は完全に逆だ。こうまで不穏な判断材料が集まってくると、頭の中で危険だと警鐘が鳴らされる感覚に陥る。
「これからラーラ先生のもとで一緒に学ぶ間柄になるんだもの。仲良くしましょう」
「……そんなの恐れ多いです。だってレオノール様は公爵家のご令嬢ですし、王太子様の婚約者なんですよね? 本当だったらわたしなんか近寄ることさえ出来ない高貴な方じゃないですか」
「いいのよ。ラーラ先生も王太子殿下も許可したのでしょう? なら私はあの方々の判断に従います」
「その割にはジョアン様と距離を置いているそうですね」
私は思い切って核心に踏み込むことにした。余裕を取り戻したレオノールから再び優雅さが鳴りを潜め、警戒心が表に出る。さすがの威圧感だけれど私は全く気圧されずに彼女と向き合い続ける。私は最初から作り笑いすら浮かべないままだ。
「誰がそんな悪評を振りまいたのかしら?」
「ジョアン様ご本人から聞きました。レオノール様は自分と線を引いている、って」
「……。そう、所詮貴女も彼女と同じなのね」
レオノールから向けられたのは明らかな敵意だった。少し焦りすぎたかと反省しつつも、これである程度の事情は察せた。ならここは……、
「身構えるのは、公爵令嬢レオノールがやがて男爵令嬢イサベルに王太子ジョアン様を奪われ、反逆の罪で獄中死するからですか?」
「……!?」
私がその破滅を口にした途端、レオノールは憤りを露わにして立ち上がった。この反応、あり得る筈もない未来を喋ったからではない。
間違いなくレオノールは婚約破棄からの終焉を知っている。
「やっぱり貴女は――!」
「いえ、多分レオノール様とは違う事情からだと思いますよ。現にわたしはどうしてレオノール様がそのことを知っているのか分かりませんし」
「……。確かに貴女、さっき話した言葉が分からなかったわね」
婚約破棄されると分かっているからジョアン様とは初めから絆を深めようとしないし、破滅の元凶となったイサベルを敵とみなすのだ。大方私もイサベルと同じようにジョアン様を誑かしたと思ったから先ほど豹変したんだろう。
「正直告白しますとわたしはイサベルの恋愛劇になんて巻き込まれたくないんです。ジョアン様にもレオノール様とも会いたくなかった」
「あら、実の妹に対して随分と辛らつじゃないの。もっと大成功を喜べばいいのに」
「冗談じゃないですよ。誰が横恋慕を祝福しますか。それにやっぱりわたしの事情を知ってるんですね?」
「あら、口を滑らせちゃったかしら?」
この際レオノールがどこまで知っているかは問題ではない。かと言ってレオノールと敵対するのは得策ではない。むしろこの先待ち受ける運命を乗り切るまでは肩を並べるべきだろう。
私はレオノールに手を差し出した。それをレオノールはきょとんと見つめる。
「手を組みませんか? お互いイサベルに振り回されたくないんですし」
「……。成程。少なくともまだ始まってすらいない今から反目し合うのは賢くないわね」
レオノールは微笑を浮かべ直して私の手を握った。わずかな力みが感じられる。やはり信頼しきってはいないようだ。だがそれはお互い様だ。
「いいでしょう。乗ってあげるわ」
「じゃあその時までよろしくお願いします」
こうして私とレオノールとの間に仮の同盟が結ばれた。しかしそれがどのような結果をもたらすのか、互いに分かりはしなかった。