*** 9 ***
オースティアは王制を採用していた。
国王は世襲制で、国王と正室、側室の間に生まれた王家の男児から適任者が代々選ばれてきた。
国民は、国王が政治を行っていると信じている。だが実際は、派閥が国王を操り、国を動かしている。
マルルト・ストラトスの率いる派閥ストラトス。この派閥は、ランドルフ派とサンドレックス派を含めたオースティアの3大派閥のうちで、最大の勢力を誇り、政治の実権を握っていた。
「国王は常識的な判断が出来ないお方だ」
マルルトは近年、周囲にこう漏らす。しかし原因はマルルト自身にある。先代の王が病に倒れた後、幼い現国王の教育係となったマルルトはまともな教育を与えなかった。
「これでは我らの献身が報われない」
国王を世間と隔絶し、常識的な感性を失わせた張本人――マルルトはいけしゃあしゃあという。国王は今年35歳。頬は痩せこけ、顔は泥色で白髪が目立ち、実年齢より遥かに年老いて見えた。
〈飽いたな〉
マルルトは、エールが首都凱旋を申し出ていると聞き、ある計画を思いついた。彼はそのアイデアを誰かに伝えたくて仕方がなく、最も信頼している閥徒ヴォルター・K・グインにこう話した。
「エールがリベラリアとの戦争に勝利したそうだ。クリスタニアに楯突く新興都市、セレスも協力したようだ。彼らは凱旋を要求している。私はこれを許可したい」
クククとマルルトは笑った。
「グインよ。エールの人間は中央政府にいじめられてきた。凱旋式の場で、怒りに任せて国王を殺してしまうことも、あるよなぁ」
エル・クリスタニア出身の青年閥徒ヴォルター・K・グインは、瞳に鋭さを失わない。
「なるほど。そうなればマルルト卿が王座に座ることも」
彼はマルルトのやり方を批判的に見ながらも、彼に迎合している。
「その通りだ。グイン、これからは君にも働いてもらうよ。凱旋式が楽しみだ」
***
マルルトの企てを知る由もなく、アイン達は凱旋式のため、首都クリスタニアへ上京した。国王からの勲章授与が予定に組まれており、それを誰が受け取るかが話題になった。
ソフィアはアインを推薦し、エールの民もそれに納得して、アインが大役を引き受けることとなった。
「アイン、お願いね」
ソフィアの言葉に、アインは気を引き締める。
「もちろん。この役は名誉じゃない。使命と抱き合わせだ」
使命とは、エールの抜いた矛を収めること。
「中央政府からの謝罪をとりつけ、それをもってエールの駐留軍を撤退させる」
アインの落とし所はそこだった。
凱旋式は仰々しい雰囲気を醸し出していた。首都クリスタニアの軍隊が周りを囲い、その内側にクリスタニアやエル・クリスタニアの閥徒が勢揃いしている。
会場にはひな壇が用意され、頂上に国王が座っていた。アインは会話のプランを練りながらひな壇を登る。コツコツと、乾いた音だけが周囲に響いた。
だがアインの思慮は無駄に終わる。国王が目を合わせることもなく、話を終わらせたからだ。
「リベラリアとの戦争ご苦労だった」
国王は、勲章を投げるように渡す。誰もが、アインからの挨拶があるべきだと感じた。勲章を受領するために、わざわざ凱旋を求めたわけではない。
アインはつい、正直に聞いた。
「国王。失礼ですがあなたは、エールの国民が、中央政府から自立するために起こした戦争の意味を、理解していらっしゃいますか?」
王は目を泳がせた。聡明さも、奥ゆかしさも、人を欺く狡猾さもこの国王からは感じられない。
「戦争に勝ち、君たちは賞された。それでいいだろう」
アインは理解した。
この人は、自分の意志で王の重責を担っているわけではない。周囲から王へ仕立てられた。
〈機械人形じゃないか〉
だとすれば、国王の心の窓を開くところから始めなければ、エールの抜いた矛は収められない。
「本音で話をさせてください」
アインは襟を正した。本音で話して初めて、お互いの悪いところが見えてくる。そして悪いところを修正したり受け入れたりすることでしか、関係は発展しない。だから伝える。
「あなたはまるで、誰かに自尊心を傷つけられた少年のようです。オースティアの理想を体現すべき王の姿では、到底ない」
「やめろ!」
国王は耳を塞いだ。
「何度もやろうとした! けれども周りは、わしに何もまともなことを教えてくれなかった!わしは政治に興味が無い。このまま無難に時が過ぎればそれでいい!」
この大きな子どもは、ただ己の保身だけを考え、自分の殻に閉じこもっていた。アインには王の苦しみが理解できた。国王の周りには、きっと安心が存在しないのだ。
アインは母親にまで否定された子供時代、そして弟の顔を、思い出していた。
「国王。私はつらい想いを共有したい。話をしましょう。あなたの良い部分も、悪い部分もさらけだして。同じように、私達のことも――」
アインが言いかけたその時、群衆の中から国王に向けてボウガンの矢が放たれた。いち早く気づいたアインは自らの掌を犠牲にして、矢をはじく。それから所持していたスピリットを携え、矢の射出者を探した。左手からは血が滴っている。
「国王、逃げてください。この凱旋は、あなたを殺すためのカモフラージュです」
しかし王はなすがまま、流されることを選んだ。
「もういい、わしは疲れた。痛くなければ、それでいい」
血を滴らせて自分を守った少年に対し、王は痛くなければ死んでもいいと言った。
「何を言ってるんだ!」
アインは叫んだ。彼は、弟が命をかけて自分を救ってくれたことを覚えている。それ以来弟の分も生きようと、どんな苦しみにも立ち向かい、前向きに生きてきた。
〈俺がオースティアに来たのは、政治家になってあんたを助けたいと思ったからだ〉
アインは国王にもそうあってほしかった。オースティアの権力の頂点。王が前向きに問題に立ち向かえば、アインの夢である世界の問題解決は、実現するのだ。
「馬鹿じゃないか」
しかしアインの魂からこぼれた言葉は、奥に込められた本心を別として、国王に伝わってしまう。
「馬鹿だと!?」
その一言しか理解ができなかったのか。国王は激昂し、アインをひな壇に押し倒した。馬乗りになり、腰から剣を抜き、剣を喉元へ突きつけた。
アインの計画は破綻した。ソフィアもアンナも目を覆う。王は子供のように顔を赤くして、肩を震わせている。だが国王は、最後の一突きをしなかった。
「だったら」
震える手から、剣がこぼれ落ちた。
「お前がやってみろ。この苦しみの中、聡明で居続けてみろ」
剣の落ちる音が、あたりに残響した。