表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/46

*** 6 ***

 エル・クリスタニアの騒動はオースティアの権力者ネットワークで話題となった。

事件は《アイン・スタンスラインが好奇心から、正義感に溢れる政治家を自殺に追い込んだ閥徒を調査した結果》と解釈され、アインがたったひとりで行ったことだと人々に認識された。


 噂を流したのはアイン自身だ。これは2つのねらいがあった。1つはマスマティカを事件から遠ざけ、彼女の築いた権力者ネットワークを維持し、政治家になる夢を絶たれぬようにすること。もう1つはオースティアの暴力を支配するマルルト・ストラトスの耳に彼女の名前が入らないようにすることだ。


 アインはマスマティカの憎悪がもたらした全ての結果を背負おうとしていた。この行為は、世界の問題解決に関与するという、アインの夢の実現を遠ざけることを、彼も十分理解していた。

 だが彼は、このリスクを背負うことが、マスマティカを助けたいと誓った自分の責任であり、義務だと考えていた。


 この件は、3ヶ月もしないうちにマルルトの耳へ入った。アインはマルルトからの伝令により、エル・クリスタニアアカデミーから除名されることが決まった。

 アカデミー学長はアインに退学を言い渡すとき涙を浮かべていた。理由は告げることができないと唇を噛み締めてアインの肩を叩く。


「暴力から遠いところにいる人々ほど、暴力へ目を背ける。彼らは暴力に関わった人間を視界の外に追いやり、直視しない。だから世界に暴力がはびこっても、それを改善できない。暴力を支配するのは、実際に暴力を振るう人間だけだ。私は暴力を肯定しない。しかし暴力のある世界も肯定しない。私は君を守りたかった。この言葉は本当だ」


 学長はこのとき、マルルトへの個人的な反抗を企てていた。アインにエールアカデミーへの編入を提示したのだ。

 アインは学長の心意気を感じ取り、エールアカデミーへの編入を決めた。


***

 ここで物語の視点は、もうひとりの主人公であるケルト・シェイネンに移る。

 翌年4月頭、エールアカデミー5回生となったケルトは人生に絶望していた。


 エールはオースティアの8つのアカデミーのうち、偏差値が5番目のアカデミーだ。

 学生も勉学へのモチベーションは低く、教授も学生が授業を聞かないことがわかっているから、無駄話だけをして、出席さえすれば単位を出すこともあった。ケルトはそんなアカデミーの現状に苛ついていた。


〈お前達がやっているのは、人生の無駄遣いでしかない。成功も失敗も無いくだらない遊びに興じて、将来像も描けないまま、周りに流されて何となく就職し、何となく生きていくのだろう。自分自身で生き方を決められない、屑の集まりだ。もちろん俺も〉


 ケルト・シェイネンは、1つの単位がどうしても取れず、5回目の春を迎えていた。それは1週毎にエールアカデミーの各教授が、自分の専門を90分かけて説明をするオリエンテーションのような講義だった。

 毎週無難なレポートを提出すれば単位が取れるが、ケルトは何人かの教授に対して、彼らの学問に対する姿勢を論理的に批判したレポートを提出し、毎年単位を落としていた。


 ケルトはこの日、4回落としたこの単位を取るために、また教室にいた。これから教授の代わり映えしない講義が始まる。教授は本当に同じ話をし、質疑応答の時間を取った。

 そこで手を上げたのが、アイン・スタンスラインだった。


「教授の皆様にご質問します。私はマルルト・ストラトスを超えたい。この中に、その目的を果たすならば自分の元で学べ、という先生はおられますか?」


 教授はドギマギし、何人かが曖昧な回答を返した。この質問はケルトにとって痛快だった。これによって教授は権威の無さを露呈したのだ。


 ケルトは講義後、面白い新入生が入ったものだと笑みを浮かべた。昼食時にその話を同級生にしていたら、同級生はアインに声をかけようと、ケルトへ強く迫った。だが、ケルトは他の人間に指図されるのが大嫌いだった。彼は同級生の誘いを無視して食堂を出ようとした。


 刹那。爆発音がエールアカデミーに轟いた。隣国リベラリアの軍隊がアカデミーを襲撃したのだ。

教授と学生は突如現れた武装集団になすすべなく、校庭に連行されていく。拉致だ……地獄への扉が口を広げて待っている。ケルトはエールの有様にツバを吐いた。


〈底しれぬ馬鹿どもめ! この国は、15年前からオースティアと隣国リベラリアが戦争状態であることも忘れたか! 西の学園都市エイリオが、リベラリアに奪い取られた悪夢も忘れたか! 危機が去ればすっかり忘れる、国民も同罪だ。白痴の集団は誰かの陰謀の犠牲になる。当たり前の帰結だ、クズどもが!〉


 ケルトの言葉は自分自身にも向けられていた。両国の対立が深まる中、リベラリアとオースティアの国境、その危険な都市のアカデミーにしか入学できなかった自分の無能さを責めていた。


 ここは学歴格差の根強い国、オースティア。偏差値の低いアカデミーなど、隣国への献上物に過ぎないのだ、とケルトは解釈する。

 しかしまだ、彼は知らない。

 エールには、希望が残されていた。


***

 咄嗟のことだった。アイン・スタンスラインは食堂の隅に隠れて、誰にも見つかっていない。


「激動の人生だね」

 思わず声を殺して笑ってしまう。だからだろうか。彼はこの日入学したにすぎないエールアカデミーの学生と教授を、自分の人生の大事な登場人物だと考え、愛おしく感じ始めていた。


「救おう。みんなを」

 エル・クリスタニアアカデミーの学長から託されたエール行きのチケットには、どこか無気力なエールの校風を変えてほしいという学長の想いも含まれている。

 アインはその想いを胸に刻んだ。


 頭の中で「無限の枠組み」を反芻し、思考の枠組みを記憶に蘇らせる。アインはエールアカデミーの人々を助けることを目標と定めた。目標が決まれば、あとは現状を把握し、選択肢を創出し、意欲を喚起して行動を導けばいい。

 冷静に周囲を見てみれば、リベラリア兵に捕らえられた人々は丁重に扱われている。どうやら今回の襲撃は、オースティアの人々をリベラリアの人的資源とする目的があるらしい。


 感情に流されず、冷静に現状を捉えなければならない。ピンチを打開するアイデアを現実的に検討しなければならない。


 アインはポケットのスピリットを取り出した。最も殺傷能力の高いのはマスマティカから奪うようにして引きとった銃だ。ホワイトボードや細剣、松明を復元することもできたが、銃にまさる武器はない。


 リベラリアの軍隊は少なくとも百人。状況を打開するには、リベラリアに捕えられている学生と教授、総勢二千人を動かす必要がある。人々に希望を抱かせ、動かすことが重要だ。たった一つの銃でもそれはできる。


 そうこうしているうちにリベラリアの軍人二人がアインを見つけた。アインは復元した銃で二人を威嚇する。

 パリンという音がして、食堂の窓が割れる。彼は音というレバレッジをかけて反抗勢力を大きく見せた。

「みんな!聞いてくれ」

 アインは声を振り絞り、校庭の人々へ勇気を与えようと試みた。


「あなたたちはリベラリアの軍隊に負けない力を持っている! 復元能力を教える教授であれば、スピリットを身につけているはずだ。リベラリア軍の目的はあなたたちを怪我無く隣国へ拉致することで、武装は軽微だ。戦おう!」


 しかし期待は絶望に変わる。エールの教授たちは、自分たちに抵抗の意志はないとスピリットを捨て去ったのだ。アインは目を丸くして、苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。


「あなたたちが動いてくれないと、駄目なんだけどな」


 この時動いたのがもうひとりの主人公、ケルト・シェイネンだ。ケルトは弱気に支配された人々に向けて叫んだ。


「いつまで流される人生を送るつもりだ。自己決断力の無い屑ども。今動けない人間に何の価値がある。いい加減気づけ! 人生は誰かが決めるものじゃない」

 彼は見張りのリベラリア軍人から剣を奪い取ると、自らの足を貫いた。


 それは動き出さない周囲と自分への憎悪だ。人々はケルトの異常な行動に不快感を抱き、彼に批判されたままでいることを嫌った。


 ひとり、またひとりとケルトのまわりでリベラリア軍人へ反抗をしかける人があらわれた。動き出した大衆は、不可逆の雪崩を引き起こしていく。人数で勝るエールの民は、リベラリアの軍人たちを見事退けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] もうひとりの主人公、いいですねえ。 アインだけでも場は回ると思っていたけど、キャストは多いほうがいいですね。 [気になる点] ありません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ