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アインはホワイトボードにペンを走らせていた。新聞社において異例の早さで昇格した記者。この記者の心をつかむためには、インタビューを取り付けるためには――。書きなぐった文字はいつしか線で繋げられ、ツリーを描いていく。
1つの課題を頂点として、《どうすれば?〇〇するためには?》とアイデアを発散したり、発散したアイデアを《〇〇すると?》と統合したりして、解決すべき課題を具体的な行動へ落とし込む方法をロジックツリーという。
アインはインタビューを取り付けるという課題に対してツリーを描き、花束を添えた手紙を送るアイデアに行き着いた。
15歳の少年が花束を添えて手紙を書けば、誰だって興味が湧く。年相応以上に礼節をわきまえること――これは若者が直情的で軽率だという常識を覆すギャップであり、少年にとっての武器となる。実際この記者も前のめりでアインとのインタビューを承諾した。
インタビューを確約させた後、アインは《記者がマルルトの部下である》ことを確かめる戦略を練った。
《どうすれば》部下である《といえるか》?
部下である《ためには》?
例えば当時の事情を知っていることや、マルルトの指示をこなしていたこと。それを明らかにできれば――。
考えうる選択肢を網羅的に書き表したなら、問題に対してのアプローチが見えてくる。入念な準備をしたアインは、爪先1つの手入れも欠かさず、記者との対談に挑んだ。
記者はアスロットの亡霊が16年の時を経て現代に蘇るなど想像だにしていない。アインは16年前、生まれてすらいないのだから。
それゆえアインは、マスマティカの聞き出したい情報を簡単に引き出すことができた。
記者がマルルトの手下の1人であること、メディアを使った情報操作を担当していた人物であることは間違いなかった。
アインは対話が深まる中で、どうにかこの記者の協力を得られないかと考え始めた。もし記者の持つ情報が得られれば、マルルトを退陣に追い込むこともできるはずだ。
しかしマルルト・ストラトスのコミュニケーションの細やかさは想像を絶していた。2年前、記者の子どもが6歳になった時には、マルルトから花束付きのランドセルが送られてきたそうだ。それからも本や文房具を添えた手紙が毎年送られてくるという。
記者はマルルトに強く感謝しており、言葉の節々からマルルトへの傾倒が見て取れた。15歳のアインは、自分の人生よりも長い時間、深い人間関係が維持されていることに感服し、記者とのインタビューを潔く打ち切った。
〈ここまで配慮が行き届いているなら、他の関係者からも情報は一切出てこないかな〉
アインが諦めかけた時、記者は最後に自分の人生を総括してこう言った。
「この16年、私は自分を嵐の中に置くよりも、安定した山道を登ることを選んだ」
アインは、なぜこの記者が《自分を嵐の中に置く》ことと《安定した山道を登る》こととを対比させたのかが気になった。
記者の言葉は、自分の人生を100%肯定的に捉えていないように聞こえる。アインは、記者の側に《自分を嵐の中に置く》ことで成功した人物がいるのではないかと考えた。
だがその手がかりは見えない。
アインとマスマティカによる捜索は暗礁に乗り上げたように思えた。しかし、アインのバーに訪れたダウンタウン出身の人物から1つの噂を耳にする。
16年ほど前にエル・クリスタニア南部に位置するスラム街で、貴族然とした風貌の男が乞食にアイテムを配っていたというのだ。貴族がスラム街に足を踏み入れるなど、オースティア建国以来300年間で一度もないことだった。
アインとマスマティカはこの男を探し出し、話を聴いた。彼はマルルト12使徒のひとりで、元ホームレスと呼ばれたこの男は、今ではスラム街の星ジャンクスターとなっていた。
「ようこそ、お嬢ちゃん。君のことは覚えてるぜ。不思議なもんだ。俺は君のことを覚えているのに、マルルトは俺のことなど覚えちゃいない。ならば俺は、風の赴くままだ」
ジャンクスターは不敵に笑った。彼はスラム街の人間を使い、マスマティカの両親を追い込む役割を担っていたことを飄々と話し、マルルトとの取引の証拠をアイン達へ手渡した。
「どうしてこれを俺たちに?」
「さあな。自分という存在が、ただ歴史の闇に消えていくことが気に入らないのさ。なあ少年。君は俺を歴史に刻んでくれるだろう?」
スラム街を牛耳り、身の安全を確保したという自負もある。ならば、勇敢な少年たちが自分の協力によってマルルトの悪事を暴き、オースティアの政治を動かすというエキサイティングな未来に賭けてみるのも悪くない。
ジャンクスターは自分の好奇心を満たすため、マルルトへの反逆を選んだ。この男こそが記者の意識にこびりついていた《自分を嵐の中に置く》成功者だとアインは確信する。
ジャンクスターの資料は、エル・クリスタニア最大の製薬会社が、マルルトの企みに関与していたことを示していた。
マスマティカはその中でも、覚醒剤の生成にかかわった男を敵視した。マルルトの12人の使徒の一人、医師に違いない。資料には、医師が彼女の両親へ無理矢理覚醒剤を打ち、自害に追い込んだことが記載されていた。
資料を読んだマスマティカは、医師のラボを突き止め、ひとり襲撃を決意する。
アインは、マスマティカの憎悪に気づいていた。彼女がラボへ向かった時、アインも彼女を止めるためラボへ急いだ。
ラボで薬を弄っていた男は、マスマティカの鬼気迫る表情を見て、彼女が何のためにここに来たのかを悟った。16年前の亡霊だ。
男と対峙するマスマティカは、もう後戻りできない感情に揺り動かされていた。彼女はスピリットから銃を復元する。復讐心に駆られ、父親がかつて護身用に持っていたスピリットを持ち出していたのだ。――彼女は男を撃った。それは男の心臓を捉えていた。
しかし銃弾の軌道は、その場に駆けつけたアインの掌によって逸らされた。
パリンという音がして、男の傍にあった薬瓶が割れる。アインは痛みに耐えながら、男へ、マスマティカの抱える想いを吐露した。
アインに命を救われた男は、呆然とそこへ座り込む。マスマティカはアインの掌と引き換えに、正気に戻ったようだった。彼女はアインの側へ走り寄り、座り込み、涙を流した。
「どうして? 私はあなたを不幸にしたくないのに」
「俺が不幸になることなんてどうだっていい。大事なのは君が不幸にならないことだ」
アインはマスマティカの涙を拭く。
「マスマティカ、この方法では、君が救われない。まっとうな生き方をして幸せになることが両親への供養になると、俺は思うよ」
マスマティカは血の滲むアインの掌に触れて涙し、復讐に生きる人生をやめることを誓った。
「ありがとう、アイン」
彼女は苦しみを抱えた今を抜け出し、新しい自分になるための一歩を踏み出したのだ。
アインは彼女が落ち着くまで、穏やかに声をかけ続けていた。