*** 46 ***
ズフィルー皇帝との戦いは終わった。
命知らずのカメラマンが撮り貯めた映像により、ズフィルシアでの最終決戦が世界中へ配信され、それを見た人々は歓喜に湧いた。
レイアスは、子ども達を戦場へ駆り出したという理由で世界から批判されていたが、命を賭して世界を守ったことが人々に評価された。
これによって、クラリス・レイヤーが父親の汚名に振り回されることはなくなった。レイアスは自分なりの方法で、娘へ生きやすい未来を残していった。
アインも、子ども達の未来を強く意識するようになった。ズフィルー皇帝を倒した4255年の冬、彼とリングリットの間に息子が生まれた。
彼らは子どもを『ウィル』と名付けた。
あの冷静沈着なライロックがお祝いの品を持って、気でも狂ったようなテンションで祝ってくれたのが印象的だ。
「アイン、子どもが生まれたのはいいタイミングだ。パレードをやろう。世界中が幸せになれるような、大きな規模のパレードだ。テーマは『希望』。全世界が1つの未来へ向かって歩き出した今、ちょうどいいと思わないか」
ライロックの提案により、国際連合軍をあげてのパレードの準備が始まった。
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宗教国家オルヴェンスワン。
「何を悩んでおられるのですか? ヴァイス」
オルヴェンスワンの僧が、オルヴェンスワンの駐留大使となったケルト・シェイネンに尋ねた。
僧はケルトのことをいつもヴァイスと呼んでいた。彼らが会話することの出来る高次元の存在が、ケルトのことをヴァイスと呼んでいるのだという。ケルトは、僧に対しぶっきらぼうに言った。
「なんでもない。人生を振り返っていただけだ」
4255年2月、アインと6歳差のケルトは、今年で37になる。人生も折り返し地点を越えた。
彼はまだ結婚していないが、周りの人間は結婚し子どもをつくり家庭を築いていた。
ケルトは、独りでも生きていけると踏んでいたが、若い時と比べれば体調も優れず、苛立ちやすくなった――ケルトは若い頃から世界に苛立ちを感じ続ける人間だったから余計に。
何よりも、アイン・スタンスラインの存在が、彼を苛立たせていた。
15年前、アインとケルトはオースティアのエールアカデミーの1学生だった。ケルトは、初めてアインを見た時から、アインが他の人間と違うことを見抜いていた。
アインはわずか16歳で、人生を通じて達成したいものを見据えていた、ような。少なくともエールアカデミーに通う平凡な学生とは一線を画す存在だと感じていた。
世界には3種類の人々がいる。アマデウス(神に愛されたもの)、サリエリ(アマデウスを見抜くもの)、それ以外だ。
ケルトはサリエリだった。彼はアインに100%傾倒する訳ではなく、自分に才能がないことを認めることもなく、時にアインを批判しながら、アインを意識してついてきた。
気がつけばアインは世界の英雄で、自分は片田舎の駐留大使。その事実に彼は苛立っていた。
「ヴァイス。あなたに見せたいものがあります」
僧はケルトをオルヴェンスワンの巨大な寺院街の中心部へと誘った。街の中心に存在するのは、どこよりも巨大な寺院。その地下室に、巨大なスピリットが隠されていた。
「トリスメギストス。『賢者の石』とも呼ばれます。私たちが高次元の存在と会話を行なう際、力を貸してくれるものです」
「トリスメギストス……この石、鼓動しているぞ」
「はい。ヴァイス、触ってみてください。高次元の存在の意志を感じるのです」
ケルトは言われるがまま賢者の石を触った。
そのときあるアイデアが迸った。
「なるほど。俺は復元者だ。それも面白いかもしれない」
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ケルトはアインに、緊急で話があるから来て欲しいと手紙を書いた。
アインはパレードの準備をほったらかして、オルヴェンスワンへ飛んでいった。
「すまないな。アイン。パレードの準備があるのに呼び出して」
「いえ。ケルトの呼び出しならどこへでも来ます。エールでケルトが人々を動かしてくれなかったら、みんながリベラリアの軍人を追いはらっていなかったら、俺はここにいませんから。本当に感謝しているんです」
ケルトは、予想外の言葉に驚きを隠せなかった。
〈アインが、俺に感謝している? ただの一般人を? あり得ない。見下しているんだろう〉
ケルトはアインに本心を伝えず、彼を寺院の地下へ連れて行った。どんな鈍感な人間でも、この誘いが罠であることはわかっただろう。だがアインはケルトを疑わず、されるままを選んだ。
2人は無言で、賢者の石の前にたどり着いた。
ケルトは賢者の石を前にして、感情を吐露する。
「アイン。俺はお前を憎み続けてきた。嫉妬し続けてきた。何故こんなに才能が違う? 人生が異なる? お前は全てを手に入れ、俺は何も手に入れられなかった! それが悔しくて、憎かった。この感情から解放されるなら、俺は喜んで悪魔になろう。そうだ。諸君、喝采したまえ。喜劇は、終わった」
ケルトは『トリスメギストス』を復元し始めた。だが石が発する紫の光は、ケルトすら包んだ。
紫の光に包み込まれた中で、2人の心はつながっていく。境界はもはや失われていた。ケルトはこのとき、初めてアインの過去を知り、ケルトに対する純粋な想いを知った。
『アイン、俺は……』
それがケルトの最期の言葉だった。
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「無限の境界」
アインはエルゴルの田舎町を飛び出す時、ただ1冊携えた本の名前を思い出していた。
彼は海の中を漂っている。正確には3次元の海ではなく、ファシス・ラビルのいう5次元――意味次元の海の中を。そこでは自分と世界の境界がなく、全てが手に取るようにわかった。
〈ああ。俺は死んだのか。ケルト、あなたがそんなに思い悩んでいたなんて、本当にごめん。リングリット、ウィル、ライロック……もう会えない〉
不思議と涙は流れなかった。
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アインの異変を最初に感じたのは、龍王ファシス・ラビルだった。
龍はアインのマナが消失したことを感じ、始めはこれを気のせいだと思いこもうとしたが、次第に事実であることを認識せざるを得なくなった。そしてアインのマナの代わりに現れた、とてつもなく強大なマナ――。
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それはオルヴェンスワンの中心にある寺院の地下から現れた。
アインと同じ水色の髪を持ち、ケルトと同じ服装をし、羽を生やした中性的な”ヒト”。オルヴェンスワンの僧は、彼の前に跪き言った。
「ヴァイスいや『神』よ。我々をお導きください」
ヴァイス――悪――、と呼ばれた神は僧に掌を向け、その精神を喰った。
『我が名は、精神の神セフィロス。私は人間を、許すわけにはいかない』
セフィロスは、2000年前の最終戦争で憎しみを抱きながら倒れた。そのときに定着した『憎悪』が、セフィロスの中に『人間を滅ぼす』という意志を創りあげていた。
セフィロスは神の使い――神獣を召喚し、世に放った。オルヴェンスワンの人々は神獣に襲われ、命を落としていったが、何割かの人々は生かされた。セフィロスは人々にこう語った。
『お前たち――人間が復元者と呼ぶものたちは、2000年前、我々神が造り出した存在だ。人間ではない』
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「そんな言葉は信じられない。アインがそんな簡単に死ぬものか。なあアイン、お前がいなくてどうする。世界はこれから始まるんだ」
ファシス・ラビルからの話を聞いたライロックは放心状態で呟いた。リングリット・スタンスラインも首を振る。
ライロックは彼女をそっと抱きしめた。
「リングリット、オルヴェンスワンへ行こう。ファシス・ラビルよ。俺達をオルヴェンスワンへ送り届けてもらえないか」
「それは難しい相談だ。オルヴェンスワンには、『神』が降臨した」
ファシス・ラビルは冷酷だった。
「私はアイン・スタンスラインの願いに協力した。アインがいなくなった今、君たちに協力する義理はない」
「なるほど、わかった。俺達で行こう。リングリット、車を手配する。ファシス・ラビル、これまで本当に、ありがとう。感謝する」
オルヴェンスワンを発端とした戦争がリンカユタを包むまで、そう長くはかからなかった。神は復元者を従え、人間を滅ぼすために戦火を拡大していった。どの大陸にも、神のために戦う復元者がいた。
エレメンシア、ユーグリット、マタリカ大陸はほとんどが戦場となった。大陸に棲む精霊たちは戦争に巻き込まれないため、エレメンシア大陸の脇に浮かぶ孤島ラスタラスラへ逃れた。
アイン・スタンスラインという英雄により、1つにまとまった世界は、復元者と人間、精霊の3つの種族に分断された。
***
「アイン・スタンスライン」
5次元の海でアインを訪ねる男がいた。男の名はカリアス・トリーヴァ。
「君は良くやった。人間という生き物が、目の前に立ちはだかる問題を解決していく上で、最も重要な原理原則は『目的、課題、答え』の枠組みを理解し、実践することだ。君はそれを限りなく完璧な形で実践した。目的を持ち、目的に至るための課題を定義し、君は答えを探し続けた。君の理想は世界の99.9%をユートピアへ変えていた。しかしそれでも世界は、0.1%の戦いの輪廻から逃れられない運命だったのだ。これから人間という種は未曾有の危機に瀕するだろう。救わなければならない」
アインは突然の訪問者の言葉を、冷静に受け止めていた。
〈方法はあるのでしょうか〉
「ヴィヴァリンにあるスイッチを押し、マナ次元から重力子を注入して神の時間を遅らせる。15年、は時間を稼げるだろう。その間に技術革新するしかない」
〈そうですか。みんなをお願いします〉
「頼まれよう」
カリアス・トリーヴァはそう言って3次元世界へ具現化した。彼は特別だった。
アインはまた1人、意識次元の海で漂う。
すると再び声が聞こえた。
〈にいさん……、兄さん!〉
見れば子どものままの弟ブライアンがそこにいる。アインは目を丸くした。
〈ブライアン?〉
ずっと君だけを追いかけてきた。その弟の姿に、アインはこみあげるものを押さえた。
〈兄さん、本当に、今日までお疲れ様〉
アインの声は震えた。
〈ブライアン。お前が果たせなかった夢を、俺は果たすことが出来たかな〉
〈うん、もう十分。十二分に。僕にはあんな凄いこと、できないよ〉
そっか、とアインは呟く。
〈この世界は、嬉し涙も出ないんだな〉




