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ヴィヴァリンの神殿が制御していた障壁は、リンカアースとユタアースを隔てるだけでなく、ユタアースの各国を隔ててもいた。
シュワンがその障壁を開いたことによって、ユタアースの国々は物理的に繋がり、サイドランドの北側に広がるエレメンシアの大地は、マタリカ大陸と匹敵する広さへ変わった。
障壁の解放はルミナス・カラフルの
「アインと話したい」
という望みを叶える手助けになったが、人類の新たな脅威を世へ放つことにもなった。
――ズフィルシア。
エレメンシア大陸の最北端に位置する大国。
国家創造後、2000年の長きに渡って一系の皇族によって治められる独裁国家だ。
初代皇帝は周囲の人間よりもわずかにエーテルを操る能力に長けていたに過ぎなかったが、皇族間で近親相姦を繰り返したことで、その能力は極めて高まり、他者を蹂躙する力を得た。
ユタアースの各国を隔てた障壁は、ズフィルシアの脅威を防ぐジェリコの壁でもあった。
だが、もはやシュワンの行為によって壁は消失し、ズフィルシアの魔物たちは新天地という果実に舌なめずりをしている。
「無論、いこうぞ」
ズフィルシアの皇帝は壁の消失を知ると、一片の迷いもなく決意した。ズフィルシアは国土の限りない拡大を求め、他国への侵略を開始する。
ズフィルシアの居城、その最下層にて。
皇帝はエーテルの粒子の中で語らう。
「この世界は、わしを満足させるに十分大きいか」
ズフィルシアは魔物を世界に放った。
まずはズフィルシアとヴィヴァリンの中間に位置するルクシオン、この土地が犠牲になった。
ルクシオンに国という体系は無く、いくつかの部族が縄張りを分けて暮らしていた。彼らは総じて争いを好まず、用心深い。
皇帝は、絶対服従を誓う家臣数名を向かわせ、圧倒的な力をもって、ルクシオンの人々を、彼らの築き上げた建造物や歴史、文化を、無慈悲に破壊していった。
国として結束するすべを持たないルクシオンは、皇帝の意志のもと、一丸となって襲いかかる怪物によって蹂躙された。
***
アインやルミナスがルクシオンの悲劇を知ったのは、ルクシオン北部が侵略されてから3日も経った後だ。
ルクシオンの部族ウラノスの王、色白の男レイアス・プロミネンスと赤い髪の女性サンスポット・レイヤーが9歳の娘を連れて、アイン達に助けを求めてきた。
「頼む。俺たちの故郷を取り返すために、力を貸してくれ」
レイアスは懇談した。彼らの部下はレイアスとサンスポットを生かすためズフィルシアに挑み、命を落としたという。
「どうなさいますかな」
元ハーネスライン王参謀ビスマルクが尋ねた。彼にしてみれば、敵の力量をつかめない上京で戦争に踏み切るのは避けたかったのだろう。
「いくさ」
アイン達は国際連合を率いてルクシオンに足を踏み入れた。
エーテルに満たされたこの大地では、ユーグリッドやマタリカで見ることの出来ない巨大な魔法や、振ると焔が巻き起こる剣、魔法陣を封じた宝石や、真っ直ぐに飛ぶ弓、黙示録と呼ばれる本の形をしたカタリスト、動く巨大要塞といった空想世界の産物との出会いがあった。
ズフィルシアの兵士も、戦闘中に衣装を変えたり、竜へ変態したり、浮かぶ乗り物に乗ったり、リンカアースでは見られない戦略でアイン達を追いつめた。
例えば、ルクシオン北部に位置する要塞。
ここは周囲を川に囲まれており、そこに大橋がかけられていた。
この要塞奪還作戦において、ズフィルシアの兵は遠距離から眠りの魔法を用いて国際連合軍を眠らせ、魔道具とテスラの塔による攻撃を行なった。
アインはそんなとき、多様なメンバーを率いてブレーンストーミングを行い、柔軟な発想を導きだし、ズフィルシア軍を退けていった。
発想の源泉は、デロメア・テクニカ的な科学技術であったり、アルテリア的な美的センスだったり、ルクシオンの地政学だったりする。
レイアスとサンスポットは、朝令暮改をもろともせず、状況に合わせて最適な戦略を実行していくアインの柔軟な姿勢に感服した。
ルクシオンの民は、人に頼ることを嫌う国民で、限られた数人の責任者が部族の今後を決めてしまう。責任者の威厳を保つため、一度出した命令が改められることも稀だ。だからアインのやり方が理解できなかった。
レイアスは彼に、なぜそんなやり方をするのか問うた。アインは答えた。
「簡単さ、レイアス。状況はこっちの都合に合わせてくれないってだけだよ。問題解決の成否は、新鮮な情報と、柔軟なアイデアにかかってる。リーダーに必要なのは間違いを認める正直ささ」
もちろん戦略的な間違いは避けなければならない。しかし戦術的な間違いはいくらでも認めるべきだとアインは言う。
「一番難しいのは柔軟なアイデアを想像することだ。けれど、ここには生まれも育ちも、人種も違う人々がいる。お互いが常識に縛られず話し合えば、新しいアイデアはいくらでも出てくるよ。批判厳禁、自由奔放、質より量、便乗歓迎のブレーンストーミングがルクシオンを取り戻すきっかけになる。その中から使えそうなものを、俺やレイアスが選んで理論を肉付けすれば、その戦略は『ケ・マラビージャ』だ」
アインはレイアスがたまに口にしていた、ルクシオンの古い言葉。『素晴らしい』を意味する言葉を使った。アインの他国の文化や言葉を積極的に認め、取り入れようとする柔軟な姿勢は、ルクシオンの人々を惹きつけた。
彼らはルクシオン北部に存在する『贖罪の地』を目指した。贖罪の地は、ルクシオンの複数の部族が聖地としている場所で、レイアスの部族もその土地を取り返したかった。だがこの地の奪還は、国際連合にとって苦難の旅となった。
ズフィルシア軍との継続的な戦闘が、国際連合軍を消耗させる。これに対しレイアスは
「人は時に『限界を超えた力』を発現することがある。魂を研ぎ澄まし、命と向き合ったときにこそ、人の真の力は目覚める。飢餓と恐怖に立ち向かわなければ、勝利はない」
と、我慢を強いた。
一方のアインはレイアスの意見に反対した。国際連合軍には子どもたちもいる。誰かを助けたいという純粋な思いに甘えて、無理を強いるのは悪ではないかと。
国際連合軍はアインの意見が通りやすい組織であった。だからこの時レイアスは譲歩したが、「この軍は甘い」とアインへ批判的な態度を崩さなかった。
***
贖罪の地を守るのは、ズフィルシアの『ズィーベンアルム(7人の腹心)』No4シュッツガルド・シュバイツァー。
シュッツガルドは大地と同化して、成人男性10人分の身長を持つ泥人形へと変貌し、数百体の泥人形を従えて、国際連合の前に立ちはだかった。
泥人形達は身体の一部が破壊されても、目標を殺戮するまで動き続けた。何千、何万の軍人が、次々に倒れていく。
この戦いは、アイン・スタンスラインが多数の犠牲者を出した最初の戦いになった。
絶体絶命の国際連合軍を救い、シュッツガルドを退けたのは、レイアスでもアインでもなく、サイナピアスでアインに助けられた奴隷少年エンドラル・パルスだ。
この10歳の少年は、国際連合軍の特殊部隊レンジャーの一員として戦場へ向かった。そしてエーテルの満ちた世界で、隣り合う死への反抗から、限界を超えた力――ルクシオンでXceedと呼ばれる力を発現したのだ。
光の柱が辺りを包み、覚醒したエンドラルはシュッツガルドを殲滅する。
かつてアインに救われ、アインの役に立ちたいと願った少年は、人知を超える力を手にすることで、自分にしかできない役割を担おうとしていた。
だがそれは、アインの想いとかけ離れていた。




