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アインの旅はエルゴルの田舎町から始まり、オースティア、メルッショルド、ロマリア、デロメア・テクニカ、アルテリア、リベラリア、ストライト、デベロス、ハーネスライン、サイナピアス、シンクトンクと続いてきた。
これにリングリットの故郷であるサイドランドを加えた13カ国が、彼らにとっての地球『リンカアース』だった。
ここで昔話をしてみたい。
リンカアースは2000年代後半から急速に変わり始めた。正確な年月を記録した書物はないが、2084年に神が降臨したというのが、多くの国での共通認識だった。この年から始まった最終戦争がいつ終わったかには諸説あるものの、およそ100年の後に文明が滅んでいる点は、各国で共通している。
2084年、人類は自分の遺伝子情報を把握し、寿命を支配し、生命を創り出した。仮想世界を構築し、現実世界の地形を変える力を手に入れ、別次元に国ごと転移する力を得た。神が何故この年に降臨したのかといえば、古来、神だけが可能だった複数次元への干渉力を、人類が手に入れたからだといわれている。
戦争は100年続いた。人間にとっては長く、神にとって一瞬の時間をかけて、人と神は世代を超えて戦い続けた。神は傀儡をつくりあげ、人と戦わせた。人はエーテル兵器をもちいて大地を破壊していき、100年後、たった13カ国がリンカアースに残るのみとなった。
世界が滅びてから2000年。
4251年の今も、世界は13カ国でできている。しかしリンカアースの住人は、御伽話や神話の中に200もの国々の伝説があることを知っている。
だから、彼らの住む世界の側に、目に見えない世界があり、玲瓏たる山月の中に想像を超える生き物が生息し、独自の文化を築いているとしても、それを当たり前のように受け入れることができたのだろう。古い友人との再会を喜ぶように。
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青天の霹靂。
アイン・スタンスラインの耳に飛び込んできたのは、エレメンシア大陸サイドランドの北側に大陸が突如現れたという報道だった。
サイドランドはリングリットの故郷でありアインにとって第2の故郷と呼べる場所だ。新たな大陸はサイドランドに脅威をもたらすかもしれない。
慌てる人々を落ち着かせるためにも、アインはサイドランドへ向かい来訪者との対話の場を設ける必要があった。
アインはまず、「各国の実力者を集めてチームを作り、危機意識を高めていきたい」ことをライロック・マディンに進言した。ライロックもアインの意図を理解している。
「未知の存在に対して、敵対するか融和するか。今後わずかな時間に決めなければならない。新しい技術が一昼夜で世界を変えてしまうように、今、世界は変化した。新しい世界に適応するには、指導者に変革の意識付けを行うことが必要だ」
ライロックの手配で、国際連合にスキル、権力、人脈、信頼のある変革推進のための国際的なチームが構築された。
その中にはハーネスラインでブラエサルの参謀を務めたビスマルクも含まれている。この男は生涯アインの命を狙い続けたが、アインは彼を重用し自分の側近として仕えさせた。ビスマルクが理由を問うと、アインは憎しみを源泉として仕事をしてもいいじゃないかと笑う。
「今は好き嫌いではなく、実力によって政治を行うことが必要だ。変革の担い手を主導するためのビジョンを生み出し、生み出したビジョンを周知徹底すること。ユーグリッド、マタリカ、エレメンシア大陸の人々に、自主的な参加を促すこと。迫りくる危機を自分事と捉え、ビジョンの実現のために各々が何を出来るかを考えて参画する雰囲気作りを行うこと。これが大事だ。時代をつくるのは一握りの権力者じゃない。ひとりひとりの意志が時代をつくっていくんだ」
アインはアースの人々を深く信頼していた。
「俺たち国際連合がすべきことは、人々の意志を具現化すること。目に見える業績を、短期間のうちに実現することだ。実現した成果を活かして変革に勢いをつけ、変革ビジョンに沿った人材の登用、能力開発を行う。変革の意識を恒常化させ、文化として定着させる」
運が良かったのは、ヴィヴァリンの人々がアインたちに友好的なことだった。国際連合という組織には、リングリットのように誰とでも打ち解けられるコミュニケーション能力を備えたものが多くいる。
だから友好的で言葉が通じる人々であれば、対話することは可能だった。大陸が出現した翌々日には、サイドランド北部の北西部イズモのヤシロで、対話の場が実現することになる。
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ヤシロを訪れたヴィヴァリンの使者は、異形のものたちだった。ヴィヴァリンは人間と精霊が共に住むことの出来る世界だ。
ヴィヴァリンでは人間と精霊の結婚が許されていたため人類とは違う形に進化していた。
髪の色が紫だったり蛍光ピンクだったりするのは当たり前で、手が4本あったり、首が2つある生き物も珍しくない。
アインはロマリアのお伽噺に出てくるヨウカイがいたら、実際こんな感じなのだろうと思いつつも、凛とした態度でルミナス達と挨拶を交わした。
そして次第に、ルミナス達がアインの熱狂的なファンであることを実感していく。
人種の壁を越えても、誰かに慕われるというのは嬉しい。アインはヴィヴァリンの人々と一気に打ち解けることができた。
アインは、ヴィヴァリンの人々が自分たちの住む世界をユタアースと呼び、外をリンカアースと呼んでいることに興味を持った。そしてユタアースの人々が自国の生活に誇りを持っているのと同じように、リンカアースの人間も自分の生活に誇りを持っていると話した。
彼は2つの地球を、リンカとユタという表現でつなげた。価値観が対立することがあれば、どちらも取り入れていくことで、リンカとユタ、2つの地球が1つになることができると伝えた。
そしてそのための目標設定や計画立案、成績や生産性を高める指示・叱咤・啓蒙をしていく必要があると。
ルミナスはアイン・スタンスラインの描く
『リンカユタ』
というビジョンの魅力に取り憑かれた。
アインは異界のものであるヴィヴァリンとの対話を成功させたと言えよう。
アインにとって追い風となったのは、この頃、ミストナード・バルディッシュの会社がテレビジョンを一台一台製造し、人の集まるパブなどに導入できていたことだ。
対話の翌日、テレビジョンを通じて放送されたアインの言葉は、ヴィヴァリンの人々だけでなく、リンカアース――今後アインたちの世界のことをこう呼ぶ――の人々にとっても魅力的に写った。
テレビジョンから放たれるアインの言葉によって世界は一体化し、リンカユタの実現のために力を貸そうというムードがすぐさま盛り上がっていった。
今ここに、変革の意識を恒常化させ、文化として定着させるための土台は整った。
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国際連合の代表として大仕事を果たしたアインは、リングリットやライロックとの会合にルミナスを誘った。
アインが気になっていたのは、ヴィヴァリンの人々がどうやってリンカアースのことを知り、アインのファンになったのかだ。
「どこかから見られていたと思うと、ちょっとゾッとするね」
リングリットは両の二の腕を触った。
この時代、プライバシーの権利は親子の間にでも認められるべきだと考えられていた。
「そうかな。人生は喜劇みたいなものだよ」
アイン、この国際連合のリーダーは、必ずしも人と同じ感覚を持ち合わせてはいない。人に見られて恥ずかしくない人生を歩みたいし、歩んでいるという自負があった。
「そうだった。アインは恥ずかしい手紙までグインさんに見せちゃう人だった」
リングリットは頭を抱えた。アインが自分のプライバシーに頓着しないことは、リングリットが一番よく知っている。
例えば彼は、ハーネスラインで出会った貧しい子どもたちに、「俺にできることがあれば言ってほしい」と自分の住所を教えて回ったことがある。結果どうなったかといえば、アインがハーネスラインに滞在した数ヶ月の間、朝から晩まで家に子どもたちが集まり、アインは家庭教師をし、リングリットはご飯とお菓子をつくって駆け回ることになった。
「こんな生活も楽しいな」
アインは引越し先でも住所を公開しようとし、リングリットが張り手で止めることとなった。
「さすがの私も夜はゆっくり寝たい」
というのが理由である。「2人きりの大事な時間を邪魔されたくないの」といった甘言でないところが、自立しているリングリットらしい。アインも笑って納得し、静かに暮らすことを決めた。
このようにアインは自分のプライバシーに頓着がなかった。そのため単純な知識欲から、ルミナスの手品のタネを知りたがった。
ルミナスからすれば、アインから強く興味を持ってもらえることが嬉しかった。プライバシーを侵害しているとは、露にも思わなかったところが、リンカとユタの文化の違いを表している。
ルミナスは自慢げに水晶玉をアインへ見せると、
「これを使ったんだよ」と胸を張った。
アインはルミナスから水晶玉を受け取り、タップと呼ばれる動作をしてみた。すると確かにリンカアースの様子が見られる。
「世界に触れているみたいだ。魔法だね」
アインは屈託なく笑う。
ルミナスはアインの言葉に「それほどでも」とはしゃいだ。
ヴィヴァリンの人々とリンカアースの人々が穏やかに打ち解け始めていた頃、ユタアースの最北端に位置する大国で、皇帝が動き始めた。
これがアインを、大いなる戦いに、導いていく。




