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エレメンシア大陸の大部分を占める『視えなくなった世界』、ユタアース。
ヴィヴァリン、ルクシオン、ズフィルシア、そしてオルヴェンスワンの4国で構成されるユタアースが不可視となったきっかけは、2000年前の最終戦争だった。世界へ放たれたエーテルの障壁が、ユタアースを一国ごとに包み込み、外界と隔てた。
ヴィヴァリンは、国の四方を天まで届く巨大な崖が囲み、ルクシオンは、国の四方を眼下に雲の広がる巨大な崖が囲み、オルヴェンスワンは国の四方を硫酸の海が囲み、ズフィルシアは国の四方をどこまでも黒い壁が覆っていた。
ユタの住人は独自の歴史を歩んできた。しかし彼らの世界には2000年前の最終戦争当時から共通する言い伝えがあった。
『ユタアースの外にリンカアースと呼ばれる、ユートピアがある』と。
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ユタアースの一国、癒しの力を身につけた聖者が治める国ヴィヴァリン。
声の主ルミナス・カラフルは、その聖者だった。
彼はリンカアースの様子を見ることが出来る水晶玉『受像玉』を用いて、アイン達の様子を見ていた。
水晶玉は、最初ユーグリッド、マタリカ大陸の全土を映している。しかし自分の見たいところをタップすると、その部分が拡大されリアルタイムで状況が表示される。
ルミナスはリンカアースの人々と一緒に、アイン・スタンスラインの活躍を楽しんでいた。
「僕も彼と話をしてみたいなあ」
『受像玉』のアインは、人々の熱狂を集めながらも、各国が彼に取り入ろうと忖度することを嫌った。彼は何度も夢物語を語る。
「国家はどこも同じになる必要はない。アルテリアは芸術を極めれば良いし、ロマリアは武道を究めれば良い。様々な特色ある国々がある中で、世界中の人々が住みたい国を選び、自由に国籍を変えられるような社会が理想だ」
いまや世界は、アインのこの夢を実現するために協力し、日々課題に取り組んでいた。4239年、アインが旅を始めた時に存在していた、各国の心の壁は取り払われた。それでも国際連合の主導のもと、グローバル資本主義は抑制され、自給自足・地産地消経済が推奨されている。極端な富の集中がないかわりに貧しくもない。
人々は心の豊かさを求めた。
そして豊かさは、およそ実現している。
ルミナスは、彼のお気に入りである淑女、精霊シュワンにこう漏らした。
「ねえシュワン、僕は思うんだ」
彼のまなざしはシュワンの胸を貫いた。
「アインと一緒に、世界を変革していけたら、どんなに素晴らしいか。僕の癒しの力も、そのためにあるのかなあ、なんてね」
ユタアースの一国であるヴィヴァリンには豊穣なエーテルが存在していて、エーテルを好む精霊が多く生息し、人と精霊の共生が実現されている――精霊は人類の滅亡後に世界に現れた多次元の存在である。
シュワンは穏やかに話し始めた。
「ルミナス。本当に彼は魅力的ですね。指導者とは、生まれるものではなく、成るものだという言葉を思い出します」
「そんな言葉があるんだね」
ルミナスは自分の掌を触りながら言った。
聖者としての力を生まれ持ち、リーダーであることを求められてきたルミナスは、その言葉の開放感に惹きつけられた。リーダーは血筋じゃない、生き様なのだと。
「ええ。古来より、指導者に共通する特性を探る研究は常になされてきました。そして生まれつき持っている特性だけでは、指導力を十分に説明できないことから、行動こそが指導者か否かを決めるという発想が生まれました。もちろんルミナスも行動によって指導者となってきたのですよ」
精霊シュワンは主を気遣うことを忘れない。
「計画力、課題発見力、課題解決力という優れた課題達成能力。人のやる気を引き出し、人間関係を維持・強化する組織維持機能力。それが指導者の良し悪しを決めるのです。アイン・スタンスラインの創りだした時流は、課題達成と組織維持の繰り返しから生まれました。だとすれば彼は人望と実力を兼ね備えた指導者なのでしょう。彼の元で仕事をすることは楽しいと思います」
シュワンは根拠を持って、彼を高く評価した。
「本当にそうだよ。僕も彼と話をしてみたいなあ」
「では、してみますか?」
シュワンは簡単に言った。
「そんなことが、できるの?」
ルミナスは素知らぬ顔をして、問うた。
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揮発性のエーテルが今も障壁の形を保てているのは、かつて滅びた世界を見かねて地上に降りた大精霊の魔法が干渉しているためだという。
大精霊は人間の世界と精霊の世界を隔てるために障壁を造り、そこに在る物々が互いに認識・干渉できないよう操作した。
二度と文明が過ちを侵さぬよう、最も文化の進んだ地域をエーテルの障壁で隔離したのだろう。そして障壁を解除するかどうかの判断を、子孫の精霊たちに委ねた。
シュワンは大精霊の意志を継ぐものであり、ヴィヴァリンの国土の中心に存在する神殿を使って、障壁の操作を行なうことの出来る存在だった。
だが。世界の調停者となるべき存在であるシュワンは、今ひどく個人的な感情から、障壁の解除スイッチに手をかけようとしていた。
シュワンの心はルミナスに囚われている。早くに両親を亡くしたルミナスの面倒を見続け、喜怒哀楽を共有していく中で、彼女は彼を愛するようになっていった。
この愛がなければ、この世界はあそこまでの危機を迎えずに済んだかもしれない。
4251年5月11日。彼女の選択は、後にリンカユタと呼ばれるこの世界のターニングポイントだった。
神殿にたどり着いたシュワンは、ためらうこと無く障壁の解除スイッチを押した。リンカアースとユタアースを隔てていた障壁が、消える。




