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 物語のもうひとりの主人公ケルト・シェイネンは、世界の浮かれた空気にうんざりしていた。

 彼の手には、活版印刷で刷られた新聞がある。いまは日々、国際連合の活躍が紙面を賑わせていた。ケルトはアインの文字が目に入ると、苦虫を噛み潰したように、険しい顔をする。


「俺は、この男と何が違った」


 あくまでケルトは批評家だった。自分の傷つかない場所で、周囲の出来事へ感情を吐露し、自分の誇りを保って生活することしかできない。ケルトが眉をしかめながら新聞をめくると。


「ジョッシュ・エバーグリーンの回想――シンクトンクの解放」


 ケルトは巷で話題になっているその記事を読み始めた。これはシンクトンク生まれのジョッシュ・エバーグリーンについて書いた一節である。


***

 シンクトンクは国土を壁に覆われた小国だった。ここではシンクトンク党が国内の政権を握っており、壁の中では、過去に起きたあらゆることが改竄されている。


 シンクトンク党にとって都合の悪い画像や、報告書の数値、文章や言及、党の発表は全て修正されていた。国民は国家警察によって監視されており、外側の世界に興味を持つことが許されない。架空の戦争が報道され、架空の貿易は増収増益であると発表されるが、国民の生活は一向に良くならない。

 そのような世界で唯一の娯楽が音楽だった。リズムに合わせて身体を動かすだけの単純な音楽だったが、国民はそれを楽しんだ。刹那的、快楽的な生活が、人々の人生を支配していた。


「この街では、人間の存在意義などなかった」


 かつて人間が唯一、自らの存在証明としてすがった意志でさえも、周囲の環境が創り出した反応に過ぎない、と構造主義に侵されたシンクトンクの住人はいう。けれどジョッシュは、自分がこの街に生まれたその意味を見つけたいと願っていた。


「俺は人々の目を覚ましたかった」


 ジョッシュは神の声と称される幼なじみを連れて音楽のイベントを回り、仲間3人を集め、5人組のバンド『X-tuned』を結成した。このバンドは、世間一般のバンドとは何もかもが違っていた。


 まず、詞がある。彼らが音楽を奏でるのは、注目を集めることが目的ではない。思考を促すための歌詞を、人々に聞いてもらうことが目的だった。彼らは国家警察の目の届かない地下のライブハウスで、「この街に生まれたその意味を探して」と大衆に目覚めを願い、叫び続けた。


 それから、創造性がある。シンクトンクには軍楽隊が使うような楽器しか流通していなかったが、ジョッシュは軍楽隊のバスドラムやスネアドラム、シンバルを1人で演奏できないかを考え、自分の楽器を改造して実際に演奏した。作曲はギターを使って行われ、どこか悲しみや幻想を感じさせるマイナーコードでメロディを創った。


 なによりも、情熱があった。彼らはシンクトンクのあらゆる場所に足を運び、存在をアピールした。ライブ中はシンバルを燃やしたり、ドラムセットを破壊したり、爆竹や煙や光をつかって情熱的なパフォーマンスを行なった。

「俺たちはやりたいことをやり続けた。貫いたのは、後悔をしたくなかったからだ」

 ジョッシュは全てが偽られた世界で、一度きりの人生を精一杯生きようとした。


 官僚組織は、一度完璧に構築されてしまえば上から変わることは不可能だ。官僚のつくった法が正義となって人々を縛り、法を守るように国民同士が監視しあい、正論によって誠意が押しつぶされていく。

 国を変えるのは、大衆にほとばしる感情からでしか、ありえない。そしてシンクトンクの国民の感情は、『X-tuned』の音楽を通して、噴出されようとしていた。


 だが、彼らのパフォーマンスはすぐに国家警察の目に止まった。シンクトンク党は国家警察を使って、『X-tuned』をあるライブハウスの隅に追いつめて散弾銃を発砲し、リード・ギタリストが全身に弾を受けて倒れた。

 後日、バンドを続けるかどうかでメンバーの意見がわかれたとき、ジョッシュは「俺たちの誠意は闇夜の礫に過ぎない」と泣いた。


 だが、絶望の中で、2000年前に死んだはずの神が力を貸してくれた。

 国際連合の事務局長であるアイン・スタンスラインがシンクトンク党と対峙し、壁を開こうとしない党に圧力をかけ、国土を覆う壁の1角を破壊したのだ。シンクトンク党が過去を改竄していた事実や、国民を監視して自由意志を奪ってきたことは、すぐ明るみになった。やがてシンクトンク党は解散させられ、人々は自由を得た。


「神の助けとしか思えなかった。壁に囲まれた小さな街に生まれ、この街で人生を終えることが、自らの使命だと考えていたのに。ちっぽけな壁の外には、果てしない道が続いていた」


 ジョッシュはその気持ちを歌に込めた。もう反逆を表現する必要はなかった。彼らは「信じることを止めるな」と歌い上げた。


「アインは俺たちの歌を聴いて、どうやら気に入ってくれたらしい。彼はこの曲を少しでも多くの人に聞かせたいと言ってくれて、デロメア・テクニカのバルディッシュ・ブラザーズに相談して、音楽テープの作成に取りかかってくれた」


 『X-tuned』の楽曲が10曲収められたこのアルバム『Journey』は、世界中の人々に愛され、800万枚の売上げを達成することになる。音楽テープの生産力が年間1000万枚の時代に、『X-tuned』の影響力は支配的だった。


「俺たちはその売上げで、誰も成し遂げたことのない世界ツアーを計画し、世界中を渡り歩いた」


 この頃『X-tuned』の追い風となる出来事がある。

 ミストナード・バルディッシュが、4243年3月から6年半をかけて研究してきた受像機――いわゆるテレビジョンが完成を迎えていたのだ。ミストナードはテレビジョンを普及させるための推進力として『X-tuned』のライブ配信を考案し、ジョッシュも快く承諾した。

 初回のライブは国際連合が主催した。世界中の要人が参加し、ジョッシュとアインの共演が行われるなど、「境界を超える」世界の象徴となった。


 テレビジョンはまだ職人仕事で、ひとつひとつ手作りで製造していたため、よほどの富豪でなければ個人で購入することは難しかったが、店舗はライブを配信するためにこぞって導入した。街頭で流れる映像は世の中の人々を虜にした。

 それもあってか、『Journey』から約1年後に発表した『Tylant』は、2000万枚という前人未到、空前絶後の売り上げ枚数を達成した。


 ほんの数年前まで、ある種の閉塞感が支配していたはずの世界は、『X-tuned』の楽曲を通じて1つになり、空前絶後の盛り上がりを見せていく。


 それはまるでこの世界に描かれた奇跡の軌跡を祝福するように―—。


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