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*** 4 ***

 アインがノスタルジアから持っていったのは、いくつかのスピリットと一冊の本だった。

 実家が本屋という恵まれた環境にありながら、本を一冊しか持ってこなかったのは、本好きのアインらしくない。だがこの一冊を選択したのは、さすがアインと言わざるを得ない。


 選ばれた一冊の本は、「無限の枠組み」という古今東西の枠組みを集めたハンドブックだった。性別(男女以外の性のアイデンティティを含む)から始まり、資本家と投資家と労働者といった社会の枠組み、人類が数千年をかけて蓄積してきた叡智である思考の枠組みなどが記載されている。


「どの枠組みに倣って、どの枠組みを超越するかを間違わないこと。それができれば、世界の問題を解決できる」


 自分の言葉を証明するため、アインはゆく。


 オースティアに入国したアイン・スタンスラインは、数か月の受験勉強を経てエル・クリスタニアのアカデミーを受験した。この国で最も学力が高く、国内の才知溢れる若者が集い、政治家も多数輩出しているアカデミーだ。アインはこの難関大学の入学試験にて、数学と語学で満点を取った。


 このあとは満点をとったがゆえの苦労があった。国外からの受験者が語学で満点をとったということで、アインにカンニング疑惑が浮上し、学長に呼び出されたのだ。しかし堂々と面接に参じたアインを学長は笑顔で迎え入れ、砕けた面接で過去について問うた後、無事合格の印を押した。話をする中で疑惑は払拭されたし、学長はアインの野心的な考えに意義深さを感じたのだ。


「世界の問題解決をしたい。大きな夢だ。もう私などは描くことのできない、果てしない夢だ。だが、それがいいじゃないか」


 エル・クリスタニアアカデミーの学長室で、学長は積み上げられた書類の間から身を乗り出した。恰幅のいい体が書類の山を崩さないか心配になる。


「2000年前の最終戦争で生き残った人々は、崩壊した世界の中でも、わずかな関係性を頼りに繋がっていった。似た趣向の人々が集まった特色ある国の数々が生まれ、時を刻んだ。発明家を賛美する国、芸術家を賛美する国、資本家を賛美する国、識者を賛美する国。成り立ちは違えども、人の数だけ国があった。そして1000年が経ち、2000年が経ち、いつしか人々を結びつけたわずかな関係性は、深いつながりに変化していった。いまや人々は、自分が望み、好むものが集まった国に住んでいる。居心地の良い閉じた世界で、趣向の似た人々との交流を楽しむにかまけ、他国との交流や情報伝播を疎かにしている。西暦4240年の世界は、各国が孤立しているのだ」


 学長の背中から陽がさした。窓の外には中世の城塞都市の面影を残すエル・クリスタニアの町並みが広がる。背の高い教会を中心に、オレンジ屋根の石造りの建物が並んでいた。


「皆、それなりに幸せだが、ある種の閉塞感を感じてもいる。だが、世界の流れを変えることなど、個人にできるだろうか。いや、できるはずがない。問題は個人で取り組むには大きすぎた。誰もが諦め、問題に取り組むことを放棄している。優秀な若者よ、君はそれに取り組むというのだな? ならば私は、君の未来を見てみたい。エル・クリスタニアアカデミーへようこそ」


 学長は握手を求めた。彼らはお互いを、ひと目見て気に入ったのだった。



***


 4240年4月。エル・クリスタニアアカデミーに入学したアインは、これからの人生――自分のあるべき姿(To be)を考えた。

 彼は現状(As is)とあるべき姿(To be)の差異こそが問題で、両者の差を明らかにして、問題の大きさや特徴を正しくつかむことが、問題解決の足がかりとなることに気づいていた。


 権力を手に入れる一番の近道は、エル・クリスタニアを主席で卒業し、政治家になることだ。そして派閥の中で周りに認められ、出世街道を駆け上がっていくことだ。

 そのためには学問と政治に秀でていることはもちろん、オースティア内外の知識人とつながりを持ち、良好な関係を築くことが必要だった。


 つまり彼のあるべき姿は、学問を究めながら、コミュニケーション能力、聴く力と話す力を高めること。

 中でも話の起点となる興味深い出来事――金や権力のある人々と付き合い、突出した成果、旅や食やスポーツ、酒・異性・ギャンブル、ハチャメチャな失敗といった経験を得ることが大切だった。


 アインはエル・クリスタニアアカデミーの社交部を訪ねた。本校の社交部は、4回生の部長ユミル・ド・コノルーの人脈によって、OB, OGの政治家を巻き込んだ大規模なパーティを行なうことで有名だった。


「社交部は、年会費として100万エレンをいただきます」

 部長のユミルは新歓パーティで宣言した。100万エレンといえば学生の1年間の生活費だ。どんな世間知らずでも、この一言で部活を続けるのが並大抵でないことはわかった。

 だからといって富豪の息子だけが社交部に所属している訳ではなく、貧しい家庭の学生も部活を続けていた。その会費がどこから出ているのかといえば、答えは3ヶ月に1度開かれる社交パーティだった。その場で政治家や外交官にパトロンとなってもらい、援助をしてもらう仕組みだ。


 アインは日々の暮らしもままならない極貧生活の中、社交部の活動を続け、身だしなみに全ての資金を投じて、初めての社交パーティに臨んだ。出会ってからのたった一秒。第一印象の全てをかけたのだ。挨拶に一言返してもらいさえすれば、そこから先には自信があった。


 若くしてギムナジウムを卒業したアインを評価する政治家は多く、中でも新興都市セレスの立ち上げに貢献した閥徒である、ロンドゥール・モンペリオが彼に入れこんだ。


 アインはロンドゥールから500万エレンの出資を受け、社交部の獲得出資ランキングの2位に躍り出た。社交部では金による評価は何よりも正確というユミルの意向から、出資獲得金額によるランキングを設けていた。


〈レールには乗れたかな〉

 アインの計画はいつも、レールに乗ってから始まるのだ。虎は、伏する。


***

 アインは社交部に所属して成果をあげながら、オースティアの知識人が集うバーでバーテンダーを始めた。彼は人生を狂わせる3つの趣味――酒・異性・ギャンブルの中で酒を最も気に入っていた。嗜む老若男女を幸せにし、本音を話させてしまう魔法の飲み物。彼はバーテンダーの仕事を通じて様々な酒の作り方を学び、酒の魅力を実践的な知恵として頭に染み込ませながら、バーを訪れる多くの知識人と交流を深めていく。


 アインの謙虚さは多くの人に好かれた。彼は誰にでも興味を持ち、話を聴く姿勢を持って、他者と接していたからだ。結果として多くの人が、アインの話を聞きたがった。


 話を聴くことが、話を聴いてもらえる最大の秘訣であることを彼は知っていた。

 アインの逸話はエル・クリスタニアのアカデミーに轟いていた。例えばお客様の話を聴くと誓ってバーの仕事をしていたら、相手の話を引き出しすぎて次の日の夜まで話を聞いてしまい、話が盛り上がった結果、お客様がアインの店で知り合ったメンバーと新たな会社を立ち上げたこともある。


 バーの休日には、ダンスを好む社交部の女友達とともにショッピングを楽しみ、エル・クリスタニアの街中で売られていた特別なスピリットからオルゴールを復元して、音楽にあわせて踊りを舞った。

 いつしかエル・クリスタニアの公園がダンス会場になり、彼は休日にダンスイベントを開催するようになった。


「あなたは誰より優秀ね」

 社交部の女友達がアインをおだてた言葉だ。アイン自身、弟のように優秀であることを望んでいた。だからこの称賛は彼を強く勇気づけた。


 アインはさらに行動的となり、羽ばたく。

 ボランティアへも進んで参加した。特にオースティア東部の無国籍地帯で、貧困に苦しむ人々へ配給を行なうボランティアは、彼の問題意識を高めた。彼はそこで出会った孤児の少女に社交ダンスを教え、月明かりの下、共に踊った。


 紳士の嗜みとして馬術を学び、馬場馬術競技にも参加した。その中でヴィオラの弦に馬の毛が使われていると聞いた彼は、好奇心を刺激されヴィオラを始める。


 音楽の才能を発揮し、基礎を3ヶ月で習得した彼は、豊富なインスピレーションで即興音楽を好んで奏でた。上手いかどうかはとにかく、初心者なので甘めに見てほしいといいながら、バーで音楽を演奏し、客から称賛やアドバイスをもらった。酒を嗜みに訪れたユミルがお世辞で腕前を褒めると、ユミルが褒めた腕だと嘯く愛嬌も見せた。


 アインはアカデミー生活で豊富なエピソードと人脈を着々と積み重ねていた。


***

 アインに転機が訪れたのはアカデミー入学から8ヶ月ほど経った頃だ。

 そのきっかけは彼が500万エレンを出資された社交パーティで、768万エレンを獲得して獲得出資ランキング1位となった同級生のマスマティカ・アスロットという女性だった。


 アインは500万エレンの出資をされた時、正直な話獲得出資ランキングで1位を取れると考えていた―—3位以下には300万エレンの差があった。しかし予想に反してアインは2位。勝利を革新していた彼は素っ頓狂な声を上げた。

「嘘でしょ?」

「ごめんね、私にはやることがあるの」

 さっそうと去るマスマティカ。

 その姿にアインは後ろ髪を引かれた。彼女はあるべき姿をはっきり見据えて生きている。アインは彼女をリスペクトし、彼女が何に突き動かされているのかを知ろうとした。

 理由を知ったのは、8ヶ月後。

 そしてアインは、彼女の考えるオースティアのあるべき姿を共有することになる。


 マスマティカは、両親の復讐のために生きていた。彼女の両親は正義感に溢れる政治家だったが、同僚に無実の罪を着せられ、追いつめられて、最後はダウンタウンのビルから身を投げた。父親の死を聞いた彼女は、オースティアの政界にはびこる悪と戦うことを誓う。


 彼女は当時マスマティカの父親と敵対していた派閥のリーダーであるマルルト・ストラトスを疑った。マルルトが彼女の父親を殺した証拠などなかったが、彼女の直感がそう告げた。

 彼女が突き止めたのは、マルルト・ストラトスに12人の手下がいることだった。


「マルルト12人の使徒と呼ばれる構成員。3人は劇団員。1人は学生、チアリーダーのクイーンビー。1人は建築士。1人は医師。1人は科学者。1人はピアニスト。1人はキャバレーの女性。1人は記者。1人はデザイナー。1人はホームレス。マルルトをリーダーとするその組織は、社会に入り込んでいる」


 マスマティカはこの12人の行方を追っていた。誰かひとりからでもマルルトから協力を要請された証拠を得られれば、マルルトを告発することができるだろう。マスマティカの18年の人生は、この復讐に捧げられた。


 アインはマスマティカの話を聞いて決意を固めた。もちろん彼の胸には、オースティアにはびこる悪をそのままにしておきたくないという気持ちもあった。だが彼が最も強く感じたのは、目の前の18歳の少女が、そのきらびやかな今も未来も投げ捨てて、復讐の輪廻に身を委ねている事実だ。世界の問題解決を誓う彼の信念は、国の政治を動かしている悪も目の前の女性も放ってはおけなかった。


 アインは社交パーティやバーテンダーの仕事を通して、マルルトへの足がかりをつかもうと尽力した。エル・クリスタニアの著名人に話を聴くための隠れ蓑として新聞部に入部し、インタビューと称して財界の有名人を活動も始めた。


 彼はわずか15歳で世の中の仕組みを理解していた。つまり権力者は、権力者同士つながっているということだ。マルルトというオースティアNo1の権力者直属の部下であれば、当然権力者のネットワークに引っかかってくるはずだ。


 アインの考えは正しかった。インタビュー活動の中で彼は、マスマティカの両親が自殺した当時、新聞社において異例の早さで昇格した記者がいたことを突き止めていた。


〈この人物が物語の鍵を握っている〉

 アインはそう直感した。


 この記者への挑戦は、人生を危険に晒す扉の入り口かもしれない。だがアインは勇敢に、恐れを抱きながらも前に進むことを選んだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 色々な事柄に意欲的に取り組む主人公アインを通して、作者の意志の強さを感じる章だと思いました。 今後の展開を楽しみに読んでおります。 [気になる点] 「」のセリフの中に、言葉を発したひとの…
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