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村へ飲み水を供給している川の上流に、デロメア・テクニカの化学工場が建てられたのが半年前。病が流行り始めたのはその少し後だ。工場ではデロメア・テクニカで流行りの水銀燈を作っているという。
しかし村人は、化学工場が原因かどうかを調査したりはしていない。若者は『醜身病』を恐れて村を離れ、老人達は病を受け入れていた。彼らは故郷で人生を全うすることに決めたようだ。
化学工場は、『醜身病』の原因は自分たちにはないと言い張っている。村人の人生は、この大きな嘘によって蝕まれていた。
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アイン、リングリット、サイトウの3人は,ウェールズの遺作を抱えながら、今後のことについて話し合った。
リングリットの目的はアルテリアの芸術紛争の現状を確かめることだったから、この後はアルテリアの首都パレスへ行くことに決めた。
アインは、デロメア・テクニカに対して『醜身病』の公害裁判を起こすことを考えていた。
サイトウは、『2人』をアルテリアへ送り届けることが当初の約束だと言い、リングリットをパレスまで送り届けた後、アインに合流することを約束した。
2人と別行動になるアインは、ウェールズの遺作をサイトウに託した。サイトウは、リングリットをパレスに送り届けた後、ウェールズの作品をアルテリアの美術商へ売り込む役割を担うこととなった。
3人は3ヶ月後の4242年7月10日、アルテリア首都パレスで再会することを誓い、別れた。
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アインは、パレスへ向かう2人を見送った後、『醜身病』問題について改めて考えていた。
彼は、『醜身病』を引き起こしているのがデロメア・テクニカの化学工場が排出する工業廃水だと確信していた。かつて文献で似たような病を見たことがあるからだ。
「責任逃れの嘘を、信じちゃ駄目なんだ」
化学工場の態度は許しがたい。しかし何よりも、この工場の立地が問題だった。被害を受けているのはアルテリアの国民であり、加えて、工業廃水の流れ込む川は、アルテリアとロマリアの国境線に位置している。
川の汚染度が上がれば、川の水を直接飲料水としている地域で、アルテリア人とロマリア人が『醜身病』に苦しむこととなるだろう。小さな村で発見されたこの問題は、国家をあげて直ちに対処すべき問題だった。
アインはまず、ウェールズの遺体を村の墓地へ葬り、それから『醜身病』の犠牲者が集まるコミュニティへ顔を出した。ここは『醜身病』に冒された人々が、哀しみを共有する場であり、肌にファンデーションを塗るなどのボランティア活動が行われる場でもある。
「醜身病のことを、どう思いますか?」
アインは素直に聞いてまわった。驚くべきことに、人々は自分の身に降り掛かった厄災を運命と割り切り、病と共に生きようとしていた。
「私は、諦めたくありません」
アインは人々に『企業の社会的責任』という言葉を浸透させることから始めた。
「企業は経済価値を求めるだけではなく、地域社会に雇用をもたらしたり、環境へ配慮したり、社会と共に成長していかなければならない時代になっています。つまり人間は企業のためにあるのではなく、企業は人間のためにあるということです。そのような時代に、デロメア・テクニカの化学工場は、社会的責任を果たしているのでしょうか」
アインは指先で目を拭った。
「私の親友は、『醜身病』に冒された身体に絶望し、自殺しました。企業は自社の利益のためなら、人を殺すことが許されるのでしょうか。私は決してそうは思いません。問題の本質である工場は糾弾されるべきであり、あなたがたの人生を変えた責任を取る義務がある」
コミュニティの人間はこの言葉に耳を傾け、どうすればいいのかと訪ねた。
「公害裁判を起こしましょう。賠償金を勝ち取り、企業に責任を取らせるのです」
アインの提案に、コミュニティの人々はため息をついた。公害裁判を起こせば、莫大な賠償金をとることができるかもしれないが、工場が病の原因であると実証するまでに、時間がかかることも予測できた。
コミュニティには高齢者が多く、彼らは「自分達は先の短い老人だから、今更頑張るより全てを受け入れた方が楽だ」と言い張った。
アインはその日はそれ以上言わず、日を改めることとした。
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アインは、人々を奮い立たせるための言葉を探していた。
「どうして、みんな戦う気力を失くしたんだろう。もし俺が『醜身病』に犯されたら」
アインは醜く変わってしまった外面が、内面をも侵食し、自分自身への愛情や誇りさえ、奪ってしまったことに気づく。
「運命だなんて、絶対に諦めさせない」
アインは彼らを勇気づけたかった。アインは犠牲者1人1人の人生について調査し、彼らが生涯で何に挑戦してきたのかを理解した上で最後の説得に挑んだ。コミュニティはいつしかアインの情熱を受け入れ、彼に講堂を開放して、人々が話をじっくり聞ける場を設けてくれた。
アインの情熱が、人々を変えつつある。
アインは自分の言葉が、魂が、彼らを動かす唯一の武器であることを理解していた。だから素直な言葉を紡ぐしかなかった。犠牲者1人1人に聞いて欲しい言葉を。
「私は今日ここに立つにあたって、この村の歴史を調べました。そうすればこの村を嫌いになれるかもしれないと思ったのです。けれど、この村のことを知ったら、どうしてもこの村のために、皆さんと一緒に、裁判を闘いたくなりました」
部外者にも関わらずあたたかい言葉を自分たちに投げかけるこの青年に、コミュニティの人間も一歩、また一歩と足を前に出し、姿勢は前のめりになっていった。
「この村は昔、丘陵にあるという理由だけで、アルテリアの中でも開拓の進まない地域だったと聞いています。それでも皆さんは、この村の風景画を描き続けて美術商に広報し、村を耕し、国中に村の魅力を伝えて大きくしていった。皆様は、この村を創りあげた一角の人物だ。運命を言い訳にして、諦めるような方々ではない。だってそうでしょう?」
アインの言葉は熱を帯びる。
「数多の挑戦が、この村を創りあげました。この村はあなた達の生きた証です。ならば最後まで挑戦すること。それこそがこの村を創りあげた貴方達の生き方だと、私は想います。一緒に、裁判を闘ってくださいませんか」
アインの言葉からは、コミュニティの人々への愛情が感じられた。
コミュニティのことを大切に思う人物こそが、コミュニティを動かすことができる。コミュニティの中からも、公害裁判を起こそうという声が上がり始めた。
1週間後、つまり4242年5月1日。彼らはデロメア・テクニカの化学工場を相手に訴訟を起こした。




