*** 18 ***
4242年3月12日。アインとリングリットが再開したアルテリアへの旅に、サイトウも同行していた。
サイトウは大将軍から直々に、2人をアルテリアへ無事送り届けるよう命じられていたのだ。3人は食事や景色を味わいながら、自分達の将来について語るなどし、旅を楽しんだ。
アインは、オースティアの国王になったらサイトウを『天上天下唯我の刃』として雇うから、それまでにロマリア、いや世界一のサムライになってくれと伝えた。
サイトウは目をつむって、アインの期待に喜びを噛み締めていた。
サイトウは感受性が豊かな男だ。
だから彼は、旅の途中でアインとリングリットの様子が変わったことを敏感に察知していた。彼は2人の信頼関係が恋に発展していることを理解している。彼は旅の間、得意の落語を模して2人を茶化した。
「それでは毎度馬鹿馬鹿しいロマンスを1つ」
サイトウはこう切り出して、何事にも笑顔で挑戦するリングリットに、アインがとぼけたふりしてアドバイスしていることを暴露した。
「えーっと、こういうときのアドバイスが欲しいかな」
アインはリングリットを子犬のように見つめる。リングリットはアインとサイトウを真顔でぺしと叩いて、3人の旅は笑いに溢れた。
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アルテリアに到着した3人は、アインの古い友人であるウェールズ・バレンツエーガのもとを訪ねることにした。
アインはウェールズの住処を把握していなかったが、彼が絵描きであることだけはわかっていた。それを聞いたリングリットは、持ち前の人当たりの良さで美術商を訪ねてまわり、彼の居場所をつきとめた。
アルテリアは表現者が集まって建国した国で、美しさが正義とされ、崇拝の対象とされている。主産業は美術であり、美術商のネットワークはアルテリア中に張り巡らされている。
ウェールズの居場所を教えてくれた美術商は、ウェールズの作品も取り扱っており、何点かを見せてもらった。
そこには腕が描かれていた。ところどころに血溜まりのような斑点が付与されている。恐ろしく写実的で真に迫る絵だ。
その不気味な絵に3人は言葉を失っていた。アインは、美術商に見せられたウェールズの画風が、エルゴルにいた頃と大きく違っていることを気にしていた。美術商も、あまり人気のある作品ではないと話したが、アインはウェールズの作品を購入していた。
それから3人は美術商に紹介された住所へ向かった。出会ったのは、エルゴルの頃とは変わり果てたウェールズだった。額と両手足に包帯を巻き、顔は骸骨のようにやつれ、髪は抜落ち、声がかすれていた。
彼はアインを見つけると、強い口調で「村から出て行け」と叫んだ。周囲の村人によれば、今この村で奇怪な病が広まっているという。
病にかかると、体の毛穴という毛穴に血溜まりができ、黒い斑点となって体中を覆う。斑点はいくら取り除いても無くならなかった。
身体が醜く変わり果てるため、病は『醜身病』と呼ばれていた。変化する身体が患者を次第を消耗させ、未来に絶望させていく。
ウェールズは自宅のドアを閉ざしたが、アインは諦めなかった。窓を破り、旧友の部屋へ侵入したのだ。
子供の頃と同じように無茶をするアインに対し、ウェールズは呆れた様子で言う。
「やれやれ相変わらずやることが強引だな。雨が降ったらどうしてくれるんだ」
「この絵を窓に飾ったらいい。エルゴルにいた頃と雰囲気は違っているけれど、俺は好きだよ」
アインは笑顔で、美術商から購入した作品をウェールズに渡した。ウェールズは苦笑しながらもその絵を受け取り、穏やかに話し始めた
「アイン、アルテリアは、俺の想像していた国ではなかったよ。綺麗なだけでは評価されない。思想を込めても評価されない。彼らが作っているのは娯楽商品だ。需要のある作品が評価され、それ以外は見向きもされない。売れない画家が言っても、言い訳にしか聞こえないだろうが」
親友はウェールズの言葉を肯定する。
「わかるよ、ウェールズ。自分の技術や感性に基づいて作品を創るやり方ではなく、アルテリア人の嗜好を丹念に調べて、顧客の欲しがるものをつくる、マーケットインのやり方が必要だったんだろう?」
ウェールズは煙草に火をつけた。
自分の言いたいことをすべて言葉にしやがってという表情だ。
「最近では、人気のない作品を切り貼りする、リノベーション作品というのも広まっている。過去の作品を蔑ろにする、下品な作風だ。そんな作風に染まるくらいなら、俺は誰にも見向きされない『芸術』を作り続けたいね」
アインは、ウェールズの精神が、エルゴルの片田舎にいた頃と変わらず純粋で尊いことを喜んだ。
「素敵な心がけだと感じたよウェールズ。アルテリアは、世界中から芸術家が集まる土地だ。綺麗な作品は、顧客も見飽きているのだろう。この環境では顧客が望む作品を作った方が、簡単に受け入れられる。けれどマーケットインの作品ばかりでは、時代を切り開く革新的な作品は生まれない、と感じる。もがきながらも『芸術』を作り続けたウェールズは、きっと評価される時が来る」
リングリットとサイトウは、家の外から2人の会話を聞いていた。長い時間をかけて育まれてきた友情が、彼らの涙を誘った。
ウェールズは腕に巻いていた包帯をほどき、アインに見せた。
「アイン。俺は体中に黒い斑点ができた自分の身体が嫌いだ。気持ち悪くて鏡も見られやしない。お前が持ってきた作品は、この病にかかってから、俺の左手を描いたものだ。生理的な嫌悪感をもよおす酷い作品だろう。ついに俺一人では、自分の身体をとことん憎むことしかできなかった。最後にお前に会えてよかったよ。アルテリアで成功できなかった俺は、お前に会わす顔が無かった。だが、本当はもっと早く、お前に相談するべきだったな。こんな俺の作品を愛してくれて……ありがとう。さあ、帰ってくれ」
彼はそう言って、アインを外に追い出した。リングリットは、ウェールズがこの時覚悟を決めたことを察していた。3人はこの夜、1言も話さなかった。
ウェールズはこの夜、手首をナイフで切って自殺した。彼は座ったまま事切れていたが、眼前には大きな絵画が残されていた。
絵の具は彼の血液が使われていた。画用紙の右下には彼の落款印が押されており、それは彼の最後の作品となった。




