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4241年11月19日。ロマリアの首都エド。アシカガが大将軍に提示した戦略は、過激なものだった。
『ストライト人に対する教育の徹底と、
通名の禁止』
ストライト人への差別を助長するかもしれないが、ストライト人の意識改革につながり、治安悪化を解消するきっかけとなる。
アシカガはその旨を大将軍に説明した。
酷評を受けるかもしれないと身構えていたが、大将軍はアシカガの戦略を80点と評価した。
それどころか、アシカガの提案に加えて、ストライト人の国外退去と入国禁止を提案した。
大将軍は、ロマリア人の国民性を次のように分析していた。
素直。謙虚で自分の考えを人に押し付けたりしない。周りの人間から不当に貶められても、自らの正義を貫き、耐え忍ぶ。仁義に厚く、情け深い。誇り高きサムライ魂といえば聞こえがいいだろう。
だがストライト人は、このロマリア人のサムライ魂につけ込んだ。報道機関を牛耳り、ロマリア人に厚顔無恥なイメージを刷り込もうとした。
ロマリア人に凶悪犯罪者が多いとか、多くの男女が不倫を禁じられているがゆえに、不倫を望んでいるといった、ロマリアを侮辱する印象を、だ。
大将軍は、ロマリアの人々は報道に騙されないと信じていたが、近年では一般のロマリア人まで報道機関の影響が及んでいると見た。
彼らの怒りを掻き立てるのは、この嘲笑がロマリアの象徴である天皇にまで及んでいることだ。
ロマリアには実質的な内政と執り行う、大将軍を中心とした幕府と、紫の高貴な髪色を持ちロマリアの象徴として崇められている天皇という2つのトップが存在していた。
ロマリア人が愛してやまない象徴である天皇、これを貶める報道を耳にして、胸を荒立てぬロマリア人はいない。
「これはロマリアに対する文化的侵略だ」
だから大将軍は、家臣をふるいに掛けるために解読の困難な勅命書を出した。有能な家臣、無能な家臣、ストライト人に肩入れするもの、しないものをあぶり出すために行なったことだった。
結果として大将軍は、アシカガを有能な家臣と判断したようだ。大将軍はアシカガに、戦略を戦術と計画に落とし込むことを指示した。
アシカガは、アインという旅人の支援があったことを大将軍に伝えたが、有能な軍師の意見を活かすこともリーダーの才能と諭された。
アシカガは大将軍から信頼されたことに、誇りを感じていた。ロマリアのサムライ魂を守るために仕事ができるのならば、これに勝るやりがいは無い。彼は完璧な戦術と計画をたてるため、アインにもう一度協力を仰いだ。
アインはアシカガの依頼を快く承諾した。
「大将軍が進めているのは、マネジメント・ヒエラルキーの構築と言えます」
アインは筆で半紙に三角形△を描いた。
「頂点にあるのが、中長期的な目的という将来像。それを支えるのが戦略であり、戦略は具体的な戦術によって支えられます。戦術は計画に落とし込まれ、最終的にはタスクとして実行、管理されます」
サイトウはアインの言葉に頭を捻る。
「戦略は資源運用のシナリオや考えの枠組み。戦術は具体的な基本方針や実現方策。計画は一連の手順。たすく、とは個人やチームが果たさなければならない1つ1つの仕事と考えていいのか?」
「ご明答。これはマネジメントの基本です。私は最初、大将軍のことを傲慢不遜な人物と思いこんでいました。ですが今は、家臣の自主性を育む、素晴らしいリーダーと感じています。学ぶところが沢山あります。リングリット。悪いけど俺はもう少しここで勉強したい」
アインはすっかり身につけた正座から、択手礼をした。手を膝前へ位置し、およそ45度屈体した姿である。
「ううん。私も勉強したい。一緒にロマリアの選択を見届けてからアルテリアに行こう?ここで投げ出すのは誠実じゃないと思う」
リングリットは膝頭のところに両手を揃え、アインに向かって45度体を傾けた。
こうして彼らは大将軍のビジョンをタスクへ落とし込み、実行することを約束した。約束の期間は3ヶ月であった。
ベースのビジョンは『ロマリアの人々が、自分たちの持つ美しい本質に気づき、自信を持たせること。それでいて行き過ぎた愛国心が、偏狭的な考えに陥らぬようにすること』だ。
そのために必要な戦略の1つが、
『ストライト人の国外退去と入国禁止』である。
だが、ストライト人の強制送還は、ストライトへの宣戦布告になりかねない。ロマリアには先手必負という四字熟語があった。
先に剣を抜いたものは、国際社会の批判を一身に受け、外圧によって敗北するという意味だ。柔よく剛を制すということわざがあるように、水面下で戦争を仕掛けることが大事だ。地道な作業が求められる。
「柔よく剛を制す方針に異論はない。しかし、ロマリアのサムライ魂に恥じない戦術をとりたい」
大将軍はこれだけを要望した。
「正々堂々と国を守るのだ」
大将軍の考えを尊重しながら、アシカガたちは『ストライト人の国外退去と入国禁止』にするための戦術を検討した。
報道機関は事実を隠さず報道する。サムライ魂を持った人間を取り上げ、国の模範的なイメージとする。立法機関と司法機関はストライト人に認められている特権を排除し、ロマリア人が損をしない社会を実現する。
ストライト人が居心地の悪さを感じ、自主的に国外へ退去するよう誘導することが狙いだ。
そのときストライト人はロマリアを訴えるかもしれないが、司法機関が正しく機能していれば、ロマリア人が損をする判決は出ないはずだ。
「ロマリアはこれまで寛大さを見せることが武士道だと勘違いしていた。正義を貫くことは時に衝突を呼ぶものだ。ロマリアに住むのであれば、ロマリアのルールに従ってもらわねばならない」
大将軍とアシカガは、領主の再編。報道、立法、司法機関に送り込む人間のリストアップ。ビジョンを浸透させるための教育といった段取りを組んでいった。
アインとリングリットの2人も、ロマリアのために尽力した。
「ロマリアの人たちが、場の空気というのかな。人の気持ちを推し測って、遠慮や謙遜をしながら物事を進めていく姿は、尊いよ」
ロマリアでは、誰もが自分のテリトリーの中で仕事をし、その領域を超えていかない。瓦職人は瓦をつくるだけで、つくった瓦が何に使われるのか興味を持たない。使用用途がわかれば装飾や色をアレンジする提案もできただろう。瓦を裏向けて納品するか、表向けて納品するかで、後工程の人の手間を1つ減らせただろう。しかし彼らは目の前の仕事に精一杯で、考えることを他人に丸投げしていた。
指示通りやることは、責任分解の有り方として理想的で、アインも彼らの忠実な姿勢を尊重していた。
「けれど、時には誰もが自分自身の役割の枠を超えて、大将軍のように強くあるべきだ」
アインは、一国を率いる王のように、全ての人々へ気前よく知識を与え、誰かの失敗をさり気なく補い、チーム全体が挑戦できる環境を整えた。雰囲気を盛り上げるためウィットに富んだ冗談を交え、一緒に働く老若男女へ声をかけてチームを動かしていった。
彼のこの行動は、ロマリア人の謙虚さに好影響を及ぼしていく。いつしかロマリアの人々は大将軍の意志を理解しようと努め、目的達成のための戦略戦術を自ら立案し、自分の役割を超える働きをするように変わっていった。
リングリットも変わった。彼女はアインの考えを積極的に聴くことで、彼の行動の意図を理解し、自分も同じように行動しようと努めた。
問題を解決していくためには、目的と課題を皆で共有し、そのために何が必要なのかを皆が考えること、つまりは各自が問題解決に主体的に参画することが大事なのだと知った。
「同い年くらいなのに、大人だなあ」
密な時間をともにし、リングリットはアインの強さに惹かれていく。いつしか彼女は、寝ても覚めてもアインの行動を気にするようになっていた。だからだろう。彼女だけには、アインの意外な一面が目に入った。
アインは必ず一日に一度、物思いにふける時間をとった。まるで乾いた喉を潤すように、ホワイトボードや本を読みながら一人の時間を過ごすのだ。
リングリットは、アインが本当は内向的な男の子なのだと気づいた。本当は一人でいることが好きなのに、それでも一生懸命外交的に振る舞っているのだと。だとすればその強さは筆舌に尽くしがたいものだ。彼は自分自身の特性すら超えようとしているのだから。
リングリットはアインの強さも弱さも受け入れることのできる女性だ。彼女はアインの意外な一面を自分だけのヒミツにした。
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アインとリングリットは大将軍の描いたビジョンのために働き、ロマリア人と共に国の改革へ果敢に挑んだ。
大将軍は2人の働きぶりに、深く感謝していた。 4242年3月12日、アインたちがアルテリアへの旅を再開した頃、ロマリア人のストライト人への反攻が始まった。
アインとリングリットの信頼関係と同様に、ロマリア人の絆もこの3ヶ月で強く結ばれ、国家の品格を取り戻すために一枚岩となったのだ。
絆の力に守られたサムライ達は、安心して自分たちの文化を誇ることが出来た。
自分たちの良いところを素直に口にしても、そうだねと同意をしてもらえる。ロマリアはアインらの力を得て、そのような雰囲気作りに成功した。
ストライト人は引き続きロマリア人を貶めるかもしれないが、人々が自分の良さを見失わなければ、やがて闇も晴れていくだろう。
4242年3月の終わり。あたりには桃色の花が咲き始めた。大将軍はエドの庭園で一人献杯を捧げる。彼は乾坤一擲の大勝負に勝利したのだ。
〈今宵嗜む酒は格別に美味い——〉
大将軍はロマリアの未来に思いを馳せ、祝い酒に舌鼓を打った。




