*** 12 ***
ライロックとの出会いは、アイン・スタンスラインを復活させた。
「過去から現在にかけての事実も記憶も、自分の一部だ。その延長線上に未来があるなら、どんなに批判されたって、肯定したい」
ポジティブな想いが蘇った。敵がいて、自分を貶めている、という対立構造が見えると、苦しみを客観的に分析できた。
「いまの俺が間違いか。答えは出てない」
アインはオースティアの首都クリスタニアへと帰還する。アインは仮面喫茶で読まなかった父親の手紙を、クリスタニアに帰ってから読んだ。
手紙は、アインの決断を後押しした。
「この言葉を待ってた。ありがとう、父さん」
***
首都についたアインは翌日、クリスタニアの全閥徒を講堂へ集めた。ヴォルター・K・グインもそこにいた。
〈戻らないと思ったが、随分元気そうじゃないか〉
グインの目は好奇心に満ちている。アインは笑みを失わない。
「1ヶ月間、悩み苦しみました」
目を閉じると、永遠にも思われた記憶が蘇る。かけられた言葉は氷のように冷たく、アインは傷つき、倒れそうになった。
「それでも私は信じています。所信表明の日、私を穏やかに見守ってくださった皆さんを、信じています。統率力のある閥徒が、指示をした。皆さんはそれにやむなく従った」
アインは、マルルトのようだと思った。権力者がいなくなっても、代わりはでてくるもの。
「それだけのこと。マルルトもそうだった。力を持ちながら、裏から国を操るしかできなかった。これがこの国の問題です。彼らのような実力者が、王なる国であるべきだ!」
閥徒達は息を飲んだ。アインは自分を苦しめた閥徒に、王になれというのだ。アインは白い礼服の胸ポケットから小瓶を取り出した。
「ある閥徒から手渡されたトリカブトです。こんな世界は正しくない。前の王が死ななければ、次の王へ変わらないという古い仕組みは、私の代で断ち切る」
何人かの閥徒が声を荒げた。
「ならばどうするつもりだ!」
これはアインに対する期待の裏返しでもあった。
「私は提案します」
――国民選挙をしましょう。
「国民全員の投票によって、王を決めるのです」
アインはチョークを手に取り、国会の壁に立候補者の4か条を書く。
『任期4年。連続当選2回迄。連続当選できなかった国王は政治を辞する。派閥でなく国を想う』
勢いよくチョークを置いた。
「誰のもとで選挙を戦うかは自由です。ですが、たとえヴォルター・K・グインであっても、私の支持者には手を出させない。閥徒も王を」
選べ。
アインの宣言は、政界に波紋をもたらした。最初は損得で、現国王に取り入るほうが有利だとか、スパイとして情報を売れば儲かるだとかを議論していたが、帰結したのはシンプルな結論だ。
「国の将来を議論しないか?」
若い閥徒達はアインを支持し、ヴォルター・K・グインと袂を分かった。
「きてくれて、ありがとう」
アインは支持者とともに選挙準備を進める。
「そういえば」
支持者のひとりが眉をひそめて聞いた。
「政治家を辞めるのは、『選挙で選ばれた国王』だけですよね」
アインは質問の本意を悟った。立候補者の4か条に関する質問だろうけど。
「そうだね。そうだった」
自然と顔がほころぶ。『選挙で選ばれた国王』にしなければ、現国王のアインも含まれてしまう。閥徒はそれを嫌ったのだ。
「明日、決まりに文面を追記しよう」
国王になってはじめてかもしれない。純粋な好意を感じたのは。
西暦4241年10月。国民選挙が始まった。アインは自分がこれまで出会い、言葉を交わしてきた人々の力を頼り、この選挙を戦うことを決めていた。
エル・クリスタニアアカデミーの学長や社交部員、なかでも部長のユミル・ド・コノルーや、新聞会社を立ち上げた男、イベントサークルを立ち上げた女。バーで働いていた時に出会ったエル・クリスタニアの多くの人々。
エールアカデミーの人々や、刑務所で出会った反政府組織のリーダー、彼に紹介された国内の主要なマフィアや武器商人。
アインが前国王から「だったらお前がやってみろ」と宣言された凱旋式で、喧噪を治めてくれたロンドゥール・モンペリオ。
セレスの3閥徒は自分の卒業したアカデミーに掛け合って、ソフィアはエールに、アンナはカルブ、ミネルダはエイモストの地域ネットワークへ、アインを紹介してくれた。
アインはこれまで、誰かのために自分を犠牲にすることを、誇ってすらいた。
『自分は誰よりも優秀だ』
だから他人を助けることが自分の役割であり、自分にはその能力がある。
「でも、違ったね」
父親からの手紙を丁寧にひらく。
『一人でできることなんてたかが知れている。人の力をあてにしていいんだ。お前の才能は、誰からも好かれる人柄だ。みんな待っている』
アインはこのとき、誰かのためではなく自分のために、全面的に周囲を頼った。それは彼に、人と人との繋がりがもたらすエネルギーを体感させることとなる。
エル・クリスタニアで新聞会社を立ち上げた男は『国王に対する批判が妥当なものか』という特集記事を出し、これが100万部売れた。エールにいたのも、刑務所に捕まったのも、誰かを思いやってのことだったと、その記事は書いていた。
ロンドゥールとユミルは公開対談を開催し、アインという人物の人柄や能力について、第三者目線で見解を述べた。多くは賛辞と賞賛の言葉だ。
ソフィア、アンナ、ミネルダはアインと共に国内を回り、国民と交流を深めた。
世襲君主制から、選挙君主制への移行。巨大な構造の変化が人々を襲い、混乱が街を包む。だが、ここは学問の国オースティア。人々は、新しい価値観を学び、身につけるだけの智慧があった。
そして約600万枚の投票用紙が、投票ボックスに投函されていく。アインもそれを見守った。
「新しい国王は頼りになる」
「国民のことを、頼むぞ」
誰もがアインにあたたかい言葉をかけた。
結果の集計が終わる。ロビン・J・ランドルフが653,542票、プラテナ・サンドレックスが895,680票、ヴォルター・K・グインが2,180,917票、アイン・スタンスラインが——2,180,206票。
わずかに届かなかった。
「でも、清々しい」
開票の場で、アインは爽やかに笑った。
勝利に沸くグインの陣営。人々の熱狂と裏腹に、グインの頭は冴えきっていた。
「時代とともに組織は変革されなければならない」
煙草をおとして踏みつぶす。
閥徒が傀儡の王を操るという、オースティアの問題構造。この構造を根本から破壊したのは、国を良くしたいという、青年の純粋な願いだ。
「誰もできないことをやった」
グインは好敵手を遠目に見た。
「アイン、お前は稀代の変革者だ!」




