異世界に行く方法
「なあ。異世界に行く方法、知ってる?」
学校の昼休み。机に突っ伏して寝ていた俺は突然、誰かに肩を揺すられた。
顔を上げて目を開くと、判然としない視界の中、こちらに視線を送ってくるやつがいた。
……レオンか? なんでこいつがここに?
「異世界に行く方法、知ってる?」
また、真剣な様子で突拍子もない事を訊いてくる。
本当は昼寝を続行したかったが、一応話に付き合ってやることにする。
「……異世界なんて本当にあるのか?」
「あるよ。今日、君をそこへ連れて行ってあげようと思って」
レオンは得意気に人差し指を立てる。別に頼んでないんだけどな。
ってか、そんなに仲良かったっけ?
「じゃー、また放課後なっ!」
レオンは手を振って俺の席から離れていった。一体何だったんだよ、まったく。一方的に変な約束をさせられたものだ。
昼過ぎの公園は誰もいなかった。妙な静けさに、若干の逡巡を覚える。公園には噴水がある以外、特に何もない。
先を行くレオンが足を止め、こちらを振り返る。
「ここだよ」
レオンが地面を指差し、それを視線で追うと、黒ずんだ直径四十センチくらいのマンホールがあった。
模様が完全に剥がれ落ち、茶色と黒色との中間くらいの色をした……ただのマンホール。
レオンはしゃがみ込んで、マンホールの蓋を開ける。
「ここから異世界につながってるんだ」
……これが異世界への扉だと?
俺もしゃがみ込んで中を覗くが、特に何も見えない。下水の流れる音が聞こえるだけだ。
「何も……ないぞ……?」
「あれ〜? おかしいな〜?」
レオンもマンホールの中に頭を半分だけ入れて覗く。
「あっ!」
突然、レオンが何かを思い出したように驚嘆の声を上げた。
「忘れてた、子供は異世界に行けないんだった!」
いや、どういう論理やねん。というか、この世界観がまだよくわかっていないんだが。
子供は異世界に行けない? 大人は行けるのか? マジでよくわからんな。
「……じゃあ、俺たちは異世界に行けないってことなのか?」
「大丈夫、行けるよ。そのためには、ある儀式をしないとだめなんだ」
「儀式?」
きょとんとする俺に笑顔を返したレオンは、持ってきた鞄の中に両手を入れ、そこから何かを取り出し始めた。
「【クプート】と呼ばれる儀式をすれば、子供でも異世界に行けるんだ」
やつがそう言って鞄から取り出したのは、シャーレと小さめのビニール袋。ビニールの方には、よくわからない黒い物体が五、六個入っているのが見える。
やつはシャーレを地面に置き、その隣にティッシュほどの正方形の紙を広げ、ビニール袋を逆さにして微小の黒い物体をその上に落とした。
それはよく見ると……何かの部品、半導体? みたいなやつだった。
次に、レオンが今度はピンセットを出し、それを使って紙の上の半導体みたいなものを一つ摘み上げてシャーレの中に落とした。その動作を、半導体の数だけ繰り返す。
……これが【クプート】という儀式らしい。ますますようわからん。
最後の一つをシャーレに移すと、レオンは言った。
「よし、これで行けるようになった」
やつの言葉を聞いて俺は再び穴の中を覗くが、至って何も起こらない。本当に、異世界などあるのだろうかという気さえする。
「異世界への扉が開放されるまで、まだ時間がかかるから、おやつでも食べて時間を潰そう」
レオンはそう言いながら、またガサゴソと鞄の中を漁り始める。そして新たな袋を取り出した。先程のビニール袋と比べても数倍は大きく、白地の布でできている。やつはそこに腕を突っ込み、何かを掴む仕草を見せた後、再びそれを引いた。
袋から出てきたやつの手は、しっかりと『それ』を摘んでいた。尻尾、体、とそれは徐々に外界に姿を現していく。
……トカゲ? を炙ったみたいなやつだった。
レオンは、それの尻尾を摘んだ手を自分の頭よりも少し高く上げると、頭からかぶりつく。トカゲは見る見るうちに、やつの口内へと消えていった。
「君もいる?」
レオンが袋を差し出すと俺は、
「いや、いい」
何故か冷静だった。
レオンが「そう」と言って再び腕を引いた瞬間、ゴーンッという鐘に石をぶつけたような音が、穴の中から聞こえた。
「じゃあ、行こうか」
レオンは袋を鞄の中に仕舞い、代わりにロープを取り出した。それを近くの木に巻きつけると、穴の中に垂らす。
「僕から先に行くね」
レオンはロープを伝い、先に中に下りていった。やつの姿が完全に穴の中に見えなくなると、俺も同じようにして後に続いた。正直、帰りたかったんだけど。
下りていくと、次第に視界が暗くなっていく。下水の音は聞こえず、代わりに木々が風に揺れるような音がした。やがて、地面に足がつく感触が伝わる。それを合図に、俺はロープから手を離し、周りを確かめる。だが、真っ暗で何も見えない。おまけに、触れられるのはロープだけで、他に何があるのかもわからない状態だ。
「おい、レオン!」
レオンがどこにいるのか気になった俺は、やつの名前を叫んだ。
……しかし、返事はない。
視界は暗々としているため、頼りになるのは耳だけなのに。もしかして、先に行ったのか?
俺が足を踏み出そうとした瞬間、獣のような咆哮が聞こえた。いや、聞こえると言うよりも耳元で叫ばれた感じ。
俺は戦慄し、慌てて手探りでロープを捕まえると、再び地上を目指した。
特に何かが追ってくる気配はない。だが、振り返れなかった。
再び視界に光が戻ると、地上に這い出た。マンホールの周りでは、特に何も変わった様子はない。
もう一度、穴の中を覗いてみるが、先程まで聞こえていた木々の音は聞こえず、水の音しか耳に触れなかった。
レオンはどこへ行ってしまったのだろうか……という疑問が湧いたが、俺はそこから逃げ出した。
恐ろしかったのだ。穴の中から、悪魔か何かが飛び出してきそうな気がして……。
後ろも振り向かず、俺はひたすらに走り続けた。
翌朝、やはりレオンのことが気になった俺は、クラスのやつに訊いてみた。それが間違いだったんだろうな。
みんな口を揃えてこう言う。「誰のこと?」って。
皆、レオンのことを覚えていなかった。……いや、知らなかったのだ。
今思えば、俺もレオンと出会ったときのことを覚えていない。
何故、俺だけが知らないはずのやつの名前を知っていたのか。何故、あたかも知り合いのように普通に会話していたのか。そして、あの暗黒の世界は、あの声は一体何だったのか。
考えるだけでも恐ろしくなる。
……まあ、普通に考えて、碧眼金髪のやつが日本の普通学級にいること自体、不自然な話なんだけどな。それを普通に受け入れていた自分が一番怖い。
さすが夢、意味不明すぎる!!