某不老不死者の手記
しばしば人は不老不死を求める。
その力の恐ろしさに気が付くこともなく……。
実際私がそうだったのだ。
望まずして得た特異な力、その一つとしてそれはあった。
正確に言えば私は絶命する。
しかしそのあとに記憶などを残したまま、五体満足の状態で蘇生されているのだ。
不老不死とは決して良い力ではない。
生命は絶対的な絶望に追われなければ前に進むことはできない。
死の恐怖があるからこそ、生命は死神から逃げるために自身容貌を変え、ときに環境を自己にとって都合の良いよう作り変える。
数の定められた命の座に就き続けるために生命は進化と選択を繰り返してきたのだから。
何も成さずとも空腹、諍い、あらゆる不幸の種が消えうせたのならば、生命はその状況に甘んじ、そこですべては止まってしまう。
しかしながら、あらゆる事象において停滞なんぞは起こりえない。
そこにあろうとしてもいずれは環境を維持するためのシステムに不具合が生じ、あらゆる体制が瓦解する。
停滞を望むことはは後退するに同義である。
ゆえに我々は常に前に、前に歩み続けなければならないのだ。
たとえ自身、彼、あるいは彼女、どのような存在のためであろうとも。
人は死を恐れ、それから逃れるために文明を発展させた。
かつて尊んだ死を忌避し、生命のサイクルの環から外れる道を歩もうとした。
自然の自然治癒力を凌駕する傲慢な技術発展により自分たちの首を絞めながら。
死を望むものは死を許されず、世界を回す歯車として画一化された世界で自己を殺しながら生きなければならず、それに耐えられない個体は肉体の死による解放を望み、自ら命を絶つようになった。
この世には死による救いと言うものも確かにあるのだ。
死は森羅万象あらゆるものの進化に必要不可欠な要素であり、この世界に神がいるとするのならば、彼らが我々に与えた救済なのだ。
命あるすべてのものよ、死を恐れることなかれ。
かの者は古来より我々の傍に寄り添う友なのだから。
読者の皆様へ
初の投稿作品を読んでいただき、ありがとうございます。
今後に生かすためにも「ここはおかしいのではないか?」といった部分があればご指摘いただけると有難いです。