絹の五・黒織村《くろおりむら》
そうして、十月十日が過ぎおった。
どうしたことか、村からの追っ手は来なかったんじゃ。
山の木の実や川の魚を食べるうち、雪花の髪はまたつやつやと艶やかになりおった。それより何より、雪花の髪にはもっと不思議なことが起こった。白絹のように白かった髪が、烏の羽根を織りこんだようなぬばたまの闇色になったんじゃ。
「これはどういうことじゃろう……?」
「葛湯ばっかり食べてたから、栄養が足りなくて色素が抜けて、きっと白髪になったんだ。だってそうだろう? 俺らの子だってこんなに真っ黒な髪になったもの!」
生まれつき白髪の卯の花は、白いままの髪でにこにこ笑ってそう言うた。卯の花の言うとおり、ふたりの娘は濡れたようなみどりの黒髪をしておった。
「けれど、わたしはもともと妖怪なのだぞ? 人とは違う、異形の生き物。魂を喰う、白髪の……」
「何で黒髪になったのか」
ぱしりと言葉をぶつけた卯の花に、雪花はたまげて口をつぐんだんじゃ。卯の花はおっかねぇくれぇまっすぐな目で、雪花を見つめて言葉を重ねおったんじゃ。
「何で黒髪になったのか、本当のことは分からないけど、俺には一つはっきり分かる。お前はもう妖怪じゃない。お前は……」
ふっと言葉を切った卯の花は、にっかり笑って言いおった。
「お前は、俺の女房だ」
雪花は頬を赤くして、ほろほろと涙を流しおった。そうしたら『すぐり』と名づけたふたりの娘が、きゃっきゃっと笑って雪花の指をぎゅっと握ってくれたんじゃ。
ふたりは初めて授かった子を、目の中に入れても痛くないほど可愛がって育てたんじゃ。
やがて卯の花は、雪花の黒い髪を使って、闇色の着物をこしらえおった。それはつやつやと黒く美しく、白織物にも負けないくらいに綺麗じゃった。
卯の花はそれを『黒織物』と名づけ、山を下って売りに出たんじゃ。
山のふもとで良いあんばいに商人に出会い、卯の花は織物を見せてみたんじゃ。商人は織物を本当に気に入って、虫眼鏡を使ってつくづく見ながら、もう離そうとはせんかった。
「いやぁ、これは良い織物ですなぁ! 黒織物と言うんですかぃ? いやぁ、本当に綺麗なもんだ!」
「どうですか? 買ってくださいますか?」
「いやいや、買います! 買わせていただきますよ! こんな綺麗な織物が手に入るとは珍しい! あの有名な『白織物』を思い出しますなぁ!」
白織物――。
その言葉を聞いて、卯の花の胃がきゅうっと締まった。追っ手のこともそうじゃったが、あの白織たちが今どうしているもんかと、そのことが気になったんじゃ。卯の花は何気ないふりをして、白織村のことを訊ねおった。
「白織物といえば、有名な織物だそうですが……あなたは白織村に訪ねていったことはありますか?」
「ああ、滅ぶ前に二三度寄らしていただきました」
「――滅ぶ?」
「何だ、ご存知ありませんか? 白織村は一年ほど前に、たまさか悪い病が流行って、村ごと滅んじまったんですよ」
卯の花がたまげて言葉を失いおった。
(村の者などどうでも良いが、あの白織たちはどうなってしまったんだろう……?)
そう思うた卯の花に、商人は問わず語りにつぶやいたんじゃ。
「そういやこのごろ、この織物みたいな艶の織物がね、白織村近くのあっちこっちで売りに出されるんですよ。みんな新月の夜に染めたみたいに真っ黒で……どれも『白織物』を思わす艶なんですなぁ、不思議なもんだ」
卯の花はしばし黙りこみ、やがてほんのり微笑みおった。
『白織物に似た、あちこちで売りに出される黒い織物』。それはつまりどういうことか、ようやく合点がいったんじゃ。卯の花の笑みを何と受け取ったか、商人はにっと笑ってみせおった。
「あぁ、もちろんこの『黒織物』が一番美しいですがね!」
卯の花はにっこりはにかんで、深くふかく頭を下げた。赤い目のふちで、黒織物がきらきらと日の光を浴びて輝きおった。それは目に染みるくらい、綺麗に見えたということじゃ。
それから幾年も時が経ち、雪花は幾人も子を産みおった。
子どもは男も女も丈夫に育ち、その髪はみんな闇のように真っ黒じゃった。その髪を織りこんで、卯の花は何枚も黒織物をこしらえおった。やがて子たちも織り方を覚え、評判が評判を呼んで、山には人が集まるようになり、山には一つの村が出来たんじゃ。
その村は名を『黒織村』といい、今でも上等の黒織物を産出しているということじゃ。
はい、お話はこれでおしまい。どっとはらい。