絹の二・雪花《せっか》
村に売られた次の日に、卯の花はまたあの男に呼び出されたんじゃ。
男は卯の花を連れて『蚕小屋』に行き、白織をひとりみつくろって小屋から引っぱり出しおった。
「おぅ、これから『生糸』を採るけぇ、お前も手伝え」
「生糸?」
「そうじゃ、まぁそんなややこしいことじゃねぇけぇ。洗って髪を採りゃあ、あとはぐらぐら煮くたすだけじゃ。まぁついて来い!」
男は白織の腕を荒っぱしく引きながら、しきりに卯の花をうながしおった。卯の花はすなおについていったんじゃ。やがて男は『洗い場』と書かれた大きな風呂場に、白織と卯の花を押しこみおった。
「さぁ、こいつの髪を洗うんじゃ。売りもんになるけぇ、なるたけていねいにな」
男は白織の着物を引っぺがし、野菜でも洗わせるような口ぶりで言いおった。卯の花が目のやり場に困って頬を染めると、男はふんと小馬鹿にしたように笑うたんじゃ。
「こんなんで赤くなるんじゃねぇや。お前は白織の『種付け』も兼ねてるんじゃけぇ、いずれはこいつらとつがうんじゃけぇのぅ」
「……つ……つがう?」
卯の花の頬が、火傷したように熱くなりおった。男は初心な卯の花の反応を見て、くつくつとのど奥で笑うたんじゃ。
「そうじゃ、お前みたいな男白織みてぇな生っ白いぼうずどもは、うちの村に買われてきて『種付け』にあてがわれるんじゃけぇ。白織の産んだ男とかけあわせると、どうしてか産まれた白織はすぐにおっ死んじまうけぇのぅ。無理な飼い方しとるからかのぅ」
「男の白織……彼らはどうしているんです?」
「決まっとるよ、生まれてすぐに『間引く』んじゃ。まともな種も採れねぇ種付けなんぞ、飼っとっても意味ないけぇのぅ」
男が下卑た顔でまた笑いおる。その顔を見ているうちに、卯の花は背中に冷や水を浴びせられた気になったんじゃ。
(自分もきっと、男の白織のように見られている)
もしこの村にとっていらなくなれば、卯の花もすぐに間引かれてしまうじゃろう。空恐ろしくなって縮こまる少年に、男は舶来もののはちみつ石けんを渡しおった。
「良ぇか、髪も肌もお前の手のひらで洗うんじゃ。商売もんに傷がついちゃあ困るけぇのぅ」
「…………はい」
言われるがままにうなずいた卯の花は、ていねいに石けんを泡立てて、白織の髪に手を触れおった。しなやかな髪を良い匂いの泡で洗い、なめらかな肌へ指を這わせる。肌はすべすべとしていて、洗っておるこちらが気持ち良ぅなってしまうくれぇじゃ。
卯の花の雄しべが、着物の上からでも分かるくれぇにおっ勃ちおった。そのことに気づいた男は、ゆかいそうに笑うたんじゃ。
「うん、元気じゃな、結構けっこう! 良い種付けはそうあるべきじゃ!」
下世話極まるまぜっ返しに、卯の花はますます頬を染めおった。白織は人形みてぇに、感情のない瞳を宙に向けておるだけじゃった。
やがて体を洗い終わり、白織は男に連れられて外に出たんじゃ。
「お前も濡れたのぅ。着物を着かえて『煮小屋』に来いや。髪採りのやり方を教えるけぇ」
「……はい」
卯の花は静かにうなずいて、着物を着かえて『煮小屋』とやらに顔を出したんじゃ。さっき洗われた白織が、表情のない顔でじっと卯の花を見つめてきおった。
「おぅ、来よったな。試しにお前が切ってみぃや」
言われて卯の花はためらいおった。『女の髪を切る』という、どこか背徳的な行為に、しりごみしておったんじゃ。男はそんな卯の花の様子に気がついて、声を上げて笑いおった。
「大丈夫じゃ、白織は妖怪の子孫じゃけぇ、十日もすれば髪なんぞ綺麗に生えそろうけぇ!」
そう言われて、卯の花はようやく鉄のはさみを受け取りおった。白織の髪に手をかけて、そっとはさみを入れてゆく。しゃきしゃきと小気味良い音を立て、白髪は卯の花の手の中におさまりおった。
「おぅ、なかなかに器用じゃな! 後はこいつを鍋に放りこんで、一晩煮ればいいんじゃけぇ」
男は髪を手に抱え、卯の花を煮小屋の奥にうながしたんじゃ。煮小屋の奥には大きな鍋に、ぐらぐらの湯が煮立っておった。男は白髪を鍋に放りこみ、棒を手にしてかき混ぜ出した。
「そんじゃ、これはわしがやっておくけぇ! お前は白織を連れて蚕小屋に戻るといいけぇ」
「いえ、俺も手伝います」
「良ぇがえぇが! その大事な白髪が傷むといけんけぇ、お前はとっとと小屋に戻れ!」
『大事な白髪が傷むといけんけぇ』。
その言の葉が、卯の花の耳にはこう響いたんじゃ。
『大事な種付けの種が傷むといけんけぇ』――。っちゅう風にな。
男の台詞にぞっとしながら、卯の花はまたもすなおにうなずきおった。
おかっぱ頭になった白織を連れ、『蚕小屋』へときびすを返す。小屋に入ると、あの年かさの白織がじぃっとこちらを見つめてきおった。卯の花は少しびくりとして、じゃが何となく嬉しゅうて、思わず相手に話しかけおった。
「……何だ? 俺の顔、何かついてるか?」
「何も」
硝子で出来た小鈴振るような声で、白織がものを言いおった。卯の花はたまげて彼女に駆け寄って、白い手をとって問いかけおった。
「お前……ものが言えるのか? えっと……」
「雪花。わたしの名は、雪花」
白織は当然のように名乗って、ふわりとかすかに微笑いおった。次の言葉が出なくてまごつく卯の花の頬を、雪花はつるりと撫で上げたんじゃ。
「もう、持ち場に戻ったほうが良い」
「え……でも……」
雪花はゆったり首を振ると、白い指をおのれの口もとへふうっとあてて、微笑みおった。
(内緒、ないしょ……)
そう言いたげな雪花の笑顔に、卯の花も気を呑まれてうなずいたんじゃ。
小屋から表に出た卯の花は、織り小屋へと足を向けた。ぱたんぱたん機を織りながら、卯の花は雪花のことばかり考えておった。
そうして一日機を織り、廃屋に戻った卯の花は、疲れてすぐに寝入っちまった。
その晩もまた、卯の花は甘い夢を見おった。夢というにはあまりに生々しい夢で、夜中に目覚めた卯の花は、自分自身が『おもらし』しているのに気づいて、ふうっと苦い息をつきおった。
(あのまなざし……『どこかで見た』と思ったのは、以前に夢で見ていたのか?)
卯の花はそう考えて、また一つ甘苦く吐息しおった。
今までは気にしておらんかったが、よく考えると、この村に来るずっと前から、こんな夢を見ていた気がしたんじゃ。そうしていつも、相手は雪花だったような気がしたんじゃな。
あの赤い瞳。自分をしっかり持っている、意志の強い赤い瞳。生きた宝石のようなあの色は、夢でおなじみのものじゃった。
「……不思議だ……」
卯の花はまた一つ息を吐き、欠けてきた月を見上げおった。月明かりの廃屋の中は、ほこりと黴と、生臭い烏賊のにおいがしたんじゃ。それにほんのり、はちみつの石けんの香りもしよる。
(……いつか、雪花の髪と体を、あの石けんで洗えるだろうか)
そう考えた卯の花の中心が、またじんわりと熱ぅなっての。卯の花は、また己でおのれを慰み出しおったんじゃ。
「こんなんじゃ、身が保たないな……」
つぶやいたとたんに、男の『種付け』ちゅう言葉を思い出してな、卯の花はまたぞっとして身を震わせおった。
そんな少年を、欠け出した月は黙って見つめていたんじゃて。