プロローグー幸不幸はさておいてー
よろしくお願いします。(・・;)
特にこれと言って不満などない、普通に幸せな人生だったと思う。
母は楽観的過ぎて呆れるし、父は気難しいせいかろくに団欒とか出来なかったけれど、“親”と思えばそれくらい些細な欠点に過ぎない。
友達も少ないとは言わないが、誰とでも交流を持っていた訳ではない。友達の一人にそういう奴は居たけれど、その交友関係のトラブルの話を聞けば、ああおれは今のこの状況でホント良かったなぁとしみじみ考えたものだ。
“何でも出来て何にも出来ないのがお前なんだから、助けがないと軽く死ぬよ”と言う猫ちゃん先生のグサッとくる指摘も、甘くない現実を知るには丁度良いモノだったのだ。
嫌に皮肉の似合う人だった。新人の割には斜に構えたその感じを、妙に嫌いになれなかったものだ。
それを思えば、割と自分も捻くれ者だったのだ。たぶん。
厭な事も勿論あった。好きになった子に告白出来ずに、彼氏が出来てしまった事に嘆き、ほとぼりが冷めた頃になってぽろっと零してみれば、え、お前好きな奴居たの、なんて驚かれもしたっけ。
失礼だと、おれも好きな子くらい出来るわと怒ったもんだ。まあ、ポーカーフェイスと隠し事はお前の隠れた性質だもんなと半目でからかわれる訳だけども。本当に失礼な奴め。自覚はあるけども。
頭が痛い時ばかり家事やら課題やらを手伝わされた。頭にキていい加減にしろやと怒鳴れば、懲りもせず「ごめーん」と反省ゼロの母と親友を何度ドついただろうか。おれの有り難みを知れ!と頭を叩いたのは何度くらいだったか。そんな事で頼りにすんなよと言いながら皿を洗ったり問いのポイントを指差したりしたのは幾数回だっただろうか。
こう思うとかなり不満はあったようだ。今更ながらに腹が立つ。
おれが居なくなったら誰が掃除するんだ。おれが居なくなったら誰がテメェの世話焼くんだ。
悪いね、私が死ぬまで!じゃねぇよ。
わーり、一生(笑)じゃねぇよ。
本当、おれが死んだら如何するつもりなんだよ。
取り敢えず母よ、あんま笑うな。空元気ほど見てらんないものはないからさ。
次に父よ、社畜やってんなよ。母支えるのあんたしか居ないんだから。
次、親友。髪染めても良いけど、酒は辞めとけ。やっと辞めさせられたおれの根気を無駄にしてくれるなチャラ男野郎。
猫ちゃん先生、あんた良い先生だから気に病まないでほしい。おれあんたの授業と雑談好きだから、続けて欲しいなーなんて。
ああ、そうそう。
ここまでで不足した情報を述べるとすれば、
───おれ、死にました。