涙
今回は短めでございます
「“巡れよ我が血、新たな主に恭順を”」
高位吸血鬼の治癒系魔法、《血贄再生》の発動句をヘルンが唱え終わると同時、シエラの傷が熱を持ち、そして冷えていく。
「……さすがに、全快とはならんか」
「いえ。ありがとうございます。……これでは、どちらが吸血鬼かわかりませんね……」
唸るヘルンの傷から滴る血を少量飲んだシエラは、自嘲気味に呟いた。早くも回復はしているようで、身体を起こすくらいの体力は戻っている。
「回復水薬だけではどうにもならん傷だ。仕方ないだろう」
そう言うヘルンは、狂化した魔物に精気吸収を行うのと、ポーションを服用することによってある程度の傷を治していた。
エクスキスィによって凶暴化された魔物の群れは、全滅させられていた。
ヘルンの炎絶の大剣はその戦いの凄惨さを物語るように血脂に濡れている。
また、いくら傷を癒そうが溜まった疲労はどうしようもなかった。
倒した魔物の重要器官の剥ぎ取り作業もほどほどに、ヘルンが言う。
「……帰るぞ」
今だ木を背に座り込むシエラに、ヘルンが手を差しのべる。立て、ということだろう。
シエラはヘルンの手を握ろうと直前まで持ってきて、しかしそこで躊躇う。
「……? どうした」
ヘルンが不思議そうに呟く。
見上げるシエラと、見下ろすヘルンの視線が絡まった。
その途端、シエラの整った顔が形容しがたい感情に歪む。
「……わたしには、貴方のその手を握る資格があるのでしょうか」
ぽつりとシエラが呟いた。
「わたしは……貴方の役に立てているのでしょうか?」
「役になら立っている。私は料理などはからっきしだしな。それに面倒な手続きなども他ならぬお前が──」
「そういうことを言っているのではないのです!」
叫ぶシエラ。その声はあたりが静まりかえっているのも相まって、やけに強調されてヘルンの耳に届く。
「わたしは、今回貴方を殺しかけた。エクスキスィというあの魔物と戦うことになったのも、あの魔物を逃がすことになったのも、すべてわたしのせいではないですか!」
シエラ顔を伏せ、肩を震わせる。
自分の愚かしさを感じ、それが彼女の疲弊した心を縛った。
そもそも最初にエクスキスィと戦った時、ヘルンを頼りにするところから間違っていたのだ。
いつの間にか、彼と並んで生きることが当たり前になっていた。
それは勘違いだった。
自分は、彼と並んではいなかった。吸血鬼と人間。種族の違いはもとより、いつだって、彼に助けられていた。
彼は、優しい吸血鬼だ。シエラは、気遣われる立場にある。
そんな自分が、ヘルンと、並べるはずがなかったのだ。
しかし沈んだ様子のシエラを見て、ヘルンは目を白黒させる。
「私の名前をつけたのは、お前だ」
そしてヘルンが突拍子もなく言った。
「昔飼っていた犬の名前という酷いものだが……」
ヘルンはなんでもないように苦笑する。
「それでも私は今、吸血鬼ヘルンとして生きている」
シエラを真っ直ぐ見据え、ヘルンはそう言ってのけた。
「……どういうことですか」
シエラが静かに聞いた。
「役に立つか立たないか、それはこの際お前が気にすることではない。私が吸血鬼ヘルンとして生きていくのに必要だと感じたから、お前を連れている。他者の役に立つかどうかは、自分が決めるものではない。いくら自分に実感が湧かなくても、他者が役に立っていると言えば役に立っているのだ。そしてお前は役に立っている。それが、他ならぬ私の考えだ」
沈んだ面持ちのシエラに、ヘルンが優しげに微笑んだ。
「助かっているよ。ありがとう、シエラ」
すぅっ、とシエラの瞳から涙が零れ落ちる。
死に直面した恐怖と、どうにか助かった安心。ヘルン対する悩みと今のヘルンの言葉。
涙一粒と言えども、そこに込められたさまざまな感情は計り知れない。
シエラはそれを拭うと、ヘルンの手を握った。
◆ ◆ ◆
辺境都市アルファラ。中央地区より少し東にある軍部施設。
その執務室で、二人の男が対峙していた。
一人は言わずと知れたビリジオ第二軍の指揮官、フォルガナである。
もう一人は深きなる森調査のため冒険者として活動していた、ミエトだ。
両者は緊張した表情で、向かい合っている。
「……ここ書いていることは本当か?」
一枚の紙を持ったフォルガナが問いかけた。
それにミエトは「はい」と礼儀正しく返事する。そして次の言葉を静かに呟いた。
「……吸血鬼の可能性が高い人物を見つけました」




