贈り物
遅くなって本当に申し訳ありません!
今回はシエラ回です。
宿屋の借りた一室のベットの上で、シエラは踞っていた。
そばにいるコボルトのヨウが、黙ったままの彼女を心配そうに見ている。
シエラがこうしている理由は、あの吸血鬼、ヘルンのせいである。
「……はぁ」
思わず、ため息を吐いた。
ヘルンを置いて帰ってしまったが、怒ってはいないだろうか。そんなことをふと考えるが、すぐにそれを振り払う。
気に食わない男が怒るだけだ。シエラにはどうということはない。
◆ ◆ ◆
シエラの故郷は、北方の人間領国のイシュレーだ。
イシュレーの中でも比較的豊かな土地に、シエラが生まれ育った屋敷がある。
貴族の部類に入るのだが、特別な家柄で、あらゆる才能を求める一族だった。
しかし末妹のシエラは、優秀な兄や姉とは違い、多彩な才能を見せることはなかった。
それでも常人から見れば充分秀才と呼べるような能力は持っていたが、それでもシエラは兄たちのような天才ではないことに劣等感を抱いていた。
努力は惜しまなかったが、それでも劣等感もその原因も消えることはない。さらにシエラは焦った。
半ば自棄のように冒険者になり、武芸を磨く。
異例とも言える早さで早熟し、しかし兄と姉に届くことはなかった。
冒険者になり死を隣り合わせにする生き方で、なお届かない天才の領域。そのことにシエラは恐怖する。
自分はできそこないだ。その思考に囚われていく。
気がつけば、死を隣り合わせにする生き方は、死に向かっていく生き方になっていた。
冒険者になって二年がたった頃、当時暮らしていた街で殺人事件が連続して起こっていた。
被害者は全員女性で、行方不明になってから死亡が確認されたものばかり。
犯罪組織の仕業だとの噂が街で流れたが、シエラの興味が向けられることはなかった。それよりも、自分の全力を出し切り、如何に力尽きるかに必死だったからだ。
だから、気づいた時には遅かった。
「……見つけた」
闇夜でその声を聞いたが最後、彼女の意識は深淵へと落ちていった。
目が覚めるとそこは、見知らぬ牢の中だった。
石レンガがシエラを囲み、正面は鉄格子で塞がれている。足首には枷がはめられており、壁へと鎖で繋がれていた。
どう見ても、監禁状態のそれだ。
時間感覚が狂っていたから正確ではないが、一ヶ月と半月くらいはそこで暮らしていたのではないかと思う。
自分を捕まえた男たちはなぜか自分に危害を加えることはなく、水と食事までだされるほどだった。不味く、とても好んで食べようとは思えない程度だが。
まぁ、命を奪われないほどには安全だった。
牢屋の中で、三日くらいは脱出を試みた。しかし、逃げるどころか情報すらまともに得られない。
籠った造りの建物の中で、吸血鬼、生け贄、太陽の一族、などといった断片的な単語が稀に聞こえてくるくらいだ。
どれくらい経ったか、シエラはある時諦めた。
なにを、かと問われれば脱出でもあったし、生きること自体でもある。
その感情は時が経つに連れ加速して行き、ついには自殺願望まで持つようになっていた。
兄たちに追いつけない劣等感や、牢屋の中で大きくなっていた虚無感、それらがない交ぜになり、そして、舌を噛んだ。
死ねなかった。
噛む直前で、無意識に力を弱めていたのだと考える。
なんと、自分の生への未練はまだあったのかと落胆した。それから何度か試してみても、失敗し苦痛を味わうのみ。どうやら、自分の心は思ったよりもさらに弱かったらしい。
願わくは、他の誰かによって殺されるのが早ければいい。
そう思いながらシエラは逃げるように目を瞑った。
「おい、女。お前は誰だ」
死にたくなるような退屈なある日、その男は現れた。
背は高く、整った容貌の青年といった姿だ。雪国が故郷であるシエラと同じくらいには肌が白い。
男は、自らを吸血鬼だと名乗った。馬鹿な話かとも思ったが、以前に聞こえた吸血鬼という単語からあながち間違いではないのかもしれないと推測する。
そしてそれは、男の赤く色づいた瞳を見て確信に変わった。
その吸血鬼はいとも簡単に鉄でできた錠を壊し、中に入ってきた。鋭く尖った八重歯を見て、自分の血を吸うつもりだと直感する。
そしてその直感が外れることはなく、吸血鬼はシエラの首に噛みつき血を飲んだ。
古い話だが、吸血鬼に血を吸われると死ぬと伝えられている。
やっと死ねる、と。そう思った。
だが、おかしい。いつまで経っても死ぬどころか、息苦しささえ感じないではないか。
「残念だったな。ヴァンパイアの吸血に他者の命を奪う力などない。まだ死ねないぞ、お前」
事も無げに言う吸血鬼に、シエラは濃い憎しみを抱いた。
それから吸血鬼は語りだす。
自分は魔王の手先ではないこと。
なぜかはわからないが、人類の治める国に行きたいということ。
そして、自らが太陽を克服せし吸血鬼だということ。
これには特に驚いた。
家には非常に多い蔵書があるが、その中の古い伝記に、確かに弱点であるはずの太陽を苦ともしない吸血鬼が存在したと記されているのだ。
そういえば、家の蔵書にはやけに吸血鬼に関する本が多かったなと思い出す。
シエラが吸血鬼に自分を殺さないのかと問えば、吸血鬼はどうやら自分を利用するつもりらしいとわかった。
吸血鬼の言う通りにしなければ殺される、のではなくここに放置するらしい。それは死を望むシエラにとって最も避けたいことだった。
シエラを捕まえた男たちが吸血鬼によって殺されたのならば、放置されるということは飢餓に苦しみながら死んでいくということだ。いくらなんでも、それは御免である。
最初から、シエラに選択肢はなかった。
こうして、シエラは人類の敵を手助けすることになってしまったのだ。
当然、シエラの劣等感が消えることはなかった。
そこからはいろいろあった。
シエラがヘルンと名付けた吸血鬼との生活も、もうすぐ二ヶ月になる。
シエラのなかでは、物の見方が少しずつ変わっていった。
第一にヘルンは言うほど危険な吸血鬼ではないということ。それに、魔族が人と必ずしもわかりあえあない訳ではないということ。
ヘルンは、特にシエラの出生を知りたがりもしない。単純に興味がないからだろうが、それはシエラにとって居心地のいいものだった。
そう、居心地がいいのだ。彼の隣は。
以前と比べれば、今の生活は充実していた。劣等感が消えたわけではないのだが、度々それを忘れることもできる。
ヘルンの無茶ぶりにため息を吐いたことは数えきれないが、今の自分の立場を考えれば良心的とさえ言えた。
あの吸血鬼は、不思議だ。
魔族でありながら、人を助けるような真似をし。魔族でありながら、魔族領に戻ろうとはしない。
あの吸血鬼は残酷で、不器用で、利己的で、そしてシエラの傷を癒すくらいには、優しい。
思わずシエラが自分の唇に指を触れた。
あれは傷を治すため、そのはずだ。あの深さの傷ならば、顔に傷跡が残っていたことだろう。傷跡が残る女の隣で綺麗な顔の男が歩いていたなら、周りから怪しまれずとも訝しげな視線を向けられるに違いない。
頭ではわかっている。しかし、そのことを思い出すと頬に熱を帯びるのも確か。
ヘルンの行動は、シエラの十七の心を強く揺さぶっていた。
「……帰った」
ドアが開けられるとともに聞こえた声にはっ、とする。
窓を見れば、澄んだオレンジ色の光。もう夕方も終わるではないか。食事担当はシエラだ。だというのに、なにも手をつけていない。
とりあえず帰ってきたヘルンを迎える。
「すいません、ヘルンさん。まだ食事が……」
「できていないのか」
「……はい」
「ならよかった」
予想だにしないヘルンの言葉に、シエラは思わず、へ? と呟きを洩らした。
ヘルンは二つの底が浅い長方形の木箱を抱えていた。
「弁当を買ってきた。鶏肉が美味いと評判の……」
「鬼灯亭、ですか」
「ああ、そこの弁当だ」
この吸血鬼は、食事に関しては特に強い興味を示す。そういえば、以前鬼灯亭の前を通った時にヘルンは興味津々だった。
くすりと、シエラから笑みが溢れる。
「ありがとうございます。……ところで、わたしが夕食を忘れていなかったらどうしたのですか?」
「私なら食える。お前がいらないなら、ヨウにでも与えればいいだろう」
「そうですか」
適当に言うヘルンに、シエラが頷いた。その様子を見てヘルンが疑問顔を作る。
「機嫌が悪いわけではなさそうだな」
「……?」
「こっちの話だ」
ヘルンが部屋に入り、椅子に腰かけた。ふぅと息を吐き、腰を伸ばす。シエラは弁当箱を机の上に置き、食器を持ってこようとヘルンの横を通り抜けた。その時である。
「ああ、それと」
呟いたヘルンがどこからか、包みを取り出した。
それをぶっきらぼうにシエラに渡す。
「いつも助けてもらっている礼だ。開けてみろ」
「なんですか急に……」
訝しげな視線をヘルンに向けながらも、包みを開けていく。
「……腕輪?」
包みから現れたのは、女性用の腕輪だった。
華美でもなく、だからといって飾り気がないわけでもない、そんな腕輪。
贈り物だろうか? まさか、この吸血鬼が?
「なんというか……意外ですね。まさかあなたがこんな物を……」
「悪いか」
「悪いというわけではありませんが……」
そこまで言って、シエラがもう一度腕輪を見る。
同じようなデザインが棚に並べられ、それに四苦八苦しているヘルンの姿がふと浮かんできた。なんとも、珍しく笑える光景ではないか。
「いえ、むしろ良いです。ありがとうございます」
シエラにしては珍しく笑顔を浮かべながら、腕輪を嵌めた。少し大きいが問題はない。
「戦闘中は外せ。邪魔になる」
変わらない調子で言うヘルンだが、彼らしいと言えば彼らしい。
シエラはこの腕輪を選ぶ様子を想像して、それが見れなかったのを少し残念に思った。