気高き蒼炎のもとへ
「まずは近付こう。話はそれからだ」
「どういうことでしょうか?」
走りながら口にされたマリウスの言葉に、驚きを示したのはスイであった。
「相手は竜種です。魔獣の中でも戦闘を避けるべき一番の相手だと思われるのですが……」
「確かに戦闘は避けたいが、あそこまで目の仇にされているようではそれも厳しい。何より、遠くから一方的に岩砲弾を打ち出されたらそれこそ厄介極まりないだろう」
轟音が響く。
打ち出されたら岩砲弾が、五人の後方へと着弾した音だ。その爆発でもしたかのような音に、スイは眉を寄せる。
「だからむしろ近付いた方がいいと?」
「岩竜の特徴としては、頑強な鎧と口から発射される一撃必殺とも言える岩砲弾が特徴だ。けどね、接近戦に持ち込めさえすれば、動きはそこまで速くはないから対応はできるんだ」
「あれを見なよ」と、マリウスは岩竜を顎で指した。
「こちらに進んでいるガルベグルスの動き、決して速くはないだろう?」
「確かに……」
「もちろん生半可な戦士じゃ接近戦に持ち込んだとしても、あの巨体に圧殺される。だけどこっちにはA級傭兵がいるんだ」
「元A級傭兵も、だぜ」
エミリーとマリウスは互いに目を配った。その口元には笑みが浮かんでいる。
エミリーは"岩断ち"と呼ばれる、A級傭兵の中でもさらに上位に位置する最上位の傭兵だ。マリウスは元A級傭兵であり、今は学園の教師をやっている強者。
で、あるならば。
「接近戦に持ち込んで、ある程度岩竜の相手をしよう。その間に――どうするかを考える」
「その後のことは考えてないんですか!?」
「当たり前だろう。相手は竜種であり、危険度A+級の魔獣だぞ。本来なら見つからずに探すことを前提としていたのに」
口惜しそうなマリウスを見て、スイは絶句する。
彼女は心のどこかで、岩竜へとマリウス達が向かっていることから彼が何かしらの策を用意しているのかと思っていた。
しかし実際は逆。
他に策が思いつかないから、接近戦へと持ち込むために近付いて行くという。
「しかし――」
スイがこのまま接近戦に持ち込んだとしても、やはり危険ではないか。
そのように口をつこうとしたところで、かなり近くに発射された岩砲弾が落とされた。
凄まじい轟音が辺りから耳に届く。
落下地点は地面が砕け、周りは風圧により瓦礫や建物が吹き飛ばされていた。
「……」
「あれを永遠と喰らうよりはマシじゃないかな?」
「違いない」
流石のユウリも引き攣った笑みを浮かべる以外に何もできなかった。
そうこうしている間にも、ガルベグルスとの距離が近付いていく。そして改めて、岩竜と呼称されるガルベグルスの巨躯を思い知らされた。
体の全てを、鱗ではなく岩で覆われている巨大な体。ユウリの聞く話によるとあの黒みがかった岩には魔力が通っているらしく、その硬度は鋼鉄よりも上とのこと。
口から剥き出しになっている牙は鋭利で長く、竜種特有の金色の瞳から生み出される殺気の迸る眼光が獲物である五人へと注がれる。
四足歩行の岩で覆われた巨大な蜥蜴のような姿をしているガルベグルス。
本来ならば絶対に相対したくはない相手であるが、この状況ではそのような泣き言も口にする余裕すらない。
距離は、もはや互いに接触できる位置まで近づいた。
「――来る」
ポツリと誰かが呟いた。
その瞬間のこと。
ガルベグルスの巨大な前足が、五人に向かって降ってくる。
「……でっかいな」
形容するなら、周辺を丸ごと飲み込むほどの巨大な岩石が空から落ちてくるようだ。
振り上げられた前足はそのままユウリ達を踏み潰さんと、勢いよく打ち出される。それをユウリ達は、それぞれその場から大きく跳躍することによってなんとか回避を試みる。
前足が、地面を踏み抜いた。
同時に、凄まじい衝撃が体を撫でる。
「――ッ」
「うっはー……。あれを喰らったら一撃で終わりだろ」
ユウリはレオンと共に右側面へと飛んでいた。
周辺の民家の屋根を伝ってガルベグルスの側面へと退避し、踏み抜かれた地面の方へと視線を向ける。そしてレオンは眉を寄せ、ユウリは呆れたような表情を見せる。
踏み抜かれた大地は、めり込み巨大なクレーターを生んでいた。
「岩砲弾といい、あの巨躯といい。一撃貰えば絶命か」
「流石に帰りたくなってくるなぁ」
もしもあのまま立ち竦んでいたならば。
二人は原型を残さず粉々に潰されていただろう。それを思うと額から冷や汗も流れてしまう。
その際、他の三人はしっかり回避できているだろうかとユウリは辺りを見渡す。
「はっはー! 流石に死ぬかと思ったぜ」
エミリーはガルベグルスの左側、つまりユウリ達とは反対の方へと避難していた。
その顔には言葉とは裏腹に笑みが溢れている。まだまだ余裕である証拠だ。
「……接近戦に持ち込んだの、もしかしたら失敗だったかもね」
「先生。だから言ったではありませんか」
一方で、スイとマリウスはガルベグルスから少しばかり離れた位置にある民家の屋根上へと避難している。
どちらも表情は引き攣っており、マリウスは深い溜息まで溢す始末だった。
「――ユウリ」
「ああ」
彼らの安否を確認したところで、レオンの声が耳に小さく響く。
意味する内容は皆まで聞かずともわかった。目の前の魔獣が、動きを見せたからだ。
ガルベグルスの眼光が、左側面へと回りこんだエミリーへと向く。
「――まずは俺狙いか。面白ぇ」
自分の十倍はあろう巨大な魔獣に睨まれて、しかしエミリーの表情は崩れない。背負った大剣を抜き去り、上段に構えてニヤリと笑った。
後から思えば、それが本当の意味での開戦の合図だったのだろう。
ガルベグルスの口が開き、岩砲弾が吐き出された。
「うらァ――ッ!!」
エミリーは避けるでもなく、大岩を粉砕した。
彼女の異名でもある"岩断ち"の名に相応しく、上段に構えた大剣を真っ直ぐと振り下ろすことにより、巨大な岩を撃ち返したのだ。
地面を振動させるほどの衝撃が、空気となって辺りを撫でる。
「馬鹿な。あの岩砲弾をたった一振りで粉砕しただと!?」
「よく見てみ。衝撃魔術を付与魔術として大剣に纏わせてる。あれで大剣の一撃の威力を底上げしてるんだろう――だけど」
岩砲弾を粉砕したエミリーの一撃。その威力と技量には素直に感嘆の声しか上がらない。
けれどユウリの視線は険しかった。先の一撃でエミリーの態勢が大きく崩れたからだ。
何より衝撃にエミリーの体を自体が耐えられなかったらしい。彼女の身軽な体が後方へと飛んでしまう。
「――援護するぞ」
態勢を崩した彼女にガルベグルスの前足が迫る。
もはや投石車も真っ青な巨大な岩の塊の打ち出し。当たればエミリーとて一撃で戦闘不能は回避できない。
ゆえにそれを防ぐため、ユウリは動き出した。
「僕の存在を忘れては困るよ」
しかしその必要は、結果的にはなかったと言える。
バシュッと何かしらの音が小さく響いたと思うと、スイとマリウスはガルベグルスの頭上へと飛んでいた。
その足元には水柱が地面から打ち上げられている。スイの水魔術であり、あの魔術を利用してガルベグルスの頭上まで飛ぶことを可能としたのだろう。
一瞬にして現れた敵の存在に、ガルベグルスの黄金の瞳がギョロリと彼らに向いた。
しかしその前に、マリウスの剣の方が速く振り下ろされる。
「――」
岩が、切れた。
ガルベグルスの体は基本的に、どの部位も鋼鉄よりも硬い岩で覆われている。それは魔獣の頭部もまた例外ではない。
しかしマリウスの剣はガルベグルスの頬を切り裂いた。
擦り傷などと生易しいものではない。ザックリと、頬から鮮血が飛び散るほどの深傷を負わせる。
――ガァア――――ァァッ!!
悲鳴が届く。
痛みに呻き、上げられた前足をエミリーではなく検討違いの地面へと振り下ろしたガルベグルスの姿。それを見て、ユウリは思わず呆気に取られた。
「あれが先生の剣技か」
レオンも何かを感じたのだろう。
真剣な瞳でマリウスの方へと視線を向け続けている。同じ剣を扱う者でも、彼ではおそらくガルベグルスに傷一つ負わせることはできないはずだ。
ゆえに自分よりも高みにいる剣士の技量に、純粋に感服していた。
「――ッ」
しかし安心できる状況でもなかった。
何かしらの気配を感じ取ったらしいスイとマリウスの二人が、急ぎ退避するようにその場から離れる。
瞬間、彼らが先ほどまでいた場所を岩砲弾が勢いよく通過した。
もしもあのまま退避が遅れていたなら。それを考えると見ているこちら側の背筋に鳥肌が立ってくる。
「こっちを無視すんじゃねぇ!」
声と共に岩竜の体がぐらりと揺れた。
見ると、"岩断ち"による衝撃魔術を纏った大剣の一撃が、ガルベグルスの左後ろ足を襲っていた。
岩砲弾を迎撃したことによる衝撃で吹き飛ばされこそしたエミリーであったが、そのまますぐに態勢を立て直して目の前の巨大な魔獣へと食い下がったようである。
後ろ足に一撃を見舞われて体を傾かせた魔獣は、そのまま座り込むように態勢を崩した。
その時を見計らったのだろう。先ほどガルベグルスへと仕掛けたマリウスとスイの二人が、屋根上へと佇むユウリのもとへと屋根を伝って駆け寄った。
「マリウス先生。どうでした?」
「硬いね、あれは。このまま戦えば、少なくともかなりの長期戦になる」
ガルベグルスと対峙したマリウスの意見を聞こうとユウリは彼へと視線を向ける。しかし返ってきたのは疲れたような溜息であった。
「エミリーの一撃でも態勢を崩すだけとなると、このまま戦えばジリ貧だ。最悪全滅もあり得るかもしれない」
「五人でも厳しいと?」
「そうだね。何より、ここで勝てたとしても消耗が激しすぎる。万が一"汚染"と対峙すれば、確実に全滅だよ」
「確実、ですか」
マリウスの言葉にスイが顔を顰める。
ここまでの戦力が揃ってなお、消耗を伴えば"汚染"と対峙することで全滅することは確実だと断言された。そのことに僅かながらの疑問を抱いているのだろう。
「最悪、逃げ切るくらいなら……」
「忘れたのかい? ゾフィネスの危険度はガルベグルスよりも高いことを」
「――」
しかし次の言葉で口を噤んでしまった。
目の前の巨大な魔獣の危険度は、A+級。
ガルベグルスでも危険度でいえば最上級を誇る化け物である。
けれど、災厄の使者と呼ばれるゾフィネスの危険度は、それを上回る。
A+級超過とすら噂される彼女の相手を、ガルベグルスの後にもし行ったならば。その後のことは想像に難くはなかった。
「とりあえず、あの魔獣の態勢を崩して隙を作ろう。逃げるにしろ、戦うにしろ、まだ現状の情報が足りな――」
剣を構えて、ガルベグルスを睨む教師。
彼がこれからの指針についてを自らの生徒達に語っていた、その時のことであった。
「――」
「――あれは」
ガルベグルスの後方にて。
蒼き火柱が、天高く登っていく。
全てを燃やし、焦がすような蒼炎。その濃さが魔術の威力を物語っている。
あれほどの魔術を操る人物を、ユウリは一人しか知らない。
「フレアが、あそこにいる」
グッと握り拳を作った。
あそこまで強い蒼炎が放たれるということは、ゾフィネスと出会ってしまった可能性が高い。ということは、あそこがユウリの目的地であり、向かうべき場所である。
「――遅かったか……」
マリウスもそれを察したのか、舌打ちでも打ちそうな顔で天高く登る蒼炎を見つめた。
本来ならゾフィネスとは対峙せずにこの場から離脱するつもりであった。しかしフレアを連れ戻すためにはあの"汚染"と相対しなければならないことに、思考を張り巡らせる。
すなわち、ここで退避するか否かを。
「――先生」
「ユウリ君?」
「俺に、行かせてください」
その思考を読み取ったかのように。
決意の表情を浮かべてユウリは真っ直ぐと、消えゆく蒼き火柱を見据えていた。
「――本気かい?」
「本気です」
「あそこは大陸中を見渡しても、五本の指には入るほどの危険地帯だ。それでも?」
「それでも」
ユウリの決意は変わらない。
真っ直ぐ。ただ真っ直ぐと。
向かうべき場所を、ただ見つめている。
「――」
マリウスはもう一度、ガルベグルスを見た。
態勢を立て直してエミリーへと岩砲弾を放っている。そして対峙する彼女はそれを寸前のところで躱して、こちらにチラッと視線を飛ばした。
どうするのか、と。
そうエミリーは問うている。
「――」
レオンとスイはどうか。
彼らの方も一瞥すると、二者がそれぞれの顔をしていた。
スイの方はユウリを心配するかのように、表情を歪ませている。けれど、彼を引き留めるような素振りは見せない。
レオンの方はただ拳を握り締めて、しかしユウリと同様の決意に満ちた表情をユウリに送っている。
それはすなわち、どちらも彼を行かせることに反対はしないということ。
「――ふっ」
意外だった。
学生として多くの時間を共にしたレオンはともかく、現実的な考えを主とするスイまでもが反対意見を口にしない。
それはどこかで、彼ならば何かをやってくれるのではないかと期待するかのように――。
「――わかった。許可しよう」
だから、マリウスも見たくなった。
これまでのユウリと今のユウリ。その覚悟と決意の変貌の先を。
「君にフレア奪還の許可をする」
「先生」
「ただしあくまで目的はフレア君の奪還だ。危険だと思えば、ゾフィネスからすぐにでも逃げるんだよ」
「――わかりました」
パンッと手を打ち揃える。
準備は万端だと、それを周囲に知らせる。
だからこそマリウスは、笑みを浮かべた。
「では、行って来なさい」
「――了解」
走り出す。
ガルベグルスの相手を四人に任せて、ユウリはフレアのもとへと走り出す。
目指すは爆音が轟くあの蒼炎の中。
フレアを追って、ユウリは全速力で駆け抜けた。




