表面上の評価
「――おい君。食べ終わってるようなら早く席を譲ってもらえないか?」
「ん?」
去っていった少女の姿を眺め終え、ぼうっとしているところに一言。
聞き覚えのある声にユウリは視線を向けると、なるほど。そこには金色の髪と同色の瞳が目立つ少年が立っていた。
先ほどまでここにいたニールと非常に容姿が似ているが、よくよく見れば別人であることもわかる。
初日から何かとユウリとの縁があるな、と。ユウリは目の前に立つレオン・ワードに視線をやった。
「――そういえば、あの先輩もワードって家名だったような」
「おい、聞いているのか? 食べ終わったのなら速やかに席を離れろと言っているんだ」
「ん、ああ。それでなんだっけ?」
「何も話を聞いていないのか……!」
もはや恒例となりつつある会話の形式である。
頭を抑えるレオンと不思議そうに首を傾げるユウリ。
全く状況を把握していなさそうなユウリに対して、レオンは恨めしそうな視線を投げかけた。
しかしそのような視線もなんのその。
ユウリには今ひとつ効果がない。
「まあまあレオン。落ち着いて」
すぐさま食ってかかる勢いを見せようとしたレオンであったが、それを諌めるような言葉が彼の隣から聞こえてきた。
ユウリは次いで、そちらの方にも視線を向ける。するも一人の少女がレオンの隣に立っていた。
非常に珍しい、蒼色の容姿。
さらさらと流れるような、青空を思わせる色をした肩下まで伸びた髪と、澄み渡る蒼い瞳。
貴族の中でも特別珍しい容貌をした生徒である。
「えっと。そこのテーブルの席が空いてるなら、私達も座っていいかな?」
「あーそういうこと。どうぞどうぞ」
「ありがとう!」
花が咲いたような笑顔だった。
ぱあっと笑みを浮かべた少女はユウリの向かいの席を躊躇いなく座る。その様子に快く思わなかったのか、レオンが渋い表情を見せた。
「おい、ステラ。こんな奴に礼なんて言う必要はないぞ」
少女の名前はステラというらしい。
どうやらこのレオンとは親交があるらしく、幼き頃からの友人のように親しげな関係を築いているようだ。
だからこそ、棘のあるレオンの言葉にステラは注意を促す。
「レオン。友達に向かってこんな奴なんて言っちゃダメだよ」
「誰が友達だッ!」
顔を真っ赤にしてレオンは否定した。
「どうして僕がこの怠け者と友人関係にあると間違われるんだ。絶対にありえないだろう!?」
どうやら余程ユウリと友人関係と間違われたことがご立腹らしい。
彼とは何かしらの縁がある気もするのだが、ここまで否定されると少しばかりユウリも楽しくなってきてしまう。
同時に、悪戯心が芽生えてきた。
「そうだぞ。俺達は友達じゃない」
「あ、そうなんだ。でもレオンの反応からして知り合いみたいだけど……」
「ああ。友達じゃなくて――もっと、ただならぬ関係なんだ」
「――は?」
「ただならぬ関係なんだ」
「――へ?」
ふざけて冗談を口にしてみたが、変化は劇的であったと言えよう。
レオンはパクパクと酸欠状態の魚のような顔をしており、ステラは開いた口が塞がらないとばかりに唖然としている。
直後のこと。
「レオン――どういうこと?」
ガシリ、と。
レオンの肩を少女の手が掴む。
決して逃さぬよう、かなりの力を込めて。
青色の瞳が虚ろなものへと変わったステラの姿に、レオンの額から滝のように冷や汗が噴き出した。
「お、お、落ち着けステラ。彼はほら、男だろう?」
「別にね。レオンが誰を好きになろうと、誰と何をしようと、それは勝手だと思うの。だけど私に隠れてそういうことするのは良くないと思うんだよね」
「断じて、断じて何もしていない! 神にすら誓える!」
「まずは私に連絡。それから私がどんな人か見極めてあげるから、レオンはそれまで何もしちゃダメだよって何回も言ったよね――言ったよね?」
「話を聞いてくれ、ステラァ!!」
薄暗い雰囲気を醸し出して、少女は狂気をぶつけてくる。
真っ向からそれを受けるレオンの表情は次第に蒼白となっていった。
レオンの膝はガクガクと震えている。
この光景を見て――。
(やっべ。冗談で口にしちゃいけないやつだ、これ)
ユウリの体もまた、ガクガクと震えていた。
「き、君からも何か言え! 本当に取り返しのつかないことになるぞッ!!」
「えーっと。やぁー、そのー。もちろん冗談だからね?」
「――なんだぁ。ビックリしたぁ」
レオン同様、冷や汗を垂れ流しながらも誤解を解くよう言葉を口にした。
するとステラは一転。先ほどのことがまるで何もなかったかのような晴れやかな笑顔に戻った。
「――」
「――」
「その、苦労してんのな」
「もう二度としないでくれ」
それは懇願だった。
「とにかく誤解が解けたならいい。というか、僕が男色の毛があるとでも思ったのか」
「でも、レオンって綺麗な顔立ちをしてるから可能性は……」
「ステラ。それ以上は口にするなよ」
こめかみに手を当てて、レオンは精神統一を図る。
それだけ今の彼女の言葉は彼の心に刺さったのだろう。
しかし、このステラという少女。まさか本気でユウリとレオンがそういった関係であることを信じたのだろうか。
少しだけ、ユウリもまた薄ら寒い感覚を覚えた。
「――はぁ。もう、いい」
開き直るように皿に注がれている料理に手を出すレオン。それはもはや現実逃避の手段であった。
彼が口に運んでいるのは、貴族専用の食事。
先ほど見たニールと同じ料理であることからそれは間違いなかった。
その光景を、ユウリは涎を垂らして目敏く見つめる。
「……」
「……」
「……レオンさん」
「やらん」
「ケチめ」
もはや視線だけでユウリが料理を欲していることを悟ったレオンは、もしかすると自分との相性は案外悪くないものなのかもしれない。
口を尖らせながら、しかし思考の片隅ではそのようなことを思うユウリだった。
「……大体。君もこのようなところで暇を潰すくらいならば、鍛錬の一つや二つをしてしかるべきじゃないのか?」
「鍛錬?」
「昨日の魔力測定だ。あのような結果を出したことに恥を覚えないのか」
食事の動きを止めることなく、しかし鋭い眼光を目の前に飛ばし。
レオンは睨むようにユウリを見やる。
「あの測定値の低さから、君が今まで鍛錬をサボってきたことは丸分かりだ。ふざけた態度を取るくらいなら、少しは身のある訓練をするべきだろう」
「――ちょっとレオン。それは流石に言い過ぎだよ」
「ふん。事実を言ったまでだ」
嗜めるステラの言葉をも突っぱねる。
だが彼の言葉は至極もっともな部分が多いことも事実だ。
保持できる魔力総量は、魔力を消費すればするほどその量が増えていく。
才能の有無ももちろん必要となる部分はあるが、しかし極端に少なければ日頃の魔力消費が少ないことの表れであろう。
それはすなわち、日頃の鍛錬を欠いている証拠だ。
ユウリの場合は誰しもが持っているはずの魔力門と魔力抵抗力がないからこそ、魔力測定であのような結果を出すに至ったわけだが、しかしレオンはそのことを知らない。
知るはずもない。
だからこそ一般的な価値観としては、多くの者がレオンの言葉に賛成の意を示すことだろう。
「――身のある訓練、ね」
「なんだ。何か文句でもあるのか?」
「いやいや、文句なんてないよ。だけど一つ言わせてもらう」
言いつつ立ち上がる。
食事も終わり、またレオンも自身の食事を平民に分け与えるような慈悲を持つわけではないこともわかった。
ここに留まる理由もなくなったユウリはおとなしく帰ることを心の中で決める。
ただ。
一言。
「数値。見た目。表面上のものだけで人の価値をわかった気でいると、足元を掬われることになるぞ?」
今まで発していた雰囲気からガラリと変わった。
先ほどまではどこまでも抜けている印象を持たせてきたユウリであったが、今は違う。
剣呑。そして鋭く尖ったイメージを周りに植え付ける。
まるで一振りの名刀。立ち塞がるその全てを両断していくかのような、そんな鋭さを感じさせた。
「――ッ」
レオンはここまで高圧的な態度を取り続けてきた。
だが。
言葉を放ち、威圧的な雰囲気を放つ目の前の少年に、息を飲み言葉が出ない。
この時初めて、彼はユウリ・グラールの本質の一部を垣間見たような気がした。
「んじゃ。俺はそろそろ行くよ」
しかしすぐさま名刀のイメージは崩れ去る。
元々あったどこかしら抜けたような雰囲気に戻ったユウリは、不敵な笑みを浮かべつつレオンとステラの元から離れていった。
「――なんだか不思議な人だったね」
呆気に取られた様子から回復したステラが、再起動する。
欠陥品と周囲から嘲笑を受けている、平民の少年。しかしそれに悲観するでもなく、飄々とした態度を取っている。
掴みどころのないユウリに、ステラは興味ありげな視線で背中を見つめた。
「あ、そういえば。あの人って確かフレアさんと仲が良さそうだったような。……どういう風に話しかけたらいいか、聞けばよかったなぁ」
立ち去ったユウリに対しステラはまだ色々と聞きたいことがあったようで、一時の別れに少しだけ残念そうな顔をした。しかし同じクラスであることを思い出し、すぐにでも会えるかと思い直したところ――。
「……認めない」
「――レオン?」
横からの声に、視線を移す。
「――」
そして隣のレオンを見て、閉口した。
先のユウリと同じように剣呑な雰囲気を放つ彼がそこにいたからである。
黒髪の少年の後ろ姿を鋭く睨みつけながら、その姿が消え去るまでずっと視線を向け続けているレオンは、ポツリと呟く。
「僕は認めないぞ。ユウリ・グラール」
憎々しげな表情。
彼の言葉を許してはいけないと、己の矜持が叫んでいるとばかりに。
レオンもまた、去っていく黒髪の少年の背中を追っていた。