魔獣のマーチ
それは朝日が登ろうとする、早朝のことだった。
監視塔。
山中都市レガナントの中央に建てられた、空へと真っ直ぐに伸びる巨大な塔である。
用途としては、最上階から都市全体だけでなく周りを覆う街壁の外までを一望できるため、名前の通り外からの襲撃に備えるための監視場所として使われている。
けれど最近はあまりに平穏な時間が過ぎ去ることから、中層部までは観光名所として、監視塔は働かされていた。
もちろん上層部では未だ本来の役割を失っていないため、一般の市民を入れることはない。しかしその役割はゆっくりと、確実に廃れていっていると言えるだろう。
そんな、時を狙い済ましたかのように。
それは起きた。
「――おい、あれはなんだ?」
監視塔の見張りに就いていた衛兵。その一人が、ポツリと声を上げた。
それに反応したもう一人の男が、そちらに首を回す。
「どうした?」
「いや、遠くに見えるあれはなんだと思ってな」
二人の視線の先。
そこに見えるのはポツポツと黒点のように現れてくる、何か。
木々に覆われた森の上を浮かんでいるものもあれば、森の中からチラリと見えるものもある。
最初こそ二人はその正体がわからず、目を細めていた。けれどその黒点が近付くにつれて、正体を理解し始める。
「――魔獣だッ!!」
黒点の正体は、魔獣だった。
それも一匹や二匹、などというものではない。
何百という膨大な数の魔獣。それが一挙にレガナントへと押し入ろうとしていた。
後にレガナント魔獣侵攻事件と呼ばれる、災厄が幕を開けた。
★
――伝令ッ!
その言葉が山神の亭に響き渡ったのは、まだ学園生徒の大半が眠りについていた早朝のことである。
多くの生徒は教師や、すでに起きていた他生徒の助力もあって、目を覚ましていく。そして現実を知らされた。
「――魔獣、侵攻?」
「ああ。どうやら都市の外から膨大な数の魔獣が接近しているらしい」
情報により飛び起きたステラは、レオンの言葉に半信半疑だとばかりに目を瞬かせる。
平和な時を過ごし、そして朝を迎えた時にはそのような現状が広がっていると伝えられた。それらを鑑みれば彼女の反応が至極真っ当なものであろう。
そんな様子のステラに、今度はユウリも言葉を添える。
「さっき外の様子を見てきたけど、酷いもんだった。あれは完全に混乱してるな」
魔獣の気配にいち早く気づいたのはユウリとフレアだ。
彼らは伝令が伝えられる前に、膨大な殺気と脅威を肌で感じて自分から目を覚ましている。
二人に関しては、貴族であるステラとは違って、外での生活や危険地帯での生活がここに生きたと言えた。すでにいつでも戦闘が行えるように準備を終えている。
「魔獣がここに来るのも時間の問題ってとこね。さっき眼鏡の方の教師がすぐにでも避難できるよう準備を早く終わらせるようにと言ってたわ」
「マリウス先生が……」
「ステラも早く用意して。すぐにでもここを脱出するわよ」
窓の外を眺めながら、眉を寄せてフレアはその先を睨みつけていた。その先にあるのはおそらく魔獣の群れである。
加護持ちたる彼女でもここまで険しい表情を浮かべてしまうことが、事の重大性を端的に表していた。
「――ッ」
ステラが用意を再開しようとしたところ。
息を呑む音がその場に響いた。
「思ったより早かったな!」
窓の外を見張っていたユウリが突如としてその窓を開き、その外へと出た。
原因は息を呑んだレオンにはわかる。
空を飛ぶ鳥型の魔獣が、この山神の亭に接近してきたのだ。
だからこそ、ユウリは魔獣と対峙するためにも外へと身を躍らせた。
「ユウリッ。私の手伝いはいる!?」
「ここは俺がやる。フレアはレオンと一緒にステラを頼む!」
それだけの言葉を交わして、ユウリは窓から跳躍する。部屋は三階にあることからそれなりの高さではあるが、身体強化を施せば飛び降りることは簡単だ。
スタッと綺麗な形で着地したユウリは、目前まで迫った魔獣の姿を確認する。
「ガルーダか」
危険度C級の中型の魔獣――ガルーダ。
姿形はおよそ鳥類のそれで、二つの翼と鋭い嘴が特徴だ。
色合いは紫と黒が斑に色付けられており、どこか毒毒しさすら感じる。
眼光は黄色。その双眼がユウリの目と線を結んだ。
――――ッ!!
魔獣の鳴き声が山神の亭に降り注ぐ。
それによりユウリの背後にどっしりと構えられた宿泊施設の中から、悲鳴のような声が所々から聞こえた。おそらく中の生徒が魔獣の姿を視界に収めて発したものだろう。
それを合図に魔獣と、そしてユウリがそれぞれ同時に動き始めた。
ユウリを視界に収めたガルーダは、一気に空から急降下する。
武器として構えたのは、足から伸びる鋭い爪。
ナイフのように鋭利なそれが右足と左足に三つずつ、合わせて六つがユウリを襲う。
「――速い」
ダッと音を立てて、それを回り込むように躱す。動きが大きくなってしまったのは、魔獣の動きが予想以上に速かったためだ。
鳥類型の魔獣の特徴として、動きの速さが挙げられる。傭兵においての基礎情報だが、それを率直に示す動きであった。
しかし同時に欠点もある。
耐久性。それにおいては他の魔獣よりも劣る。
「まずは――翼だ」
何より翼のどちらかさえ傷付けてしまえば、機動力は大幅に落ちることを、ユウリは知っていた。
ゆえに今度はギリギリまで引き付ける。
声を上げてユウリへと再度突進を繰り広げるガルーダが、迫った。
それを次は寸前で、かつ動きを小回りのものにして、突進を避けた。
そして。
「もーらいッ!」
ガルーダの翼。
その付け根の部分に、魔波動により強化された脚撃を見舞わった。
――――ッ!!
ガルーダの絶叫が響き渡る。
手応えで理解した。
翼の付け根、その骨が折れたことを。
次にユウリは跳躍する。流れるような動きはまるでダンスでも踊っているかのようだ。
目標は魔獣の頭部。
機動力が落ちた魔獣は、未だ地面で身悶えている。その機会を逃すことはしない。
斧を振り下ろすような一撃。
全力の踵落としが――魔獣の頭蓋を粉砕した。
「――とりあえず一匹、か」
魔獣の討伐を終えたユウリは、しかしその死体には目もくれない。
見つめるその先は空の向こう。大群のように押し寄せてくる、ガルーダの群れだ。
先の魔獣は逸れた一匹だったのだろう。
ゆえにこの魔獣の他に周囲には何もいなかった。そしてそれは、魔獣が着々と都市に辿り着いていることも示唆している。
「ごめんねユウリ君! 私の準備は終わったよ!」
「僕もだ」
ユウリのもとにフレア達三人も辿り着いた。
装備はすでに脱出するためのもので、決してここに残るというものではない。
マリウスの話によると、魔獣が侵攻を始めたのは内山道を通ってのことであるらしい。ゆえに麓町バーベルまでを結ぶ外山道を通って、ルグエニア学園の生徒はここからの避難を試みるとのことである。
「――僕らも戦わなくていいのか?」
それに対してレオンは少し不満があるようだ。けれどその話にはすでに決着が着いている。
「それは騎士や傭兵、あとは学園の教師の仕事だ。俺達の出る幕じゃないって」
適材適所だ。
戦い慣れている騎士や傭兵などが魔獣の相手をして、生徒はこの都市からの避難を試みる。その際に総会実働部は生徒や民間人の避難の誘導を任されているとのこと。
ただの一生徒であるレオンにできることは、速やかにこの都市からの避難を行うことだけだ。
「というわけで、すぐに俺らも動こう」
すでに避難を開始している生徒に向けて、ユウリは顎を指す。
未だどこかしろで納得できていない様子のレオンであるが、ここはユウリの意見の方が正しいと首を縦に振った。
避難する生徒達。
列を成して逃げる生徒に混じり、ユウリ達は走る。
その際に、伝令の内容をユウリは脳裏に思い起こした。
山中都市レガナントの放棄。
その決定は速やかに行われた。
要因は幾つか存在する。
魔獣の接近を把握したことが遅れたこと。
魔獣の数があまりに多かったこと。
そして、背後に存在するかもしれない強大な脅威が予想できたこと。
それらを噛み締めた結果、都市を一旦放棄して市民を速やかに安全な場所まで避難させることが決断された。
(エミリーさんは戦ってんのかな)
衝撃音が聞こえた時に、彼女のことを考える。
避難するのはあくまで一般市民と学園生徒のみ。傭兵や騎士は魔獣の侵攻を受け止めるために、また都市が蹂躙されないように魔獣を仕留めることが義務付けられている。
(オルカも戦ってるのか。マリーは無事に避難できたのか)
――そして自分は本職の傭兵だ。
学園生徒は避難するようにと言われているが、同時にユウリはB級傭兵の称号も持ち合わせている。
ならばユウリも残って戦うべきではないのか。そのようなことを考えた。
「――おい、魔獣が来たぞ!」
生徒が逃げ惑う中で、ガルーダが三体こちらに迫ってきた。
避難誘導をしていた総会実働部の生徒が二名ほど、緊張した表情で前へと躍り出る。
その内の一人に、包帯を頭に巻いた見覚えある人物がいた。
フレノールらの班を担当していた、ロードス・ラルクラルである。
「ここは総会に任せろッ!」
彼が声を上げる。
しかし、足元が覚束ない様子なのが見て取れた。
考えられる理由は二つ。
一つは怪我が完全に治っていないこと。
もう一つは魔獣との対峙が怪我をした時の状況を脳にフラッシュバックさせていること。
思考する前に、ユウリは動いた。
「――ここは俺が受け持たせてもらいますよ」
実働部の生徒に対して、そのような捨て台詞を残し。ユウリは足腰に身体強化を施して、民家の屋根を伝って飛ぶ。
いきなり守るべき生徒の中から一人が飛び出したことに、実働部の生徒二人が呆気に取られた。そしてすぐにユウリを追おうとして、しかし動きを止める。
三匹の内の一匹が、ユウリの拳により撃ち落とされた。
「ユウリッ!」
「レオン達は先に行ってな。ここは俺の出番ってことで」
レオンの叫ぶような声に、そう返す。
地面へと落とされたガルーダと、突如現れたユウリを警戒するように空を旋回する他の二匹。それを眺めながら、バシンッと拳を手のひらに打ち合わせるユウリ。
そしてそんな彼の隣にスッと現れた、銀の少女。
「――って、フレア?」
「私も混ざるわ。第一、この程度の相手に逃げるなんて肌に合わないのよ」
「こんな時でも素直じゃないんだな、フレアって」
ふんっと。
ぶっきらぼうな表情を浮かべるフレア。けれどユウリは彼女が自分の身を案じて残ってくれていることを悟った。
「レオン達は?」
「行かせたわ。レオンは残りたがったけど、ステラが連れていったみたい」
「それ危険なやつだと思うけど。レオンのことだから隙を見て抜けて来そうだ」
「……否定できないわね」
彼の性格を考えると、容易に考え付くものだ。
そんなフレアの「拙った」とばかりの顔を気遣うことなく。
三匹のガルーダは二人のもとへと襲いかかる。
「――邪魔よ」
一秒と満たず、灰と化したが。
「――やっぱ、圧倒的だな」
全てを焼き尽くす蒼炎は、例外なく魔獣を三匹ともいっぺんに丸焼きにした。その光景には思わずユウリも舌を巻くほど。
加護持ちという存在の強さを改めて感じる。
隣で右手を突き出している少女はその加護持ちであるということも、また再認識させられた。
「ユウリ君!」
魔獣の死体を眺め見ていた時。
聞き覚えのある声が前方からかけられ、ユウリ達はついそちらの方を向いた。
レガナントの担当教師である、マリウスだ。
「先生」
「無事でよかった。こちらに魔獣が向かう姿を見かけてね。慌てて来てみれば、君達が撃退してくれたのか」
「君達というより、フレアがですけど」
チラリと彼は灰と化した魔獣を見る。そして次に加護持ちであるフレアも。
「なるほど。流石、といったところかな」
「この程度ならね。それよりも、状況はどうなっているのよ」
相手が教師であったとしても不遜な態度は変わらないようだ。状況が一刻を争うほど緊迫化しているからだろう。
対してマリウスは眉を寄せる。
「ついさっき、内山道に続く南の入り口が破られた。そこから魔獣がどんどん街に入っている」
「そもそもの話。今回の魔獣侵攻の原因って何なのよ」
「それは――奴だ」
マリウスが東の方へと視線を向ける。同時にユウリ達もそちらへと目を追い――。
「――なんだ、ありゃ……」
絶句した。
ここからでも見える、巨大な体。
遠くにいるため詳細はわからないが、小山が動いているかのように錯覚するほどの巨体が、こちらへと真っ直ぐ向かっている。
体全体は岩で覆われており、四足歩行で歩いていることだけが理解できた。
そのような巨大な魔獣が、見える。
「先ほど情報が入った。魔獣侵攻の原因は、岩竜ガルベグルスだ」
「竜、だと」
竜種。
最低でも危険度A+級に分類される、魔獣の中の頂点に立つ存在。かれらが訪れれば街一つが滅びるとさえ言われている。
その中でも岩竜の名で通るガルベグルスは、A+級の中でも上位の危険度を誇る化け物だ。
「森や山に住んでいた魔獣達は、あのガルベグルスから逃げるためにレガナントへと向かっている。岩竜を相手にするくらいなら、人間の相手をしてでも逃げる方がマシだと悟ったのだろうね」
マリウスが落ち着きを払い、けれど視線を細めながら告げる。
「君達はここから早く避難を。ここらの魔獣は僕が相手をしよう」
「相手するって言っても、あの数じゃ流石の先生でも厳しいと思うんですけど……」
「それにあなたはそれからどうするのよ」
「そうだね。まずはギルド支部長のラディーネさんのところに行こうと思う」
「――私を呼びましたか?」
背後から声がした。
ユウリ、フレア、マリウスの三人は背後を見る。
そこには、三人とも見知った人物がいた。
「噂をすればってところね」
「ラディーネさん。ちょうど良かった」
フレアとマリウスがそれぞれの表情を浮かべる。目的となる人物を目にして、どこか安堵しているようにも見えた。
しかし。
ユウリは。
「――」
唖然としていた。
理由はたった一つ。単純なものである。
目の前の人物がラディーネには見えなかったからだ。
長い白髪はどこまでも透き通るように真っ白で。
身に纏うワンピースもまた雪のように白く。
どこか禍々しい紫色の瞳が輝いている。
白き美女。
「フィー、さん?」
ユウリの眼前にいるのは黒髪を伸ばしたラディーネではなく。
白髪のロングストレートを真っ直ぐと垂らした、フィーと名乗る女性であった。
どうしてこんなところにいるのか。
どうしてラディーネと見間違われたのか。
どうして狂気的な笑みを張り付けているのか。
疑問が過る。
「――ユウリ。どういうこと?」
横の二人から、疑念の視線が飛ばされる。
それはユウリの様子があからさまに変であると、どちらもが気付いたからだ。
だから、答える。
「だって、目の前の人は、ラディーネさんじゃ、ない」
「――」
「白い髪も、白い服装も。紫の瞳だってラディーネさんとは似ても似つかない」
詰まりながら、目の前の人物を見やる。
言葉にした瞬間、マリウスとフレアの両者は時が止まったかのように硬直した。
そして視線を目の前の女性に向ける。
白き女性は。
ニヤリと嗤って。
「――あらあらまあまあ。どうして気付かれたのかしら?」
ケタケタと笑う。嗤う。
まるで悪魔でも乗り移ったかのように。口角を三日月のように持ち上げて。
次の瞬間。
彼女の足元から、蒼い火柱が天へと上った。




