崩壊の兆し
山中都市レガナントの中に幾つか用意された訓練場。傭兵や騎士なとが自由に使っていいとされる、王国が設置したその場所の一つで、朝から甲高い金属音にも似た音が鳴る。
「――どうして素手で剣を弾けるんですかね!」
「そういう技だからとしか言いようが――ッ」
袈裟斬りの軌跡を辿る、オルカのショートソード。その切っ先。
それをユウリは魔波動を放出した右腕で払い、軌道を逸らす。
「――ッ」
目を見張った。
素手で剣を振り払う。その卓越した技巧もそうだが、驚くべきは次の瞬間である。
オルカがまるで反応できないような速度で側面側へと回り込まれた。その動きの速さにより、オルカの目からユウリの姿が完全に外れてしまったからだ。
「くぅ……ッ!」
腹部に、ユウリの一撃が入った。
昨日とは違い、一撃で仕留めないための威力を軽減した、つまり手加減した拳撃。それを受けたオルカは苦悶の表情を浮かべて地面へと倒れた。
「俺の勝ち、ってことで」
「痛たた……っ。また負けた」
ユウリが手を差し出し、それをオルカは受け取る。そして半ば無理矢理起こされる形で立ち上がった。
自分と目の前の黒髪の少年。
歳はそう変わらないだろう。けれど、隔てる壁は絶対的だ。
自分では叶わない。そう思わされる。
「本当、速いですわね」
それを離れた位置から見守る人物がまた一人いた。先の模擬戦までの一部始終をその視界に収めて、模擬戦の度に驚きの声を上げる少女。
昨日もこの場で見学していた、フレノールである。
「あなた、魔力総量は最低値という話では? 今までの模擬戦、その全てにおいて全身強化を施していましたわよね?」
「おー。よく気付いたな」
「当たり前ですの。これでもワタクシは魔術師ですことよ。その程度の魔力感知くらい心得てますわ」
どこか頬を膨らませるように、フレノールはそう言った。
「全身強化? でも、それって魔力の消費がすごく激しくなるんじゃ……」
「だから疑問を投げかけているのですわ。全身強化なんて魔力を常時垂れ流しているようなもの。普通ならすぐに魔力が底を尽きるはず」
「ワタクシですら、保って一分といったところですわね」と。
どこか疑うような視線をユウリへと向ける。
「この分だと、魔力測定の時に手を抜いていたことになるのだけど?」
「――いや、それはない」
「言い切るのですわね」
「俺は確かにあの時、全力だった。何より魔力測定で手を抜いたら、教師が気付くだろ」
「それを言われると何も言い返せませんわ」
そこでフレノールも渋々と引き下がった。
ユウリの表情から、決して手を抜いた訳ではないということが理解できたからである。
「――じゃあ、ユウリさんはどうしてここまで強いんですか?」
それ以上言葉を重ねなくなったフレノールに代わり、今度はオルカが尋ねた。
欠陥魔術師と呼ばれるユウリ。けれど実力を鑑みればそのように言われる筋合いなどないように見える。
魔力測定の値が低かった、というのは本当のことなのだろう。それはフレノールも、またユウリ自身も認めているのだから。
ならばどうしてここまでの強さを手にしたのか。それが気になった。
けれど。
「俺は強くなんかないよ」
「――」
「強くなんか、ない」
含む感情は何だったのか。
謙遜か。諦めか。それとも、別の何かか。
オルカも、フレノールも。そしてユウリすら理解できていない。
しかし黒く闇のような目の中に、確かに何かしらの感情が宿っていたことだけは、その瞳を見た二人にはわかった。
「――ユウリさんは強いですよ」
だから、オルカはその言葉を口にした。
純粋に、心からそう思う。だから口にした。
フレノールもまた反論はないのか。何かを言おうとしてはいたが、終ぞ口にすることはしない。
対してユウリは。
「――」
何も口にすることはなかった。
★
時間は昼になった。
フレノールは従者であるメルクレアと、明日から再開する実地研修についての打ち合わせがあるらしく、あの後はすぐに抜けた。
オルカもまた傭兵の仕事があるそうで、傭兵ギルドの支部へと足を運ぶそうである。
「はいっ。ユウリさん」
「おお! ありがとさん!」
その際にユウリはオルカから「ウチに寄ってはどうか」と誘われ、それに頷くことにした。というのも、この後の用事らしい用事というものが存在しなかったからである。
ゆえにユウリは今日もまたオルカとマリーの兄妹の家で食卓に預かることとなった。
「――どうしたあんたがここにいるのよ」
「オルカに誘われて。やぁー、まさかフレアもいるとは」
呑気に笑うユウリに対して、フレアはジト目のまま出された食事を手につける。
今ここで、マリーの料理を口にするのはユウリとマリーの二人だけではない。フレアもまた、この場に訪れていた。
「ユウリさんがお兄ちゃんと約束してたように、あたしもフレアさんと約束してたの。明日もまた会おうって」
「……暇だったから来てみただけよ。それがまさか、ユウリもここに来るなんて」
少しばかり不機嫌そうな表情を浮かべる。
フレアとしては、あまりユウリにこの場に来ていたことを知られたくなかったようだ。
人との距離を置く彼女にとって、マリーとの親交を図る行為を、約束とはいえ自分から行ったことに気恥ずかしさを感じている様子を見せる。
「へぇ。でも、会ってどうするつもりだったんだ?」
出された料理を一瞬にして平らげて。
ユウリは首を傾げながら尋ねた。
ユウリがオルカと会っていたのは、模擬戦のためだ。彼の訓練に付き合うように言われたから、足を運んだ。
では彼女は一体どのような用件でここに来たのか。
「昨日は時間がなかったから見せられなかったけど、フレアさんにとっておきの場所を教えようと思って!」
答えたのはフレアではなく、隣でニコニコと座るマリーのほうであった。
「本当はお喋りするだけで良かったんだけどね。でも、どうしてもフレアさんに見せたかったから」
そう言って、マリーはフレアの腕を抱き締める。こうして見ると、まるで姉妹だと言われても頷けるほどだ。
本来ならそのような馴れ馴れしい行為などご法度だろうフレアであるが、彼女の方もあまり気にはしていない様子。それどころか、マリーにだけはその行為を許しているようにすら見える。
たった一日でここまで仲良くなれるものなのかと、ユウリは驚きのあまり目を大きく見開いた。
「……何よ。何か言いたげみたいじゃない?」
「別にぃ」
口角を上げて笑う。
そのユウリの笑みにムッと頬を膨らませたフレアであるが、しかしそれ以上の追求は自身の首を絞めることになりそうだと、止めた。
マリーはフレアに懐いており。
フレアはそんなマリーを許している。
ユウリでさえ数ヶ月かけてもそれまでの関係を築くことができなかったのに、この小さな少女はそれをいとも簡単に行ってしまった。それに少しばかりの尊敬を覚えるばかりである。
「で、そのとっておきの場所とやらにはいつ行くのよ?」
「そうだね。よしっ、今から行っちゃおうよ!」
腕を話して、満開の花が咲いたような笑みをフレアに浮かべる。
そんな十歳の少女の眩いばかりの笑みに、ふっと微笑を浮かべたフレアは、「仕方ないわね」と席を立ち上がった。
「ユウリさんもどうかな?」
「あれ、俺もいいの?」
「もちろん! あたしが加護持ちってことを知ってる二人なら、教えてもいいかなって」
フレアだけではない。
ユウリにもまた、彼女は笑みを送ってくる。
そんな彼女の提案にユウリもまた、頷いた。
★
「こっちだよ!」
「はいはい」
元気よく高台へと続く道を登るマリー。対してフレアは頬を少しだけ緩ませながら、そのように返事を返した。
「――」
「――そんなに、今の私が珍しいの?」
「当たり前じゃん。いつものフレアを見てたら、まだ信じられないっての」
先行するマリーの背を見ながら、ユウリは答えた。
「そう、ね。確かにそうかも」
「自覚はあるんだ」
「うるさいわね。仕方ないでしょ。マリーが、その、昔の私と似てたんだから」
「昔のフレアに?」
赤く染めたフレアの表情に、意外だとばかりに目を丸くする。
天真爛漫なマリーと、淡白なフレア。どちらかと言えば対極に位置する性格のようにも思える。
けれど、昔のフレアはマリーのような性格だったようだ。
「家族構成も似てたわ。私にも兄がいたから」
そんな彼女は、どこか懐かさを含む表情を浮かべる。遠く、儚く、切ない光景を思い出すかのように。
「両親は早々に他界して、兄さんと二人暮らしだった」
「そっか」
「兄さんはどこか抜けてて、でも優しくて。そういえば食べることが大好きだったわ。寝ることも。普通の生活をこよなく愛してたような気がする」
遠く。
遠くを見つめるフレア。
ふと、彼女は「――ああ」と呟く。
「なんだか、わかったような気がする」
何かを悟ったような瞳。
それがユウリへと向けられた。
「私があんたに心を許してしまう理由。ユウリが――兄さんに似ているから……」
懐かしさも切なさ。
双方の情景を抱いた瞳が真っ直ぐとユウリを見ていた。否、その背後にある何かを見ていた。
「――ごめん。変なこと、話しちゃった」
スッと。
すぐにその瞳が元のサファイア色のそれに戻る。
「今の話、忘れて」
「いや、まあ、でも」
「――忘れて」
何を言えば良いのかを迷ったユウリであったが、鋭い声に拒まれた。
それは彼女から向けられた、明確な拒絶。それ以上は侵入してくるなという、明確な一線。
だからこそユウリも、それ以上言葉を重ねることはしなかった。
「――フレアさん、ユウリさんっ! 着いたよ!」
声がかかった。
フレアとは対照的な、明るげな声が。
視線を先へと向ける。
するとこちらに向かって笑顔で手を振るマリーの姿が、夕日と重なってより幻想的な光景として二人の視界に飛び込んできた。
「ここが――」
マリーが二人を連れてきた場所は、一言で言えば都市全体を見渡せる高台であった。
落ちかける夕日がレガナント中を赤く染めて。淡く、けれどどこか力強くこの街を照らしている。
中心に聳える監視塔が光を背にしているからか、影をつくっていた。その姿がなぜか映える。
「この時間になると、こんな風に都市が綺麗に染まるんだ」
マリーはどうやら、フレアとユウリにこの光景を見せたかったようだ。
お気に入りの場所、と言っていた。その理由もユウリにはよくわかる。
「――」
綺麗だ。
心からそう思った。
「本当は、お兄ちゃんがこの場所を見つけてくれたんだ」
「オルカが」
「自分はこれから傭兵として活動するから、今までのように長く家に居られない。だから、何か辛いことがあったらこの場所に来ればいいって。そう言って教えてくれたのっ!」
「――そう」
フレアもこの光景をじぃっと眺めている。
彼女の気持ちはユウリのように、純粋にこの赤く染まった都市に魅入っているというわけではないだろう。
先ほどの会話が、彼女の頭の中をグルグルと回っているはずだ。
けれど。
「――ま、綺麗ね」
済ましたように。
いつもの調子を表に浮かべた。
それを見て、マリーは笑顔を向ける。
夕日を浴びる三人。
赤い都市を眺めながら、それぞれがその場にしばらく立ち尽くす時間が過ぎていった。
★
同時刻。
「――あらあらまあまあ」
一つの声がレガナントの周りに連なる山々の一つから、響く。
白を纏う女性。
幻想的であり、かつ狂気的。
毒毒しいまでの美しさを誇るその女性が、口元を三日月のように尖らせて、嗤う。
視線の先は前へと。
眼前で眠る、巨大な岩のような生き物。
「さあ、奏でて。私の欲しい音を、声を!」
その叫びがそもそもの始まり。
破滅へと誘う死の狂想曲。それが行われる合図となる。
次の日、山中都市レガナントは――壊滅した。
三章 実地研修編 中編 ―完―




