レガナントの兄妹
「やぁー。まっさか一日休みが取れるなんてなぁ」
「――で、どうして私に付いてくるのよ」
「だって暇だし」
時刻は昼前ほど。
活気付く街の通りを歩きながら、晴天の下で陽気な笑みを浮かべつつ、ユウリは足を動かす。その様子にフレアはどこか諦めた様子で、息を一つ吐いた。
ユウリ達がこうして休みを取れているのにも、もちろん理由がある。
昨日の事件もあり、傭兵ギルドや騎士の本職の者が近隣の魔獣の生態について調査に乗り出すことになったのだ。ゆえに実地研修を行っていた生徒の全てが、二日間の休みを取れることに繋がった。
「どうせ二日間の休息が終わったら忙しくなるわよ。何より、それだけ実地研修の期間が延びるってことじゃない。面倒臭いわ」
「まあまあ。偶には息抜きもいいじゃん」
「あんたはいつも気楽でいいわね」
ジト目を送られるも、ユウリは笑みを浮かべるだけ。
この男にそういった気遣いを求めるだけ間違いかと、フレアは再度溜息を吐いた。
「ところでフレアはどこに行こうとしてるんだ?」
「それも分からず付いてきたの? 相変わらず、なんと言えばいいのか……」
呆れた様子で肩を竦める。
しかしこのようなやり取りはフレアとしても慣れたものであった。
「といっても私も目的があるわけじゃないわ。適当にそこらへんを散策でもしようかと思っただけ」
言って、レガナントの中央に聳える監視塔に目を向ける。
「例えば、ほら。あの監視塔は一般に人でも入れるらしいから、行ってみたいじゃない?」
フレアはその塔に目を向けながら、少しばかり悪戯気な笑みを浮かべた。
山中都市の中央に備えられている、監視塔。
都市の全てを見渡せるため街を守る衛兵が駐在しているが、どうやら観光名所としても有名なレガナントらしく一般公開もされているらしい。
「軍事関係の場所に一般市民が入れるって。どんだけ平和なんだか」
「それについては同感ね」
他国よりこのルグエニア王国へと至った二人は、同時に肩を竦めた。
「――監視塔が建てられてここ数年、一向に必要な機会がなかったから、そうなっても不思議ではないんですよ」
そんな二人に対して、背後からかかる一つの声があった。
ユウリとフレア、二者が同時に振り向く。
「――どちらさん?」
「……もう忘れられたんですか。昨日あなたに助けられたオルカです」
茶色の髪の中に混じる、一房の白髪。
同様に茶の輝きを灯す瞳には、どこか儚くも燃える炎の気配が感じられる。その彼の腰に掛けられているのは、新品に近いショートソード。
「ああ、昨日の」
「先日はお世話になりました」
思い出したように反応したのは、フレアの方であった。
少年の名は、オルカ。
昨日、傭兵ギルドでユウリとスイの二人と共に応接室へと呼ばれていた傭兵である。
「やぁー。寄りかかった船だし、何より傭兵はいつ自分にも危機が降りかかってくるかわかんないからね。お互い様ってことで」
「それでもお礼を言いたくて。もしあなたが来てくれなかったら、僕はここにはいなかったんで」
「……。あなた、見たところ新人傭兵みたいだけど」
ふとユウリは隣を見ると、観察するような視線をフレアは少年に向けていた。その視線に晒されたからか、オルカは若干目を丸くする。
「そうです。よくわかりますね」
「わかるわよ。身に付ける鎧も腰に掛けるショートソードも、新品のように綺麗だもの。立ち振る舞いも傭兵業を長く続ける熟練者じゃないし」
「うっ。それを言われると、少し辛いかも……」
「なら精進しなさい。危険度C級の魔獣に手こずってるようじゃ、いつ命が危ぶまれるかわかったもんじゃないわよ?」
「いやフレア。危険度C級って普通なら相対した瞬間、命を諦めるレベルだから」
少年のために、ユウリは助け舟を用意しておく。彼の言葉道り、危険度C級相当の魔獣というのは熟達した傭兵が相手をするような相手だ。その上となると、それこそ才あるものでなければ到達できない領域となる。
加護持ちたるフレアにとっては、あの程度の魔獣など有象無象。どころか目を瞑ってでも相手取れるのだろうが、しかしそれを目の前の少年に求めるのは酷なものだ。
「それで、私達に何か用でもあるの?」
「いえ。偶々見かけたので声をかけただけです。あと、お礼も言いたかったから」
愛想笑いを浮かべる少年の様子は、確かに傭兵のそれとは少しばかり離れていた。
ユウリの知る傭兵というのは、不遜な輩や豪快な者が多い。エミリーなどがいい例だ。それを考えると、オルカは非常に傭兵らしくない。
傭兵業に精通しているわけでもないフレアが一瞬でオルカを新人傭兵だと見抜いたのも、武器防具の綺麗さよりそういった彼の人柄から察したのだろう。
「ま。お礼はいいってことで。もしもお礼したりないっていうなら、ご飯でも奢ってくれるといいよ」
「またあんたは食事に走る」
「衣食住は生きる上での基本。その中でも必ず必要な食べるという行為を優先するのは、至極真っ当なことだと思うんだけど」
「あっそ」
「相変わらず冷たいなぁ」
一連のやりとり。
どこか手慣れた様子で会話する二人に、オルカはクスリと笑った。
「仲がいいんですね」
「やぁー。照れるじゃん」
「どこがよッ!」
「訂正します。そこは反応が二人とも違うんだね」
ユウリは呑気に笑い、フレアは顔を赤くして否定する。どこかチグハグで、しかし息はピッタリのようにも見える二人であった。
そんな彼らに、オルカは苦笑しながら。
「もしも良かったら、これから僕の家で昼食を一緒に取りません? 昨日のお礼も兼ねて」
「行く!」
そう言った瞬間、ユウリから全力で食いつかれた。
隣のフレアはどこか呆れながら、しかし諦めたように額に手を当てている。おそらくこの展開をある程度は予想していたのだろう。
目をキラキラと輝かせてオルカに「いいの? いいんだよね?」とばかりの視線を送り続ける同じ歳ほどの少年に、今更断ることなどできるはずもない。
「なら、案内しますね」
はは、と。
苦笑の表情を浮かべたまま、そんな彼にオルカは頷いた。
★
オルカに案内されるまま、ユウリとフレアは彼の家へと足を運ぶ。
オルカの家は、レガナントの南部に位置する一般的な民家であった。
この都市では平均的な、石造りの建物。暖炉があるのだろうか、他の家にはない煙突が周囲との違いを示してはいた。
「オルカは一人でここに住んでるのか?」
「いえ。妹と二人で暮らしてます」
「ふぅん。ま、こんな場所に一人で暮らしてたら、それこそ贅沢ってもんよね」
「そこまで稼げるほど働いてる印象もないし」
「ユウリさん、フレアさん。少し僕に手厳しくない……?」
悪びれもしない二人に、げんなりとした顔をする。けれど二人はそれすら無視したままであった。
余談ではあるが、ここに着くまでの途中でそれぞれの自己紹介は終えている。ゆえにどちらも互いを名前で呼び合うまでになっていた。だからこそ、遠慮があまりなくなっているとも言える。
「――ただいま」
弁解されることをひとまず諦め、オルカは自身の家の扉を開けた。
すると中からは、「おかえりなさい!」と元気な声が奏でられる。声の調子から、少女の者であることはユウリとフレアのどちらもが察した。
「どこに行ってたの……あれ?」
ひょこりと顔を出した少女は、兄の他にも知らない顔があることに目を丸くしている。
ユウリ達についての疑問を覚えながらも、しかし少女はこちらにパタパタと走り寄ってきた。
兄と同じく、茶髪茶目。その髪の中に一房の白い毛が混じっているところも同じである。違うのは、その肩まで伸びる髪をポニーテールにしているところか。
歳の程は十歳ほど。オルカの瞳は優しげなものであるが、妹の彼女の方はどこか悪戯気な猫を彷彿とさせる。
「えっと。どちら様ですか?」
その猫のような少女が、首を傾げてユウリ達へと問いかけた。
「マリー。この人達はルグエニア学園の生徒さんだよ。黒髪の人の方がユウリさん、白銀の人がフレアさんだ」
「ほわー。綺麗な人だぁ」
紹介に預かったユウリとフレアの二人だが、マリーと呼ばれる少女の視線はユウリを無視してフレアへと送り続けられている。
確かにフレアの完成されたような美は、初見であれば必ずといっていいほど見惚れてしまうだろう。
光を反射しながら、その神々しさを物語る白銀のセミロング。きめ細やかな肌は透き通るほどの白さを誇り、サファイア色の勝気な目の上に伸びる睫毛は細く長い。
人当たりが悪いという欠点さえ除けば、彼女はこの大陸中を探しても早々見かけることはできない、とどのつまり美少女だと形容できる。
されど少女の注目を一点に集められ、なおかつここまで存在の影が薄いと主張されるようなこの現状には、少しばかりの不満を抱くというもの。
「でもお兄ちゃん。この人達をどうして家に?」
「ほら、昨日教えたよね。傭兵の依頼中、僕の命を救ってくれた人がいるって」
「ああっ! この人達が?」
「正確には私の隣にいるこの呑気そうな男が、だけどね」
ぶっきらぼうにフレアはそう言った。
「さっきバッタリと再会してね。昨日のお礼も兼ねて、僕の家で一緒に食事でもと誘ったんだ」
「そうなんだ! だったら任せて。今日は大判振る舞いよ」
にししっ、とマリーは笑う。
どうやら食事というのは、この年端もいかない少女が作るようだ。それが少しばかり意外で、ユウリは「ほー」と息を漏らした。
「ユウリさん、フレアさん。適当に上がってよ」
「腕によりをかけちゃう!」と、行きと同じくパタパタとした足音を奏でて奥の部屋まで去っていくマリー。それを見届けたオルカが、苦笑いをしながらユウリとフレアに上がるようにと促す。
互いに顔を向けあったユウリ達であったが、彼の言葉におもむろに従い始めることにした。
オルカの家は、外観もそうだが内観も一般的な民家のそれである。
けれど、それは逆に違和感を覚えた。
兄と妹、その二人暮らしだとオルカは言っていた。
では、親はどうしているのか。
「僕の両親は、二年前に亡くなってるんだ」
三人が食卓の机に着いた時。
その答えを、オルカ自身の口から耳にする。
「両親も今の僕と同じく傭兵でね。二人で傭兵業をやってる時に出会って、そして僕らを産んだらしいんだ。腕はライセンスC級の域を出ない平均的なものだったけど、それなりに稼ぎも良かった」
「――」
「だけど、まあ傭兵なら良くあることだね。魔獣に奇襲をかけられたらしくってさ。そのまま二人とも……」
顔を俯かせ、暗い表情を見せるオルカ。
しかしユウリの口から何かを言えることは、ない。それが傭兵業の定めでもあるからだ。
「――だから、僕が。僕だけでも妹を守らないといけない」
けれど、それも束の間の話。
オルカは強い炎を瞳の中で燃やして、顔を上げる。
「妹はまだ十歳だから、僕が働いて、稼いで、残された唯一の家族を守らないといけない。だから本当に感謝してます。僕を救ってくれたことを」
笑顔を浮かべてそのように言われた。
純粋な感謝というものを久しぶりに受けたユウリは、答え方に迷って頬をポリポリと掻く。彼の言葉に対する反応は、それしか出てこなかった。
逆に。
「――ふぅん。身勝手な自論ね」
フレアの方は、冷めた視線をオルカに向けていた。
「身勝手な、自論?」
「ええ。妹を守らないといけない。だから、傭兵になって、戦って、稼ぐ。その考え方はあまり好きじゃないわ」
「どうして……」
「あんた、昨日死にかけたんでしょ? ご両親と同じく」
冷気すら帯びていそうな視線の元で、バッサリとそのように言い捨てる。
その言葉と視線に、オルカは少しばかり剣呑な瞳に変化しかけていた。
流石に空気が悪いと、普段なら空気すら読もうとしないユウリでもそう思う。
「フレア。流石にその言い方は――」
「黙って。私はね、自分が残されたから妹を守らないとって考え自体を否定してるわけじゃない。だけど、もしもユウリがいなければ今日、この家には、あの娘しかいなかったでしょうね」
「――」
唖然と。
オルカは口を半開きにした。
「あなたを失ったあの娘はどう思うと思う? 唯一の家族を失ったあの娘の気持ちを、あなたはどう考えるのよ」
「それは」
「もしも妹を大事にしてるなら、守ることじゃなくて側にいることに努力しなさい。それをあのマリーって子も望んでるわ」
そこまで言い切った後、「後は任せた」とばかりに視線をユウリに送っては、その口を閉じる。
彼女のある意味薄情な態度にらやれやれと肩を竦めつつユウリは優しげな目をオルカへと向けた。
「ま、オルカ。あんまり考えすぎなくていいよ。要は、お前が無事なら妹はそれでいいって思ってくれてるはずだから」
「――」
「別に傭兵を止める必要もない。危険は最小限に、は傭兵の鉄則。つまり危ないことはするなってこと」
それだけを言って、ユウリもまた口を閉じる。
フォローにもなっていないだろうが、しかし言いたいことは伝わったはずだ。
そして三人のもとに、数秒の沈黙が降りる。
「――はい! お待たせしました!」
そこでドンッと音が鳴った。
食事を作っていたマリーが、料理の乗せた皿を叩きつけるように机に置いたからである。
「おおっ! マリーは料理が上手いんだな!」
「むむっ! ユウリさんは良く分かってる!」
皿の上に乗せられた料理と、その彩り具合でこの少女の腕がある程度はわかるというもの。
どうやらこの少女は家事に慣れているらしく、その盛り付けもそこいらの一般民家ではお目にかかれないような家庭的な美しさを見せつけてくる。
グーッと。
ユウリの腹が盛大に音を立てた。
「んじゃ、いっただきます!」
瞬間。
瞬間である。
ユウリの目の前に置かれた料理が、一瞬にして無くなっていく。
「――」
「――」
「ユウリさん。そんなに急がなくても、あたしの料理は逃げないよ?」
「……んぐッ。いやいや、あまりに美味しくて」
食いっぷりだけならS級であろう。
「あんたは何食べても美味いっていうでしょ」とのフレアの言葉を無視して、ただひたすら目の前の料理へと意識を向ける。
それを目にしてマリーは苦笑。フレアは澄まし顔。それぞれを浮かべた。
「……じゃ、私もいただくわね」
「どうぞっ!」
元気のいい言葉が返って来たことに、フレアは少しだけ目を丸くして。
そして普段なら見せない優しげな瞳で微笑した。
その間。
バクバクと胃に食料を収めていくユウリの対面に座るオルカは、先のフレアの言葉を噛み締めていた。




