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ただの欠陥魔術師ですが、なにか?  作者: 猫丸さん
三章 実地研修編 中編
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予感

「間に合った!」


 魔獣の顔面の側面を、迷わず蹴り飛ばす。

 不意打ちの一撃は物の見事にあっさりと決まり、剣角鹿は倒れた。


 しかしクルリと身体を回転させて素早く起き上がる。そのまま新たに現れた(ユウリ)から距離を取るように後ろへと跳躍。


 ユウリの黒い目と、黄色い眼光が交錯した。


「ユウリさん!?」

「ユウリ・グラール! どうしてここへ!?」


 その背後から、驚愕を隠せないとばかりの声色でメルクレアとフレノールが声を上げる。

 それをチラリと一瞥し、けれど目の前の魔獣に対する警戒は薄れさせぬままに口を開いた。


「たまたま近くを通ってさ。悲鳴が聞こえてきたから慌てて来てみれば、こんな事態と遭遇したってわけ」

「――」

「それで、倒れてるのは総会の人?」


 肩を竦めて、フレノールの足元で血だらけで意識を失っている生徒のことを指差す。


「……ええ。ワタクシ達の担当の実働部の方ですわ。ワタクシを庇って、怪我をなされました」

「そっか。見たところ、すぐに手当てしないといけないってほどじゃないみたいだけど」

「それでも! 危険な状態ですの……」


 語尾が弱くなるのは、自分のせいで怪我をした総会実働部員の担当生徒の容態が良くないからだろう。

 ユウリの見立てではすぐにでも治療しなければ命に関わる、というほどの怪我ではない。しかし放っておけば危険だ。


「そこは安心していいよ。もうすぐ俺の班員が来るから、その時ステラに治療してもらえばいい」

「アーミア家の……。それより、どうしてあなたは一人だけなのですの?」

「悲鳴が聞こえて、一刻を争うと思ったから先行してきた。一番機動力に優れるのが俺だから、だってさ」


「先輩は人使いが荒い」と、ユウリは溜息を吐いた。

 その言葉から、おそらく班の担当生徒にそのように命令されたのだろうとフレノールは予想する。


「ユウリさん。でも……」


 ふと、近くから呟くような声がした。

 メルクレアが震える身体を抑えつつ怯えた視線を魔獣に向け続けている姿が目に入る。


「相手は危険な魔獣です……。早く逃げないと」

「同感ですわ。相手が悪すぎます」


 フレノールもまた、メルクレアの言葉に頷いた。


 相手は危険度C+級の魔獣。正規の騎士でも手を焼かされる、どころか一人で相対してしまったのなら殺されることも覚悟せねばならない。それほど危険な生物なのだ。


 たかが一人の生徒が助太刀に来たところで状況が変わるとは思えないと、フレノールは続けた。


「……たぶん、大丈夫だよ。さっきお兄さんが言ってたから――他の班員も来るって」


 緊張感は消えないが、しかし僅かばかりの希望を見出したような、そんな言葉が差し入れられる。その少年に対して、ユウリはそちらの方にチラリと視線を向ける。


「君は?」

「オルカといいます。偶々近くを通って、ここにいる傭兵です」


 オルカと、少年は名乗った。

 続けて言葉を繋ぐ。


「時間稼ぎに徹するなら、僕も手伝います」


 ユウリの横に並んで、腰にかけたショートソードの柄を握った。

 僅かに震えるその手は強く柄を握り締めており、けれども彼は一歩も引かない。どうやらただの一般人というわけではないようだ。少年は、傭兵をする上で必要な覚悟を持っている。


 ユウリは、悪戯げな笑みを浮かべた。


「悪いね。時間稼ぎじゃなくて、俺の仲間が来る前に仕留めるつもりだ」

「――え?」

「ほら。相手もそろそろ痺れを切らすころだから、下がってな」


 視線を魔獣に飛ばすと、真っ直ぐとユウリを睨みつけていた。

 先ほどの蹴りの威力から、この中でも誰が一番の脅威かを悟ったのだろう。


 剣角鹿はまるで猪のように足を踏みならして突進の構えを取る。その剣のような角の先をユウリに向けて、いつでも飛びかかれるように構えの体勢を見せていた。


 しかし。


「先手必勝ってね!」


 構えを取る前から、ユウリはすでに走り始めていた。


 ダッ、ダッ、ダッ、と。

 地面を蹴りつけた時の衝撃音にも似た空気の振動が、周囲に奏でられる。

 対して一拍遅れる形で、剣角鹿もまた突撃を開始した。


 どちらも互いに肉薄しようと、迫る。

 けれど野生の魔獣よりも、驚くべきかユウリの方が速度で勝っていた。


 すぐさま接近したユウリは、まずはもう一度地面を蹴りつけて加速する。


 脅威の瞬発力で側面へと回り込んだユウリは、動きを止めようと足に踏ん張りを効かせ始める魔獣の頬面に強力な正拳突きを放った。


 ――ギ、ガ……ッ。


 そのような呻き声を上げる、鹿もどき。

 けれどユウリは止まらない。足に身体強化を施して鹿の頭上へと飛んだ。


 足を天にでも上げるかのように振り上げ――そして落とす。

 勢いの乗った踵落としは、剣角鹿の背に直撃。背骨がビキッと音を立てて、魔獣が痛みに耐えられず咆哮を上げた。


「――折れなかったか」


 視線を細めるユウリは、地面へと着地。

 その後も猛攻の手を止めることなく、魔獣へと果敢に接近していった。


「――すごい」


 黒髪の少年による見事な武術の応酬。その光景に目を見開き、感嘆の声を思わずオルカは零してしまう。


 背後のフレノールとメルクレアも同様だ。まるで信じられないものを見ているとばかりの表情を浮かべている。


 その時にまた、衝撃が空気を震わせる。

 ユウリの大砲のような一撃が、剣角鹿の顎を砕いたのだ。


 ――ァァァアアッ!!


 声にもならない、悲痛な叫びが木霊する。

 顎を砕かれたことにより魔獣の口からは涎がボロボロと溢れ落ち、見ているこちらが痛ましい感情を抱いてしまうような状態を見せていた。


 けれどその瞳から戦意は失われていない。


 己の磨き上げた角にて、ユウリを斬り刻むために頭を振るう。


「――遅いよ」


 けれど、傷を負い動きに鈍さが目立つようになった魔獣の一撃を貰うほど、ユウリの回避能力は低くない。

 スルリと躱して、さらに肉薄。剣角鹿の顔の側面へと、現れて。


 そして。


「仕留めた」


 凄まじい勢いで天へと登るような、蹴り上げ。骨すらもへし折るような一撃が魔獣の喉の部分に直撃し、そしてそれを潰した。


 喉を潰され、首をへし折られる。

 それはつまり生命の終わりを意味するのと同義だろう。

 ヒューヒューと息を漏らしつつ、身体をフラつかせて。それでも立とうとするけれど、足に力は入らず。


 魔獣は遂に、地面へと横たわった。


「終わり」

「――」


 唖然と。

 ただ、唖然と。

 己の生命の危機の根源たる剣角鹿という脅威が、あまりに呆気なく駆除されるその光景に、フレノール達は何と声を発すればいいのかわからなくなっていた。


 ただ一つわかることは、自分達は助かったのだということ。その実感が湧き上がってきたのか、メルクレアなどはその場でペタンと腰を抜かしたように座り込む。


「――ユウリ。見つけたか?」


 ちょうどその時のことだった。

 背後の茂みから、ユウリを追ってくる形でこの場を目指していた他の班員達が姿を見せる。

 先頭をレオンとスイの二人が。その後ろからステラとフレアが続いてくる。


「……どうやら、すでに終わったようですね」

「まーね」


 絶命している魔獣を目にして、スイはポツリと呟いた。対してユウリは苦笑を浮かべて頭を掻く。


 どこか場違いな雰囲気であるが、それを体感したフレノールは遅れて確信した。

 自分達は助かったのだと。



 ★


「レオン・ワードらはフレノール・メルドリッチらと共に、ロードス実働部員を治癒室まで運びに行っています」

「ええはい。それで、この場に残るのがこの三人ということですね?」


 依頼を一時中断して、ユウリ達はすぐさま怪我人を抱えて傭兵ギルドへと戻った。


 怪我人であるロードスと呼ばれる二年生の少年を治癒室まで運び、しかし状況証言のために最低限の人数をこの傭兵ギルドの応接室に置いておく形を取る。

 そこで白羽の矢が立ったのが、ユウリというわけであった。


「魔獣を仕留めたユウリ・グラール。その場に居合わせた傭兵のオルカさん。そして総会本部員の私、スイ・キアルカ。以上三名が証言者としてこの場に居合わせたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

「大丈夫よ。元よりあまり大人数を呼ばれても情報に齟齬が出た場合は困りますゆえ」


 クスクスと。

 相変わらず何を考えているのかいまいちわからない様子で、口元を袖で隠しつつラディーネは笑う。


「オルカさん。あなたの方もよろしい?」

「大丈夫です」


 ユウリとスイは彼女の出す独特の雰囲気に慣れた様子であるが、傭兵の少年、オルカの方はどこか落ち着かな様子だ。


「では状況の整理を行いましょう」


 オルカのその様子を観察するように見ていると。

 ラディーネが言葉を発する。

 ユウリもまた、オルカから視線を外して彼女の方に顔を向けた。


「まず、私が耳にした話なら。騎士として巡回作業に入っていたフレノールさんの班とオルカさんが遭遇。そこでオルカさんに何をしているのか問うていたところで、魔獣が突然現れた。オルカさん、この証言は?」

「……合ってます」


 ラディーネの言葉に、オルカは返答する。


「……僕が依頼書を見せているところに突然魔獣が現れた。いち早く気づいたのはあのロードスって人で、魔獣からあのフレノールってお姉さんを庇って」

「それで負傷したと?」

「はい」


 頷く。

 あの傷の具合からして、魔獣の一撃をまともに受けてしまったのだろう。それを考えれば即死でなかっただけ運がいいとも言えた。


「そのまま魔獣が襲って来たけど、その時そこの黒髪のお兄さんが来てくれました」

「なるほど。そこからはあなたが魔獣を?」

「そうっすね」


 あっけらかんとユウリはそう言った。

 魔獣を葬ったことを誇るでもなく、また人が傷ついたことを悲しむこともなく。

 傭兵業を行っていた者として状況的に最善の道を選んだと、そのような表情をしていた。


「あなたが先行してくれて助かったといったところでしょうか。傭兵業の経験があると言ってましたが、かなりの経験を積んでいるとお見受けしますゆえ」

「やぁー。まあ、死にかけたことも一度や二度ってわけじゃないんで」


 呑気な笑い声を上げるが、その内容は決して笑えるものではなかった。けれどそのように笑い話にできることが、またユウリの強さでもあるのだろう。


 それを一通り眺めたスイが、しかし彼に言葉をかけるでもなく話を進めた。


「今回の魔獣――剣角鹿でしたか。危険度C+級の猛獣とのことですが、山奥ならともかく新林道のすぐ近くに現れるほどこの近くの治安は危険なものなのですか?」


 スイが気にする部分は、今回の事件の詳細もそうだが、それ以上にこの都市の近くの魔獣の生息体系である。


 山中都市レガナントは、通常ならば山奥や森の深部まで足を踏み込まなければ危険度C級に相当する魔獣は出てこないはずであった。

 けれど今回の事件により、その前提が崩れかけている。


「もしもあのような魔獣がこの辺りに何匹もいるようならば、生徒の安全も考えて実地研修の見直しを早急にしなければならないのですが」

「ええ。それはもちろんわかっています」


 袖で口元を隠して。

 けれど焦る様子もなく、ラディーネは頷いた。


「私達の情報不足や確認不足、はたまたは油断していたということも十分にありますでしょう。今回のような事件は、今までありませんでしたゆえ」

「今回が初めてであった、と?」

「ええはい。けれど、何やらここ最近の魔獣の様子に異変が見られていたのも隠しようのない事実です」

「異変?」


 ラディーネの言葉に、ユウリが反応した。隣に立つオルカも同様で、首を傾げている。


「どんな異変なんですか?」

「ここらで傭兵をしているオルカさんなら、理解なさっているかもしれませんが、ここ最近の魔獣の活動が活発化しているようにお見受けされます」

「魔獣の活発化、ねぇ。どんな風に」

「一つは活動時間。通常ならば深夜に活動していた魔獣も、最近ではこの時間帯で活動を始めていることが珍しくなくなりました」


「今回の剣角鹿のように」と。

 ラディーネは続けた。


 ユウリが仕留めた剣角鹿という魔獣も、本来ならば深夜に活動する魔獣である。それがこのような昼間にも満たない時間で、しかも人里近くで遭遇するなど普通ではない。


「そして、魔獣の住処も人里に近くなっているように感じます」


 さらに言うなら魔獣を発見できる場所もまた、以前との違いが確認されていた。


「魔獣の生態系に異常が出ている。そういうことですか」

「ええ。もっとも、注意して見なければ気付かない程度のものだったのですけれども。このような事態が起こったとなれば、注意喚起をしなければなりませんこと」

「こちらも実地研修中の生徒との情報の共有を行っていきますので、ギルド側での対応もよろしくお願いします」

「ええはい。それが私の仕事でもありますゆえ」


 クスクスという笑みを最後に、今回の会合は終了した。

 見送りとばかりに手を振られる中で、しかし三人はそれぞれ沈黙の形を取る。


(魔獣の生態系に、異変か)


 今回の話を聞いて、どうも引っかかりをユウリは覚えてしまうのは仕方のないことか。


 新林道という人里からかなり近い場所で危険度C級相当の魔獣と遭遇することなど、それこそよほど治安の悪い土地でなければまずあり得ない。


 考えられるケースは幾つかある。

 一つは自然的なもの。時代の変化と共に生物の体系が変わることは、良くある話だ。それが偶々、ユウリ達へと襲いかかった。

 一番考えられるものがこれであろう。


 次に思い付くのは人為的なもの。

 魔獣を実験などの素材として運ぶ途中で、どこからか逃げだした。もしくは捕縛中に返り討ちに遭い、血の味を覚えて興奮した魔獣が人里へと向かった、というケースである。

 しかしこの人為的要員は、この山中都市の中ではとても想像できない。


 となれば、最後のケース。


「災害的なもの」


 口に出して、しかし首を振った。

 流石にこのような都市のすぐ近くで、そのようなことがあるはずないだろう。

 おそらく自然の体系が変わっていく最中に、この実地研修が運悪く重なってしまったと見るのが妥当なところだ。


「ユウリ・グラール。何か考え事でも?」

「いや、大丈夫です」


 ユウリのその様子に何かしらのものを感じ取ったのか。スイが訝しげな表情を向けてくる。その横を歩いていたオルカもまた、何事かと視線を送っていた。


 対してユウリは、何もないと誤魔化すような笑みを浮かべる。


 考えすぎの妄想を口にしたところで、得などない。それをするくらいならば、今は明日からの実地研修についてを思考する方がよほど有意義であろう。


 そのように前向きに考えようと心に決めて、ユウリは歩いた。歩き続けた。


 大災害がすぐそこまで迫っているかもしれない。そんな妄想にも似た不安を押し隠して。



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