堕ちた引き分け
風が鳴る。
発生源は大砲のように打ち出される拳。当たれば吹き飛ぶほどの威力を持った拳撃は、しかし躱される。
「――ふっ!」
胴を薙ぐ剣閃がユウリを襲った。
前回の決闘時よりも鋭く、速い。それを僅かに上体を逸らしてギリギリの位置で避ける。しかし、掠った。
剣の切っ先に付着する一筋の鮮血。
「――ッ」
事実に、レオンは眉を寄せた。
「ユウリ」
「なんだ、よっ!」
語尾が強くなったのは、その時点で水平へと右足を撃ち出したから。
ヒュッと風の音を挙げた脚撃の末路は、空振り。
屈むことでユウリの一撃を避けたレオンは、続け様にユウリの懐へと入り真っ向から近接戦闘へと挑む。
「君は、本気を出しているか?」
「当たり前。本気じゃなけりゃ、勝負は終わってるって」
剣撃。それが連続で放たれることにより、乱舞の型を取る。様々な角度から自身へと降り立つ剣の雨を一つ一つ、ユウリは純魔力を放出し続ける両の手で撃ち落としていった。
その動きに手加減をしている様子はない。
もしもそのようなことを考えていたならば、ユウリはすでに敗北しているだろう。
天才とも言えるレオンの剣の才。そこに魔術も加わった彼の実力は、経った三ヶ月ほどでユウリの立つステージへと登りつつある。
それが酷く、羨ましい。
「魔波動の壁、《バースト》」
「――ぐ……ッ」
感情が溢れ出る。それを表したかのような一撃。
ユウリの体全体から純魔力が爆発する。発動により体力を著しく疲弊させてしまう技だが、その効果はデメリットにしっかりと見合っているというべきか。
防ぎこそしたものの、レオンは吹き飛ばされる。
「隙あり」
短文を口にし、迫る。
目標はガラ空きの体を晒しながら空中に佇むレオン・ワードのもと。
右の拳をギュッと握り、渾身の一撃を撃ち出すためにも身を捻った。
時間は数秒にも満たない。
すぐにでも肉薄する距離。
「《爆風》!」
「――ッ!?」
その肉薄までの時間を、レオンもまた埋めるべく魔術を背中に放った。
ユウリから弾き飛ばされるように飛んでいた体を、反作用を利用してユウリの方へと爆風により飛ばす。
一歩間違えれば不恰好な体勢で飛ぶことにもなるはずだ。しかし恐るべき戦闘センスによる恩恵か、しっかりと前方から接近するユウリの姿を捉えて剣を構える。
上段から片手で振り下ろされる剣撃を、ユウリは左手で叩く。剣は軌道を変えた。
バチバチと音を鳴らすレオンの左手と、ユウリの引いた右拳が放たれるのは同時のこと。
ユウリは放たれた《閃光》を。
レオンは撃ち出された拳撃を。
双方、共に受けて自身の背後へと吹き飛んだ。
「――そこまで」
ごろごろと地面を転がる二者。
どちらも致命的な一撃を受けて、呻き声を抑えながらも立てないでいる。
そんな二人の模擬戦闘を見守っていたフレアが、戦闘の終了を告げた。
「ステラはユウリの方に行って。見た所、レオンよりもあっちの方が治癒魔術を必要としそうだから」
「わかった!」
すぐさまユウリのもとへ急ぐステラ。
魔力抵抗力の無いユウリにとって、初級魔術を受けただけでも重傷となりかねない。そんな彼が威力は低くとも中級魔術を受けた。当たりどころが悪ければ今すぐ治癒室へと運ばなければならない。
「――フレアさん! こっちは大丈夫そう!」
「そ。なら早く愛しのレオンの治療も済ませてあげなさい」
「愛しのって何のことかな!?」
軽口を告げられたことで、ステラは顔を真っ赤に染める。
対照的にチラッとレオンの方の様子を眺め見るフレア。腹部に強烈な一撃を見舞われた彼は、その部分を抑えながら悶えている。その様子にこちらの会話を聞くほどの余裕が感じられない。
「聞かれてないからいいでしょ。別に」
「良くないよ! というか、レオンも治療しないと!」
早くもユウリの治療を終えた彼女は、今度はレオンの方へと赴く。その姿を見て、放り出される形になったユウリに少しばかりの同情を抱いてしまうのは仕方のないことか。
「――で、あんたは大丈夫なの?」
「……なんとか。咄嗟に魔波動で防いだから。完全には防げなかったけど」
「そ」
仰向けに寝かされて、空を見上げるユウリの姿に内心で安堵する。しかし表情には出さず、返事は素っ気ないものとした。
もしもこの少年にまともな心配をかけようものなら、のらりくらりと躱されるだろうから。
けれど、今のユウリにはそれをこなすほどの何かが足りないようにも感じた。
形容しがたい何かが、足りない。
「……ユウリ」
肩を貸されて、仰向けに転がるユウリのもとまでレオンが歩み寄ってきた。どうやらすぐに治療が終わる程度の傷だったようだ。
声をかけられたことで、ユウリはそちらの方をチラと覗く。
「君、手加減していただろ?」
「だからしてないって。本気も本気だったよ」
「本当に、本当にか? 少なくとも全力を出しているようには見えなかったぞ」
「それはレオンが強くなった証拠。こう見えて、俺も苦戦してたんだ」
そう。
ユウリは間違いなく、本気で模擬戦へと臨んでいた。
こうして自分が地に伏しているのは、油断から来る結果ではない。単純に、レオンが強くなったのだ。
……強いて言うなら。
頭の片隅で、とある決闘風景とその時に言われた言葉が、集中を邪魔していたぐらいか。
「ともかく! 俺、全力。結果、相打ち。それに何か不満でも?」
「――いや」
「ならいいじゃん。素直に喜べば」
ニッと。
形だけ笑顔になるユウリ。
その姿に、どこか寂しげな表情を浮かべるレオン。
彼と出会ってから数ヶ月。
レオンは初めて、ユウリ・グラールと引き分けた。
★
「皆も知っているかもしれないが、実地研修の時期が近づいている」
本日の授業も障害なく進み。
残すところは担任教諭であるズーグからの連絡だけとなった。
内容は実地研修。
一年生の授業の中でも、非常に重要とされるものである。
「ちなみに諸君は実地研修については知っているか? そうだな――フレノール・メルドリッチ。答えてみろ」
「はい」
当てられた少女――名をフレノール・メルドリッチという――は、自慢の金色の長髪をかきあげて起立する。
「実地研修というのは実際の騎士や傭兵といった職業を体験するもの、ですの。例年通りであれば、幾つかの都市の内一つに配属されて、一週間ほどそこで希望する職業の体験できる」
「その通りだ。フレノール・メルドリッチは席に座っていい」
言われて、自慢げに着席する女子生徒。
「フレノール一年生が説明してくれたように、簡単に言えば実地研修とは職業体験のようなものだ。騎士や傭兵の他にも、研究者や商人といった希望もできる」
「――」
「本来、傭兵や商人は貴族の称号を得る者達がなり得る将来ではないが、未来のためにもそれらがどういったものであるかを知っておく必要もある。しかし希望は一つだ。よく考えて、書類を提出するように」
トントンと机の上に置かれた一枚の紙を指で叩く。
それは先ほど生徒全員に渡された、実地研修の希望部署申請書だ。
「また、実地研修は三から五人ほどのチームで行ってもらう。同じ志を持つ仲間を探し、チームで申請するように。私からは以上だ」
その言葉を持って、本日の全過程は終了となった。
がやがや、と。
生徒達は先ほど言われたチームを組むためにも、普段から交流を持っている者同士で、以前から気にかけていた者同士で、位の高い貴族同士で、気心の知れた平民同士で。それぞれ声をかけていく。
それはユウリも例外ではない。
「フレア、一緒に組もう」
「却下で」
素気無く断られた。
「ちぇっ。フレアはケチだなぁ」
「私と関わって数ヶ月。そろそろ私の性格がわかってもいいんじゃない?」
「それなりに理解はしてるつもりだよ。なんだかんだ言って、最終的には一緒に来てくれるってことも」
「……ふん」
不満気に鼻を鳴らす彼女。
フレアも心の奥底ではユウリを拒絶する気持ちがないことを自覚しているのだろう。それでも言葉で否定するのは、負けず嫌いな性格ゆえか。
「フレアさん。私達もチームに入れてもらえませんか?」
その彼女の背後から声をかけるのは、良く行動を共にするステラであった。
蒼い髪を周囲に晒しつつ、ゆったりとした足取りで二人のもとへと歩み寄る。
更にその横に付き添うレオンも口を開いた。
「どうせ君達のことだ。希望は傭兵だろう?」
「そりゃそうだけど。レオンも希望を傭兵にするん?」
「ああ。騎士になる上で、彼らとの連携方法を知っておくことも必要だ。フットワークの軽い彼らだからこそ成せるものもある」
レオンの言葉に「ほぉー」と感嘆の息を漏らす。
彼が騎士を目指していることは知っていた。その在り方や目標となるものも。
しかしだからといってそれ以外のものを、眼中にないと切って捨てる彼でもなかった。
「じゃ、ステラも?」
「そうだよ。傭兵業に就く治癒魔術師がどのレベルなのか、知っておいてもいいと思って」
「とか言って、どうせ目的はレオンと一緒になることでしょ?」
「な、なななんのことかな!?」
フレアの言葉に顔を紅潮させてしまうステラは、もうさっさとレオンに想いを伝えてしまえばいいのではと、ユウリはどうしても思ってしまう。
けれども。
対象となるレオンの方を覗けば、「何の話をしている?」とばかりに首を傾げている。
「レオン。君は罪な男だな」
「いきなり何を言っている?」
「さーて。なんのことでしょう」
思わず口にしてしまった。
「なら、この四人でチームを組むってことでいいな?」
「うん!」
「了解」
「……私、まだ何も了承してないんだけど」
レオンの言葉に、各自がそれぞれ肯定の言葉を重ねる。若干一名、諦めたように溜息を吐く者もいたが。
それらを無視する形でレオンは手元にある書類に、名を記していく。
いつも通りと言えば、いつも通りの面子である。しかしそれに不満を残す者は――フレアを除いたなら――いない。
更に言うなら彼女とて他の生徒よりもユウリ達の方がチームとして組みやすいだろう。
「でもよくよく考えればすごいよね。フレアさんにユウリ君にレオン。一年生の中でも戦闘面じゃ最有力の人達が揃ってるんだから」
「へぇ。そうなの?」
「聞いたことがないぞ。そんな情報」
「ユウリ君はともかく、レオンは知っておくべきだよ。獅子組の中でも、模擬戦の成績が優秀なのがこの三人なの。しかも他のクラスの生徒と比べても、断トツで」
「当然よ」
澄まし顔で帰りの支度をするフレアは、流石というべきだろう。加護持ちである彼女に追随できる生徒が一年生の中にいることは確かに想像できないが。
次点で有力なのが、ユウリとレオン。B級傭兵であるユウリはともかくとして、それに追いついて来ているレオンもまた彼と同じステージの上にいるとされている。
「その下とは結構な差が開いているみたい。だから一年生の頂点三人が同じチームっていうのも、またすごいなって思ったの」
「そんなものがあることを知らなかった」
「ユウリ君、あんまり興味なさそうだしね」
「興味がないわけじゃないよ。薄いとは言えるけど」
実際、ユウリは一年生の中での順位など気にしていない。
上はフレアだけ。更に言うなら上級生の連中だ。
「でも確かにレオンの成長は目を見張るわね。今日だって、ユウリと引き分けるくらいだし」
「僕はあまり納得していないが」
「それでも結果は結果よ。私もあんたの成長具合には驚いてるもの」
準備を終えていつでも帰路につける状態のフレアが言った。それはユウリにも言えることで、レオンの成長の程は驚愕を隠せないものとなっている。
経った数ヶ月で、B級傭兵に一泡吹かせられる位置へと到達した。もしもこのまま伸び続けるならば、それこそ"剣王"の座も夢ではない。
「ほうほう。確かに言われると実感する、豪華な面子だな」
「――それは少し、黙っていられませんものね」
自らのチームメンバーを見渡し、納得したように頷くユウリ。その後方から。
一つの少女の声が浴びせられた。
チラリと視線をそちらへ向ける。
手入れの行き届いた金色の長髪。少しほど吊り上がった碧眼の瞳。
フレノール・メルドリッチ。
先に実地研修についての内容を問われた、獅子組の生徒である。
「確かにレオン・ワードさんの成績は文武共に長けていることは認める、ですの。しかしユウリ・グラールにフレア。あなた方平民がワタクシよりも上にあるなどと認めた覚えはありませんことよ」
「――」
突如として声をかけられたユウリは、閉口する。それは決して、位の高い貴族の御令嬢から声をかけられたことにより、気後れしたからではない。
「ユウリ。あんたの知り合い?」
「さあ……。失礼ながら、どちらさん?」
「あなた方と同じ獅子組の生徒ですの! フレノール・メルドリッチ! 何を惚けたことを申しているのです!」
地団駄を踏む勢いでユウリ達へと食ってかかる、フレノール。
しかし当の本人達は未だピンと来ていない様子を見せる。
「ふ、フレノール様。その、あんまり興奮されない方が……」
「メル! ここまで来てワタクシに引き下がれと申すの!?」
「いえ、そのようなことは決して……」
良く良くみると、彼女の後ろにはもう一人付き人が控えていた。
セミロングの茶髪に、気弱そうな印象を持たせる茶色の瞳が特徴的な、平民の少女。
先のフレノールと呼ばれる少女は記憶になかったが、こちらの少女の姿を見ると「おっ」とユウリは声を上げた。
「メルじゃん。やぁー、今日も変わらず気弱そうでなにより」
「は、はい。ユウリさんもいつもと変わらないようで――あの、気弱そうなことになによりって……」
ユウリの発言に「あぅ」と気落ちするメルクレアに、やはり平常通りだなと頷く。
そんな二人の様子を見て、レオンとステラは意外そうな顔をしている。おそらくユウリが自分達以外の生徒と交流を持っているとは思わなかったのだろう。
フレアの方も驚きのためか、目を丸くしている。
その中心に晒されている仲睦まじい様子の二人を前にして、当のフレノールと名乗った少女がワナワナと肩を震わせた。
「ワタクシを無視するんじゃありませんの!」
突然うがーッといきり立つ少女に、ユウリはビクッと体を震わせた。
同じくメルクレアもまた、「ひゃい!」と涙目で飛び上がる。
「メル! あなた、どうしてこの男と親しげに話しているの!?」
「ま、前にお世話になったことが……」
「ワタクシのメルがこの男に穢されたと!?」
「そ、そんなことは言ってませーんッ!」
顔を真っ赤にしてジタバタするメルに、しかしそれでもフレノールは詰め寄っている。
それらの姿をポカンと眺めながら、ユウリは視線をレオンとステラの方に移した。
「えっと。ステラとレオンはこの人のこと知ってる?」
「ユウリ。君はもう少し食事以外のものに関心を持った方がいい」
「今更だけどね。ここまで来ると、いっそ惚れ惚れしちゃう」
同時に溜息を吐かれた。
「彼女はメルドリッチ家の令嬢。この獅子組での筆記試験においては一位の成績を所持する優秀な魔術師だ」
「流石はワード伯爵の子息ともいう方。ほうら、ワタクシを崇めるがいいのよ!」
腰に手を当てて得意げな顔を浮かべる、貴族の少女。
ユウリはそれに少しの関心を、フレアは非常に面倒なものに遭遇したという心情を。
それぞれ、表情に曝け出した。




