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ただの欠陥魔術師ですが、なにか?  作者: 猫丸さん
二章 魔導学論展編 中編
52/106

眠れる獅子

『なんだなんだ!?』

『おいおい、誰かが暴れてるぞ!』


 下から聞こえるのは都市に行き交う人々の不安そうな声。

 都市内のど真ん中で魔術が飛ばされていればそのような反応も不思議ではない。


「だってよ。民間人のためにも、戦闘行為は出来る限り控えちゃくれんか?」

「犯罪者の言葉に耳を貸す気はありません」


 片目を瞑り、下を指差すアルバン。その言葉をスイはにべもなく切って捨てる。


「はぁ。お前さんはどうだ? 罪のない善良な市民を巻き込むかもしれんぞ」

「そこはおじさん次第ってことで」


 今度はユウリの方へと救いを求めるような視線を向けた。

 だがこちらも同様、言葉を聞く気はないようである。


「こいつぁ手厳しい。世界ってのはどうしてこんなにも無情なのか」

「そりゃおじさんが手配人だからじゃ?」

「手配人だからって、同じ人間だろ。もうちっとばかし優しくしてくれてもいいと思うんだがなぁ」

「といっても、見逃す理由もないし」

「頼む。今度飯でもたらふく食わせてやるから」

「え、それ本当?」

「無駄話はそこまでです。というか、ユウリ・グラール。どうして涎を垂らしながら釣られそうになっているんですか」


 飯を奢ってくれるらしいからです。


 と、ユウリが言った直後に頭上に拳骨が落ちた。

 こめかみに青筋を立てながら、冷たい視線のスイの一撃。ユウリは「うぁぁうう……ッ!」と痛みが響く頭を抑えて呻き声を上げる。


「な、何すんだ!」

「あなたが馬鹿なことを発言するからです」

「あんたは知らないだけだ。この世界に存在する全ての食物の価値を!」

「そうですね。しかしあなたの価値が虫以下だということは最近理解しました」


 氷のような冷たい視線に晒された。

 お茶目をしただけなのにどうしてそのような目をされないといけないのか。それを考えた時にふとユウリはある出来事を思い出す。


「もしかしてまだ根に持ってるのか、あのことを」

「――ッ!!」


 ユウリの言うあのこととは、以前の模擬戦で彼の手がとんでもない箇所を揉んでしまったことだ。

 それを口にされたスイは一気に顔を紅潮させる。

 直後、もう一撃だけ拳が飛んだ。


「だから馬鹿なことを言ってる場合じゃないでしょう!? 目の前の相手をもっと警戒してくださいッ!」

「あい……」


 二発も拳骨を落とされた頭を摩りながら、涙目で目の前へと視線を移す。


「あー……。なんというか、おじさん邪魔なら帰ろうか?」


 呆れたような顔をするアルバンの方へと。


「すみませんが、逃すわけにはいきません」

「いやぁ。今の一連の流れにおじさん要らないでしょうが。俺も早く帰って妻とイチャつきたいんだよ。妻いないけど」

「なら問題ないですねッ!」


 言葉と同時に、スイの右手に持つ水刀が刀身を伸張させて、鞭のようにしなりながらアルバンへと向かった。

 少しだけだが、先ほどの出来事の八つ当たりの感情も含んでいるような気がしたのはユウリの気のせいだろうか。


 とはいえアルバンも並大抵の腕前ではない。

 感情の荒ぶったような一撃など脅威を感じるものでもないらしく、ヒラリと重心をズラして回避してみせた。


「おいおい嬢ちゃん。いきなりの暴力はいけないことだってお母さんに習わなかったかい?」

「生憎と、私の母親からは身の危険を感じればすぐにでも迎撃しなさいと言われてますので」

「なんつう危険な親御さんだよ、全く」


 水流の鞭による二撃目。

 それもまたしゃがむことにより容易く避けたアルバンは溜息を溢す。

 同時に、その瞳に少しばかりの好戦的な光が宿った。

 話をしても無駄である。そう理解したようだ。


「悪く思うなよ」


 アルバンが腕を振るう。

 するとスイの周りを取り巻く空間が、悲鳴を上げるように揺れ始める。


「振動……ッ」


 それが敵の魔術だと気がついたスイは、体を庇うように腕を交差させた。

 しかし揺れは収まるどころか大きくなるばかり。

 やがて立っているのも辛くなるほどの揺れが彼女を襲い始めて、そして――。


「このまま好きにさせるのは流石にいかんね」


 瞬間のこと。

 動いたのはユウリであった。


「っと。速いな」

「どうも」


 長所である瞬発力。それを活かした接近。

 アルバンへと肉薄したユウリは、並行して右の拳を打ち出すも、しかし手配人の左手によって受け止められてしまった。


 だが、そのまま反撃を許すはずもない。

 受け止められた右の拳を引き、流れるような足払いを繰り出す。

 薙ぎ払うようなその一撃に、アルバンの舌打ちが響いた。


「ったく。面倒な」


 振動を利用しての跳躍。

 頭上高くまで一瞬にして跳んだアルバンに、今度はユウリが眉を寄せる。

 ユウリの攻撃範囲(リーチ)では届かない距離だ。


「先輩!」

「言われなくとも逃がしません!」


 それでも今回の戦闘は一人で行っているものではない。

 宙へと逃げたアルバンには、二つの水流が襲う。

 鞭のような動きをしながら敵へと追い縋る水流両刀(ウォータ・クルセイド)。その伸張する刀身。


「ふんぬっ」


 その魔術が、爆散した。

 男の腕が一振り。たったそれだけで追撃は撃ち落とされてしまう。


「……ッ」

「単純な魔術じゃ駄目らしい。これがA級手配人か」


 ギリッと奥歯を噛み締めるスイ。

 その隣でユウリは冷静に敵との戦力差を分析していた。


 こちらの陣営は二人。どちらもB級傭兵並みの実力で、そこらの騎士にも追随を許さない実力者。

 対する相手は最難易度を誇る危険度A級の手配人。実力はユウリとスイの二人がかりでも歯牙にもかけない領域。


 ユウリは判断した。

 二人だけでは勝てないと。


「先輩。当初の予定通り、時間稼ぎに徹する方がいいかと思うんすけど」

「やはりそうなりますか」


 できれば仕留めたかったのだろう。

 スイは不機嫌な顔をしつつも、ユウリの言葉に素直に頷いた。

 彼女とて実力差は理解している。目の前の男が自分達よりも一つ上の次元にいるということを。


 だとするなら、やはり最初に言われた通り時間稼ぎに全力を注ぐ方が得策だと、二人の意見は一致した。


「幸い、もうすぐジークさんがこの場に来てくれるでしょう。空に水柱を幾つか上げてますし、場所もわかるはずです」

「だからさっきから魔術を多用してたんすね。流石先輩」


 スイの言葉に、割と本気で感心したような目を向ける。

 確かに思い返してみれば、空へと水柱を打ち上げたり水流を舞わせたりしていた。

 あれが追ってくる騎士達の目印になるようにと考えていたならば、やはり彼女は"五本指"候補者と名乗るだけの力量がある。


 であるならば。

 あとのやることは決まっていた。


「じゃ、時間稼ぎを頑張りますか」

「――させると思うか?」


 声が降ってきた。そう錯覚を覚えるほど、その言葉に重みがあったような気がした。


「……ッ!?」

「なんですか、これは……ッ」


 空間が揺れる。

 体が軋む。

 世界が壊れるかのような前兆。ユウリとスイの二人がその場に蹲るほどの振動が、襲ってきた。


「少し舐めてたよ。嬢ちゃんのこと。坊主のこと」

「――」

「だから俺も本気を出す。悪いが俺を本気にさせた己の蛮勇を怨んでくれ」


 視線を前に向けて、絶句。


 数歩先にアルバンがいた。

 つい先ほどまでの、どこか気怠げな彼ではない。

 完全に臨戦態勢へと移行している。


 "怠惰な獅子"。

 怠惰であるものの、その正体は獅子だ。

 その彼が化けの皮を剥がし、その力を発揮させればどうなるのか。


「――んぐっ」


 こうなる、とばかりにスイが地面に倒れた。

 振動は衝撃となり、体を軋ませて痛めつける。

 結果、耐えきれなくなった彼女が地面へと横たわる羽目になった。


 ユウリもまたその一歩手前まで及んでいる。

 体から発している"魔波動"、それが振動の魔術を鎧として純粋な衝撃に変えているからこそ未だ立っていられるのだ。

 しかしこのまま続けばそれも終わる。

 "魔波動"を解けば、魔力抵抗力の低いユウリなど一瞬で体内をズタズタにされるだろう。


 ビキビキ、と。

 ユウリ達の足場となっている建物。それが振動に耐えきれずに軋む音を上げた。

 このままだと、ユウリ達もさることながら建物も倒壊する恐れがある。

 そうなると下に集まる市民にも被害が出るだろう。


(このままじゃ、流石に拙い……)


 打開策を考えなければならない。

 頭ではわかっているのだが、いかんせん相手との戦力差に開きがあった。

 アルバンの振動魔術から逃れる術が思いつかない。己の中には存在しない。


 あとに残るものは、大人しく破滅を待つのみ。


「さて、そろそろ締めに入るか」


 冷めた目でこちらを見届ける、"怠惰な獅子"。

 怠惰を捨てたその実力は決してユウリ達が届くものではなかった。その事実にユウリは舌打ちし、スイはキッと睨みつける。

 たったそれだけの抵抗しかできなかった。

 この二人では――。


「――悪いけれど。それ以上見逃すわけにはいかないのよね」


 冷気が舞った。


 辺りが、凍る。

 相対していたアルバンが。

 ビキビキと軋みを上げる建物の屋根上が。

 ユウリとスイの二人を残して、その周囲全てが凍っていく。


「どうやら間に合ったようね」


 鈴の音のような声が耳に届いた。

 気付けば自分達を襲っていた振動魔術がその効果を消しているようで、体が動く。

 そのまま音の方へと目を向けると、なるほど。そこには見知った人物が立っていた。


「総、会長……」


 ボロボロの体を引き摺るように、スイが立ち上がる。

 その目に移るのは煌びやかに流れる金色の髪と、人の視線を吸い込むように魅了する新緑の瞳。

 ユウリ達の窮地を救ったのは学園の頂点に君臨する者。セリーナ・ルグエニアであった。


「ユウリ君もお疲れ様。あとは私達に任せていいわよ」

「……なんで会長がここに。というか、私達って」

「セリーナ王女と私達騎士のことだ」


 言葉と同時に屋根上へと降り立つ、赤い長髪の男。

 蒼翼の騎士団(ノーブル・ソード)の副団長、ジーク・ノートである。

 この男も来ていたのかと、ユウリは少しばかりの驚きの意味も込めて目を丸くした。


「それでセリーナ王女。あれが先の手配人ですか」

「ええ。そうよ」


 二人して眼光を光らせる対象は、今や氷の彫刻と成り果てたアルバン・ドア。

 セリーナが放った吹雪を思わせる冷気の魔術により、物言わぬ氷と成り果てたのだ。ユウリとしては、散々苦しめられた敵がこれほど簡単に仕留められると釈然としない気持ちになる。


 恐ろしきは"加護持ち"、その力か。


「ただ、まだ仕留めるには至っていないわ」

「え?」


 ユウリの疑問の声の直後のことであった。

 氷の彫刻がぶるぶると震えたかと思えば、ピシリとヒビ割れ始める。

 そのまま氷がボロボロと剥がれ落ちて、中からは無傷のアルバンがその存在を主張した。


「――っはぁ! 寒ぃ。本気で死んだかと思った……!」

「完全な奇襲のはずだったのだけれど。良く逃れることができたわね」


 少しばかりの驚きを含めた顔をするセリーナ。

 真正面からならともかく、彼女が行ったのは完全な奇襲による魔術での攻撃。

 "加護持ち"である自身の魔術に対し、しっかりと己の身を防衛してみせたアルバンの実力は、やはり本物なのだろう。


「じゃねえと下手したら死んじまうだろうが。人をいきなり氷漬けにするたぁ、最近の王族ってのは教育が物騒だねぇ。おおー、寒っ!」


 先ほど氷漬けにされたとは思えないような軽口を叩くアルバン。その体が若干ばかり震えているのは寒さゆえか。


「それにしても」


 体を摩りながら、男は気怠げな瞳の内の片方を瞑って周りの状況を観察する。


「"加護持ち"の王女に騎士団の副団長様。そしてオマケに厄介な子供二人。こいつぁ随分と豪華な面子が揃ってやがんなぁ」

「あら、今頃気付いたのかしら」

「ならば須らく投降することをお勧めする」


 セリーナとジークの言葉に肩を竦めた。

 もはや癖となっているのだろう、アルバンは何度目かわからない溜息を吐き出す。それは周囲の気温がセリーナの魔術によって下げられているため、白く濁ったものだった。


「だからそれが後々一番面倒な選択なんだよ。クッソ。早く帰って美味い酒でも飲みてぇ……」

「あら残念。それは叶わないと思うわ」

「この状況で簡単に逃げ果せるとは思わないことだな」


 アルバンの右手には冷気を身に纏ったセリーナが。

 左手には剣を抜刀したジークが。

 それぞれ所定の位置につくようにゆっくりと動いた。


 まさに追い詰められた窮鼠。

 ジリジリと後退していくアルバンとそれを追うように距離を詰めていく二人の超越者の構図。その光景にユウリは思わず唾を飲み込んだ。


「これは流石に参ったな」


 アルバンも自身の不利を悟った。

 否、とっくの昔に理解していたはずだ。


「どちらか片方だけでもシンドイのに、二人も同時だと状況は絶望的か……」

「なら大人しく諦めろ」

「――それだけに惜しかったな。ここは建物の屋上、俺に地の利があることを考えなかったお前らの負けだ」


 だからこそ。

 ここまで彼は逃亡の作戦を頭の中で練り上げていた。


 ジークが、セリーナが。

 誰もが動き出すよりも早く、アルバンは屋上のその地面に両手を押し付けた。


 振動。


 軋みを上げて、まるで悲鳴のように。

 建物が揺れる。揺れる。揺れる。


「――ッ」

「……ッ! まさか、建物ごと私達の足場を倒壊させる気か!」

「気付いたとしても、もう遅ぇよ」


 ユウリ達が先ほどまで視界に焼き付けたどの魔術よりも威力が大きい。

 悲鳴を上げる建物がその身を保たせたのは本の僅かな時間。その後は一瞬の内に崩壊を始める。


「きゃッ」

「先輩、少し我慢をお願いします」


 ユウリはすぐ近くのスイを抱えて隣の建物に向かって跳んだ。

 一瞥した彼女の状態はとても満足に動けるとは思えなかったためである。


 咄嗟の動きにしては中々の反応だったと自身を褒めた。

 崩壊が始まってからおよそ数秒で倒壊した建物の残骸を見て、そういった気持ちになるのも仕方のないことかもしれない。

 それと同時にセリーナとジーク、そして建物の下に集まっていた都市の人々がどうなったかを考えて、その眉を寄せた。


「――いや」


 最悪の展開こそ予想した。

 しかし隣の建物の屋上から下を見ると、その心配も杞憂だったことに気付く。


 建物の瓦礫の下に、氷の盾が精製されていた。


「あれは会長の魔術ですね。ということは、あの下の人達は無事でしょう」

「先輩。もう大丈夫なんですか?」

「完全に、とは言えませんが。でも動けるくらいはできるようです」


 無傷とはいかないものの致命傷は負っていないと、スイは自らのその両の足で立ち上がる。

 ユウリと同じく下の状況を確認した後は、忌々しいとばかりの目をして空を見上げた。


「逃げられた、か」


 ポツリと呟いてしまう。

 すでにアルバンは逃走をしているようで、空の向こう側にいる彼の背中は小さくユウリの瞳に映っている。

 今から彼を追いかけたところで追いつけることはできない。

 仮に追いつけたとしても、セリーナとジークが人命救助の対応に追われていては捕らえようもなかった。


 "再生者"。

 その実力の本当の部分を知った気がする。

 それを思ったユウリの背に冷たい何かが走ったのは、決して周囲に訪れた冷気だけのせいとは考えられなかった。




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