天敵
闘技場から帰路に着いた後。
ユウリはフレアを連れて、ルーノと共に宿泊している高級宿"銀の火鳥の亭"へと帰ってきた。
「あ、おかえり。ユウリ君、フレアさん」
自室へと戻ろうとするところ、ちょうど宿泊部屋から出てきたステラとばったり顔を合わせる。
ちなみにステラとレオンの二人は同じ部屋に泊まっているらしく、しかもその宿泊部屋はユウリ達の部屋とかなり近い。
ゆえにこうして会うことも不思議ではなかった。
「ただいま。レオンはまだ中にいるの?」
「うん。疲れたから少し休憩するって」
「なるほど。しっかしレオンと一緒の部屋だなんて、ステラもやるなぁ」
「もうっ、止めてよ。単純にいつも一緒の部屋を取ってるから、今回もそうしただけだよ」
「……ああ、そう」
冷やかそうと思ったユウリであったが、彼女の発言にむしろ沈没した。
いつも一緒の部屋を取っているということは、泊まりの度に同じ屋根の下で生活を共にしているということか。
それで今まで間違いがなかったことがある意味で流石だ。
「逆にユウリ君達は部屋は同じじゃないの?」
「ええ。こいつと私、それからルーノさんはそれぞれ別の部屋を取ってるわ」
「そうなんだ。同じ部屋じゃないんだね」
少しばかり意外そうにするが、むしろユウリからしてみればステラとレオンの運命共同体率の高さに驚く。
自身はフレアとルーノとは別の部屋を取っているので、一つの部屋を伸び伸び使うことができるというのに、ステラの言葉を聞くとどうも釈然としない。
「もしもフレアが寂しいなら部屋を一緒してもいいけど?」
「馬鹿なこと言わないの。あんまり変なことを言うと、燃やすわよ」
チラリと視線を向けたが呆れられただけであった。
ステラはそんな二人の様子に苦笑を漏らす。
と、そこで。パンッと手を叩いては、妙案を思いついたとばかりの顔をフレアへと向けた。
「そうだ! 夕食まで時間があるし、一緒にお風呂に行かない?」
「え、もしかして俺と?」
「……ユウリ」
「ごめんなさいほんと出来心からの冗談だったんです勘弁してください」
ステラの発言に対してお茶目をかましたところ。
ボゥッとフレアの右手から蒼い炎が放出されたので、ユウリはすぐさま低頭した。
この"銀の火鳥の亭"の中には風呂場が用意されてあり、基本的に自由に入浴することができる。
しかも話によると貴族が主に宿泊するような宿だけあって、かなり華美な装飾が施された風呂場あるらしい。
「……そうね。夕食までやることもないし、私も行こうかな」
「ならお風呂場の入り口で集合でいいかな」
「わかったわ」
「じゃ、私は先に行ってるね」
フレアの返事を聞いたステラは、そのまま階段を降りていった。
「――というわけで、私は行くけどあんたはこれからどうするの?」
「ふむ。俺はもう少しこの都市を散策しようかな」
「ふぅん。ならまた夕食の時にでも会いましょ」
言うとフレアもまたヒラヒラと手を振って自室へと戻っていった。
後に残ったのはユウリ一人。
「……なんか少しだけ寂しくなってきたぞ」
謎の寂しさが身を包んでいく。
男衆三人の内、ルーノはどこぞに出かけているためここには居らず、レオンは自室で休憩中。
女性陣二人が風呂場に行った今、ユウリは一人だけ取り残される形となっていた。
「ま、散歩にでも行きますか」
とはいえ長く引きずらない所がユウリの美徳と言えなくもない。
そのまま階段を降りていき、一人宿の外へと向かっていった。
★
意識してみると、都市アルディーラというのはルグエニア王国の中でも大都市に分類されることが見て取れる。
学園都市ロレントは煉瓦造りの建物が多く建てられていたが、アルディーラの方は石造りの建物が比較的多い。
立ち並ぶものは住居が連なっているというよりも、商品を扱う店の方が目立っている。
石造りの舗装された通りを歩きながら「ほへー」と周囲を眺めて、ユウリはそのような感想を抱いた。
(人が住む都市っていうより、どっちかというと催し物の為の都市って感じがするな)
中央に闘技場が存在したり、今回の魔導学論展の開催場所であるアルディーラ大会場の存在を考えるとそのような印象を受ける。
ユウリの予想でしかないが、ここは人が生活しやすい場所というより国を挙げての催し物の開催の為に運営される場なのだろう。
都市アルディーラに訪れたことは初めてだったので、見慣れぬ景色に相応にして目を奪われていた。
だからこそ疑問にも思う。
「――この都市では尾行されることも普通なのかねぇ」
後方およそ、歩幅二十歩ほど。
決して遠くはない距離を隔てて、一つの気配が静かに追っている来ていることをユウリは悟った。
(いつからだ。ここまで気付かなかったってことは、相手はかなり尾行し慣れていることになる)
ユウリの自己評価は決して高くはない。しかし低すぎることなく分析はしているつもりだ。
自分は傭兵ギルドの規定をクリアしていったB級傭兵なのである。それにはもちろん気配察知能力も相応に必要な項目だ。
しかしユウリは気付かなかった。
先ほどまで尾行されていることを。
いつから尾行されていたかを。
尾行というのは気配を察することのできる者を対象とする時、その難易度は跳ね上がる。
少なくともユウリを尾行して今の今まで気付かれなかった相手の腕は油断していいものではない。
(しゃーないっか)
――炙り出す。
そう決めたユウリの行動は早かった。
すぐさま今歩いている通りから裏の路地へと身を翻す。その動きと瞬発力は後方の尾行者を一瞬だけとはいえ、出し抜くに値するものだった。
慌てたのか、気配の主が荒々しく自分を追っていくことを察知する。
その現状に少しだけ口角を上げて迷路のような路地を進んでいった。
「――やっぱ追ってくるか。というか、中々速いぞ」
それなりの全力で道を駆けていく中、想像以上に敵を離すことができないでいる現状に眉を寄せる。
敵の速度もかなりのものだという証拠だ。
ならばと、ユウリは路地の壁へと向かってその場を跳躍。
壁を伝い、上手く上へと登っていく。
そしてユウリの体が地上からかなりの距離に達した時、物陰から追っ手の輩が姿を現した。
薄汚れた茶色の外套を全身に纏う何者か。
その姿が見えた途端――。
「さて。何者か、ひん剥いてみるか」
壁を蹴って全速力で下へと降り立った。
着陸地点は外套を纏う人物の背後。
重力すら味方につけたユウリの降下速度はまさに瞬間移動に近いものだと言っても差し支えなく、尾行者の判断が遅れるほどのものであった。
「取った」
「――ッ!?」
ユウリはそこで外套のフードを掴みにかかる。
まずはその素顔を拝む、そのために。
外套の人物はそこでやっと背後のユウリの動きに反応し始めたが、時はすでに遅かった。
バサッと。
外套のフードが強引に外される。
その下から覗く少女の顔に、ユウリは思わず目を見開いた。
まず目に飛び込んできたのは特徴ある茶髪のツインテール。
髪と同色の茶の瞳は彼女を平民の出と思わせる特徴だが、ただの平民にしては健康体を印象付ける綺麗な肌色が目立つ。
目はクリクリとしており、小動物を思わせる。そしてユウリは彼女を知っていた。
「……リリ?」
「はい。兄様のリリですよっ!」
唖然とするユウリの顔。
リリと呼ばれたその少女は、ユウリの旧知の仲であったからだ。
リリは愛称であり、本名はリリアンナ・ルーシュ。
容姿こそ平民であるが、彼女には家名がある。ユウリが知る情報では、彼女は捨て子であったらしいが、とある貴族の家に拾われたことから貴族の身分であるとのこと。
しかし今はそのような知識はどうでも良かった。なぜ彼女がここにいるのかという疑問が頭を占領していくばかりなのだから。
「なんでリリがここに?」
「フォーゼ様から聞いたからです! ルーノ・カイエルさんの護衛でここに来たんですよね?」
「まあ。でも、護衛をしていることを爺さんは良く知ってたな」
「そりゃそうですよー。フォーゼ様がルーノ様にそのようにと依頼したんですから」
「なるほど」
疑問といえば疑問だった。
どうしてルーノが自分を護衛に抜擢したのかを。それこそ本職の騎士にでも任せればいいのではと考えていたが、ルーノはユウリの師であるフォーゼ・グラールから頼まれたとなれば納得もいく。
「それでフォーゼ様から兄様がここに来ると聞いたので、私達もここに来た次第です!」
「そうかそうかぁ。しっかし久しぶりだな! まだ別れてからそんなに経ってないように思えるけど」
「それは兄様がリリに会い焦がれていたからですよっ。そしてリリも兄様と会えることを楽しみにしてました!」
向けられるのは眩いばかりの純粋な笑顔であった。
リリの年齢は、ユウリの二つほど下である。まだ成熟しきっていない容貌は美しいというよりは可愛らしいという印象の方が強い。
しかし年を経ていけば、必ずそこらの女性では太刀打ちできないような容姿を手にいれるだろうと確信できるほどには、幼いながらも顔立ちは整っていた。
そのようなリリはユウリにとっては妹のような存在である。そんな可憐な女の子から笑顔を向けられては、ユウリもまた嬉しくなる……はずだった。
「……今、私達って言った?」
「はい、言いました」
「達?」
「はい、そうです!」
ユウリと会えたことを喜んでくれているのか、元気よく返事が届いてくる。それが逆に不穏な感情を煽ってくるのはなぜだろうか。
「……ははっ。じゃ、もしかして爺さんも来ているのかな?」
「フォーゼ様はここにはいらっしゃらないですよ」
「な、なら誰が一緒なのかなーなんて。ははっ」
「やだなぁ、兄様は。リリがいつも一緒にいる方なんて一人しかいないじゃないですかぁ」
「うんうんそうだね。忘れるわけがないよな。あははは」
リリアンナとの再会を果たした。
ユウリとしては嬉しい事柄のはずなのに、彼女の言葉を聞けば聞くほど乾いた笑いが込み上げて来るのはなぜだろうか。
なぜこのように冷や汗が大量に吹き出るのだろうか。
その答えをユウリは知っている。
「リリ」
「なんですか、兄様?」
「――来てるのか、奴が」
「はい、来てますよ。あのお方は」
言葉を聞いた瞬間、ユウリの表情は蒼白を通り越して真っ白に染まった。
脳裏に過るのは植え付けられたトラウマと人生終了を伝えるはずの走馬灯。
危険な事態に陥っていないはずなのにも関わらず、ユウリの頭の中ではこれまでの人生が総集編として流されていく。
この兆候はやばい、と。
ユウリは体をガクガクと震わし始めた。
「リリ」
「なんですか、兄様?」
「悪いけど俺、逃げますわ」
恥も外聞もない。
ユウリはこれまでの限界最高速度を突破する全速力を、その瞬間に刻みつけた。
人生の中でこれほどに地面を強く踏みしめたことはない。そしてそれくらいしなければ逃げ切れないだろう。
「――どこへ行こうというのだ?」
訂正。
逃れられない定めであった。
ガシリとユウリの首根っこを突如として掴まえる、リリアンナと同じ茶の外套を身につけた者が一人現れたのだから。
どこから現れたのか。
どのタイミングで現れたのか。
それを察知することもできず、ユウリはなす術なく首根っこを掴まれたまま宙をぶらぶらと浮く羽目になった。
「あ、はは……。ちょっとおトイレに」
「そうか。なら後で妾と共に行くか」
「いやあんた女だろ」
思わず素で反応してしまう。
そんなユウリの言葉に対して、「元気そうで何よりだ」とユウリの首根っこを掴んでいる人物は、そのフードを脱ぎ捨てて姿を露わにした。
長い金色の髪は薄暗い路地の中でもハッキリと映える。
きめ細やかな白い肌は気品を思わせるもので、容姿はユウリが拝んだ女性の中でも間違いなく最上位に位置付けられるフレアと並ぶほどのもの。
そして何より紅く光る瞳は、ユウリが知る人物の中でもたった一人しか持ち合わせていないものだ。
「マナフィア……。なんであんたまでここにいんのさ」
「爺から連絡を受けたのだ。ここにお前がいるとな」
マナフィア・リベール。
リリアンナと同じく、ユウリの旧知の仲である少女だ。
少女といってもユウリより二、三ほど齢は上であり、もはや大人の女性と呼んでも差し支えがないほど成熟した美を放っている。
「それでここまで来たと。それで実際に許されたのか、リリ?」
「許されるわけないじゃないですかー。兄様ったらわかって言ってますよね」
「当ッたり前だってーの。まぁーたあんたはリリを連れて抜け出して来たんすね」
「そこにお前がいるのなら、地の果てまでも追ってくさ」
「本気で怖いこと言わないでくれ。冗談でも止めてくれないと夜も眠れなくなる」
ブルブルと震わすユウリの背中はどこか情けない。それほどの恐怖を目の前の少女に向けていることがありありとわかる姿である。
しかしそのようなユウリの様子にもマナフィアと呼ばれた少女は首を傾けた。
「どうしたんだユウリ、感動の再会だぞ。ほら、妾の胸に飛び込んでこい」
「絶対に嫌だね。その豊満な胸は獲物を殺すための罠だということを知っているから」
半歩引いての臨戦態勢。
いつでもこの場から逃げ出せるように警戒を強める。
「忘れもしないさ。前回はそれであまりの抱擁の力強さに背骨が死にかけたんだ。もう食らわない、同じ手は!」
「ああ、あの時はつい感極まってしまってな。ついついやってしまった」
「マナフィア様マナフィア様。兄様が狙ってやったわけではないマナフィア様の所業に本気で恐怖しておりますので、どうかそのような気持ちのいい笑顔を向けないであげてください」
「やってしまった、てへっ」とでも言いそうな顔にユウリは表情を引き攣らせた。どころか足の震えが止まらなくなった。
思い出すのも苦痛なほど、ユウリはこのマナフィアという少女から散々な扱いを受けている。
ある時は劇物を間違えて食べさせられたり。
ある時は一緒に川に入ろうと裸にひん剥いた後、滝の中に突き落としたり。
ある時は魔術の実験台にさせられ内臓を殺られたり。
「よくよく考えれば俺って頑張って生きてるよな……」
もはや記憶だけでも泣けてくるほど。
それをあのような眩いばかりの笑顔でついついやってしまった、と済ませてしまうマナフィアは、ユウリからすると頭のネジが何本かぶっ飛んでいるのではと思いさえする。
マナフィア・リベールという少女は、それだけユウリにとっての天敵とも言えた。
「それで俺に会いに来たって言うけど、どんな用件ですかね」
その天敵を前にして、頭をポリポリと掻く。
来てしまったものは仕方がないと、半ば諦念に身を委ねて。
彼のそのような感情が伝わったのか、マナフィアは「ふふふっ」と愉快そうに微笑んだ。
「そうだな。色々と話したいことは山ほどあるが、今はそれはさておこう」
「ふぅん。それで?」
「言わずともわかるだろう? 妾と戦え」
「やっぱり……」
聞くや否や、ユウリはげんなりとした。
マナフィアと再会した時、彼女からほぼ間違いなく言われる言葉がある。
妾と戦え――すなわち訓練の相手をしろということだ。
紅い瞳を輝かせるこのマナフィアという少女は見た目こそ美しい容姿を晒しているが、歴とした傭兵である。
その実力はA級。人外の領域に足を踏み込んでいる。
「リリ……。どうにか説得してくれないか、この戦闘狂に」
「リリとしてもマナフィア様にはもう少しお淑やかにしてもらいたいんですけど、土台無理な話ですよね」
「そうだよなぁ」
溜息と共に目の前の少女を見やる。
小首を傾げる目の前の少女は、黙っていれば絶世の美女とさえ言えるはずなのに、その内面は残念そのもの。事あるごとに訓練と称する拷問に付き合わされるユウリからすると、悪魔の権化にさえ見えてしまう。
「大体、今ですら強いのにそこまで訓練する意味があるのか?」
「ある。お前も忘れたわけではないだろう。妾の悲願を」
「――ああ」
先ほどまでとは違った雰囲気を、マナフィアは纏わせた。
マナフィアの悲願。それはユウリも決して無関係ではない。
ユウリ達は"とある目的"を共有している。その目的がマナフィアの悲願だ。
最初こそユウリにとって関係のない事柄であったが、あの日ユウリがユウリ・グラールとなった日からそうではなくなった。
ともあれ。
「とりあえず今日は疲れたから、また今度でいいか? 時間もそろそろ遅いし、宿に戻らないと」
逃れられない定めと理解はしたが、空を見上げれば夕日も落ちかけている。
日中の間はセリーナ・ルグエニアとスイ・キアルカに遭遇。その流れから模擬戦を行った。
正直に言うと、それなりに疲労が溜まっているのである。
「なるほど。では妾達もそろそろ宿に戻ろうか」
「そうですね。リリもその方がいいと思いますよ」
「では訓練は明日の朝から夜までやるぞ」
「それは勘弁してくださいっと。そういえば、どこの宿を取ってるんだ?」
少しばかりの強行を覚悟していたが、案外あっさりとマナフィアは退いた。そのことにホッと安堵の息を吐きながら、しかし気になったことを直接目の前の彼女に問いかける。
「マナフィアのことだから、普通の民用宿には止まらないだろうけど」
「うむ。それなりに良い場所を取っている」
「じゃないとマナフィア様が駄々をこねるじゃないですか」
「嫌なものを嫌だと言って何が悪い」
悪びれもせずにそのように言い切った。
リリも大変だな、とユウリは他人事のように思ってしまう。
「確か名前はなんと言ったかな。"銀の火鳥の亭"という名前だったか」
他人事ではなかった。
完全にユウリの泊まっている宿と同名の宿であった。
「……ははっ。名前を間違えてるんじゃないかな?」
「いや。確か"銀の火鳥の亭"という名前だった。ここから西にいった先にある」
「マナフィア様マナフィア様。兄様の瞳から光が消えていくんですが、何か意地の悪いことでもしましたか?」
四肢を地面につき、愕然とする。
マナフィア・リベール及びリリアンナ・ルージュ。
旧知の仲である二人が、それも天敵とも言えるマナフィアを含めた少女二人が自分の側で虎視眈々とこちらを監視しているという状況。
ユウリ・グラールは己が不幸を全力で嘆いた。




