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ただの欠陥魔術師ですが、なにか?  作者: 猫丸さん
二章 魔導学論展編 中編
45/106

襲うは水流

 学園生徒の中でも最上位に位置する第二王女セリーナ・ルグエニア。

 なぜ王族である彼女がこの食事処にいるのだろうか。


「――もしかして総会長もこの宿に?」

「いいえ。私達が寝泊まりしているのはこことは別の場所ね。ただここの料理はすごく美味しいから、この都市に来た時はいつもお世話になってるのよ」

「なるほど」


 言われて納得する。

 確かにこの食事処は周りを見渡しても貴族のような煌びやかな人間が多い。

 むしろ平民であるユウリの姿が浮いているほどだ。


 料理を見ても、この料理亭は腕の良い者を集めているだろうことはわかる。それこそルグエニア学園の入学式で口にしたものと同等、むしろそれ以上に美味な料理であった。


「それで総会長ともう一人……えっと。確か学園でも一回会ったっすよね」

「――私ですか?」

「そうそう」

「……スイ・キアルカ。この度は総会長の護衛に付かせてもらってます」


 ぶっきらぼうにそう告げる彼女。

 ユウリはこのスイ・キアルカという少女に一度会っているはずだが、咄嗟に名前が出て来なかったことに少しだけ申し訳なさを感じた。


 しかし苦笑を漏らしていたところ、ふと気になる単語が耳に届く。


「護衛?」


 ユウリは首を傾げた。

 生徒が生徒を護衛する。学園に通う貴族であるなら不思議なことではない。

 しかしそれはあくまで学園内での話だ。


 こういった都市に赴くのであるなら、王族なら特に専門の本職を呼ぶものだとユウリは思っていた。


「もちろん他にも護衛はいます。しかし私達キアルカ家は代々王族の護衛を務める習わしがあるのです」

「……聞いたことがあるわね。王女の近衛隊にはいつも、キアルカ家が代表となって就くって」

「その通りです。白銀の"加護持ち"、フレアさん」

「――」


 白銀の"加護持ち"。

 その言葉にはどこか冷たさが見え隠れしていた。

 フレアもそれには気付いたようで、ピクリと眉を動かす。しかしそれ以上の反応を示すことはない。

 慣れていると。まるで言外に伝えているようであった。


「それで総会長とスイ先輩がここにいるってことは、他の先輩達もいるんですか?」


 話を変えるように半歩だけ前に出て、ユウリは質問を変えた。


「他の、というのは?」

「正直な話。あの赤髪の先輩がいるなら警戒しないといけないんですけど」

「赤髪、というとバン君のことね」

「そうそう。バン先輩」


 ユウリは今でも思い出す。

 というより、この短期間で忘れるはずがない。

 バン・ノート。炎のような赤い髪の生徒であり、学園総会本部員の二年生。

 突如として襲われた記憶は最近のものであるからこそ、この二人がこの場に来ているのならばあの男も近くにいるのかもしれないと周囲に気を撒く。


「安心して大丈夫よ。バン君は魔導学論展にはそこまで興味がないようだし、この都市には来ていないの」

「そりゃ良かった」

「同様に他の二人も同じく学園よ。仕事を押し付け……仕事を任せて私達はここに来たから」

「今押し付けたって言おうとしたような気がしたけど……」

「一体何のことかしら」


 不穏な言葉が聞こえたために思わず言葉を挟んでしまったが、当の本人はしらばっくれるばかりだ。

 隣のスイが額に手を当てて息を吐いていることから、まず間違いなく確信犯であることはわかる。


 前に見た副会長だった、レスト・ヤードの苦労顔がユウリの脳裏に過ぎった。


「でもバン先輩がいないなら安心したっすわ。もうあの人との死闘は演じたくないし」

「そういえばあなたはバン君と引き分けたそうね。バン君が再戦を楽しみにしていると思うわ」

「止めてくれませんかね。絶ッ対に再戦なんて受けたかねぇ……」


 どっと疲れたような表情が浮かんでしまう。

 それを目の前の王女様はクスクスと笑うばかり。

 他人事であるからそのように笑えるのだと、少しばかり口を尖らせてしまう。


 さすがに溜息を吐くしかないユウリはふと、フレアの方に視線を向けた。

 先ほどからあまり話していないように見受けられる彼女の様子が気になったからだ。


「ユウリ」


 真っ直ぐと視線を向け続ける銀の少女。その矛先はたった一人に向いていた。

 そしてユウリも気付く。目の前から受ける視線に。


「――あなたはバンと引き分けたと。そのように聞きました」


 視線の主はスイ・キアルカであった。

 夜空のような淡い黒髪を靡かせ、凛とした佇まいを見せる碧眼の少女。その人物が鋭い眼光をユウリに飛ばしている。


「それが本当なら是非あなたにお願いしたいことがあります」

「お願い?」


 凛とした声色の中に少しの闘争心が含まれていた。それを感じ取ったユウリの声もまた、少しずつ固さを帯びていく。

 この雰囲気。この様子。

 一体何をお願いされるのか、何となくわかったから。


「――私と模擬戦をしてください」


 真剣な瞳。

 真剣な声色。

 どこまでも真っ直ぐとした光がユウリへと届く。


 彼女が何を思ってその言葉を発したのかは、ユウリにはわからなかった。

 しかし何かしらの覚悟を秘めた目でスイは見つめてくる。それを感じ取ることは容易であった。


 だからこそユウリはふっと微笑み、そして――。


「え、やだよ」


 にべもない。

 黒髪の少年はスイ・キアルカのお願いとやらを、バッサリと切り捨てた。



 ★


「――俺さ。嫌だって言ったよね?」

「ええ。言いました」

「じゃあなんでこんなところに連れて来られてんの?」


 純粋な疑問というよりは、どこか呆れ気味に。そして諦念も交えてそう口にする。


 ユウリが今いる場所は都市アルディーラの中でも東部にある広場だ。

 このアルディーラはどうやら魔導学論展だけでなく様々な行事を行う上での重要な都市であるらしく、模擬戦用の広場まで用意されてあった。


「もちろん模擬戦のためです。ここは数年に一度行われる国内魔闘祭に使われる闘技場ですから」

「へぇ、魔闘祭かぁ。ちなみに次の魔闘祭はいつあるんですかね?」

「私が知っている限り、国内魔闘祭は二年後に開催されるようですね」

「情報提供あざます。それじゃ俺はここいらで帰らせてもらいますわ」


 これ以上ここにいれば何を強要させられるかは嫌でも理解できる。

 ユウリはさっさと帰りたいために、そう言葉で締めくくってはスイの横を通り過ぎようと試みる。


 もちろん結果は無駄。ガシッと音がするほどの力で肩を掴まれた。


「どこに行こうというのでしょう」

「やぁー、ははっ。ちょっとトイレに……」

「さっき行きましたよね」


 ついでにそこで逃走を図るも失敗に終わった。


 これは自力ではどうしようもないと悟ったユウリは、助けを請うような視線を闘技場の場外――すなわちセリーナと共に座るフレアに向ける。


「――」

「――」


 フレアと目が合った。


 この時のユウリ。

「悟ってくれ俺の気持ち!」と、万感の思いを込めて懇願する。

 彼女は果たして気付いてくれるだろうか。いや、気付いてくれるはずだと、ユウリは確信していた。


 それが届いたのか。

 フレアはゆっくりと右手を挙げ始めた。

 おそらくこの場を乗り切る何かを、彼女は行動に移してくれるのだろう。

 持つべきものは"加護持ち"の友だと、この時のユウリは救世主を見るような目でフレアを眺めていた。


 ――グッ。


 返ってきた返答は親指を突き立てるサムズアップのサイン。

 すなわち戦ってこいとの合図。

 友からも見捨てられたユウリはその場で四肢を地面につき、涙した。


「無駄なことはしなくていいので、早く始めましょう」


 どのようにしても状況打破には至らなかったユウリの落ち込む姿など考える余地もないらしく、スイの方は準備運動を終えたようにそうユウリに声をかけた。

 ユウリ自身はその言葉に反応したように、おもむろに立ち上がって目の前の少女を見る。


「俺からしてみればこの模擬戦も無駄だとおもうんだけどなぁ」

「何を言ってるんですか。学生の身であるならこういった場で己を高めることに無駄ということはないと思いますけど」

「ふむ。大体、どうして先輩と模擬戦をしないといけないんですか?」


 ユウリの疑問は真っ直ぐと放たれた。

 バンもそうだが、どうも総会本部員の、特に二年生は自分に対して好戦的だという印象を持つ。

 その理由がわからないからこそ、この模擬戦に意味を感じない。


「――強いて言うのなら、納得したいからです」


 言葉は返ってきた。

 その意味、真意は未だ理解できない領域であるが。


「納得?」

「ええ。つまり私達の我儘です」

「その我儘に俺は付き合わされてるってこと?」

「そうなりますね――では始めましょう」


 足を半歩下げて、スイは両腕を下段に構えた。

 手の構え、腕の構えだけを見るのならば、まるで両手に剣を持っているかのような姿である。

 不可解なその構えに疑問を生じさせるが、しかし次の瞬間には眼を見張ると共に理解した。


水流両刀(ウォータクルセイド)


 彼女の両手に現れた二振りの水の刀。

 まるで水流を刀の形に押し留めているかのようなその魔術に、ユウリは眉を寄せる。


「先輩は魔術剣士ですか」

「ええ。近、中距離戦闘を主な得意範囲(レンジ)としています」

「なるほど」


 近、中距離戦闘といえば、思い当たる節は数人いる。

 バン・ノートもその(タイプ)であった。

 しかし彼はどちらかといえば中距離よりであったことを考えると、水流の刀を扱う彼女は近距離よりなのだろうと予測できる。


(……ここまで来たらやるしかないっか)


 さしものユウリも覚悟を決めた。

 まさかここまできて逃げようものなら、後々どのように総会から目をつけられるかわかったものではないのだから。


「テキトーに戦ってキリのいいところで止めよ……」

「何か言いましたか?」

「なーんでも」


 これからの展望について考えていたところに声が届いた。

 すぐさま「何も言ってませんよー」と視線を逸らすが、スイは不審には思ったらしい。

 どこか疑うような視線を向けてきた。


 ともあれそれ以上の口論はするつもりもないらしく、半歩下げた足を次は一歩だけ踏み込ませた。


「参ります」


 スイが声を上げると同時に。


 ダッと音がした。


 地面を蹴りつけて相手の懐へと走り寄る音。先に動いたのはスイではなく、ユウリ(・・・)だった。


「――ッ」

「先手必勝ってね」


 虚をつき敵より先に動くのはユウリの戦闘において非常に重要な動きである。

 魔力抵抗力が無であるユウリに守勢に回るという選択肢は自殺行為だからだ。


 あえて敵の得意範囲(レンジ)へと身を誘い、しかしそこからさらに限界速度まで加速する。

 そして一瞬で敵の側面へと回り込んだ。


「まずは一発」


 唸る右の拳。

 当たれば吹き飛ぶ一撃は、真っ直ぐとスイ・キアルカのもとまで真っ直ぐと軌跡を描く。

 それが少女の胸部へと届こうとしたところで、彼女はそれを身を引いて回避した。


(……っ)


 初撃を躱された。


 決して手を抜いたわけではない。

 完全な奇襲をかけたつもりが対応される。


 このスイ・キアルカも、最近対峙したバン・ノートや"軽業師"ツヴァイと同じく、実力者であることを再認識させられる。


「ったく。簡単に躱してくれるな」

「――ッ!」


 加速。

 踊るように再度側面へと回ったユウリは、スイの背後を取った。


 動作を繋げるように、身を屈めての足払いもまた繰り出す。


「ク、……!」


 初撃を躱したスイであるが、二撃目の足払いは避ける余裕がなかったらしい。

 ユウリの狙い通り、転倒する。


 そのまま疾風迅雷。

 転倒したことを好機と見たユウリは俊敏な動きで攻撃体勢へと移る。

 すなわち拳の撃ち落とし。

 スイの頭上から雷にも似た拳撃を放った。


「取っ――」

「――ハァッ!」


 けれど、届かず。


 仕留めるつもりで放ったユウリの拳が直撃する前のこと。スイの体から水が溢れ出すような形で放出された。


 スイ・キアルカの水魔術。

 それを視界に収めた瞬間、ユウリは握った拳の手のひらを広げ、"魔波動"の盾――《シールド》を発動。


 溢れ出す水流がユウリを吹き飛ばそうと襲う。けれどユウリもまた耐える。そしてジリジリと押されるままに、しかし傷を負わないように水流を耐え切った。


「……今のはなんすか。今まで見たことのない水魔術だったんすけど」

「それを言うのならあなたの動きもなんですか。瞬発力ならA級傭兵並みですよ」


 先ほどの攻防で、互いが互いの技に驚愕する。


(魔術の発動速度が――)

(体術の接近速度が――)


 二者は一筋の汗を流した。

 後、どちらも弧を描くように敵の動きを探る。

 そしてどちらかの汗が地面へと落ち、地面を湿らせた瞬間――。


(――速すぎる!)


 奇しくも心の声は一致する。

 同時に、両者は動きを開始していた。


 ユウリは僅か一秒にも満たない時間で数歩の間合いを全て縮め。

 スイは両の手を交差に振りつつ水の刀をしならせ。


 互いに拳と両刀を思う存分に振り抜く。


「――」

「――もらいました」


 押し勝ったのはスイ・キアルカ。

 吹き飛ばされたのはユウリ・グラール。

 その原因は単純な威力と間合いによるものだった。


「――ッ」


 しかしユウリの体から放出されている"魔波動"が簡単に破かれるようなことはない。

 吹き飛ばされたとはいえどもユウリに大きな傷はなかった。

 宙に浮かんでいたところを驚くべき体バランスで修正し、綺麗な着地を披露する。


「……その剣、というか魔術。範囲がなかなか広いから厄介すね」

「先ほど言いましたよ。私の得意範囲(レンジ)は近、中距離戦闘だと」


 確かに聞いた。


 しかし接近戦の代名詞とも言える刀の扱いが、魔術師であるはずなのに卓越している。あの長物をして、接近戦まで対応されるとは思わなんだ。


「ちょっと戦って思ったんですけど」

「……?」

「どうして先輩みたいな強い人が、俺と模擬戦をしたがるのかなぁーっと。納得したいって言ってたけど、俺には理解できないです」


 今は戦闘中。

 模擬戦とはいえその行為は褒められたものではないのかもしれない。

 しかし己の中で燻る疑問を吐き出してしまう。


「何より先輩は総会本部員で、俺は学園最底辺。相手をする必要ってないっすよね」


 そう。

 スイ・キアルカは誰もが羨む学園総会本部員。

 対するユウリ・グラールは誰もが蔑むことのできる学園最底辺の平民生徒。

 本来ならば目の前の少女と会話する機会さえないはずの差が広がっている。


 しかしバン・ノートは、スイ・キアルカは。

 ユウリに好戦的な意思を向けてくる。


「――だからですよ」


 ポツリと。

 返答はあった。


「あなたは魔力量は最低値。魔力抵抗力も皆無。本来ならば学園に入学は愚か、魔導社会の中で生きていけるのも不思議な存在です」

「――」

「そのようなあなたが、"五本指"候補者の私達と同等の力を手にしている――私は、その理由が知りたい」


 吐き出したものの意味が、ユウリには何となくわかったような気がした。

 あくまで気がした、に過ぎないが。


 彼女が何を感じて何を見て生きてきたのか。

 その全てを知ることはできるはずもない。

 でも何かに対して彼女は抗っている。そのような印象を受けた。


「ふぅん」


 それ以上語ることはない。

 彼女には何かしらの戦う理由というものが、その胸の中に確かに存在することを知ったから。


 拳を握り、開き、そしてまた握る。

 そしてそのまま、拳を手のひらに打ち付ける。


 乾いた音がなった。

 それは全力を出す前兆。ユウリにとっての癖のようなもの。


 己の中に眠るなけなしの魔力を込めた。


「行きます」

「仕留める」


 声が響くと共に、同時に踏み込まれた。


 瞬間的に埋められるのは互いの距離。

 すぐさま接近状態に陥った二人は駆け引きと共に戦闘を再開させる。


「……」


 スイの握る二刀。まずはそれによる乱舞がユウリへと迫り、振るわれた。

 両の手から繰り出される剣閃がユウリの足を、腕を、頬を掠めていく。


「……ッ」


 視線を細めて唇を噛む。

 スイの剣技は確かな技量を持っているもので、ユウリの領域である接近戦においても気を抜けない。


 何より刀と素手ではリーチに差がある。

 けれど、致命傷は避け続ける。


「……ッ」


 息を呑む音が耳に届く。

 真正面を見ると、顔を顰めたスイが伺えた。


「まさか、ここまで防がれるのですか……ッ!」

「防がないと一撃で終わるんでね!」


 躱し、受け回し、いなす。

 ユウリの両の手は"魔波動"により相手の水流両刀(ウォータ・クルセイド)に干渉できるからこそ、刃を受け止めて弾くことができるのだ。


 しかし敵はそれを知らない。

 スイから見れば、自身の魔術が素手で受け止められているように感じるはずである。


 ピッと。少量ではあるが、血が舞う。


 そうこうしている間にも擦り傷を負っていくのはユウリの方であるのも事実。

 状況を変えるためにも何かしらの手を打たなければならないわけであるが――。


「――まだ」


 敵の乱舞をジッと見据える。

 油断なく、何も見逃さぬよう。

 脳裏に過ぎるバン・ノートとの戦闘。もしもあのまま続けていればどうなっていたことか。その教訓を無駄にはしない。


「――!」


 そして一瞬の間。

 ユウリは僅かな、しかし有効なる隙を乱舞の中で見極める。


「――魔波動の弾、《ショット》」

「なッ!?」


 突如とした衝撃がスイを襲った。

 純魔力による不可視の一撃。

 威力こそ弱いものの敵の虚をつくにはこれ以上ないユウリの隠し球である。


 それを受けたスイは、想定外の攻撃により一時的に両の手に発動している水流両刀(ウォータ・クルセイド)を解いてしまった。


「もらったァ!」

「くぅ……!」


 手を伸ばし、スイの襟元を狙うユウリ。

 狙いは鳩尾を狙った掌底。魔波動による魔力の放出を加えることで、一気に戦闘不能に陥らせようと動く。


 直撃すれば模擬戦の終了だ。


(いけるか……ッ)


 意気込み、真っ直ぐと腕を伸ばす。

 しかしスイも反射的に対応しようと、咄嗟に腕を振るう。


 どちらの動きが早いか。それは当人達にもわからぬまま、事態は進行していく。


 結論から言うと。

 ここでユウリにも、またスイにも想定外の事態が発生した。


 ユウリの真っ直ぐと鳩尾に伸びる腕を、スイは横から軌道を変えるように弾く。

 するとユウリの狙いも逸れたことで、軌道は僅かな曲線を描くことに。


 そこで。


 むにゅ、と。


「――おろ?」


 右の手のひらに広がる、何とも心地の良い感触。

 なぜだろうか。ユウリの全身に甘美な感覚が波を打ってくる。


 おかしい。

 何度も言うが、ユウリが狙った場所は鳩尾である。

 それがスイの動きによって逸らされたまでは良いのだが、どうして――。


「な、ななな……ッ!!」


 どうしてユウリはスイ・キアルカの胸に手を当てているのだろうか。


「――」

「――」


 妙な沈黙がその場に降り注ぐ。

 しかもそれは場外でこの戦闘を見守っていた二人もまた同じような空気を発しているからタチが悪い。


 何か、言わなければ。

 そんな使命感に駆られた。


「えっと。先輩」

「……なんでしょうか?」

「胸……小さいですね」


 選択を間違えたと言わざるを得ない。


 返ってきた答えは悲鳴と共に打ち上げられた蹴り上げ。

 意識すら空へと飛ばすほどの威力を誇った一撃に、ユウリは止む無く気絶する。


 ユウリ・グラールとスイ・キアルカの模擬戦。

 それは顔を真っ赤に染めて悲鳴を上げ続けるスイが勝者となって幕を閉じた。




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