それは出会い
――行き倒れが、一人。
「――」
場所はルグエニア王国。
アルベルト大陸において南西の位置に存在するこの国が、帝国との間で戦争を行っていたことはすでに遠い昔のこと。
今や平和を象徴する国として大陸の諸外国から注目を浴びている。
「――あー……。死ぬ」
そんな平和な国の街道において、空腹に呻く少年が一人いた。
「まさか食料を落とすなんて……。俺としたことが」
木陰にて身を休めつつ、しかし訴えてくる空腹感に勝てる筈もなく。
苛まれる飢えに悩まされながら、少年は空を仰ぎ見ていた。
少年の名はユウリ・グラール。
漆をぶち撒けたような真っ黒な髪と、同色の瞳を所持している。
身に付けているものは黒の外套であり、それを纏っているがゆえに顔から下は漆黒色。
容姿はやや中性的なものであり、女性受けがそれなりに良いだろうと言えるほどには整っていた。
そんな少年が街道の途中で、日の光に当たらないよう木陰に身を隠して木の幹を背もたれに腰掛けている。
「こんな状態で魔獣に襲われたら終わりだな。しかし動きたくもない。これは拙い」
空腹ゆえに遠い空を眺めながらブツブツと小言を呟く。
しかし周りにそれを聞く者は誰もいない。
それも当然と言うべきか。ここは街道の真っ只中である。
ここを通る者は馬車を使う者がほとんどであり、そもそも魔導技術の発達したこのルグエニア王国には魔導汽車という便利な移動手段すら用意されている。
ゆえに本来ならこのような場所に人が通ることなどほとんどないのだ。
本来なら。
「――んあ?」
「………………」
目の前に一人、少女がいた。
それもこちらに視線をじいっと向けるという形を取っている少女が。
見間違いか、と最初は思った。
しかし目を擦っても瞬きしても少女の幻覚は消えない。
いや、幻覚ではないから消えるはずもなく、少女はただただそこに立っている。
「――どちらさん?」
ユウリは反射的に問うた。
銀の髪を携えし少女の、その碧眼を見据えながら。
そして答えが返ってくる。
「あんた、大丈夫?」
可哀想なものを見るような、そのような視線と共に。
★
「いや、ほんっと助かりました!」
「そ、そう」
貰った干し肉を、まるで高級食材を食しているかのような満足気な表情で平らげるユウリに、少女は引き攣った顔を浮かべることしかできない。
しかしユウリにとってみれば、この干し肉は砂漠の中で見つけたオアシスのようなものだ。
この反応も仕方ないと言える、かもしれない。
「それで、どうしてこんなところで生き倒れてたのよ」
ユウリが干し肉を食べ終わった姿を見て、銀の髪の少女はそのように聞いてきた。
先ほどまでは空腹感が強すぎてそれどころではなかったのだが、よくよく少女の姿を見れば実に可憐な少女であるということが見てわかる。
透き通るような白い肌。
光に反射して輝いている白銀の髪と、まるでそこに宝石を埋め込んでいるかのような碧眼の持ち主。
ユウリと同じように、灰色の外套に身を包んでいることから彼女もまた街道を歩いて来たのだろう。
「魔獣と殺り合って、それで落とした」
「落としたって、何をよ」
「食料」
「……なるほどね」
つまりは魔獣という存在に襲われ、撃退したはいいが唯一食料の入った小袋を落としたことに気付かず道を進んでしまい、今に至るということである。
「あんたバカでしょ」
「やぁー、返す言葉もないっすわ」
「……本当にわかってるのか」
ユウリは少女の言葉に頭を掻きながら苦笑する。そんな姿に少女は呆れたような表情を浮かべた。
「――で、そっちはこんなとこで何してんの? ここら辺は魔獣が出るから危ないと思うんだけど」
「それはこっちの台詞よ。そっくりそのままお返ししたいほどね」
呑気な口調で話しかけるユウリに対して、少女の方はどこまでも呆れ気味な視線を向け続ける。
ユウリの言葉通り、この街道は魔獣という危険な生物が生息している。
もちろん街道のど真ん中に出てくるようなことはほぼ無いに等しいのだが、少し道を逸れれば遭遇することは珍しくない。
そのような場所に馬車で通るわけでもなく、護衛を付けるわけでもない。
ただの少年少女が突っ立っている。
見る人が見れば不可解な光景だ。
「まあ俺はちょっとした魔獣相手なら相手取れるから、大丈夫ってことで」
「ふぅん、奇遇ね。私も多少の魔獣なら問題なく対処できるから大丈夫なのよ」
あっけらかんと言い放つ少女にユウリは少しばかり視線を細める。
確かに少女からは独特の雰囲気が発せられているように感じられることから、只者ではないのかもしれない。
しかしすぐに観察することを止めた。
彼女が只者であろうがなかろうが、そんなことはどうでもよかったからだ。
「もしかしてだけど、学園都市に向かってる?」
「ええそうよ。よくわかったわね」
「ここから真っ直ぐ向かった先が学園都市しかないからな。普通は気付くだろうさ」
「まっ、言われてみればそうよね」
察しの通りと言わんばかりの素っ気ない態度。
そしてユウリは自分と同じ場所をこの少女が目指していることから、一つの可能性に辿り着く。
「――学園の入学者か」
「ご明察」
ユウリの答えに驚いた様子もなく少女は頷いた。
学園都市ロレント。
ルグエニア王国、否。アルベルト大陸の中でも最大規模を誇る王立ルグエニア学園を中心として広がる都市のことだ。
ルグエニア王国だけでなく、大陸のどこにいたとしても学園都市と言われて真っ先に思い浮かぶのはこのロレントである。
生徒数は五千人を超える大規模な数であり、校舎はいくつも存在する。
学園都市にあるのはもちろん学園だけでなく、人々が生活しつつそれぞれの店を経営しており、王都の城下町に次いで賑わいを見せるその光景が広がっているとのこと。ゆえに入ったものはただ感嘆の声を漏らすばかりなのだそうだ。
おそらく大陸中のどこを探しても王立ルグエニア学園よりも好条件で学べる学園は存在しないだろう。
大陸最大規模の名は伊達ではないということだ。
そのルグエニア学園に目の前の少女は入学すると言う。
そしてまた、ユウリ自身も入学者の一人であった。
「じゃあ私は行かせてもらうわ。あんたはどうするの?」
少女はそう口を開いて、立ち上がる。
自分は行くがお前はどうするのかと。そのような意味の視線を投げかけてきた。
「俺はもう一眠りでもしようかな。食ったら眠くなってきたし」
「……こんな平原のど真ん中で寝るなんていい度胸してるわね」
「やぁー、そんなに褒められると照れるって」
「褒めてないわよ!」
反応の良い少女の様子にユウリはカラカラと笑う。
まるで幼い悪戯っ子のようなユウリの様子に不機嫌な表情を浮かべた少女は、「はぁ」と溜息を吐いてそこから立ち去ろうと足を動かし始めた。
「あ、ちょい待ち」
「……今度は何?」
そこでユウリは彼女を引き止めるべく声をかけた。
対する少女は少しげんなりした表情でユウリの方を振り返る。
少女の中でユウリの存在は良くわからない人間というところまで格上げされていた。
「名前、教えてもらってもいいか?」
「どうして?」
「飯の恩は忘れない。俺のポリシー」
「なんというか。本当にあんたって変わってるわね」
「またそんなに褒めるなよ」
「褒めてない」
ユウリの性格をこの短時間でそれなりに把握した少女はもう一つ溜息。
そしてその問いに対して答える。
「――フレア。もう会うことはないでしょうけど、あんたは?」
「ユウリ・グラール。今度会った時は俺が飯を奢るよ」
「そ。期待しないで待ってるわ」
それだけ返してフレアは立ち去った。
木陰から出た彼女に上から降ってくる日の光が反射して、白銀の髪が眩しく光る。
遠く離れていく少女の後ろ姿を横目にしながら、ユウリは満足したとばかりの表情を浮かべつつ、街道の脇で生い茂る草花の群れに飛び込み睡魔に身を委ねていった。
これがユウリ・グラールとフレアという少女の初めての邂逅である。