少女の悩み
「――うまうまっ」
「……本当にユウリ君って良く食べるね」
「飯は生命の源。この世の摂理だっての」
バクバクと己の生命を健やかに保つためにも、ユウリは目の前の食事に手をありつける。
全力で食事に臨む彼の姿には、ステラも苦笑い。まさか彼がここまでの食いしん坊だとは思わなかったためだ。
二人は訓練場から一番近くにあった第一食堂へと足を運び、そこで席を陣取った。
ちなみに時間帯的には、夕方過ぎ頃。そろそろ人が多くなり始めてもいい頃なのだが、満席にはならない程度のちょうどいい人口密度である。
おそらくこの時間帯では、寮の近くにある第二食堂辺りに人が流れているのだろう。
「んで、俺に話というのは?」
食事の手を止めずに、目線だけで疑問の意を伝える。
話があると誘われて赴いたのがこの場所。要件を聞くためにもステラの言葉を待った。
「――その、えっとね。私からは大まかに分けて二つあるんだけど」
「ふぅん。んで一つ目は今日の模擬戦のことかな?」
「……まあ、ねぇ」
ステラは歯切れを悪くして答えた。
おおかた予想通りだと、ユウリは手を止めて対面に座る少女を見る。
彼女はレオンとの知古であるということはわかっている。昼間の会話から、おそらく親しい仲なのはユウリも察していた。
そのレオンが模擬戦でユウリにズタボロにされたのだ。
だからこそ彼女はここに座っている。
あの模擬戦の光景を見て、何もせずにおとなしく静観をしなかったこと。これこそが彼女とレオンとの関係が決して浅くないということの表れだ。
「私は治癒魔術師だからある程度はわかるんだ。傷の大きさとか」
「治癒魔術師ねぇ」
「うん。だからわかった。ユウリ君がレオンに負わせた傷は、見た目よりも深いんだって」
お察しの通りで、などとは流石のユウリも言葉に出さなかった。
模擬戦の時を思い出す。
天下の王立ルグエニア学園といえども、入学してから一週間と経っていない一般生徒では素人に毛が生えたようなものだ。それこそ傭兵ギルドで依頼をこなしていたユウリからすれば、赤子の手を捻るも同然のことだろう。
しかしレオンは違った。
剣筋の鋭さや技のキレ。ユウリの動きについてこれる動体視力。それらを考えた結果、彼は獅子組において他生徒と比べると一歩も二歩も先を進んでいる。
その相手が魔術まで使用してきた。
魔力測定でも明らかになっているが、ユウリの魔力抵抗力はゼロ――無いに等しい。
たかが初級魔術一撃でもまともに受ければ重傷を負いかねない体なのに、彼は初級魔術だけでなく挙句には中級魔術まで使用してきた。
命の危険がある以上は本気でやる。それを実行したまでのこと。
ユウリとしては、悪びれるつもりはない。
「……一応、私もわかってるつもりなんだ。ユウリ君の魔力抵抗力を考えると、魔術も使ってくるレオン相手じゃ必死にもなるってことは」
「まあ確かに焦ったよなー。剣士かと思ってたら魔術まで飛んで来るなんて。入学したばっかの一年生がしてくるとは誰も思わないだろうし」
ははっと笑いが出るユウリだったが、魔術を使われた時に内心で焦りを感じたのは本音であった。
「それに模擬戦を続けたのはレオンだから、ユウリ君自体に文句は言わないよ。もっと加減するべきだったとは思ってるけど」
「そこはごめんね。俺の実力不足というしかないよ」
「それはいいの。私が少し気になったのは、ユウリ君の《身体強化》のこと」
少しだけ目を細めてユウリを見る。
向けられる眼差しに含まれてるのは、疑念。
「ユウリ君は、魔力測定の時に数値を誤魔化してたの?」
「んや。誤魔化してなんかないよ」
「でも、ユウリ君が使った《身体強化》。あれは――」
「――俺はあの時、確実に全力を尽くした。もう一度しても結果は変わらない」
一瞬だけ、纏う雰囲気が変わった。それは今日の昼にも体験したことであり、しかしあの時よりも鋭い刃物を突きつけられているかのような感覚を覚えさせられる。
有無を言わさない。これ以上の発言を認めない。そのような意思が込められていた。
「――そう」
これにはステラも身を引くしかないと悟ったらしい。
ユウリの言葉に対してそれ以上の追求を避ける形をとった。
その様子に、ユウリはすかさず次の話題を持ってくる。
「んじゃ、もう一つの話ってのは? 大まかに分けて二つあるって言ってたけど」
「あ、そっちの方は大した用事ってほどでもないんだけど……」
二つ目の話を催促するユウリであったが、催促された側のステラは途端、少しだけ恥ずかしそうにキョロキョロと辺りを見渡した。
まるでこれから話すことを、あまり他人に知られたくないという仕草。
ピクリとユウリは眉を動かす。彼女のその様子に、純粋な疑問を持った。
「――実は、私にはルームメイトがいるんだ」
「へぇ。俺の部屋は一人部屋だから、そういうのがいないんだよね。それで?」
「その一人と交流を深めたいと思うんだけど、どうすればいいのかなぁと」
言葉に、ユウリはきょとんとした顔を浮かべた。
というと、なんだ。
この少女はルームメイトと関係が上手くいかないから、どうすれば友達になれるのかと相談しに来たということか。
(――いや)
否。
断じて否のはずだと、ユウリは視線を細めた。
彼女の立場は貴族である。社交性を高く求められる立場にある地位であり、それを平民に相談するというのは考えられない。
もちろんユウリと彼女とが旧知の友人関係であるのなら問題のないことなのかもしれないが、彼女と出会ったのはまさに今日。
ユウリに相談するようなことではないはずである。
「ちなみに。そのお相手は?」
しかし。
「――フレアさん。ユウリ君は知ってるはずだけど」
その相手がユウリの知り合いならば、説明はつく。
「恥ずかしい限りなんだけど、フレアさんにはどうやら避けられてるみたいなの。というより、他の人と一切会話をしないようにしているみたい――ユウリ君以外だと」
「言っても、俺もそこまで会話してるってわけじゃないんだけどね?」
「でも他の人と比べると天と地の差だよ」
ステラの言葉に、干し肉の慈悲を与えてくれたあの少女の姿を思い浮かべる。
確かに彼女が他人と会話しているところを見かけたことはない。同時に自分がクラスの中でも一番会話をしているのではないだろうかすら思えた。
しかし仲を取り持つほど良いかと言われても、首を縦に振ることは難しい。
なにせ出会って五日も経っていないような間柄である。もっともその間柄で気安く話しかけているのがユウリなのだが。
「だからどうやったら仲を取り持てるのか、教えて欲しいなぁ、なんて」
「つまり友達になる秘訣を教えろということですかそうですか。それなら任せろ! まずは食べ物で釣ることから――」
「あ、それは却下でお願いします」
「……他には思いつかない」
「……食事を通してしか仲良くなる方法を思いつけないんだね、ユウリ君」
食べること。
脳内の大半を占めているそれを除いてしまっては、他に代案も思いつかないユウリであった。
封じられたものは彼にとってはあまりにも大きかったのだ。
閑話休題。
「――そっか。どうしようかな……」
頭を抱えていたユウリは視線を少し上げて目の前に座るアーミア家の少女を覗き込む。
彼女がどうしてフレアと仲良くなりたいと願うのか。ルームメイトと上手くやりたいと願うのは当然の考えなのかもしれないが、その相手は彼女とは立場の違う、平民の立場にあるフレアだ。
そもそも貴族のルームメイトは貴族でおり、平民のルームメイトは平民であるはず。
ユウリのような一部の推薦枠や、やんごとなき身分の子息などは部屋一つが丸々貸し与えられていることもある。
要するに、平民と貴族との扱いには多少なり差があるということだ。当然のことではあるけれど、それを考えるとなぜ彼女のルームメイトがフレアであるのか、その事実に目を細める。
(ま、おおかた予想がつかないこともない、か)
ふぅ、と息を吐く。
「どうすっか」と呟き、そして視線を食堂の出入り口に移動させる。ほんの気休め程度の軽い気持ちで。
そしてそこで、一人の人物の姿を発見した。
たった今話題に上がっていた少女である。
「ちょうどいいや。とりあえず本人呼んでみようか」
「え?」
「――おーい、フレア。こっちこっち!」
手を挙げて、彼女の名前を呼ぶ。
さらに目立つような立ち上がり、食堂へと入ってきたフレアに対してこちらに来るように手も振った。
対して彼女も声が聞こえたのだろう。
声の発生源を確かめるべく、ユウリの方へと視線を向ける。どうやらこちらの姿を認識したらしい。少しだけ驚いた後、ムスッと不機嫌そうな表情を浮かべつつもユウリ達の方へと歩み寄ってきた。
「……昼時に関わらない方がいいって言ったわよね?」
「まあまあ。あんまり細かいことは気にしない気にしない」
「あんたはもう少し気にするべきよ」
「はぁ」と溜息を吐きつつもユウリの隣の席に座った。
食堂も気付けば席が埋まりつつある。彼女も困っていたところだったのか、不平は言うけれども態度はむしろありがたい言わんばかりに、躊躇いなく席に着いた。
そこで気付く。
「――あなたは」
「……あ、はは」
愛想笑いを浮かべるステラ。その表情には少しばかりの戸惑いが顕になっている。
チラリとユウリに視線を向けては、「何をいきなり呼んでいるのか」という意味合いを含ませるも、ユウリはチッチと人差し指を立てて、振った。
「仲良くなるなら会話をするのが常識だぜ」
キメ顔で言い切る。ステラにしてみればもう少し心の準備期間が欲しかったところ。
この邂逅は言ってしまえば余計なお世話であった。
だが同時に感謝するべきであることも理解はしていた。このような機会は早々来ないのだろうから。
「えっと――昨日は挨拶しそびれましたよね? 私はステラ・アーミアと申します」
「知ってるわ。アーミア家のご令嬢でしょ?」
「はい。以後お見知りおきを」
せっかくの与えられた機会を無駄にはしまいと、粛然とした態度にて礼をする。その姿は先ほどまでユウリへと向けられた気さくな様子とは一転したものであった。
貴族の対応。彼女が行ったものは、この一言で表せる。
ユウリはこれに対して視線を細める。同時に「やはりか」と呟いた。もちろん近くに座るステラとフレアの両者には声として聞かれないよう、口を動かしただけであるが。
「ふぅん」
「ルームメイトにも関わらず、互いの自己紹介を交わせなかったことをお詫び申し上げます。良ければフレアさんとの友好を深めるためにも――」
「友好を深める、ねぇ。あなたとは無理そうだけど」
「――え?」
バッサリと切り捨てる。
貴族としての振る舞いを見せるステラに対し、フレアはハッキリと不愉快な表情を浮かばせていた。
「なにせあなた自身は友好を深めようなんて思ってないようだし」
「それは、どういう――」
「貴族っていうのも大変ね? 見知らぬ赤の他人にすら交流することを強いられるんだから」
「――ッ」
動揺に瞳が揺れた。
確かに認識できるステラのその反応に、フレアは溜息を一つ溢す。
「ユウリ。あんた、もしかしてこんな詰まらないことのために私を呼んだの?」
「さーてね。俺がフレアと話したかった気持ちがあるのは事実だから、なんとも」
「……なまじあんたの場合は嘘でもなさそうなところが、逆に厄介だわ」
見るとフレアの盆に注がれていた食事は瞬く間に消えていた。どうやら彼女はこの場をいち早く去りたいと願っているらしい。
そういえば途中から食事を進める速度が速くなっていたと、フレアの料理を喉に通すその早さに、見当違いにもユウリは感心した。
コトン、と。
フレアは手に持つナイフを盆の上に置く。
「とにかく。あなたには昨日も言ったけど、なるべく私に関わらないでくれる」
「……しかし」
「私は利用されるのは嫌いなの。あなた達貴族が私を道具として見ていることはわかってるから」
「――」
冷たい視線と共に告げられた言葉。これを受けて、ステラは言葉に詰まった。また、打ちのめされた表情も顔に浮かび上がる。
しかしフレアは気にも留めない。
席を立ち上がり、いつもよりも少しだけ早足で去ろうとする。
「んじゃフレア。また明日」
「……ええ」
手を振るユウリには、返事が返された。
それ以上の何かがあったわけではない。けれど、今はそれで満足だとばかりに次の言葉をかけることはしない。また明日にでも会おうと思えば会えるのだから。
「とまあこんな風に。俺でも攻略中だから力になれないってとこかね。ごめん」
「……ううん。私の力不足だから、ユウリ君は何も悪くないよ」
ステラは「あはは」と乾いた笑いで胸中の気持ちを誤魔化そうとする。
ユウリはそんな彼女の様子に内心で息を一つ吐いた。
(力不足、ね)
彼女は気付いているのだろうか。なぜ彼女が冷たく突き放すような態度を取っているのかを。自身の発言への違和感を。
だがユウリは告げない。それは自分で気付くべき事柄であり、また彼女とフレアの問題でもあるからだ。
「おっと。そろそろ俺も部屋に戻るとするよ」
「もうそんな時間かぁ。じゃあユウリ君、また明日ね」
「ん。また明日」
ヒラヒラと手を振ってユウリは席を立つ。
時間も夜に差し掛かろうとする頃合い。ユウリも自室に戻るべく、歩を進めることとした。
★
「――はぁ」
疲れたように息を吐くステラ・アーミア。
ユウリと別れた後、彼女は友人であるレオンの様子を見るためにも医務室へと足を運んでいた。
彼は今、医務室のベッドで横になっている。
模擬戦でのレオンはかなりの深傷を負ったように見えたが、状態を見るに大事はないようだ。
ステラはそんな彼の様子に、唇を噛み締める。
ユウリと食事をした時のこと。
危うく理不尽な激昂を高々に叫びそうな感情をなんとか沈めることができた。
思い出すのは模擬戦のあの光景である。
レオンが。あの同世代ならば負けを知らないレオンが敗北した。それも手も足も出ないという形で。
もちろん慢心があったことは側から見ていたステラにも伝わった。ユウリのことを魔力測定の結果だけで遥かに格下と断じていたからだろう。最初から全力を尽くす気はなかったことはわかる。
だが途中からは全力で模擬戦に臨んだはず。
最初の流れを持っていかれたとて、レオンがあそこまで簡単に負けるだろうか。
嘘だ、と何回呟いていただろうか。
けれど結果は変わらない。
レオンは負けたのだ。
確かにユウリの一撃一撃は、予想以上のものであった。とても学園の生徒、それも新入生とは思えない《身体強化》の質であったことを記憶している。
それに対する憤りをステラは覚えた。
あれほど努力を重ねたレオンがどうしてこうもあっさり負けるのか。何度も疑問に思った。
もちろんのこと、ユウリに対する憤りは明らかな筋違い。それがわかるくらいの理性は持ち合わせていたことが、ステラにとっての救いである。
(……どうすればいいんだろ)
模擬戦。
"加護持ち"。
ステラを悩ませる要因の二つである。
一つ目の模擬戦については、しかしステラにはどうしようもない。自分は側で幼馴染を鼓舞することしかできないのだから。
問題は二つ目、"加護持ち"であるフレアの舵取りであろう。
アーミア家の格は、ルグエニア王国の中でも高い。理由は代々、非常に優秀な治癒魔術師を生み出しているからだ。
その末裔であるステラもまた、優秀な治癒魔術師に数えられる。
そんな彼女がルグエニア学園に入学する中で、一人の"加護持ち"の少女が同学年として入学。それがフレアである。
"加護持ち"の数により国の権威の大きさが変わるともされる、それほど強大な力を秘めている"加護持ち"を王国としても放って置くわけにもいかない。そのような中で白羽の矢が立ったのがステラだということだ。
ゆえに彼女はフレアと同室のルームメイトとして抜擢される。本来、アーミア家ほどの貴族であれば一室が用意されるはずだというのに。
(あれだけ盛大に嫌われるなんてなぁ。これからどうしよう……)
不安げな視線を天井へと飛ばす。
友人であるレオンは未だ目が覚めない。
医務室の担当教師であるマリアの言によると、明日には目を覚ますとのことだ。
流石はルグエニア学園というところか、マリアという教師は治癒魔術の腕が非常に優れた人物であった。それこそ、レオンの傷がすぐに完治するくらいには。
「――私も、まだ頑張ろ」
うん、と頷く。
部屋に戻ればルームメイトであるフレアと顔を合わせることになる。
彼女は努めて自分と関わらないように振舞っているが、ステラは諦めない。それが自分に課せられた使命なのだから。
ふと窓の外を見る。
窓から覗く、沈みかけた夕陽。
どこか切なく、哀愁漂う光がステラと寝たっきりのレオンを照らしていた。




