懐疑
模擬戦終了後。
ユウリは倒れたレオンを抱えて治療室まで届けるように指示された。
周囲から飛ぶ疑わしげな異常者を見る視線を掻い潜りつつ、治療室まで赴くことの任を完了すると――。
「――倒れた生徒、レオン・ワード君だっけ。肋骨にヒビ、内臓へのダメージ、おまけに脳震盪。もうちょっと加減できなかったのかしら?」
「やぁー、これでも多少は加減したんすけどね?」
今度は治療室を任せられている教師にお小言を言われることになった。
治療室で待ち構えていたのは、一人の女性教師。
黒に近い灰色のロングストレートと、薄青色の瞳を持つ彼女は治療室に置かれている椅子に座っている。
視線はユウリに固定されており、疑わしい者を見る目となっていた。
「幸いなことに、この私のおかげで明日には目を覚ますでしょうけど。同じクラスの生徒なんだから少しは手心を加えなさい」
「いや、加えようとは思ったんすけどね?」
「嘘おっしゃい」
「ほんとほんと。ただちょっと相手がなかなか強いと来たもんだから勝手に体が反応しちゃって」
茶目っ気を出してと舌を出す。
全く反省のないユウリの姿に、女性の額に青筋が浮かんだ。
「……あーら。私の権限であなたに罰を与えることもできるのよ? 例えば、明日の昼食を抜くように食堂担当者に言うくらいのことは」
「後生です。それだけはどうにか勘弁してください」
土下座する勢いのユウリ。それだけ彼にとって食事という行為は人生の中でも特に重要視するべきものであり、そしてこの世の生き甲斐の一つに数えられるものであった。
その哀れな姿に、白衣の教師は呆れたようにもう一度溜息を吐いた。
治療室担当教諭、マリア・フォックス。
いかにルグエニア学園といえど、彼女を超えるほどの治癒魔術師はいないとされる。もっとも、治癒魔術師自体が少ないとされてはいるのだが。
それでも学園に在中する十数人といる治癒魔術師の中でもダントツで彼女の実力は抜きん出ているとされ、その地位も非常に高いと言われる。
教師である彼女がその気になればユウリの食事の権限を奪うことくらい、造作のないことだろう。
「とにかく。今度からはしっかり相手との力量差を考えて動くように。まあ模擬戦だから仕方のないことかもしれないけれど」
「わかりました。飯のためならその程度、軽くこなしてご覧に見せましょう」
「……本当にわかってるのかしら?」
背水の陣とばかりに真剣な眼差しを送りつつの敬礼。
どこまでも食事のためなら生真面目になるそのユウリの態度に、しかし逆にマリアは不安を覚えるばかりである。
けれど、彼の相手をいつまでもしているわけにはいかなかった。
マリアは教師、それも貴重な治癒魔術師である治療室の番人なのである。
生徒一人の相手をしている暇があれば、より多くの仕事をこなす方が重要だ。
「まあいいわ。もうすぐ授業も終わることだし、あなたは早く戻りなさい」
「了解。じゃあまた来ますわ」
「いえ、治療室はできる限り来ないようにするのが一番なのよ?」
最後のマリアの言葉は果たしてユウリに届いたのか。
ガラガラとスライド式の扉を閉めて早々に戻っていく少年の姿に、溜息を我慢することはできなかった。
「――それにしても」
ユウリが出て行った扉から、治療室の一つのベッドへと。
視線を移したその先に眠るのは、先ほどの彼と模擬戦を行って敗れたとされるレオン・ワードである。
「"南の剣皇"。その子息の一人が敗れるなんてね。彼は一体何者なのかしら」
目を細めて懐疑の目を、もう一度だけ扉へと向けた。
ユウリの言葉によると、模擬戦において使用したのは《身体強化》の魔術だけ。
しかしレオン・ワードの体に残るダメージ、そして損傷具合。それらを鑑みた結果、不可解だと疑問に感じるものが幾つか残った。
中でも取り分け、傷の具合の大きさを考える。
ユウリの話では二、三発ほどの打撃技しか叩き込んでないとのこと。そのどれもが素手である。
しかしレオン・ワードを襲っていた衝撃は、あのどこにでもいそうな体格の少年から繰り出せるもののそれではなかった。
「――ま、それを考えるのは私の仕事内容の中にはないわね」
疑問はしかし、頭から追い出す。
とりあえず治療室に運ばれてきた彼の治療に専念しようと、思考を停止したマリアはゆっくりとレオンへと近づいていった。
★
授業の一環であった模擬戦も、最初のユウリとレオンとの試合以降は滞りなく進行していく。
その中で、一人。
蒼い髪を風に揺らしながら、一番最初の試合を何度も思い起こす生徒がいた。
「レオン……」
ステラ・アーミア。
彼と幼少の頃から多くの時間を過ごしてきた、唯一無二の親友である。
否。親友というよりは、家族とも言えるほど親密な仲だ。
そのレオンが、ユウリ・グラールという生徒に模擬戦という場で圧倒された。
「――」
周囲に視線をやると、生徒全員が上の空といった様子を見せている。ステラと同じように、先のレオンとユウリの試合内容を反芻させているのだろう。
ユウリ・グラールは、強かった。
とても一年生とは思えない、圧倒的な技量。
どうやったのかは知らないが、素手で剣を、そして魔術すら弾いてみせた。
側から見れば《身体強化》一つでレオンを完封しているようにさえ見えたはずである。
が、ステラが何より気になるのは、彼の技量ではない。
(魔力保持量が低いはずなのに、あの質の《身体強化》を維持していた。ありえない……)
魔力測定の結果によると、ユウリ・グラールの魔力保持量は生まれたばかりの子供に毛が生えたようなものだ。
初級魔術どころか、生活魔術すら満足に使えないほどのもの。
使うだけなら消費量の少ない《身体強化》を施せるのは納得できる。しかし、魔力察知に敏感なステラは、あれがただ《身体強化》を使っているだけでないことを見抜いていた。
(あれは、だって――)
「――試合終了!」
ふと顔を上げると、最後の模擬戦の終わりが告げられた。
両者の顔を見たとき、「あっ」と思わず声を漏らしてしまう。
片方の生徒は、いまやこの学園の誰もが知っているであろう"加護持ち"の少女だったからだ。
「――ふん」
白銀の少女は鼻を鳴らして去っていく。
どうやらフレアもまた模擬戦に勝利したらしい。ステラは自分の試合が終わってからは終始ユウリとレオンの試合について思いを巡らせていたため、彼女の試合に目を向けることができなかった。
彼女の制服を見ると傷一つ付いていないどころか、着崩れさえ起こしていない。
視界にこそ収められなかったが、場を見るに圧勝であったことがわかる。
やはり"加護持ち"というのは一般の生徒とは違うのだと、ステラは改めて認識した。
ともあれ。
「以上をもって本日の授業を終了とする。それでは皆、各自で解散してくれていい」
全ての生徒の模擬戦が終わり、ズーグが授業の閉幕を宣言した。
それを受けて皆が皆、ゆっくりと立ち上がって訓練場を離れていく。その際にざわめきが絶えなかったのは、ステラの気のせいではない。
「――あ」
ステラも立ち上がると、眼前からとある人物がこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。
ところどころが跳ねた黒い髪を風に揺らす、ユウリである。
(――)
その姿を見たステラは、一瞬だけ戸惑ったように動きを硬直させる。
(――ううん。色々と聞きたいことがあるし、尻込みしてられない)
躊躇いを一瞬だけ浮かべ、しかし決意する。
ギュッと拳を握って、ステラはそのまま彼の方へと歩いていった。
★
「――っと。もう授業が終わってたのか」
第一訓練場から皆が解散していく光景に気付き、ユウリはポツリと呟いた。
「さて」
ユウリは訓練場の中を見回す。
生徒達は去っていく間際に、疑うような視線をユウリへと飛ばしていた。
原因は明らか。先にあったレオンとの模擬戦によるものだろう。
しかしそれも必然と言うべきか。
このアルベルト大陸には"剣皇"と名付けられし剣豪が二人いる。
一人は北のディン帝国の皇帝直属の騎士、"北の剣皇"ことユリウス・ブラック。もう一人はルグエニア王国の王国騎士団の隊長として君臨する、"南の剣皇"ことレオナール・ワード。
大陸全土を見渡してもこの二人に勝る剣豪はいないとされ、二大"剣皇"と称される剣士としての頂点に立つ者達だ。
レオン・ワードという少年はつまり、"南の剣皇"レオナールの子息である。それを先ほど治療室の番人マリアの口から聞いたときは、流石のユウリも僅かに驚いたものだ。
「初っ端から目立ったなぁ……。まっ、過ぎたことは悔やんでもしょうがないけど」
一人で納得し、うんうんと頷く。
終わったことは気にしても仕方がない。ゆえにこれ以上考えてもどうしようもないという、つまり開き直りである。
こと、引きずらずポジティブに考えられるという点においては彼の美点と言える、かもしれない。
「――ねえ」
ユウリの中での開き直りが完全に終わろうとしていたところ。
背後からの自分を呼びかける声に、ピクリと反応した。
僅かに振り返って声の主を確認すると、そこには本日知り合ったばかりの少女の姿があった。
「これから、時間はある?」
真撃な瞳で言葉を発する蒼い少女――ステラのその様子に、ユウリは少しだけ目を細める。
しかし断る理由もないと、その首を縦に振った。




