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ただの欠陥魔術師ですが、なにか?  作者: 猫丸さん
三章 実地研修編 後編
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レベルアップ

 勢いよく頬を撃ち抜かれたゾフィネスは、ドッと鈍い音を立てて地面に伏す。

 ごろごろと転がる”汚染”。しかし流石と言うべきか、すぐさま体勢を立て直して立ち上がった。


「――私が、殴られた?」


 彼女の純白のドレスは地面を転がったことにより汚れ、透き通るような白い肌も頬は赤く腫れあがっている。

 立ち上がりこそできたが、口の端から一筋の血を流しながら呆けたような表情を浮かべるばかり。

 未だ殴られたという事実に理解が追いついていない。そのような様子だ。


 一方のユウリはというと。ぷらぷらと殴りつけた方の手を揺らしながら、自身の拳撃を受けてそれだけの被害に留まっている彼女の身体強化に僅かながらの驚きを示していた。


「単純に呪術だけが取り柄の典型的な術師のタイプかと思ったけど。どうやら身体強化の方も得意なようだな」


 手応えの感触を確かめながらも、ユウリは前に戦った”再生者”の構成員、”蛇弾”のレイドスを思い出す。

 彼こそまさに典型的な魔術師のタイプであり、身体強化の方はさほど修練を積んでいなかったのかユウリの一撃のもとに地に沈んでいった。

 けれど目の前の”汚染”は違う。撃ち抜いた感覚で察したが、身体強化の方も相当の使い手であった。


 油断なく。

 警戒を絶対に絶やさないように一定以上の距離まで近づいていき、そこで立ち止まる。

 相手は”汚染”と呼ばれ、災厄にも例えられる呪術師だ。何をしてくるか、その全貌が明らかでない以上は警戒を怠るようなことはしない。できない。


「――いえいえうそうそ。ありえない」

「ありえない?」

「だって。この私が。触れられる? 触れられる。触れられた。嘘よだってそんなことがあるわけないいつだって私は触れる側だった私が全ての権利を得る側だった私が皆を全部を悪夢へと誘う存在だったのにどうして私が触れられるのこれは夢よ悪夢よだってありえないもの私が私こそが私だけが全ての絶望を楽しみ愉しみ笑い嗤って希望から一転して変わるその瞬間を感じることができるはずなのに――あらあらまあまあ、私ったらいけないわぁ」


 ゆらりと彼女の身体が揺れ。

 次いでニンマリと、口元が避けるほどの三日月型の笑みを浮かべる。


 同時に、懐から一つの飴玉を取り出した。


 ユウリも見たことのある、彼女が持ち歩く紫色の飴玉である。

 それを彼女は己の口の中に放り込んだ。


「うふ、うふふ」

「――」

「あは、あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!!」


 ゾッと、ユウリの背筋に冷たい何かが走り抜ける。


 飴玉を口に放り投げた瞬間、彼女の纏う雰囲気が変わった。もともと彼女の持つ独特の雰囲気というものはあまり感じていて気持ちのいいものではなかったが、今は心の底から嫌悪感が湧き上がってくる。

 ジャリ、と。

 冷や汗を流しながら、ユウリは一歩だけ足を後退させた。


「――フレア」

「ユウ、リ?」

「俺があいつの気を引くから、その内に巻き込まれないように安全なところまで下がっててくれ」


 いつもの砕けた口調ではない。

 どこまでも鋭い視線を敵へと飛ばしながら、僅かに焦りを滲ませた声色であった。

 しかし彼は逃げようとだけはしない。


 狂気の淵に立つ”汚染”の名を持つ魔女と、ユウリはどこまでも立ち向かうつもりなのだろう。フレアはそれを彼の背中から再認識させられた。


「でも……ッ」

「ここは任せとけ。その呪術が解けた時、援護を頼む」

「――……うん」


 言葉に、フレアは頷く。

 無事にそこまでを聞き届けたユウリは、「うし」と再度構える。


 目先の敵が動く。

 その機微を感じ取ったからだ。


「いい。いいわぁ。ここまで脅威を感じる相手と会ったのはいつ以来かしらぁ」

「――」

「あなたの瞳の輝き。絶望で塗りつぶせば、どんな輝きを私に見せてくれるのぉ?」

「来るならよし。来ないなら――こっちから出向くッ!!」


 飛び出す。

 まるでユウリ自身が砲弾にでもなったかのように、風を切り音を立ててゾフィネスへと肉薄した。

 彼女へと接近するまでの時間は、一秒にも満たない。僅かな時間の中で接近を果たしたユウリに対して、しかしゾフィネスは笑顔でそれを迎え入れる。


「ええ。楽しみましょーぉ!!」


 いつの間にか取り出された得物。

 切っ先が血に濡れて錆びれた風貌を晒す、一つのナイフであった。

 一見するだけならあまり脅威には感じられない武具。しかしユウリはそのナイフの切れ味が並みの物よりも遥かに上を行くことを本能的に察する。


 肉薄した瞬間、仕掛けるのではなく。

 ユウリはすぐさま屈みこんだ。


「――ッ」

「よぉく躱したわねぇ」


 頭上を通り過ぎるゾフィネスの得物は、まるでしなる鞭のような動きをする。それを可能とする卓越したナイフの扱いに、僅かにユウリは舌打ち。

 宙には数本、先のナイフで先端が切断されたユウリの髪が舞っていたが、そんな些事に構うことなくユウリは足に強く力を込めて地面を蹴った。


 一瞬でゾフィネスの側面へと回り込む。


「……消え――」

「こっちだ!」


 ユウリの瞬発力、そのキレに磨きがかかっていたのだろう。

 ゾフィネスには目の前にいたユウリがまるで一瞬で消えたかのように、その視界には映った。ゆえに側面に回り込んだユウリの動きに対する反応が遅れる。


 まるで弾丸を打ち込むような速度で放たれるユウリの右拳が、ゾフィネスへと迫った。

 着弾まであと一歩手前。もう少しで直撃する、その手前でゾフィネスは眼前へと向かうユウリの拳を視界に捉えては、顔を逸らすことによって回避する。


 躱された。しかしここで追撃の手を止めることはしない。

 最大級の警戒を己に課しながらも、流れるような動作で足払いを放つ体勢に体を移行させる。

 屈み、地面に手を付き。まるで薙ぎ払うように体を旋回させてゾフィネスの足を捕らえようと脚を振るった。


「あらあらまあまあ。いいッ! いいじゃぁーないッ!!」


 だがそれすらもゾフィネスを捕らえるほどの域には達しない。

 後方への跳躍によって、足払いを回避される。ユウリの脚は空気を震わせるだけの結果に終わった。


 だが、ユウリは止まらない。


「こんなところで――止まってられない」


 後ろへの跳躍から彼女が地面に着地する瞬間。


 ドッと、音を鳴らす。

 それは地面を限りなく強く蹴り込んだからこその鈍い音だった。

 例え相手が災厄の使者エンドリストだとしても、今のユウリの動きを視線で追えたかはわからない。


 ただ一つ言えること。


 着地する際の僅かな隙をゾフィネスが晒す時には。

 ユウリ・グラールはすでに。


 彼女への接近を完了するばかりか次なる一撃を放つ準備まで整え終わっていた。


「あらあらうそうそ。いや、え、ちょ、速――」


 言葉は最後まで紡げられることはない。

 神速で放たれたユウリの右拳の一撃が”汚染”の腹部へと突き刺さる。


 ――かは……ッ。


 呻き声と共に、彼女の口から血が吐き出される。

 けれどユウリは止まらない。誰にも止めることなどできない。

 メリメリと腹部に拳を撃ち抜いたにも関わらず、さらに前へ前へと力を込めた。


「う、ラァ――――ッ!!」


 ユウリの身体強化は、魔波動という武術がなければ並みのそれでしかない。

 だが逆を言えば、魔波動という武術を上手く扱えることができたなら、驚異的な身体能力を得ることを可能にする。


 今のように拳のインパクトの瞬間に魔力を放出し続けて、敵を押し出し続ければどうなるか。


 ゾフィネスは、吹き飛んだ。


「――すごい」


 ユウリとゾフィネスが激突を繰り返している間に、痺れた体を無理やり動かして、岩場の影まで避難したフレアは、呆気に取られた様子で息を漏らす。


 無数のゾフィネスを相手にしながら、的確に本体を拳で撃ち抜いている。

 視線の動きを見るに、ユウリは本当に実体のあるゾフィネスしか視界に捉えていないようだ。


「あ――」


 幾度目かの、衝突。


 素手による応酬で向かってくるナイフの切っ先を、ユウリは何度も弾き返している。

 無術がナイフを弾く寸前で、四肢に魔波動を放出することによって鋭利なナイフに干渉することを可能としているようだ。


 まるで軌道の読めないゾフィネスの動きにも、冷静に対処している。ばかりか、隙さえあれば反撃にすら討って出ている。


 強い。

 ゾフィネスもそうだが、単純にユウリ・グラールが。


 彼が相応の武術の使い手であることは知っていた。B級傭兵の実力に相応しいと思われる力を持っていることは、誰が見ても納得できるだろう。


 しかし、相手は最上位のA級傭兵すら容易く葬ってしまうような災厄の使者(エンドリスト)だ。危険度A+級超過(オーバー)とすら言われている彼女を相手に、いくら呪術に耐性があるとはいえこうも互角に渡り合えるものなのか。


「ユウリ。キレが、上がってる?」


 否。

 今までのユウリ・グラールであれば、呪術を抜きにしてもあのゾフィネスとこうも戦えることはなかったはずだ。


 しかし目の前で的確にゾフィネスの猛攻に対応して、一撃を喰らわせているユウリの動きは以前までの彼とは一線を画している。


 まるで憑き物が取れたかのように。

 彼の一つ一つの挙動のキレが向上していた。

 もちろん飛躍的に上がったわけではない。けれど確実に以前よりも強いと断言できるほどに、ユウリは一つ上の段階に進んでいた。


 驚き、フレアは目を見開く。


「アーッハハハ! ここまで愉しい殺し合いは、久っしぶりよ!!」

「言ってろ、よ!」


 その間にも激戦は続いていく。

 右のストレートを躱され、捻るように放った裏拳も躱され。隙ができたユウリの体にゾフィネスが飛びかかる。

 体を引き戻そうとして、しかし彼女の動きの方がやはり速い。


 間に合わないと悟ったユウリは眉を僅かに寄せて。


「魔波動の壁――『バースト』」


 己を起点とする魔力の放出。

 ユウリを中心に爆発するように拡散した魔力が、襲いかかろうと飛びかかったゾフィネスを弾き飛ばす。


「あははッ、強い子! 何をしたの何をされたのあなたは何なの!?」

「さあて、ねッ!」


 弾き飛ばし、それでも態勢を崩すことしかできず。追撃のためにすぐさま懐に潜り込んでの拳撃はスルリと躱された。


 ピョンっと、まるで兎のように後方へ跳躍することにより、ゾフィネスはユウリとの距離を取る。

 一方、ユウリの方も追い縋ることはせずに、その場で彼女を警戒しながら一歩だけ足を前に出すだけに留めた。


「呪術師なのに奇妙な動きをするな、あんた」

「私の呪術は基本的には相手を惑わせることに特化したものだもの。武術の方も一通りの心得は持っていないとねぇ?」

「一通りってレベルじゃないと思うけど? こっちはついていくのがやっとってところだっての」

「あらあらうそうそ。それはこっちの台詞よぉ」


 ゾフィネスは笑う。

 張り付けたような、君の悪い笑みで。


「あなた、接近戦においてはA級傭兵並みよ。総合的に見ても、私が最も苦戦した相手だと言えるかしら」

「ふぅん。それは光栄なことで」

「それだけに惜しいわ――ここでその芽、摘み取ってしまうことが」


 言うが早いか。

 止める間すらなく、ゾフィネスはその場で屈みこんで地面に両手を添えた。


 そして一言。


「呪術、《人形化(パペットマペット)》」


 ボコンッと、音が鳴る、

 彼女の周囲の地面から、ボコボコと何かが湧き上がった。

 地面が変形していく光景にユウリは眉を寄せていると、段々とその正体が明らかになっていく。


「――岩石人形(ゴーレム)

「大当たりぃ」


 呪術、人形化(パペットマペット)

 呪術全般にあまり詳しい知識を持ち合わせていないユウリだが、目の前の存在が何であるかは知っている。


 すなわち岩で形作られた人形。

 人型の形を持ち、大きさはユウリの丈の二倍以上。その四肢による殴る、蹴るの原始的な戦闘方法は、一度受けただけでも戦闘不能に陥ってしまうほど強力な威力を持つ。


 その人形が、ゾフィネスの身体をまるで覆うように構築されていった。


 そして、完成する。


「――すっぽり覆ったな」

「ええ。これであなたは私に触れることができなくなったでしょう?」


 忌々し気に眉を寄せているところを、目の前の彼女が笑う。

 否。もはや岩石人形ゴーレムの内部へと姿を隠した彼女が果たしてどのような笑みを浮かべているかは、ユウリにはもう判別がつかなくなった。


 形容するなら、まるで巨大な鎧を覆っている印象を受ける。

 眼下に見える敵は四方のどこから見ても、岩で作られた巨大な人形だ。しかし、その中にはゾフィネスがいる。


「こりゃ、骨が折れる」


 敵の狙いは明らか。

 自身の身体をゴーレムの内部に潜めることで、ユウリの物理攻撃を直接受けることを防ぐことだ。


「てっきり精神干渉計の呪術しか使えないものと思っていたけど」

「あらあらまあまあ。それは私を甘く見過ぎよぉ。と言っても、私はこっちの方はあまり得意ではないのよねぇ。《人形化(パペットマペット)》が得意な呪術師なら幾つもゴーレムを創れるみたいだけど、私は一体が限界だわぁ」

「よく言う」


 確かに数は一体だが、大きさが違う。

 ユウリの知っているゴーレムの本来の姿は、目の前のものよりも幾ばくは小さいものだ。

 向けられる威圧感も、まるで獰猛な魔獣と対峙している時のようだ。


「あなたの武術もだいぶ理解してきたわぁ。これから、ただの一撃も受けることはない。私も本気、出しちゃうから」

「――」


 人形の中からそのような声がする。


 強がり、ではないだろう。

 先ほどから思っていたことだが、ゾフィネスは確実にユウリの動きを見切り始めている。

 瞬発力がモノを言うユウリの戦闘スタイルは突進力こそあるものの、それはあくまで一瞬のもの。


 総合的に見れば、動きの速さは並み以上でしかない。


「――はぁ……。仕方ない」


 だから溜息をついた。


 諦めたわけでも、絶望したわけでもない。


 できれば使いたくなかった、切り札を切ることを覚悟したからだ。


「――次で、決める」


 決意を秘めた瞳。

 その奥にある灯火を燃やしながら。


 ユウリは己の右拳に、魔力を集めた。



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