2-3 猛進する猪は棒に当たる
喫茶店のような場所にて、テーブルを挟んで向かいあう二人の男。
何の因果か、白いウサ耳の中年男性、アーヴァインと再会した不知火。やはり最初の仲間は何かと縁がある物なのかと、若干後悔にも似た何かを抱きつつ、不知火はぼんやりとアーヴァインの話を聞いていた。
「実は数日前、私の娘が攫われたという連絡がありまして……」
「はあ」
気の抜けた返事をする不知火に、アーヴァインは悲痛な表情で事情を語った。
アーヴァイン達はラビ──人間に言わせるところの『兎人』の中でもかなり特殊な一族らしい。この国においては『白兎人』と呼ばれ、神聖視されているのだとか。白兎人の里には結界が張られており、悪意を持った人間は近づけないようになっている。否、なっていた。
ある日、結界維持のために必要な神殿が破壊されていたのを、見回りをしていた者が発見した。何者かによって結界が破られたのだ。当初白兎人達は呑気に構えていたが、それからすぐに事件は起こる。
里の外れで薬草を積んでいた者が一人、忽然と姿を消してしまった。それがアーヴァインの娘なのだと言う。見慣れない馬車が近隣を通ったという目撃証言。里から伸びる馬車の跡を見るに、恐らく帝都に向かったということを察するや否や、きっと奴隷として売り捌かれようとしているのだと白兎人達は考えた。
そこでアーヴァインへと連絡が行き、帝都からほど近い位置にある学術都市<エルーオ>に居たアーヴァインが単身で先行したとのことだった。
「我々ホワイトラビはどうしても目立ちます。実際少数ですが、ホワイトラビの女性を見たという噂もここに来てちらほらと耳にしました」
「あ、はあ」
「中には黒い首輪のようなものを着けていたという証言もあります。それを聞いた時確信しました。やはり奴隷商人に攫われてしまったのだと」
「はあ」
「しかしここの市場を取り仕切っている商会は、先程も見た通り、掟を遵守していると言います。白兎人族を奴隷とすることは帝国法にて禁止されていますから」
アーヴァインの言葉に、そういえばここの法律なんて知らないと、ぼんやりと考える不知火。不知火は未だ、明確な拒絶の意思を突きつけられたショックから立ち直っていなかった。
(俺何も悪いことしてないよな……なんで……また見た目か……)
勝手に悪役扱いされ、当て馬にされ、最後にしっかりと奪われる。何よりも、あのジークという少年が選ばれただけではなく自分が拒絶されたのだという事実。ジェイエースでの受付嬢の時とはまた違う衝撃。世界は自分が思うより少しだけ厳しい。不知火は改めて思った。
「お願いします!」
「うぇぁっ!?」
唐突な叫びに飛び上る不知火。見れば、アーヴァインがテーブルに身を乗り出す勢いで不知火に頼み込んでいる。どうやら不知火が考え事に耽っている間に話が進んでいたらしい。そういえば全く聞いていなかったと、黙ってアーヴァインの言葉の続きを促す。
沈黙したまま、じっとアーヴァインを見つめる。それを見たアーヴァインは、不知火が真剣に検討してくれていると考え、もう一押しと言わんばかりに口を開いた。
「お願いします! 娘を救いだしていただけた暁には、我々の里へとご招待いたします! 本来我々の里へ他族を招くことは滅多にないのですが、娘の命の恩人ともなればきっと皆も受け入れるでしょう!」
"受け入れる"というワードが僅かに沁みる。傷心状態の不知火には眩しすぎる言葉だ。思わず俯く不知火。
しかし不知火のそんな胸の内など知らないアーヴァインは、白兎人というロリコニアにおける、ある種ブランド化された希少性が通用しないと分かり、俄かに動揺を見せる。
「ややっ、何かお気に召さないことでも……」
「あ、いえ……」
不知火は再度黙り込む。そもそも何故自分に頼むのか。帝都についた時には何も言わなかったじゃないか。それにどうせ助けたところで既に恋人がいるとかそんなオチじゃないのか。そんなネガティブな思いが不知火の中でぐるぐると回る。
「……どうしても、駄目でしょうか」
アーヴァインがテーブルに額を擦り付ける勢いで頭を下げる。それを、どこか遠い世界の出来事のように眺める不知火。
「お願いします。私に頼れるのは貴方だけなのです。親の贔屓目抜きに、あの子は容姿が大変整っています。今にもどんな危険が迫っているか……ああ、考えただけで私は……っ!」
さり気なく放たれた言葉に、不知火の耳がぴくりと反応する。俯きかけた顔を僅かに上げ、上目がちに訊ねた。
「────今、俺だけと、言いましたか?」
「? ええ。何分、里で過ごした後はずっと勉学ばかりでして、冒険者様とのコネクションとなると些か心許ないと言いますか……」
不知火の目に生気が宿る。悲壮感に雁字搦めにされていた思考が冷静に回転を始める。どうやらアーヴァインの娘は美少女らしい。ウサギ耳の美少女だ。きっと助けてやれば恩義を感じる。自分を否定したりはしない。そして何よりも重要な情報が一つ。
──今回、イケメンの横やりが入る可能性は低い。
すっと不知火の背筋が伸びる。毅然とした態度で、真っ直ぐにアーヴァインを見つめた。
「すいません、一つお訊ねしても?」
「え、あ、は、はい。なんでしょう?」
突然饒舌になった不知火に、動揺を隠せないアーヴァイン。しかしそんなことは知ったことでは無い。不知火は言葉を続ける。
「娘さんに恋人はいますか? ああ、別に大した理由ではないんです。ただ、私のような男を不用意に近づけて、彼氏さんに妙な誤解でもされては敵いませんからね」
ハハハと笑う不知火。両手を広げ、肩をすくめる。欧米人のような仕草をする小太りの男に、アーヴァインは戸惑いながらも、何とか会話を続けた。
「いえ、居ません。というのも我々の里は」
「受けます」
「なぜか女性が……え?」
アーヴァインの言葉を遮るように、喰い気味に宣言する。イケメンの知り合いや恋人の存在があれば、もはや負け戦は確定だった。しかし今は違う。競合相手不在の情報と大義名分を手に入れた不知火に、もはや怖い物は無い。
「善は急げです。早速探しましょう」
そう言った不知火の表情は、無駄に頼りがいのある良い笑顔だった。
§
「あ、すいません。あの、人探し用のスキルとかってありますか?」
「ええ。『サーチソナー』というスキルであれば可能です。その人物の持ち物等を手にしながら発動することによって居場所が分かるのですが……もしやそのスキルをお持ちなのですか?」
「あ、はい。多分……あ、ちょっと待ってください」
そう言って自身のステータスからスキル一覧を呼びだし、スクロールしていく不知火。すっかりテンションは冷めてしまったが、一応アーヴァインの娘を助け出すために協力するようだ。
(まあどうせ性奴隷買うつもりだったし、代わりにウサ耳美少女がタダで手に入るならそれはそれで)
下心しか無かった。善意の欠片も無い。
しかしそんなことは露知らず、希望に満ちた瞳で不知火を見つめるアーヴァイン。不知火は手渡された髪留めを握り、スキル名を唱えた。
「あ、あれです。多分」
そう言って不知火が指さしたのは、奴隷市場からほど近い場所にある何の変哲もない建物。入り口付近では町人風の男が二人、評判の良い娼館の話題で盛り上がっている。しかし周囲に気を配っているのか、時折不自然なタイミングで、互いに視線が逸れる。民間人を装った見張り番のようだ。
見張り番に見つからないように、そっと建物の陰に隠れる二人。
「さすがマサヤ様ですな。こうもあっさり敵のアジトを見つけ出すとは」
「ぇや……まあ……」
アーヴァインがひそひそ声で持ち上げる。それに対し、何を言っているのか分からない返答をする不知火。先程まで比較的まともに話せていたのだが、褒められ慣れていない不知火のメンタルが揺らぎを見せた。
気を取り直し、何とか見張りの気を逸らせないかと考えていると、ふと不知火の視線にある物が留まった。
(なんだあの挙動不審なイケメンは……)
不知火たちとは反対側の建物に隠れるように、赤い髪の青年が、同じ色の瞳をじっと誘拐犯のアジトへと向けていた。この近くには奴隷市場しかない。偶然ここを通りかかり、偶然あの建物を見つめることなど有り得ないだろう。となると考えられる可能性は必然限られる。どうやら彼もまた、あのアジトに侵入しようとしているらしい。
そしてそうなると当然、不知火と目的を同じくする同志ということになる。救出対象まで同じとは限らないが、何とも胸の内がざわつくのを不知火は感じていた。不知火の視線に気付いたのか、赤髪の青年がこちらを向いた。目と目が合う。不知火は思わず、落ちていた石を全力投擲した。
「ふんっ!」
風を切り、弾丸が如き速度で疾走する石。それは真っ直ぐに赤髪の青年の顔面へと飛んでいく。
「うわあっ!?」
間一髪避ける青年。しかし不知火にとってはそれも想定内。凄まじい速度で迫る石が背後の壁に着弾するや否や、破砕音を響かせ、破片が弾ける。そしてそれは当然見張り達の耳にも届き──
「誰だ!」
「チイッ! なんだってこんな……」
「逃げたぞ! 追え!」
石の音に釣られ、入り口付近だけでは無く、この近辺に潜んでいた者達までわらわらと現れる。そしてその見張り達は赤髪の青年を追ってどこかへと消え去った。
「っし! 不穏分子排除!」
「ま、マサヤ様?」
その隙に見事に侵入を果たす不知火とアーヴァイン。全ては不知火の計画通り。完璧な頭脳プレーに、不知火の脳内ではスタンディングオベーションが鳴りやまなかった。
§
建物自体は何の変哲もない空き屋だった。しかし不知火の知識では、こういう時は地下室が大本命だ。案の定地下に下りると、そこは完全に別施設。上階は武骨で地味な造りなのに対し、地下はまるで貴族の屋敷の様だった。
「あ、あの、すいません」
「はい。なんでしょうか?」
「あの、なんで、今になって頼んだんですか? あの、帝都に着いた時は何も言ってなかったし……」
移動を続けながら、不知火は訊ねた。問いに対し、アーヴァインはきょとんとした表情で返す。
「なんでと言われましても、まあ強いて言うならばタイミングですかね」
「た、タイミング?」
「ええ。元々今回の件は私一人で何とかするつもりでした。マサヤ様にはマサヤ様のご都合がおありでしたでしょうし」
言われて、自分の都合と言えば、性奴隷を購入する事とカジノで荒稼ぎするくらいしか考えていなかったと思い返す。
「しかしやはり、私だけではどうにもなりませんでした。もうこれで見つからなければ憲兵団に打診し、ギルドに依頼を出そうと考えていたのです。そうなれば"教団"も動くでしょう。マサヤ様が現れたのは、丁度そんなタイミングでした」
だったら自分など無視してそうすれば良かったのではないかとも思ったが、そこまで問題が大きくなることに尻込みしたのかもしれないと思い直す。話が大きくなって行くことにヘタれる気持ちは、不知火には痛いほど理解できた。
ランプで照らされた廊下を慎重に歩く。不知火の捜索スキルに導かれ、淀みなく進む。途中で通気口を見つけ、そこから天井裏へと移動し、歩みはさらに加速する。バレる気配など無い。何事も問題なく順調に進んでいる。
はずだった。
(なんでここにこいつが……)
天井裏のスペース。捜索スキルによると、アーヴァインの娘のいる部屋の真上にて。不知火は目の前にいる人物を信じられないと言った目で睨み付けた。
「お、お前は……!」
視線の先で、同じように不知火を睨み返す人物。燃えるように赤い髪に、同じ色の目。仄暗い中にワイルドな顔がぼんやりと浮かぶ。先程不知火が世紀の頭脳プレーによって囮にした青年だった。どうやらあの後追手を振り切っただけではなく、こうしてまんまと侵入してみせたらしい。
一触即発。互いに低い天井のせいで四つん這いになりながら睨み合う。しかし案の定、不知火は逃げるように視線を逸らす。
──『ロイク・ベルレアン Lv.99』
赤髪の青年ことロイクのステータスが不知火の視界に現れる。不知火の不審な態度に業を煮やしたのか、先に沈黙を破ったのはロイクだった。
「お前、何が目的だ?」
「も、目的?」
固い口調で訊ねられる。むしろこちらが聞きたい。そう思って口を開きかけるも、ふと嫌な予感が脳裏をよぎった。
(待て。もし、もし仮にだ。もし仮に万が一この男がウサ耳美少女を助けようとしてここに来たのだとしたら、こいつは間違いなく俺の敵だ。そして助けに来たということは、俺の知らないところでフラグが立っているということ。つまりこいつを力でねじ伏せたとしても、恐らく俺にはもう、勝ち目はない)
ちらりと後ろのアーヴァインを見る。話が違うじゃないか。そう語る不知火の視線に、首をぶんぶんと横に振るアーヴァイン。恐らく本当にロイクの存在など知らなかったのだろう。首の動きに合わせてウサ耳が揺れる。
そんな二人のやり取りを見て、ようやくアーヴァインの存在に気付いたロイク。不知火とアーヴァインを交互に見つめ、やがて何かに気付いたようにハッとした。
「ハッ、そうか。そういうことだったのか」
ハッとしたというより、口に出していた。そして顎に手を当てて考え込むような仕草をした後、キッと鋭い視線で不知火を睨んだ。
「お前があの子を攫った犯人なんだな?」
「は、はあ?」
「そして後ろの白兎人、お前はグルだ。あの子を唆して攫われるような状況に陥れたんだろう」
「ええっ?」
ロイクの身体から闘志が迸る。何が何だか分からない。突然の展開に、不知火はアーヴァインと顔を見合わせた。
「悪いがここは潰す。当然、お前らも逃がさない」
ロイクは精一杯迫力を込めたつもりなのだろうが、『威圧耐性』を持つ不知火には子供が拗ねているように見えて、思わず噴き出した。
「ここは潰す……ぶふっ」
「ッ! 舐めんじゃねえ!」
狭く薄暗い空間の中、ロイクの手に熱が集まる。やがて手の平に火球が生成され、不知火に向けて飛び出した。