1-4 主役への更生
そもそもの話、不知火のステータスは圧倒的にユキトを上回っている。これは純然たる事実である。故に素人攻撃とはいえ、LV.65535の不知火の攻撃にLv.248のユキト程度が耐えられるはずがないのだ。当然対処も不可能だろう。最初にユキトが不知火を殴った時は、そもそも不知火が攻撃を見せる前に既に動いていた。謂わば不知火の動きを未然に防いだのだ。しかし一度攻撃の意思を以って繰り出されてしまえば、暴力的なまでに頭の悪いステータスが、不知火の一撃を超速にして不可避な必殺の砲弾へと昇華させる。もはや誰にも止めることなどできないのだ。
「っ、はあっ……はあっ……」
しかし今の不知火には、そんなことを冷静に分析できるはずも無かった。
街の外。そこには街同士を結ぶ街道が平野に敷かれている。その街道の脇にある木にもたれかかり、腰を下ろす。浅く荒い呼吸を何度も繰り返す不知火。緊張で顔は青白く、手は震えている。不知火は今、街の不良に一矢報いた苛められっ子のような心境だった。
「くそっ、くそっ、くそっ、くそっ、くそっ」
繰り返す。何度も何度も。ひたすら小さく呟き続ける。動悸が激しい。胃がキリキリ締め付けられる。一体なぜ自分がこんな目に遭うのか。
「なんでっ、なんでこうなるんだよっ! 俺が最強じゃないのかよ! 俺が主人公じゃないのかよ! なんだよこのクソゲー! なんであいつなんだよ! 全部俺のだろ! あいつと俺で何が違うってんだよぉぁッ!」
叫び、蹲り、薄く毛の生えた手で大地を殴り続ける。否、それは殴るというより、子供が駄々をこねて叩いているかのように、弱々しく痛ましいものだった。
余談だが、不知火に攻撃の意思が無いからか、大地を殴ったために天変地異が起きるなどということは無いようだ。
「なんで……なんで……」
幽鬼の様に、うわ言のように、機械のように呟き続ける。不知火には今の状況が受け入れられなかった。そして最も気がかりな点が一つ。それは……。
「なんで……"補正"が掛かってねえんだよ……」
ご都合主義──別名『主人公補正』
不知火は当初、自身が異世界にやって来たと確信した時、「きっと今の自分は主人公なのだ。ならば様々な補正がかかるに違いない」と考えていた。浅ましいことこの上ない。全スキル、称号が解放され、ステータスが軒並みカンストという状態でも十分ご都合主義なのだが、不知火の欲は深かった。
しかしユキトという存在が現れ、見た目について触れられてしまった時、ようやく不知火は悟った。ご都合主義も主人公補正も幻想なのだと。自分は何一つ変わらず、周囲の認識も同様なのだと。Fランク大学も1年で辞めた底辺校出身の冴えない小太りの童貞野郎では、細身のイケメンには敵わないのだと。
例えば
王道を歩む主人公も、
覇道を征く主人公も、
自由気ままに生きる主人公も、
逆ハーレムを築く女主人公も、
己の目的・欲望のために進む主人公も、
天然女に手を焼く悪役令嬢な主人公も、
冴えない才能しかないと見下される主人公も、
そんな主人公風なヤツに巻き込まれる主人公も、
内政に勤しみ幼少期から天才の片鱗を見せつける主人公も、
腹黒キャラや外道を気取る割に全然そんなことはない主人公も、
勘違いで評価されて気付いたら一国一城の主になっている主人公も、
誰もかれもが、ヒロインや理解者を得ている。必ず。
たとえ容姿が優れているという設定が無くとも、冴えないオタクキャラという設定だったとしても、元ニートやぼっちという背景があっても、性格が悪いだの変態だのと周囲から詰られていようとも、それでも自分をきちんと受け入れてくれる、自分だけを見てくれる存在が必ずいるものだ。
そして必ず勝利する。各々の戦場で、各々の戦い方で。そしてなぜか尻込みしない。少なくとも殴られただけで怖気づいて逃げ出すような者はいない。
不知火はそっと自分の顔や腹に触れた。丁度ユキトに殴られた場所だ。
軽く弛んだ頬にはニキビがぽつんと存在し、腹は腹筋の気配すら見当たらない。ぶよぶよだ。
見た目は小太りな冴えない男。では内面はどうだ?
不知火は先程のやりとり、そしてこの世界に来てからの自分を思い返した。
コミュ障丸出しで、不平ばかり零し、醜い嫉妬を晒し、思い通りに行かないとなるとこうして蹲る。
「っ、っそぁ……」
彼らのような存在になれると思った。見た目がいいという設定が無くともモテるような者もいるのだ。冴えない普通の高校生などと言いながらも絶世の美少女に言い寄られる者達は星の数ほど存在するのだ。自分も主人公になればきっと。そう思っていた。しかしこのゲームのような現実は残酷だ。結局強いだけでは駄目だ。コミュ力もあって、女性を口説けて、そして何より顔が良くなくてはならない。そう不知火は理解した。
先程不知火は、ユキトと自分では何が違うのかと叫んだ。実のところ彼我の差は、極端に言えば見た目だった。
そもそもあの場で、あんな目立つ形で不知火を糾弾する必要などどこにも無い。さらに言えばそもそもユキトが出しゃばる必要も無い。聞こえよがしな煽りや挑発も不要だ。派手に吹き飛ばす必要も無い。少なくとも当初ユキト目線では不知火に勝てると踏んでいたのだから、不知火の攻撃を静かに受け止めるだけで十分だった。受付嬢にいちいち声をかける必要も無い。ギルドカードを見せてトップランカーであることを誇示する必要も無い。
そして何より不知火が攻撃する前に動いたという事実。不知火の動きが分かっていた、或いはそうなることを狙って、望んでいたかのような判断。それなりの実力を持ちながらも己より格下だと分かるや否や、手のひらを返して身内に引き入れ、懐深いアピールと共に、不知火を引き立て役にしようとする性格の悪さ。
結局のところ、不知火とユキトは同じ穴の狢だった。強大な力と、それを誇示したくてたまらないという、肥大した顕示欲の塊。そして両者ともに、そのことについて無自覚だという事実がまた度し難い。不知火については生来の悪い意味での素直さにより、その顕示欲がダダ漏れである。しかしユキトは無自覚であると同時に、その甘いマスクや態度によってそれを一切悟らせない。ある意味不知火より遥かに厄介だった。
そう、つまりは広義の意味での見た目である。見た目がいいからユキトは許された。見た目が悪いから不知火は殴られ、晒され、笑われた。
見た目に補正がかからない。そんな当たり前の事実をつきつけられた瞬間、不知火にとってこの世界は終わったのだ。
そんな陰鬱な不知火の心を代弁するかのように、ぽつりぽつりと、雫が降り注ぐ。
「雨か……」
秒ごとに増えていく小さな雫。次第に激しく音を立て、バケツをひっくり返したかのような土砂降りとなる。不知火は木の下でじっと縮こまった。
「異世界初日に土砂降りかよ……どこまで王道を外すつもりだよ……こんなのウケねえんだよ……」
雨にぬれる街道を見つめる。空気が抜けるような笑いが自嘲的に漏れる。
「ほんと、何なんだよこれ。意味わかんねえ。最初に会った金髪もギルドの受付嬢も俺じゃないやつに惚れだすし、イケメンは噛ませじゃねえし、最初に倒したモンスターは討伐禁止だし、金もねえし……そういや、盗賊撃退からの『実はそいつらはこの辺を荒らしてた凶悪なやつらで賞金がかけられてたんだ』的な金稼ぎイベントも無かったな。どこまで俺に王道を歩かせねえつもりだよ。王道はイケメン以外認めませんってか? ふぇひひひひひ……クソッ」
不知火は立ち上がった。そして雨に濡れるのも構わず、とぼとぼと歩き出す。自棄になっていた。ここで立ち止まること自体、なんだか"負け"な気がした。銃弾のような雨粒が冷たく突き刺さる。微妙に傾いたレンズが濡れ、視界が滲む。ニキビの傍を、水滴が一つ流れた。
「くっそ……ぅざけんなよマジで。こんな世界滅べよ」
喉から絞り出したような声。この世界は不知火に優しくない。なまじ最初に期待を抱いていた分、なんだか裏切られた気がしていた。
これからどうする。一歩一歩進みながら不知火は考える。
あの黒髪のガキに復讐してやろうか。
そのままイケメンを皆殺しにしてやろうか。
こんな世界滅ぼしてやろうか。
いっそ──魔王にでもなって、あんな街ぶっ壊して、男は殺して、女を犯して、俺が頂点に立とうか。
「ま、どうせ無理なんだろ? そんな主人公みたいなこと……」
自分にできるはずも無い。そう呟こうとした、その時だった。
『────!』
『──ッ! ────ッ!』
『──────!』
雨の向こう側から声が聞こえる。叫び声だ。怒声と悲鳴が混じり合ったようなそれは、不知火をふと現実に引き戻した。俯きがちだった顔を上げると、街道の先に、何やらちょっとした集団が見える。濡れたレンズを拭った。7、8人程だろうか。その中心には四角い何かが横たわっている。
「あれは……馬車?」
横たわる馬車を取り囲む集団。よく見れば、その馬車を守るようにして2、3人の男が立っている。しかもその馬車は既に半壊状態だ。やがて1人、また1人と倒れていく。
「あー、なるほど。そういうことか。はいはい。テンプレテンプレ」
雨の中、不知火は自嘲気味に口元を歪めた。なんと皮肉な状況だろうか。
「──今更おっせええんだよおおおおおおおおああああああッ!」
お世辞にもカッコよさの欠片も無い叫び声を上げ、不知火は駆けだした。
§
雨の中、不知火は静かに立ち尽くしていた。
目の前には半壊の馬車。ひび割れた壁の隙間から、倒れている女性の姿がちらりと見える。どうやら手遅れだったらしい。
盗賊達の姿は既に無かった。不知火の攻撃によって物理的に退場させられたのだ。正確には、首から上が埋まっている1名を除き、その他はその場で爆散、或いは遥か彼方へ吹き飛んでいった。
もうどうにでもなれと思っていた。盗賊たちに殺されても良いと思っていた。少なくともハーレムを見せつけられて後ろ指を指されて皆に笑われながらイケメンに殴られるよりは遥かにマシだった。
しかし結果はどうだ。
盗賊は全滅。
不知火は未だ無傷。
やはり自分は最強だった。
「やっぱチートじゃねえか。なのに何でこうなんだよ。マジで意味わかんねえ」
痛かった。殴られ蹴られ、ナイフのような物を向けられた。しかしどれもこれも、ユキトの拳とは比べ物にならなかった。
盗賊の攻撃によってヒビの入った眼鏡を投げ捨てる。初めはぼやけていた視界だったが、不知火の持つスキルの一つ、『視覚強化』を選択。発動を念じると、景色が輪郭を取り戻していく。
「ははっ、やっぱ俺ってすげーわ。まじさいきょー……」
渇いた笑いを零す不知火。どこかため息にも似た掠れた笑い声は、雨音にかき消された。
「……っくしゅん!」
雨音の中に、突如として混じるくしゃみ。不知火のものではない。不知火のくしゃみはもっと不細工だ。
「誰かいるのか?」
周囲をきょろきょろとする不知火。しかしくしゃみの主の姿は見えない。やがて不知火の視線がある物に留まる。
「となると馬車か」
のそのそと半壊の馬車へと近づく。どうやら襲われていた者達の中に生き残りがいたらしい。横向きに倒れている馬車の入口を、不知火は強引にこじ開けた。
「ひぅ……っ!」
「ぉ、幼女」
可愛らしい悲鳴と、くぐもった気色悪い声。不知火の視線の先には、女性の遺体にしがみつくようにして縮こまる幼い少女がいた。年齢は10才にも届かない程度だろう。美しい銀色の髪がしっとりと伸びている。赤い瞳が不知火を捉えるや否や、ぎゅっと力強く閉じられた。どうやら心底怯えられているようだ。
(生き残りか……)
少女は幼いながらも、非常に可愛らしい容姿をしている。薄いドレスのような物から覗く白い肌に、不知火は思わず唾を飲み込んだ。首に取り付けられた武骨な首輪が、柔らかい肌と相俟って絶妙な背徳感を誘う。顔を上げ、周囲を確認する。誰もいない。沈黙に雨音が穴を開けるばかりだ。
鼓動が加速する。馬車をつかむ手に力が篭る。思考が直線的になる。血走った眼で再び銀髪の幼女を見つめた。今度は舐めるような、じっとりとした視線。
──『アリサ・ワラキア・ドラクール Lv.12』
銀髪の幼女、アリサのステータスが表示される。当然ながら、不知火には遠く及ばない。いとも容易く組み伏せられるだろう。
(どうする? 犯るか? 多分ばれない。全部盗賊のせいにしてやればいい。なに、どうせこんなゲームみたいな世界なんだ。こいつらだってNPCみたいなもんで……)
瞬間、頬と腹の痛みがフラッシュバックした。
「あ゛あ゛っ、ぐうっ……!」
蹲る。濡れた地面に手をついた。
自分を見つめる下卑た視線。見下した笑い声。この世界は現実だ。ちゃんと冷たくて、熱くて、痛い。
「はあっ、はあっ、はあっ……ぅっ、げえああがはっ」
噎せ返るような死の空気に、不知火は嘔吐した。気付いてしまった。人が死んだ。胃液を吐き出す。自分は悪くないと何度も言い聞かせながら。しかし同時に、彼らもまた生きていたと、冷静な部分が指摘する。
それはあのアリサという幼女も同じだろう。あの首輪を付けた銀髪の幼女も、血を通わせ、生きているのだ。冷たくて、熱くて、痛い、この世界で。
不知火は静かに、肺に溜まった淀んだ空気を吐き出した。そうだ、あの幼女も生きている。何故気付かなかった。
──きっとあの肌は熱く、そして痛みと苦痛に愛らしい相貌は歪み、涙を流しながら美しい悲鳴を奏でるに違いない。
浮かんだ汗を雨が洗い流す。乱れた呼吸を整えながら、不知火は倒れている兵士や首だけ埋めた盗賊から金目の物を奪うと、再び馬車に戻る。そして横倒しになっている馬車に穴を開け、そこから幼女を引きずりだした。
「やぁっ! はなして! はなしてよぉっ! おかあさああん!」
「う、うるずぁい! あヴぁれんぬぁ!」
ごつごつした不知火の手が、アリサの白い細腕に食い込む。
雨にうたれて寒さを感じているからか、或いは幼女の明確な拒絶に動揺を隠しきれないのか、不知火はいつにも増して滑舌が悪かった。
雨の中、無機質に浮かぶ自身のステータスを凝視する。スキル欄をスクロールしていく不知火。不知火の知る数多の異世界物において、それなりにお馴染みの『あのスキル』があるはずなのだと、目を皿のようにする。
「……あった」
小さく呟く。不知火は盗賊の着ていた革の鎧を、『錬金術』というスキルで即席のローブに変えた。そして目線を合わせるようにしゃがみこみ、雨合羽代わりのローブをアリサにすっぽりと被せると、その手にいくらかの金を握らせる。先程死体から奪った金だ。不知火の行動に、アリサは目を丸くして抵抗を止めた。
「え……?」
「……あっちに街がある。そこにいるヨンパ……門番の人に言えば、多分良くしてくれるから」
仮にこの幼女が身分証を持たなかったとしても、渡した金があれば大丈夫だろう。この世界に来て最初に学んだことの一つだった。
間近に見えるアリサの美貌に、思わず視線が吸い込まれていく。ふと、アリサの首に着けられた首輪が目に入った。黒光りする、何の変哲もない首輪だ。不知火が何となく触れると、パッと半透明のボードが現れる。
──『スキル:フォース・ディスアーマメント を使用しますか』
「うおっ!? な、何だ!?」
淡々とした文字が躍る。その下には『YES/NO』の選択肢。自分は何かしてしまったのだろうか。突然現れたそれらに、不知火が驚いてわたわたと尻餅をつく。そしてその際に振り回した手が、小さく『YES』に触れた。
「きゃっ!?」
「ひいっ! すいませっ、すいませんん!」
カッと迸る閃光。純白の奔流が不知火とアリサの視界を灼く。しかしそれも一瞬のこと。やがて光は収まり、糸が解れる様にして煌めく数条の束が空へと溶けていった。その直後、不知火の耳にドロップアイテムを入手した時と同じ音が届く。しかし目を閉じていたせいか、不知火は何が起きたのか良く分かっていなかった。
「あ、あれ? ない……くびわがない!」
アリサの声に、石像のように固まる不知火。冷たい汗が雨水と共に滴る。
(首輪ってあれだよな? 無いってことは消えた? もしかしてさっき俺が触ったから? え、もしかして大事な物? お高いんでしょう? やめてくれ今俺は無一文に等しい無理だ弁償なんてというか俺じゃない俺は悪くない何もしていない)
目を閉じたまま、不知火は頭が真っ白になった。胃がキリキリと締め付けられる思いだった。どうやら何かやらかしてしまったらしい。慣れない事をするからこうなるのだ。こんな子供などさっさと無視して行けば良かった。不知火はつい先ほどまでの自分に対し、脳内で殴る蹴るなどの暴行を加えた。
「あ、あのっ」
「ひゃ、はい!」
「これ、おじさんが……?」
僅かな戸惑いと震えを滲ませたアリサの声。しかし不知火は目を閉じたまま、その声に向き合おうとはしない。アリサがどんな表情をしているのか。それを知ることすら恐ろしかった。
「し、知らない! 俺じゃない! その首輪が勝手に! 俺は何もしてない! 俺じゃないいいいい!」
「あ、う、うん……」
「うるさあい! とにかく俺じゃない! もう行けよ!」
小太りの成人男性が見せたあまりの必死さに、アリサは軽く引いていた。
これ以上何か起きてはたまらないと言わんばかりに、そそくさと立ち去ろうとする不知火。体型に似合わず機敏な動きを見せる不知火を、アリサは震えながらも呼び止めた。
「ま、まって!」
「……んだよ」
「あの、おじさんは……」
不知火はここでようやく目を開いた。アリサの可愛らしい顔を不知火の視線が捉える。どうやら怒っている様子は無いと分かるや否や、不知火は目に見えて安堵した。次第に脳が回転を始める。
(そうだよ、何ビビってんだ俺は。こんな雑魚ガキ相手に。仮に俺のせいで首輪がなくなったら何なんだよ。シカトしたところで怖くも何ともねえじゃん。……というか、おじさん?)
おじさんというのは、どうやら不知火のことらしい。そのことを察した不知火は、まさかこのセリフを自分が言う日が来ようとは思わなかったと、思わずニチャっとニヤけた。
「おじさんじゃない。お兄さんだ」
「でも……」
「でもじゃねえよ。そこに異論挟む意味ねえだろ。俺はまだ二十歳だ」
降りしきる雨の中、こうもすらすらと言葉が出てくる自分に驚きつつも、不知火はしっしっと追い払うように手を振った。
「とにかく行けよ。俺みたいなのがお前みたいなガキといるとそれだけで事案発生なんだよ。不審者確定なんだよ」
「ふしんしゃ……?」
「ちょっ、俺は不審者じゃねえからな? そう思われそうってだけで」
つぶらな瞳で小首を傾げるアリサ。やはり子供の相手は苦手だと、不知火はため息をついた。
余談だが、精神年齢の関係上、不知火は子供に懐かれやすい。
「なんか疲れたわ。もう行く」
それだけ言うと、不知火は馬車のパーツから金属の傘を練成した。既にずぶ濡れなので、何とも今更である。
不知火はそのままアリサに背を向け、のそのそと歩きだした。
「……ありがとー! ふしんしゃのおじさーん!」
「うるすぇええぁ!」
踏み外された最初の一歩。しかしどうやら、踏み外さなかった道もあるらしい。
踏み留まったこの道を、不知火はまだ、歩き始めたばかりである。
余談だが、この直後に雨が上がり、ずぶ濡れ状態で重たい傘を持った不知火が空を睨み付けたのは言うまでもない。
第一章 完
もう少しコメディタッチで軽めに書きたい