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主人公を目指して  作者: 白井政蜴
第一章 踏み外された第一歩
3/15

1-3 同じ穴に狢はいらない

「なあ、そこのアンタ」



不知火が振り返ると、そこに居たのは一人の少年。黒髪で、年齢は15、6程だろうか。少なくとも不知火よりも年下であろうことは間違いないその少年は、整ったその相貌に、どこかアンニュイな表情を浮かべた。


「悪いがそこをどいて貰えるか? クエストを受けたいんだが」

「は、はあ? おお、お前な何言って……」


突如として現れた子供。その姿をまじまじと見た不知火は、思わず固まっていた。怠そうに緩んだその両目は、引き締めれば鋭く精悍な戦士の眼光を湛えるであろうことは想像に難くない。嫌味な程の爽やかさも無ければ、突出したアクの強い顔つきというわけでもない。屈強な筋肉の鎧を持つわけでもない。背丈も男子高校生の平均より多少高い程度。

癖の無い、さっぱりとした端整な顔つきの少年だった。


──『ユキト・アマカゼ』。


黒髪の少年のステータスが不知火の視界に表示される。それを見て、不知火は思わず頬をヒクつかせた。


(ち、チートじゃねえかよオイ! 何なんだコイツは!)


今まで見た者とは比べ物にならない膨大な数のスキルと称号。そして明らかに桁の違うステータス。それこそ、数値上で彼に敵うのは不知火くらいしか居なかった。少なくともこの街においては。そして何より不知火を驚かせたのは──


(ヨンパチの5倍って、パワーバランスどうなってんだよ! あいつマジで雑魚だったのか? 噛ませにすらならねえ)


──『Lv.248』。


不知火がこの街で見た中では最も高く、特に理由もなく自分以外は100が上限だと思っていた不知火にとって、彼の数値は驚愕に値する物だった。ステータス画面をスクロールしていくと、『経験昇華EX+』、『不屈EX+』、『模倣EX+』、『限界突破』、『偽・万物の才』、『天は自ら助くる者を助く』といった、努力サポート系の最上位スキル群が目についた。それぞれの項目から見える説明用の吹き出しを読むに、他人と同じ時間で、他人よりも並々ならぬ努力をした事になるという、凄まじいスキルであることが見て取れる。


虚偽や誇張などではなく、彼は現在、ロリコニアの誇る最高戦力の一人だった。

余談だが、不知火がスクロールしなければならないほどのステータスを見たのもユキトが初めてである。


しかしだから何だというのか。不知火は己を奮い立たせる。そう、ユキトのレベルなどよりも、ユキトのパラメーターなどよりも、自身の方が遥かに優れているのだ、真のチートは己なのだ、と。

ユキトを格下だと自分に言い聞かせることで、ささくれ立っていた心が落ち着いていく。不知火は再度ニチャっとした笑みを浮かべた。


「それで、さっさとどいて欲しいんだが?」

「はあ? 何言ってんだ? 先に並んだのは俺だし、まだ用件は済んでない。それに他の受付が空いてるじゃねえか。横入りってのはどうかと思うがね」


ふふんと勝ち誇った様に言う不知火。他の受付云々に関しては危うくブーメランとなり得るのだが、不知火は気付かない。

余談だが、本来"横入り"は方言である。


そんな不知火の様子に、ユキトはやれやれと言わんばかりにため息をついた。その表情はあからさまに面倒くさそうだ。


「あのなあ、買取カウンターはここじゃなくて、あっち」


そう言ってユキトは先程から受付嬢が案内しようとしていた方向を指さした。なかなか言い出せなかった買取カウンターの職員が、どこかバツが悪そうに愛想笑いを浮かべ、視線を逸らした。


そんなやり取りに、周囲から失笑が漏れる。くすくすとこちらを見て笑う人々に、不知火は何が何だか分からないといった風にきょろきょろと首を動かした。やがて間違っていたのは自分だと気付くや否や、同時に不知火は、自分が恥を掻いた……否、恥をかかされたのだということにも気が付いた。羞恥と怒りが不知火の中で轟々と燃え上がる。矛先はもちろん、目の前で澄ましたアンニュイ顔をしているユキトだった。


「なっ、あっ、お、お前ぇ……っ!」

「それにアンタ、あんまり力をひけらかすのもどうかと思うぞ? 自慢したいのも分からんではないが」

「ぎ……っ……!」


ユキトの言葉が、不知火のなけなしのプライドに斬り込んでいく。プライドを満たすための行為を晒される。これ程プライドがズタズタになる行為も他にない。相手が高校生ほどの子供とあっては尚更だ。不知火は顔を真っ赤にしてぷるぷる震えていた。


「しかもホーンラビットって……初心者向けの代表格みたいな雑魚じゃねえか。わざわざ目立つ出し方するなよ」


呆れたように言うユキトだったが、カウンターに置かれた青い石のような物を見つけた途端、露骨に表情を歪めた。


「げぇっ、それ『スライムの核』かよ」

「えっ!? ……あっ、本当ですね。そっか、シラヌイさんは今日初めて登録されたので知らなかったんですね……はあ……」


ユキトの指摘に、受付嬢が慌てた様子で青い石を摘み上げる。そしてじっと見つめたかと思うと、営業スマイルを崩し、大きくため息をついた。


「うぇ!? え、あ、な、何か……」


何か問題でもありましたか。そんな簡単なはずの言葉は喉の奥で、もごもごと音の残骸となって燻っていく。しかし言葉は紡げずとも、受付嬢の落胆、そしてユキトの呆れ顔が、不知火の心に焦燥を広げていく。それが伝わったのか、ユキトは腕を組んで、面倒くさそうに口を開いた。


「何というかまあ、ざっくり言うとだな、スライムの討伐は全ギルド共通で原則禁止されている」

「スライムは基本的にどの種類も大人しく、人間を襲うことはありません。むしろその浄化作用を以って、森や自然界だけではなく、私達人間の生活もスライムによって助けられています」

「街に数匹放り込んどくだけで、ゴミは消えるわ汚れは落ちるわ殺菌されるわという感じでな。言ってしまえば利益しかない。実際、スライムを利用し始めてから疫病なんかは殆ど無くなったと聞く」


二人の説明に、不知火はぽかんと口を開けて固まった。そんな不知火に向けられる周囲の視線がさらに厳しくなったのは言うまでもない。

そして当事者の一人である受付嬢は、不知火や周囲の反応を余所に、目に見えて項垂れていた。


「ううっ、一応うちのギルドで登録されてますし、これは始末書ものだなあ……」

「うぃっ!? うぇ、や、あの、すい、すいませ……。その、し知らなくて……」

「知らなきゃ全部許されるって訳でもねえだろ?」

「あっ、なっ……!」


スライムは未だ発生するプロセスが解明されていない。徒に数を減らしてから、結局復活しなかったという事態になっては遅いのだ。

一匹程度ならまだ良かったのかもしれない。恐らく厳重注意程度で済まされたのだろう。しかし不知火がこの街に辿り着くまでに狩ったスライムの数は30匹。注意で終わらせるには些か数が多かった。本来何の罪も無いこの街のギルドだが、建前上お咎めも無しというわけにはいかない。


本日の残業を悟り、深いため息をつく。するとそのため息に釣られたのか、先程から言葉が聞き取り辛い上に、胸ばかりに視線を向ける不知火の対応への疲労感も一緒くたに押し寄せてきたような錯覚に陥る。


そしてそんな彼女に、やれやれと微笑みかける人物が一人。


「やれやれ。アンタもいつも大変だな。俺達みたいなチンピラモドキだけではなく、こんな面倒なやつの相手までしなきゃならんとは」


ユキトの笑みに、思わず顔を赤くする受付嬢。

彼女たちの職務は、周囲が思う以上に過酷であり、精神を磨り減らす。冒険者ギルドは荒くれ者が多い。そんな彼らが屯すれば、日々何かしらの揉め事が起こる。そうした揉め事に介入、調停するのも彼女たち受付職員の仕事なのだ。或いはギルドへのクレーム。やれ素材の買取価格が低いだの、やれクエストの報酬が足りないだの、その他諸々のクレームへの対応も、受付職員の仕事だった。しかも相手にするのは武装した強面の冒険者(チンピラ)達。受付職員の心労は生半可な物ではない。


しかし彼女たちの苦労を理解する者は極端に稀だ。戦いもせず、裏で重要な事務仕事も任されず、ただ受付に立って笑うくらいしか能の無い者。そうした印象を、少なくとも冒険者たちには持たれているし、同じギルド職員にも同様の者達は多い。実際受付職員たちには戦闘力は殆ど無い。ギルド内での諍いが本格的になれば、戦闘力を持った警備の者が対応することになっている。不遇に嘆いた一部の受付職員達が『実は受付職員は高レベルで元上位ランカー』という妄想を拗らせるのも仕方のないことだった。


ともあれそのような状況の中、自身を労い笑いかけてもらえる。たったそれだけの事実が、彼女の胸を熱くした。さらに彼は"いつも"と言ったのだ。彼はいつも、自分を気にかけていてくれた。しかもそれが、冒険者たちの頂点の一角にして、この国屈指の実力者であるユキトだった。


「──ありがとう、ございます」


受付嬢は感動にも近い衝動に駆られていた。まるでトップアイドルから直接声をかけられたファンのように。気が付けば、普段の鉄壁の営業スマイルではなく、彼女の持つ生来の、自然で素直な笑顔を浮かべていた。


「……やっと笑ったな」

「えっ?」

「アンタにはその笑顔の方がよく似合ってる」

「えっ、あっ……」

「これからはそうやって笑ってくれ。その方が俺も嬉しい」


気が付けば今度は、耳まで真っ赤になっていた受付嬢。男性陣は「またか……」という言葉を酒で流し込み、一部が悔しがっている。女性陣はユキトへ熱い視線を送る者が7割、「なんであんな能無しが……」とでも言いたげに受付嬢を睨む者が3割。いずれにしても、まるでこれが日常茶飯事であるかのような反応だった。




さて、面倒なやつ呼ばわりされ、こんな物を間近で見せられ、挙句の果てにはいつの間にか二人の世界とその取り巻きから弾かれて、こうも居ない物扱いされては非常に面白くないと感じる人物が一人。


「お、おいっ!」

「あ? どうした?」


何を隠そう不知火である。


「てめっ、さっきから聞いてりゃ……!」


勢いに任せて叫びかけ、思わず口を閉じる。不知火は日本において、ファンタジー小説や漫画等にはそれなりに目を通してきたと自負している。そんな自分が、何故こんな典型的な負け犬のような憤りを感じているのか。そして今の状況、自分の口から飛び出しかけた言葉。まるで主人公にボコボコにされるテンプレートな噛ませキャラのようではないか。


(なんで戦ってもいないのにこんな……そうだ。戦いさえすりゃあこの雑魚を蹴散らせる。それだけの力が俺にはある。俺はチートなんだ。大体、こんな風に異世界で最初から強キャラ認定されてるようなヤツは"噛ませ"だって相場は決まってんだよ)


不知火は思考を巡らせる。目の前のユキトを再度雑魚認定し、幾分か冷静になった頭で思い出す。こういう時、自分の知る数多の主人公たちはどうしていたのかと。


(そう、主人公は何をしても最後にはマンセーされる。そりゃあなぜか。シンパがいるからだ。だが俺にはいない。そんな主人公がとる手段といえば、"後出し"しかねえ)


後出し──即ち正当防衛である。


不知火の知る多くの主人公達は、『強大な力で世界に君臨し、絶大な信頼を武力で勝ち取る者』、或いは『力の性質故に世間からは良く思われていなくとも、絶対的に慕ってくれるヒロインを持つ者』等々。とにかく主人公を評価してくれている者達が必ず存在する。例えその力を積極的に隠蔽しようとしていても、或いは披露していても、なぜか主人公の周りには常に理解者が寄り添う。


だが誰しもが最初から理解者(ヒロイン)を持っているわけではない。最初の一歩が必ず存在するのだ。力を誇示し、他者を侍らす最初の一歩目が。

誰か、或いは自分が襲われる。そしてそれを撃退する。結果には正当性が付与される。自身の力も示される。そして多くの主人公はその後のどさくさで理解者を得る。


不知火は内心でほくそ笑んだ。誰がお(ユキト)なんかの噛ませになるものかと。


しかしそんな不知火の内心など知ったことでは無いとでも言うように──或いは正確に読み取ったかのように──ユキトはニヤリと笑って見せた。不知火のようなニチャっとしたものではない。ちらりと犬歯が覗く。不敵な、挑発するような笑みだった。


「何だ? 言いたいことがあるなら言えよ。我慢は健康に良くないぞ?」

「っ……ぐぅっ……!」

「やれやれ。大の男がぷるぷる震えてても可愛くないな。何にそんなに怒ってるのかは知らんが、やっぱアンタ面倒くさい人だわ」


周囲から笑いが吹き出す。男も女も、冒険者も職員も、皆が不知火を嗤う。


「何言ってるか聞き取り辛いし、こんな所でレアスキル見せびらかすし、間違った場所で素材放り出すし、挙句指摘したら逆ギレか? 勘弁してくれよ」


面倒くさそうに両手を広げて肩をすくめるユキト。

笑いが大きくなる。

笑う。

嗤う。

哂う。

わらうわらうわらうわらうわらう。誰もが不知火を指さし、笑顔を浮かべている。恐ろしく悍ましい笑顔だ。少なくとも不知火にとっては。


「あんまりエミリアに迷惑かけんなよ?」そんな言葉が笑い声に紛れて届く。間違いなく目の前のユキトの言葉だった。


エミリアとは誰だ。

振り返る。

そこには受付嬢が────


「ぁ……」


────『エミリア・ブルートン Lv.8』


不知火はこの時、初めて彼女の顔をしっかりと見た。

初めて見た彼女の表情は、まるで恋する乙女のそれだった。


視線の先に不知火は居ない。



不知火の中で何かが切れた。


「──っんぅぁああああああっ!」


つばを撒き散らし、目を見開く。拳は握られている。叫び、振り返る。ここまで挑発されたのだ。もはやこれは正当防衛だ。先に挑発したのはあのガキだ。そんな激情が不知火を突き動かす。しかしその拳が振り抜かれる前に、黒髪の少年は動いていた。


「おぁっ!」


不知火の声が間抜けに響く。ユキトは一瞬で不知火の懐に潜り、鳩尾に掌底を入れたのだ。爆発的な速度とユキトの卓越した技量によって放たれたそれは、モンスターの甲殻をも容易く打ち砕く。

さらにユキトは止まらない。そのまま不知火の身体を軸に自身の身体を捻り、エミリアと不知火の間に立つように移動する。

気付いた不知火が振り返り、視線でユキトを追う。この時点でユキトは、自身の動きを追えているという事実に驚愕しつつも、既に次のモーションに入っていた。腕を引き、狙いを定める。


「はッ!」

「ふぇぶっ!」


鋭い掛け声。汚い悲鳴。音速すら超える研ぎ澄まされた一撃。ユキトの拳が、不知火の顔面を撃ち抜いた。


吹き飛ばされ、固い床の上を何度かバウンドする。重たい音を立て、入口の傍に転がった。


「……ってぇ…………っ」


じんじんとした痛み。どこかこの世界を「ゲームみたいだ」と考えていた不知火に浴びせられた冷や水。実は今の一撃を受けて尚、不知火のHPは減っていない。文字通り一片たりとも変わっていない。どのステータスも『65535』のままだ。そもそもステータスの上では不知火に遥か遠く及ばない者の攻撃が、不知火にダメージを与えることなど到底不可能なのだ。


殴られる瞬間も、普通なら目で追うことすら困難なスピードで動いていたユキトに対し、不知火は反応して見せた。何が起きたのかを正確に把握しているのは、この場においてユキトと不知火だけだ。単純に喧嘩慣れしていない不知火の肉体が、咄嗟の出来事に反応できなかったに過ぎない。実際不知火の身体には傷一つ付いていなかった。


しかし不知火はそんなことには気付かない。否、気付けない。

身体は無傷でも、心の方はそうもいかなかった。今まで喧嘩や荒事とは無縁で過ごしてきたのだ。殴られて、吹き飛ばされて、痛かった。ただそれだけの事実が、差し向けられた敵意が、不知火にはひどく恐ろしかった。


周囲の笑い声が加速する。あまりの痛みに身がすくむ。敗北と孤独が不知火の心に大きな罅を入れた。思わず涙を流しそうになった時、入口からの光がふと遮られた。よく見ると、誰かが入口に立っている。


「これは何の騒ぎだ?」


颯爽と金髪を靡かせ、不知火のすぐ傍を通る女性。その凛々しい横顔には見覚えがあった。前回の遭遇よりもずっと近い距離。見慣れた半透明のボードが現れる。


──『アンジェリカ・シルキース Lv.227』


高いレベルと、それに裏打ちされたステータス。そしてまたしても膨大なスキル群。身のこなしもその辺の民間人とは比べ物にならない。不知火はユキトの姿を想起し、小さく悲鳴を上げて縮こまった。


そんな不知火をちらりと一瞥し、今度は受付カウンターの近くに立つユキトへと視線を向ける。


「ユキト、またお前か……」

「おいおい、そんな言い方無いだろ? こっちはむしろ被害者なんだが? 正当防衛ってやつだ。それに武器は使ってないし、ちゃんと手加減したぞ?」


不知火にはそんな会話がどこか遠く聞こえた。分かったのは、二人が非常に親しげに話しており、アンジェリカの表情がエミリアと同種の物という事だった。


口を噤む不知火。一体自分が何をしたというのだ。何故最強であるはずの自分が這いつくばっているのだ。


一体彼と己では何が違うというのだ。


ちなみにユキトの言う"手加減"とは、自分の持つ最強の武器を使用せず、切り札である身体能力を3倍に引き上げるユニークスキルを使用しないことを指す。つまり『決死の覚悟で全力を出した状態』ではないという、ただそれだけである。


不知火を殴った時は、もちろん素手で出せる全力を出していた。


さらに言えば、被害者だの正当防衛だのと口にしていたが、厳密には不知火が叫んだ瞬間ユキトは動き出していた。つまり事実を不知火寄りに分析すると、ユキトは挑発や煽りによって謝罪するタイミングを与えず、激昴しつつも無抵抗という状態の不知火に対し、問答無用かつ全力で腹部と顔面の二箇所に攻撃を加えたのである。


しかしそんな弁護など誰一人として買って出る者はいない。


不知火の視界に再び影が差した。


「なあアンタ」


ユキトだった。ユキトは不知火の顔を覗き込むようにしてしゃがんでいる。これ以上自分に何をしようというのか。また殴られるのか。不知火の表情が強ばる。


しかしユキトの行動は、不知火の予想を裏切る物だった。


「アイテムボックスを使えるってことは、それなりの実力者なんだろ? なんでギルドの常識を知らないのかはさておき、これからはその力を真っ当に使ってくれ。スライム相手や非戦闘員の受付嬢ではなく、な」


ユキトはそう言って微笑んだ。不知火のことを許してやらんことも無いと、その目は語っていた。


「な、何を……」

「そういえばまだ名乗ってなかったな。俺の名はユキト・アマカゼ。これが俺のギルドカードだ」


そう言ってユキトはプラチナ色のカードを取りだした。こげ茶色の不知火のカードとは格が違う。そのことを一瞬で理解する不知火。


「アンタほどの実力ならすぐにランクも上げてくるだろうし、これから先、何かと縁がありそうだ」


よろしく頼む──そう言って不知火に手を差し伸べるユキト。


そう、ユキトはその深い慈愛の心を以って、この騒動を引き起こした男を赦そうと言ってるのだ。

諍いが終われば握手を交わし、酒を飲んで水に流す。夜が明けるまで飲み交わし、笑い飛ばし、そしてまた競い合う。

この世界の冒険者スピリッツを体現したかのようなユキトの振る舞いに、冒険者たちは「さすがユキトさん!」と言わんばかりに頷き、或いは「相変わらずだな」とでも言いたげに酒を煽った。「アイツは誰とでもああやって"友"になる。アイツの周りには、不思議と人が集まるのさ」などと知った風に語る者もいる。彼らの表情は一様に、清々しい笑顔で溢れている。


ちなみに騒動を引き起こしたのは客観的にはどう見てもユキトであり、ユキトがいなければ騒動にはならなかったことは明白なのだが、誰もそれに気付かない。さらに言えばユキトのさりげないセリフによって、不知火が受付嬢に強引に絡んだかのような罪状が擦り付けられており、そんな彼女をユキトが救った(てい)になっているのだが、そんな事実は無い。しかし誰一人として気付かないし、言い出さない。受付嬢自身もいつの間にかそう思いこんでいる。不知火自身も目を丸くして呆けている。


そんなユキトにとって都合の良い"一件落着"が訪れようとしていたのだが、ここにきてユキトは最後に特大の爆弾を落とした。


「まあそれはさておき、アンタもうちょっと痩せた方がいいぜ?」


瞬間、爆ぜるような特大の笑い声がギルドから溢れ出た。まさしく爆笑の渦。誰も彼もが笑っている。ユキト自身も笑っている。アンジェリカもエミリアも他の職員たちも。しかし先程とは打って変わって、そこには一切の嘲りや蔑みが含まれていなかった。


しかしただ一人、凍り付いたように動かない男がいた。他でもない不知火である。能面のような表情で、今のユキトが放った言葉を噛み締めている。


「ん? おい、どうしたんだ? なに、ちょっとしたジョークだ。気に病むなよ」


ユキトとしては軽いジョークでそれなりにオチも付き、一件落着したと思っているのだろう。リアクションの薄い不知火の顔を再度覗き込む。


不知火の視界一杯に、ユキトの端整な顔が広がった。



「──っ」

「おい本当にどうし」

「っ、せぇえええええァッ!」

「おぷっ!?」


うるせえと言いたかったのだろうか。滑舌の悪い雄叫びと共に、目の前のそれを払いのけるような素人パンチが炸裂する。瞬間、防御すらする暇もなく、ユキトの姿が掻き消えた。乾いた音を響かせ、ギルドの壁に大穴が空く。


ギルドを沈黙が支配した。

ユキトが吹き飛ばされたという事実に周囲の脳が追い付く頃には、不知火の姿は既に無かった。


ちなみに、後に街を囲む防壁に突き刺さっているユキトが瀕死状態で発見されるのだが、それはまた別のお話である。


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